蔡温とは琉球国の政治家・学者、1728~1752年まで25年間
世あすたべ(三司官)の地位にあった、その間多大な業績を残し
また、多くの著書を残し後世の施政に強い影響を及ぼした人物
蔡温は1682年、蔡氏多伯家十世・父蔡鐸と母真呉瑞との間に
次男(正室の長男)として誕生した、わらびなー(童名)は蒲戸
ウチナナー名乗りは(沖縄名)具志頭親方文若
蔡温は、からなー(唐名)である
父蔡鐸は、クニンダ(久米村)の
最高責任者省総理唐栄司の地位にあった
側室眞多満との間に長男蔡淵・わらびなー次良がいた
蔡温は4人兄妹の次男である
蔡温は三司官になる以前から王府の要職に在りその才能を発揮し
清国とのトゥージ(通訳)、国王の国師などの役職を務め
また漢文の訓話師や講解師などの職にあった
羽地朝秀が古琉球から近世琉球へと
改革の道を開いた路線を受け継ぎ
王府の自給自立の強化、国民・官使の意識、ものの考え方の改革
国の倫理的支柱に儒教を置き儒教道徳の浸透を図った
経済的には、農業・林業の改革を行い
古琉球から脱し近世琉球へと際温は確立へと導いた