ドゥナン(与那国) チマ(島)は
15世紀以前の史料は皆無に等しい
与那国島はどの国にも属せず独立国であった
15世紀末から16世紀前期頃
サンアイ・イソバ がドゥナンを統治していた
女傑と呼ばれたサンアイ・イソバは
巨躰で豪傑、剛力の持ち主で
祭祀を司る、ムトカアボ(元司阿母)とも
呼ばれる神職者でもあった
サンアイ・イソバとは通称で
サンアイは方言でガジュマルの樹と意味し
イソバは名前
ガジュマルの樹が生い茂る ムラのイソバと呼ばれた
イソバは祭政を基本に内治を良くし
外敵を防ぐ政策を執って与那国を統治した
イソバは広域な開田を行い
開いた水田は現在のハインダン
またサンバルを開拓し牧畜も営んだ
開拓した地にムラを造った
造った村は二十以上あったと言われている
イソバは四人の兄弟がいて
兄弟それぞれに、ドゥナンバラ村、ダディグ村
ダンヌ村、ティバル村の按司(領主)として配置し
自らは島の中央に位置するサンアイ(ガジュマル)村に居し
中央集権祭政を行った