人生黄昏時

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沖縄の仏教 【24】

2017年11月15日 00時02分08秒 | 日記

 仲尾次政隆 <2>

中村宇兵衛は、貿易船を所有し

琉球から薩摩へ貢納米運送、貿易などで財を成した

 

中村家の三男として生まれた、政隆は勉学に努め

今帰仁の間切りの地頭・那覇総横目・那覇船改め奉行などの

要職を務め、仲尾次親雲上(ペークミー)政隆と称していた

 

また当時の士族として、高い教養を身に付けた政隆であった

歌人の宜野湾朝保から和歌を学び

書は久米村の儀間より

弓は三司官の小禄親方から

鉢は村山鍛三に学び

ほかにも人相学・医術・風水・土木・生け花

茶など学んだと言われている

 

薩摩で禁制していた、キリスト教、浄土宗を

琉球侵攻(1609年)後、支配していた

琉球においても禁制にした

 

禁教の浄土宗の一信徒であったが

本願寺から了覚と言う法名与えられ

その熱心さから布教し続けていた

 

特に遊女に布教していた、その実は大きく三百人を

超える信者が帰依し目立つようになり、拠点を自宅に移し

中山子尼講社と称する講社を結成し活動するが、王府に発覚し

 

詮議の結果、石垣島へ、無期の流刑となった

仲尾次政隆45歳の頃と言われている

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