仲尾次盛隆 <1>
仲尾次盛隆とは、伊波譜猷の著書(1926年)
真宗沖縄開教前史―仲尾次政隆と其の背景で
仲尾次盛隆の生涯と
禁教浄土真宗の信仰に基づく実践とその活動が記されている
また知名定寛の琉球仏教史の研究(2008年)で
仲尾次は沖縄の浄土宗真宗にとって
極めて重要な役割を果たした人物で
沖縄仏教史の中でよく名が知られた人物として紹介している
仲尾次は那覇泉崎で1810年、士族の家で生まれる
仲尾次の家系は、京都の中村氏で五大前の中村孫之極にいたり
彼の孫の代に薩摩、久志浦に移住し
そこで生まれたのが仲尾次の父中村宇兵衛である
宇兵衛は交易船を所有して
沖縄を始め諸藩との貿易・運送に従事し
財を成し、那覇泉崎に居を構えた
中村宇兵衛は、久志浦に妻子がいたが、琉球においても
久米村の思加那を妻に迎え
政栄・正明・政隆・政根・政記と五人の子供を儲ける
中村家は代々浄土真宗を信仰していた
政隆は、正光寺の住職八木正蔵に儀式の手順など多くの教を受け
交換した複数の書簡がある、伊波も書簡の事を記述している
政隆は、八木正蔵の推挙により本山・本願寺から
了覚と言う法名を与えられている