人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

仲尾次盛隆【3】

2020年11月10日 00時00分15秒 | 日記

  政隆は禁教の浄土宗を布教したと言う理由で

石垣島へ終身流刑となった

 

政隆が記した、配流日記に石垣島に行く前に

座間味島に一年半ほど滞在し

 

1856年11月に息子と二人の共が同行して

流刑地石垣島に12月1日真泊に入港したと記されている

 

石垣島での生活は拘束もなく妻を得て子供を儲け

船を持ち貿易・事業などに従事して

 

流刑人とはおもえない自由な生活をしている

石垣島で11年間の記録を記した配流日記に

 

島での出来事を詳細に記述されている

日記の中に島の生活で詠んだ

 

和歌542首、126首の琉歌が記されている

石垣島では、和歌・琉歌の関心は高く

 

政隆は島の知識人や

僧侶・上級役人などとの和歌、琉歌を

通して交流を持ち人間関係を深めていった

 

仲尾次政隆は自身の資産だけを増やすことなく

以前から、王府へ台風や干ばつ(2回)や

 

王子らが薩摩へ行く旅費

また徳川将軍の即位に行く旅費

 

学校の建設費などの多額を献上し

無利息の貨与などもしている

 

中村家・政隆は信仰者として社会に貢献し還元している

仲尾次家の家譜に記述されている

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