あるはま(歩く浜松)1 中区元浜町の椿姫観音
書きたいこと、書きたい場所が「遠州の遺跡・寺社」だけでは収まらなくなってきたので、新しく「あるはま(歩く浜松)}コーナーをつくりました。
街角で見たものとか、すてきな建物とか、紹介していきます。
「元浜町」は、浜松の古い中心街です。なんせ「元の浜松」という意味ですから。
その一角に、椿姫観音という建物があります。
観音様といっても、寺社のたぐいではなくて、戦国時代に、徳川家康が三河から遠州に侵攻してきて、飯尾家の引馬城(ひくまじょう)を攻め落としたときに、今川に謀殺された夫のかわりに「お田鶴(たづ)の方」が侍女たちとともに戦って死んだという「伝説」です。
真実の歴史なのか、証拠の文献はあるのかは、今の私には不明です。
いまは伝説としておきますが、おそらく徳川家康にふがいなく降伏した男どもに怒りを燃やして、人間としての誇りを捨てないために、遠州の女性達が家康への抵抗の心をこめて創りだし、伝えた伝説なのではないでしょうか。
この引馬城の落城の話は、また別の話を「あるはま」に書きます。
実際の引馬城は、今の浜松市役所の東側のこんもりした森「東照宮」の場所です。
書きたいこと、書きたい場所が「遠州の遺跡・寺社」だけでは収まらなくなってきたので、新しく「あるはま(歩く浜松)}コーナーをつくりました。
街角で見たものとか、すてきな建物とか、紹介していきます。
「元浜町」は、浜松の古い中心街です。なんせ「元の浜松」という意味ですから。
その一角に、椿姫観音という建物があります。
観音様といっても、寺社のたぐいではなくて、戦国時代に、徳川家康が三河から遠州に侵攻してきて、飯尾家の引馬城(ひくまじょう)を攻め落としたときに、今川に謀殺された夫のかわりに「お田鶴(たづ)の方」が侍女たちとともに戦って死んだという「伝説」です。
真実の歴史なのか、証拠の文献はあるのかは、今の私には不明です。
いまは伝説としておきますが、おそらく徳川家康にふがいなく降伏した男どもに怒りを燃やして、人間としての誇りを捨てないために、遠州の女性達が家康への抵抗の心をこめて創りだし、伝えた伝説なのではないでしょうか。
この引馬城の落城の話は、また別の話を「あるはま」に書きます。
実際の引馬城は、今の浜松市役所の東側のこんもりした森「東照宮」の場所です。