伊 予 NO.341
別に知らなくってもいいことも多いのですが、この歳になっても知らないことが実に多い。
47都道府県というのは明治の廃藩置県でそうなったと思っていましたが、そうではありません。
その当時の「県」は230余りあったそうです。
それが47になったのは明治30年代になってからのことらしい。
その「県」と言っても兵庫県のように日本海にも面し、かつ、太平洋(瀬戸内海)にも接している県もあれば、どの海にも面していない県も7~8県もあります。
環境が違えばそこに住む人の気質も当然違うものです。
あまり仲の良くなかった「藩」同士がくっついてできた県は、今もって地域間の確執あって「あの地域から嫁を取るな」とか「あの地域の人とは付き合いする」などと、まことしやかに語りつがれているらしい。
そういえば、田舎の爺さんから送ってきた小包や手紙の発信地の表示は、昭和の20年になっても、「愛媛県」ではなく「伊予喜多郡立川村」となっていました。
爺さんは余程「愛媛県」なんて言い方は気に入らなかったのではないかと思います。 これは爺さんの「コダワリ」だったのではないかと思います。
その私が今や「こだわり」の爺さんになりました。
世間を騒がすことが生きがいみたいな政治家が、大阪は府と市を合わせてつまり「ふしあわせ」にしようとか、その騒擾青年の尻馬に乗って「道州制」を推進しようなんて、住民にとって100害あって1利のないスローガンを掲げている青年もいますが、万一そんなことになっても私の郷里のこだわり爺さんのように、死ぬまで「大阪府」で行こうと思っています。
別に知らなくってもいいことも多いのですが、この歳になっても知らないことが実に多い。
47都道府県というのは明治の廃藩置県でそうなったと思っていましたが、そうではありません。
その当時の「県」は230余りあったそうです。
それが47になったのは明治30年代になってからのことらしい。
その「県」と言っても兵庫県のように日本海にも面し、かつ、太平洋(瀬戸内海)にも接している県もあれば、どの海にも面していない県も7~8県もあります。
環境が違えばそこに住む人の気質も当然違うものです。
あまり仲の良くなかった「藩」同士がくっついてできた県は、今もって地域間の確執あって「あの地域から嫁を取るな」とか「あの地域の人とは付き合いする」などと、まことしやかに語りつがれているらしい。
そういえば、田舎の爺さんから送ってきた小包や手紙の発信地の表示は、昭和の20年になっても、「愛媛県」ではなく「伊予喜多郡立川村」となっていました。
爺さんは余程「愛媛県」なんて言い方は気に入らなかったのではないかと思います。 これは爺さんの「コダワリ」だったのではないかと思います。
その私が今や「こだわり」の爺さんになりました。
世間を騒がすことが生きがいみたいな政治家が、大阪は府と市を合わせてつまり「ふしあわせ」にしようとか、その騒擾青年の尻馬に乗って「道州制」を推進しようなんて、住民にとって100害あって1利のないスローガンを掲げている青年もいますが、万一そんなことになっても私の郷里のこだわり爺さんのように、死ぬまで「大阪府」で行こうと思っています。