雨宮日記 6月23日(月) 沖縄戦「公式終戦」の日、いろいろ感慨があります
1945年6月23日で沖縄戦が終わったわけではないし、ある意味、今も、沖縄戦の遺産である「沖縄米軍基地」は現存しています。この沖縄県の米軍基地と、沖縄県以外の米軍基地がすべて無くなった時、初めて、日本の戦争は終わるのだと思います。
だから、まだ。あの戦争は、米軍基地として継続しています。
ぼくは、1971年から1972年の沖縄闘争の渦中にあって、沖縄現代史と沖縄古代史を読んで、沖縄に魅せられました。それで、浜松に帰ってきてから知り合った則子さんとの1979年2月の結婚式のあとの新婚旅行は、沖縄に行きました。
なんと、新婚旅行というのに、米軍基地と古代のグスクをめぐる、何の甘さも、新婚性もない旅でしたね。
もし1970年代後半、浜松へ帰ったときに、則子さんと知り合わなかったら、たぶん、自分の家の本屋仕事は止めて、アルバイトでお金をためて、大好きな沖縄に移住していたと思います。
でも、則子姫さまと、あの日、あの時、出逢ってしまったので、歴史的な道筋は、大きく変更されてしまい、そのあとの、2人の豊かな未来が創造されたわけです。2人のすてきな娘も含めて。
あの、ぼくの歴史の分岐点で、なぜ、則子さんが現われたのか、今も、ぼくにとっては謎です。
上田耕一郎さんが「歴史の神様は、私みたいに、前髪しかなくて、後ろ髪はないから、自分の目の前に現われた瞬間に、前髪をつかまないと」と
言ってました。ぼくは則子さんの前髪をつかまえたのでしょうか?