雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 46 浜北区貴布祢(貴四)の須佐之男神社

2011年01月25日 05時19分28秒 | 雨宮日誌
遠州の遺跡・寺社 46 浜北区貴布祢(貴四)の須佐之男神社

 浜北区貴布祢に「須佐之男神社」がある、というのを見付けたのは依然です。

 ネットで「須佐之男神社」を検索したら、この浜北の須佐之男神社の「GO GO 郷中」というHPを見付けて、その中に「須佐之男神社祭典」が毎年8月初めにおこなわれるとあり、地元の人は「天王さま」と呼んでいるとありました。

 今日は、実際に見てきました。

 二俣街道の「酒のビッグ浜北店」のある「貴布祢北」交差点を西に曲がって、1回目の信号のすぐ西、道の北側に「貴布祢第四区公民館」と「須佐之男神社」があります。

 小さな南向き(神社に向かって北東に37度でした)の神社です。

 2010年9月26日「遠州の遺跡・寺社28 中区鴨江の須佐之男神社」で、以下のように、紹介しました。

 「スサノオさん(気安く「さん」ずけにするな!といわれそうですが)のすごいところは、やはり、日本列島に(たぶん朝鮮から)やってきて、「朝鮮には金銀があるが、日本にそういう宝がないのはよくない」と言って、自分のヒゲを抜いて杉にして、胸毛を抜いてヒノキにして(あの方ですよ「胸毛ふさふさ!」)、お尻の毛をマキの木にして、眉毛を楠の木にしました。
 そして、杉とヒノキは船に使え、マキの木はお墓の棺ををつくれ、楠の木は宮殿につかえと教えました。
 古代の用材を調べていくと、実際、そのとおりなのですね。なぜ、どうして、そうなのか、別途考えたいと思います。
 (志村史夫さん『古代日本の超技術』ブルーバックス、講談社、1997年)」

 まだまだ謎は解けませんね。