人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

仲尾次盛隆【2】

2020年11月05日 00時00分16秒 | 日記

  中村宇兵衛は、貿易船を所有し

琉球から薩摩へ貢納米運送、貿易などで財を成した

 

中村家の三男として生まれた

政隆は勉学に努め

 

今帰仁の間切りの地頭・那覇総横目

那覇船改め奉行などの

 

要職を務め、仲尾次親雲上(ペークミー)政隆と称していた

また当時の士族として、高い教養を身に付けた政隆であった

 

歌人の宜野湾朝保から和歌を学び

書は久米村の儀間より

 

弓は三司官の小禄親方から

鉢は村山鍛三に学び

 

ほかにも人相学・医術・風水・土木・生け花

茶など学んだと言われている

 

薩摩で禁制していた

キリスト教、浄土宗を

 

琉球侵攻(1609年)後、支配していた

琉球においても禁制にした

 

禁教の浄土宗の一信徒であったが

本願寺から了覚と言う法名与えられ

 

その熱心さから布教し続けていた

特に遊女に布教していた、

 

その実は大きく三百人を超える信者が帰依し

目立つようになり拠点を自宅に移し

 

中山子尼講社と称する講社を結成し活動するが

王府に発覚し詮議の結果

 

石垣島へ、無期の流刑となった

仲尾次政隆45歳の頃と言われている

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする