聞得大君は
首里城内の10の御嶽と斎場御嶽を
掌管し全国の「ノロ」たちを支配していたが
ノロの任命辞令は国王が行っていた
聞得大君の下には
それ以前から有力な神女である
阿応理屋恵佐司笠などの「君」や
首里の三間切をそれぞれ掌管する
3人の大阿母良礼(おおあもしられ)がおり
その下に各地方を統括する「大阿母」たち
さらにその下に各地域の祭祀掌管する
「ノロ」を配する階層構造を形成していた
なお、高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んでいた
33人ではなく(三十三は大勢と言う意味)
そのほとんどは首里に存在し
王家となんらかの血縁関係にあったと考えられている
この神女体制は17世紀中ごろ形骸化し
ほとんどの高級神女職は廃職された
ちなみに、この時期に残った三十三君は
今帰仁の阿応理屋恵
(一度廃職後18世紀に復活現在は廃職)
伊平屋の大阿母(昭和5年廃職)
久米島の君南風(チンペー)の三職のみで
いずれも首里に上らない地方在住の「ノロ」である
しかしその後も各地域の「ノロ」職は存続を続け
多くが現在まで各地に残っている
なお聞得大君職は王国滅亡後も長く存続し
太平洋戦争中の1944年就任した
第18代・恩戸金翁主を最後に
大戦後に廃職となっている
現在三十三君にあたる高級神女では
久米島の君南風(チンペー)職が
久米島最高位の「ノロ」として存続している