雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

戦争と平和 25 松本清張さんと浜松基地 (2) 20190226

2019年02月26日 10時43分43秒 | 戦争と平和

 戦争と平和 25 松本清張さんと浜松基地 (2) 20190226


 昨年10月24日に「戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地 2018年10月24日 10時55分14秒 」を書きました。
 
 そのとき「ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。」と書きました。

 その日付問題が解決しました。

 最近、平和運動の歴史を勉強し直すために読み始めた日本平和委員会編『平和運動20年運動史』(大月書店、1969年10月17日、496ページ+年表95ページ、定価1500円)の年表をめくっていたら1950年のとこりにありました。

 「7月【日付不明】 小倉市で、米軍基地の黒人兵集団脱走。城野キャンプでも100名余脱走、米軍2個中隊との間に市街戦。」

 同じ年表に「7月1日 米陸軍、釜山に上陸。」とあるのでまだ韓国軍が「釜山橋頭堡」に押し込められていたのは「9月15日 「国連軍」、仁川に上陸」するまでなので、現状でアメリカ兵が朝鮮に送られれば釜山の死地に送られることになる。

 脱走の背景はわかった。あとは詳細な記事を捜そう。

   ◇

 以下は過去記事の転載。

 「戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

 自分でも突飛なタイトルだと思います。文学者松本清張さんと浜松基地のあいだには何の関係もありません。松本清張さんが浜松駅で下車したことがあるかどうかもボクは調べたことはありません。

 ただ自伝『半生(はんせい)の記』(新潮文庫、1970年~1980年17刷)に浜松と関連のありそうなことが出ているので一筆書きます。

 『半生の記』の最終章「絵具」は朝鮮戦争当時、清張さんがいた北九州の小倉でおきたアメリカ黒人兵の脱走事件をあつかっている。

 p145に「黒人兵は浜松の方から移動してきた1団で、黒原キャンプには2晩泊り、いよいよ明日は朝鮮に出動するという前夜だった。」

 この「浜松の方から」というのが当時、米軍基地になって横田基地の分飛行場となっていた浜松基地のことなのか定かではありません。

 東京に「浜松町」という地名はありますが。いちおう浜松基地を第1候補としておきます。

 ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。

 p147には北九州地区の新聞には載ったとあるから、また機会があれば、調べてみたい。

 自衛隊の基地になるまでの米軍浜松基地の時代は、何もわかっていません。過去の新聞をあさる時間がボクにあればいいのだけれど。


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