9月15日の安部首相が北朝鮮のミサイル発射に対してのコメントについて
9月15日、安部首相が北朝鮮のミサイル発射に対してコメントを出しました。興味深いので、精しく読みました。
以下は、その短い全文です。
「先般の国連決議で示された国際社会の一致した平和的解決への強い意志を踏みにじり、北朝鮮が再びこのような暴挙を行なったことは断じて容認できません。安保理に対して緊急会合の開催を要請します。
世界の平和を脅かす北朝鮮の危険な挑発行為に対して国際社会で団結して一致して、明確なメッセージを発しなければなりません。今こそ国際社会の団結が求められています。
先般の制裁決議を完全に履行しなければならないことが改めて明らかになりました。北朝鮮がこの道をさらに進めば、明るい未来はない、そのことを北朝鮮に理解させなければなりません。
今回も日本政府は、ミサイル発射直後からミサイルの動きを完全に把握をしており、万全の態勢をとっておりました。引き続き強固な日米同盟のもと、緊張感をもって国民の安全安心の確保に万全を期してまいります。」
面白いのは、以下の部分です。
「北朝鮮がこの道をさらに進めば、明るい未来はない、そのことを北朝鮮に理解させなければなりません。」
つけくわえるべきものも、引くべきものもなにもない、正しい文章だと思います。ただし、その具体的方法を安部さんは言っていない。
「そのことを北朝鮮に理解させなければなりません」が、どうやって「北朝鮮がこの道をさらに進めば、明るい未来はない、そのことを北朝鮮に理解させ」ればいいのか。
そのためには「圧力」だけで「対話」は、いらないのでしょうか。
「圧力」だけで「理解させ」るというのは、つまり「対話」をして、物事を説明して道理で「理解させ」るのではないということでしょう。違いますか?
これは、「理解させ」るということを、安部さんは、相手を言いなりにすることと思っている。
相手を屈服させるための圧力と思っているのでは、ないでしょうか。
安部さんにとっては、世界というものは対等平等な個人と対等平等な国家で構成するものではなくて、強い個人が弱い個人を言いなりにする、強い国家が弱い国家を言いなりにする、そういう世界を考えている気がします。
だからこそ「圧力」をかけて屈服させる局面と、「対話」という屈服した相手を言いなりにする局面とに分かれてしまう。
ボクは「対話」の局面は四六時中、続くものだと思います。「対話しなくてもいい局面」などというもは、ないと思います。