遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社
笠井市街の東側の田園のなかに、この羽鳥八幡神社があるというので、行ってきました。
神社は南向きで、やけに長い参道(アプローチ)を歩きます。
祭神は誉田別命、つまり応神天皇です。
まあ八幡神社なんだから当然ですね。
なお「八幡神社」とは「8のはた」という意味で、漢音読みをすると「はちまん」ですが、日本語読みをすると「やはた」になります。
北九州市の「八幡」ですね。
このことも、もっと深く考えたいと思います。
問題は「羽鳥」という名前がつくことです。
ここの地名は「豊町羽鳥2174番地」で「羽鳥」は、たぶん字(あざ)名だと思います。
この「羽鳥(はとり)」は、当然、「服部(はっとり)」や「秦(はた)氏」を連想させます。
つまり、朝鮮からの、鳥をトーテム(部族のシンボル)にする渡来人系の神社ではないでしょうか。
もちろん、神社の説明にはそんなことは一切、書かれていません。
石に刻まれた説明では「創立は不詳である。当社は江戸時代にて」と書かれているだけですが、もちろん、江戸時代に創立されたなんてことは無理です。
なぜなら、この羽鳥八幡神社の南側に、東西を横切る道路を隔てて、浜松市の沖積層では希な、有名な「蛭子森(えびずもり)古墳」があるからです。
つまり、神社と古墳は一体のものです。
ということは、この羽鳥八幡神社も、蛭子森古墳の時代までさかのぼることもあり得るということです。
と、すると、蛭子森古墳の時代である古墳時代後期まで神社もさかのぼっても、おかしくないでしょう。
蛭子森古墳自体は、もう一度、「遠州の遺跡・寺社」で考えたいと思います。
蛭子という名前も、考察の余地がありそうです。
なんて、おもしろいんだろう!
笠井市街の東側の田園のなかに、この羽鳥八幡神社があるというので、行ってきました。
神社は南向きで、やけに長い参道(アプローチ)を歩きます。
祭神は誉田別命、つまり応神天皇です。
まあ八幡神社なんだから当然ですね。
なお「八幡神社」とは「8のはた」という意味で、漢音読みをすると「はちまん」ですが、日本語読みをすると「やはた」になります。
北九州市の「八幡」ですね。
このことも、もっと深く考えたいと思います。
問題は「羽鳥」という名前がつくことです。
ここの地名は「豊町羽鳥2174番地」で「羽鳥」は、たぶん字(あざ)名だと思います。
この「羽鳥(はとり)」は、当然、「服部(はっとり)」や「秦(はた)氏」を連想させます。
つまり、朝鮮からの、鳥をトーテム(部族のシンボル)にする渡来人系の神社ではないでしょうか。
もちろん、神社の説明にはそんなことは一切、書かれていません。
石に刻まれた説明では「創立は不詳である。当社は江戸時代にて」と書かれているだけですが、もちろん、江戸時代に創立されたなんてことは無理です。
なぜなら、この羽鳥八幡神社の南側に、東西を横切る道路を隔てて、浜松市の沖積層では希な、有名な「蛭子森(えびずもり)古墳」があるからです。
つまり、神社と古墳は一体のものです。
ということは、この羽鳥八幡神社も、蛭子森古墳の時代までさかのぼることもあり得るということです。
と、すると、蛭子森古墳の時代である古墳時代後期まで神社もさかのぼっても、おかしくないでしょう。
蛭子森古墳自体は、もう一度、「遠州の遺跡・寺社」で考えたいと思います。
蛭子という名前も、考察の余地がありそうです。
なんて、おもしろいんだろう!
地名は羽鳥随国でしたので、中国系かと思っていました。