古代ブログ 97 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 53 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社
遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社
2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史
大きな「エフイーシーチェーン」工場の南に、普門寺というお寺がありますが、その横にありました。僕の使っている地図『街の達人 1/1万 静岡便利情報地図』(昭文社、227ページ、3200円+消費税)では載っていませんでしたが、現地へ行って「あ、神社だ」と気がつきました。
普門寺と同じ緑地の中にあり、敷地は分かれていません。
写真を見ての通り、浜松では「千木(ちぎ)」も「堅魚木(かつおぎ)」もない神社が多いので、変な表現ですが「神社らしい神社」を見ると、「プチ感動」します。
正面で見える堅魚木は5本あります。真正面に突き出る側面の堅魚木は3本です。
5も3も、奇数で素数、つまり、4でも6でもないとことは、おもしろいです。偶数だと素数ではありません。古代にそういうことは、理解していたのでしょうか?
千木の切り方は「縦」なので「男神」になりますか?よくわかりませんが。
『浜松市神社名鑑』(1982年)によると、旧浜松市内には「住吉神社」は2社あります。もう一つは、常光町にあります。現在の東区で、東名浜松インターの1500m東北東にあります。
浜松で2つだけの住吉神社同士の関係は、わかりません。
住吉神社ですから、航海安全の神さまだと思います。有名なのは、大阪の住吉神社ですが、古代科学者の安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると、宮崎県・福岡県にも住吉神社があって、どこが発祥の神社かということのようです。
なお、浜松市中区の町名「住吉」は現代になって名付けた「新町名」で住吉神社とは関係なさそうです。
日本列島の航海の神さま・海人族は、系統が何種類かあって、今のところ、外来系の「安曇族」と「宗像族」と、日本列島在来の「住吉神社」系統と3種類に分かれていると理解しています。間違っているかも知れませんが。
住吉神社の「神さま」については、明日、書きます。」
もう1つ再録。
「2013年11月22日 07時20分58秒 | 古代史を考える
古代史を考える 住吉神社の神さまは誰?住吉神社はどこ?
「遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町の住吉神社 2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史 」の続きです。
まず住吉神社の神さまは、『古事記』でイザナギが妻のイザナギと別れて「ツクシのヒムカの橘のオドのアハキ原」でみそぎをして生んだ中に、「其の底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神なり」とあります。
そして同じ『古事記』の「仲哀天皇記」でおきながたらし姫命が朝鮮半島へ渡り「墨江大神の荒御魂を以ち、国守る神と為て祭り鎮め還り渡りたまふ」とあります。
『日本書紀』にも同じ神話があり、こちらは「住吉大神」です。
この「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」は、航海の神ですから、当然、航海の目印になるような神です。しかも、太陽神のような単神ではなく、「3柱」です。
そのような現象や天体があるのでしょうか?それがあるのです。天体ファンなら、いや日本人ならだいたい知っている「オリオン座」の真ん中が3つ並んだ「3つ星」なのです。
しかもオリオン座の「3つ星」は、天体座標で天の赤道付近にありますから、ほぼ真東から出て真西に沈みます。夜の航海の目当てとして、これほど確かな東西を指し示す天体は他にありません。
大阪の住吉神社へは行ったことがないので、大和(だいわ)岩雄さんの『神々の考古学』によると「わが国でも、三つ星に重ねた神殿があるからである。その神殿は、大阪の住吉大社の筒男三神をまつる、縦に並んだ3つの神殿である」(p72)、「縦に神殿が並ぶのは日本中の神社で住吉大社のみである。」(p74)。
「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」はオリオン座の3つ星で間違いないと思います。
そこで「『古事記』の「墨江大神」はどこにいたか、ですが、『古事記』のみそぎの記事が「ツクシの」と特定している以上、この「住吉大神」は九州で生まれた九州の神であるとするしかありません。その後、九州勢力が東へ勢力を伸ばすのに従って、住吉神社も大阪の難波に新拠点を置いたとするのが妥当な説だと思います。
その九州の住吉神社は、安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると宮崎県と福岡県の2つあります。どちらが元なのかは、今のところわかりません。」