1322年頃に一族同士の権力争いに勝ち残り
北山の領主に就いたのが怕尼芝(はねじ)である
怕尼芝・眠(みん)・・攀安知(はんあんち)と続き
3代94年、北部地域を統治する
その支配地域は
伊江島・伊平屋・奄美諸島
国頭・羽地・名護・金武、沖縄本島北部地域
今帰仁間切り、北山城を権力の中心として統治していた
中国明朝の史書明実録に北山
三王が朝貢を行なったと記録がある
北山に関する最古の文献である
この朝貢交易記録によって
後昔北山は歴史的事実として認められている
前昔北山・中昔北山は裏付ける資料がなく
神話 伝説 伝承の域は出ない
怕尼知は1383年中国明に使者を派遣し朝貢交易を行う
1390年までに6回行われたとある
明朝により、王称号、王冠帯、王依など下賜されたとある
2代目眠(みん)(1369年~1400年)は1395年に
1回のみ交易を行っている
3代目攀安知(1396年~1416年)は19年間に
11回の交易を行なわれた
三代94年北山を統治して、北部地域は隆盛を極め
繁栄し争いのない平和であった時代とされている
怕尼芝(在位1322年~1390年?)の在位期間が
68年と長く初代と、2代、眠(みん)との間に
もう一代あって四代あったと推測されている