小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

祭り

2016-06-17 19:42:51 | 日記

          2 8.06.18    祭    り     NO.1196

祭りは嫌い、いや大嫌いでした。 暗いお話はあまりしない方が良いのかもしれませんが、

クリスマスもお正月も盆踊りなどなども、いわば人が集まって楽しくはしゃぐ「ハレ」の日は、

お遣いを貰えない貧乏少年にとっては、みじめさをより強く感じる「日」だったからです。

そういう潜在意識をずっと引きずって生きてきたのです。

きちんとした就職が決まった19歳までの貧乏人根性は、後期高齢者と言われる年代に達す

るまで、連綿と続いていたのです。

でもこの歳になって初めて、人様が楽しく歌い・踊りに興じているのを見ると、ひとり腐ってい

るよりも自分も同じようにやってみた方が利口じゃないのか?「得?」なんじゃないかと思う

ようになりました。  そうすれば気分はいいし・健康にもいいし、貧乏人根性をいつまでも引

きずっているよりも、建設的・生産的じゃないのかな?・・・と思えるようになりました。

ちょっと気が付くのが遅かったのかもしれませんが、暗く生きるよりも明るく生きて行こうとい

う気になっています。 阿波踊りだって「踊るあほうに 見るアホウ 同じアホならにゃ踊ら

にゃ損そん」というではありませんか。

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ものは言いよう

2016-06-16 20:01:21 | 日記

        2 8.06.17  も の は 言 い よ う  NO.1195

 「 ものは言いよう」丸い卵も切ようで四角、モノは言いようでカドが立つ。

当社で分譲販売した物件の第2取得者から、窓枠コーキング切れによる雨漏りの補修要求

がありました。    当時は第2取得者にたiしてまでのメンテ保証義務はありませんでしたし、

第一取得者に対するメンテ保証期間も経過していたため、本来は無償で補修すべき法的義

務はありませんでした。  ただ、こういう場合には義務云々よりも会社の信用を重んじるとこ

ろから、おおむね無償で対応して来ましたが、そのお客さんは補修を要求する権利もないの

に「修理してくれてあたり前」という態度だったので、お断わりしたところ、裁判所に調停の申

し立てをしてきました。 調停の申し立てに関してはそれに応じるべき義務はありませんが、

真正面から受けて立つことにしました。

年配の調停委員から「なんとかしてあげられませんか?」と懇願されたので申しました。 

「丸い卵も切ようで四角、ものは言いようでカドが立つ」申立人は「修理は当たり前という態

度ですから、当社はそういう要求に当社は応じるべき法的義務はない」と主張したところ、7

調停委員は原告(申立人)を別室に呼んで標記のことを言ったのでしょう。

すると原告は態度を軟化して従容になって非礼をわびたので、補修に応じました。 費用は

2万円ほどでしたが、原告・被告ともに納得が行かない場合には本訴を起こし、勝訴判決を

得ないことには主張は通らない。  そこまでやるのは大人気げないと思って矛を収めまし

たが、意地を張り通せば世間は狭くなる。

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立場

2016-06-15 19:44:21 | 日記

             28.06.16    立     場   NO.1194

 最近裁判所の判決文の中でよく使用される言葉に「立場」という言葉があります。 

曰く「消費者は情報収集に置いても」経済的な「立場」においても、生産者や事業者に対抗しう

る「立場」になく、一方生産者や事業者はそういう面で有利な「立場」にあるのだから・・・云々。

弱い立場の者を保護するという趣旨は悪くはないけれど「法律」というモノサシで物事を判断す

る場合に、最近のように頻繁に行使されている「立場」なる言葉は、合理性や合法性の観点か

見れば不適切で、大岡越前や遠山金四郎のような義理と人情が社会の規範だった時代にさか

上った感じがします。

大学教授がその「立場」悪用して女子学生に不適切な関係を強要するなどのいわゆるアカハラ

等の場合、または、高級公務員の天下り等の地位利用の場合には「立場の悪用」という概念

は至当ですが、法治国家の裁判においてみだりに慣用句を用いられるべきではない・・・と思

う。

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両手に花

2016-06-14 21:25:09 | 日記

           28.06.15   両 手 に 花     NO.1193

女の子にはモテモテで仕事順風満帆、このところゴルフの成績は好調で友人からのお誘い

で引っ張りだこというような人がいれば、そういうのを両手に花の状態というのでしょう。

それはそれで結構なことでしょうが、世の中そんなに良いことばかりは続きません。

女性同士の嫉妬心は恐ろしいものですし、同僚や同業者等のライバルの妬みは根が深く陰

湿だし、ゴルフなんかにうつつを抜かしていると、仕事の上で仕返しのつかないチョンボを冒

して しまうものです。

万事調子が良い時は友人は黙っていても集まりますが、落ち目になるとだれも見向きもしな

くなる。 俗に「鼻水もひっかけない」という状態になる。

お金持ちになったら親戚は増えるが、貧乏になったら親戚は減る…という。第一両手に花を

持っていたら、なにかほかに取得する必要が生じた場合に、両手が塞がっていては何もつ

かめないし、転倒しても手もつけないで顔面や頭を打ちつける。

満つれが欠けるは「お月様」だけではありません。

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いばり

2016-06-13 20:41:20 | 日記

           28.06.14   い  ば  り    NO.1192

 「おしっこ」のことです。 芥川龍之介の作品「鼻」の中で、長鼻に苦しむ寺の住職が鼠の

「いばり」を鼻に塗り付けて鼻の脂を絞り出す(そして鼻を短くする)という描写があります。

古来、尿には何らかの薬効があると信じられてきたようです。

昭和に入っても戦後間もないころまでは、火傷をすると応急の処置としておしっこを引っかけ

たり、間に合わない場合には患部を女性の陰部をこすりつけるなどと言う原始的な療法が

地方ではあってようです。

女性の陰部には尿・・・したがって尿の成分である塩分やアンモニヤ等の殺菌作用がある物

質が付着しているからだったのかもしれません。

海難事故に遭遇して飲料水がなくなると、自分のおしっこを飲むということもあるし、マゾヒズ

ム文学者 沼 正三の作品「家畜人ヤプー」の中でも、人の糞尿を好んで食う野蛮人(日本

人)という設定がある。

まあそんなことはどうでもよいことですが、知らないよりはしている方が「まし」ではないかと

思います。   因みに、火傷の応急処置は水で冷やすことが一番らしい。

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