人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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中昔北山時代

2021年08月01日 00時00分13秒 | 日記

  25代続いた天孫王統は

臣下の利勇の反乱によって1186年に滅亡した

 

そのため国乱れ四方騒乱になり

人民は塗炭の苦しみを受ける

 

混沌とした国を再興したのが浦添按司尊敦で

逆臣利勇を討ち善政お行い国を統一した

 

この尊敦(後の舜天王)は

保元の乱で伊豆の大島に流刑となって

 

その途上船が嵐に遭い「運は天にあり」と

今帰仁の運天に漂着した

 

地名を運天と呼ぶようになったと云う伝説がある

 

源為朝は豪族に成り

大里按司の妹と結婚し生まれたのが尊敦で

 

初代琉球世の主(国王)であると

中山世監(1655年)正史では位置づけられている

 

源為朝伝説は史実として証明する史料は無く

伝説の域は出ていないが 現在でも根強く語られている

 

また日流同祖論と関連づけられて議論されることが多い」

 

舜天王統は舜馬順煕・義本と3代72年続き義本王のとき

1259年英祖に王位を譲ったとされている

 

英祖王統は5代90年続くが4代目玉城王は酒色溺れ

政治を顧みず国政は乱れて

 

南山按司・北山按司が離反して、南山・北山と

小国を形成していったため

 

統一国家は崩れて

南山・中山・北山と三山時代となる

5代目酉威王のとき英祖王統は消滅する

 

中山は察度が中山世の主(王)(1350年)として立てられる

この察度王が琉球国で初めて、中国明朝との朝貢を行う

 

北山は英祖王の次男湧川王子が

北山の城主(1260年)になり

 

丘春按司の次の代仲宗根若按司で8代

仲昔北山時代135年続いたとされている

 

伝説、伝承によって語り継がれたものを

正史として編集された歴史書・外史・各地の門中の家譜によって

 

知り得た歴史を「無理やり繋ぎあわせてみた」

前昔北山時代・中昔時代である

コメント (3)
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