八重山諸島石垣島に宮良節と言う民謡がある
政隆が流刑となり石垣島に居していた時に
宮良橋の建設に尽力をつくした
功績を称え作られた歌であると言う
宮良川(めーらかーら)は石垣島最大の河川である
この河川に初めて橋が架けられたのは、
1658年である宮良橋は東西を結ぶ
島民にとっては重要な橋であったが
災害(主に台風)のために何度も破壊され
その度に修理や掛け替えが繰り返さてきた
1771年八重山地震による明和大津波によって
宮良橋は破壊された
その後、橋は架けられることなく
島民は干潮時を待って歩いて渡り満潮時には渡船を利用し
不便を余儀なくされていた橋は90年間再建されなかった
1860年に百二石余りの建設費をかけて、工事が始まる
その時流刑で前栄里に居していた
政隆は私財を投じて中心的な役割を果たした
長さ約135メートル・幅3.6メートル
高さやく4.2メートルの木の橋が、
1861年に完成したがその翌年台風によって破壊されたが
政隆は再度私財を投じて橋を復興させた
人々は橋の完成を喜び
民謡、宮良節を作り盛隆を称えた