雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の物 45 2本目のメガネ(眼鏡) 20191024

2019年10月24日 15時29分52秒 | 雨宮家の物


雨宮家の物 45 2本目のメガネ(眼鏡) 20191024

 以前にメガネを作ったときに、2本、同じものを作った。高林のバイパスの通りの店で。

 1本は1本が壊れたときのための予備。

 今は、これは2階の自分の部屋のパソコンの橫に置いてある。といってもパソコンを見るためではない。近くを見るのはメガネは必要ない。

 部屋の遠いところ、とくに本の背表紙の小さな文字を読むために必要だから。

 もう1つはテレビの部屋においてテレビを見るときに使っている。

 というわけで10代から近視でずっとメガネを寝るとき以外はつねにかけていたが、遠視とのバランスの具合だろうか、いまは常備からは外れた。

 


新・本と映像の森 308 ジョレス・メドヴェージェフ『生物学と個人崇拝 ー ルイセンコの興亡 ー』現代思潮社、2018年

2019年10月24日 10時52分07秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 308 ジョレス・メドヴェージェフ『生物学と個人崇拝 ー ルイセンコの興亡 ー』現代思潮社、2018年

 A5版、375ページ、定価本体4200円、ロシア語版原書1993年。

 スターリン時代にソ連生物学を小スターリンとして支配したルイセンコの害毒。それは計り知れない。

 第一にヴァビロフをはじめ生物学者たちを圧迫し追放し獄死させた。

 第二にまっとうな科学的生物学を圧迫し追放し獄死させた。

 しかも、この本を読んでボクは初めて知ったのだが、ルイセンコの支配は1956年の不充分なスターリン批判で終わりではなく、1964年のフルシチョフ失脚まで続いた。

 つまりルイセンコは阿諛追従の相手をスターリンからフルシチョフに乗り換えて生き延びたわけだ。

 ルイセンコ生物学の科学的批判のためには十分にボクが読み切れない。それは、またの課題にしておきます。日本におけるルイセンコ派の支配の問題も。