人生黄昏時

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北山城監守時代【1】

2021年08月15日 00時00分53秒 | 日記

  1416年北山は

中山尚巴志によって滅ぼされ

 

1422年に尚巴志は次男の尚忠を

北山監守として北山城に派遣した

 

北山地域を統治する体制、反乱を防ぐために

監守制度を導入したのである

 

1429年に、南山も攻め落としたが

監守は置かなかった

そこに北山と南山の対処の違いがある

 

二代目監守に具志頭王子が任命されたと

伝承があるが不明な点が多く定かではない

 

北山城、北部地域を管理するため監守設置は

尚巴志王統(第一尚氏王統)の時代と

 

金丸(尚円)が建てた第二尚巴志王統時代に分けて

第一監守時代・第二監守時代と呼ばれる

 

第二尚氏に入って代官を交代で

北山監守として派遣する

 

1526年になると

琉球国三代目 尚真世の主(王)は各地で勢力を保っていた

按司たちを、首里に集め居住させ、

 

按司掟(あじうっち)を置いて武器を取り上げ

中央集権を強め地方勢力を支配においた

 

北山城は重要視し特別に尚真王(1477年~16817年)の

三男の尚韶威が派遣された

 

1665年七代目従憲(1627年~1687年)まで

北山城に監守が置かれた

コメント (2)
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