雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

 雨宮日記 12月10日(月) 浜松に米軍機オスプレイが飛来!

2018年12月10日 20時19分49秒 | 雨宮日誌

 
 雨宮日記 12月10日(月) 浜松に米軍機オスプレイが飛来!

 最初に「浜松にオスプレイが」という電話があったときは冗談かと思った。

 でも友人が実際に航空自衛隊浜松基地に飛来した米軍機オスプレイ2機の映像を持ってきたので疑いようもなかった。まさしくオスプレイ。

 さっそくその映像から1分10秒の「米空軍オスプレイ浜松基地初飛来」をつくって「ピース浜松 サイトB」にアップ。画像を見たら機体に書かれた英語は「USAF」とあり「米国空軍」なので、海兵隊のMVでなく横田基地のCVの方。

 「青い地球」の編輯企画を1から作り直す。しばらくは、これで忙しい。なぜ?といろいろ考えることがある。

 


過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210

2018年12月10日 11時59分59秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210


 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」というものがある。2つとも戦前の日本の「プロレタリア文学」運動において、指導的理論となったものである。

 今年「第十回手塚英孝賞受賞作」は、谷本諭さんの「「社会主義リアリズム」とは何だったのか ー 二一世紀の目で考える」という論文です。今日はこれを検討しようというのではありません。

 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」を見るのに谷本諭さんの論文が適しているので、これで一瞥した上でボクの意見を書こうと思う。

「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」の命名に、文学の方法的混迷が現れているように思う。

 「唯物弁証法的創作方法」というが、「唯物弁証法」は哲学の理論である。哲学と文学ではジャンルが違い、方法も違うと思う。

 「唯物弁証法」は哲学の方法ですらない。哲学の方法で到達した理論的結晶が「唯物弁証法」だと思う。「方法」ではない。

 なにか勘違いか過誤がありそうなのだが、蔵原惟人さんの評論がまだ手に入らないので、今回はパスしておく。

 「社会主義リアリズム」のほうは、さらにおかしい。「社会主義」は社会体制である。どうして体制名を文学の潮流名にするのか。

 「奴隷制ロマンティシズム」「封建制リアリズム」「資本主義ロマンティシズム」「共産主義リアリズム」は存在するのか。

 「進歩的リアリズム」とか「批判的リアリズム」という言い方なら、その当否は別にして、感覚的にわかる。

 哲学や歴史の方法を、そのまま文学の方法とすることの無理・無茶について考えてみるべきではないか?