雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月17日(月) カピバラ風呂

2018年12月17日 11時14分48秒 | 雨宮日誌

 

雨宮日記 12月17日(月) カピバラ風呂

 お風呂へ入った。というのは正確な表現ではなくて「則子さんにお風呂に入れてもらいました。」

 服を脱ぐのに右手が使えないので、左手のシャツの袖のボタンが取れない。自分の口で、歯と唇を使って脱ぐこともある。

 できるだけ自分でやるようにしているが、できないことは他人に、いまは則子さんにやってもらう。

 お風呂では健康な左手があらえない。背中や頭を洗うのが困難。湯舟に入るのに1動作で入れない。

 今日は則子さんがゆずを入れてくれた。いい匂い。

 1句できた 「ぼくはカピバラですか 冬お風呂」

 


新・本と映像の森 218 寮美千子/作、高橋常政/絵『ほしがうたっている』思索社、1992年

2018年12月17日 11時01分59秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 218 寮美千子/作、高橋常政/絵『ほしがうたっている』思索社、1992年

 36ページ、NDC220,定価1500円

 宇宙をうたった絵本です。
 野辺山の電波望遠鏡をうたった絵本です

 「そらに みちる みえない
  ひかりを みるための め
  きこえない おとをきくための みみ」

 「うたう 
  ぼくがうたう
  でもひとりじゃない
ひかっている
ほしが ひかっている
まるで うたうように

ぼくは うちゅうに
  そっと みみを すます」

 主人公の少年がウサギの耳の帽子をかぶっているのは「電波を聞く帽子」でしょうか。

 表紙の前に凹版で彫り込んである3本耳はいくら考えてもわからない謎です。誰か名解答はありませんか。

 


雨宮日記 12月16日(日) アイさん夫妻来る

2018年12月16日 21時32分25秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 12月16日(日) アイさん夫妻来る

 午後、前々から呼びたいと思っていた旧友アイさん夫妻をやっと呼べた。昔のことから、いまの平和運動のことまで、いろいろ話ができて、とってもうれしい。

 NHKテレビで午後6時すぎ、米中経済摩擦について「やさしく」解説しようとしている。でも、米中の経済的量とくに企業規模に一言も触れようとしないから全く解説にはなっていない。たんなる個人的けんかと変わりない。仲良くしようと言うだけ。笑ってしまう。


雨宮日記 12月15日(土) 今年最後の「青い地球」完成

2018年12月15日 20時43分39秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 12月15日(土) 今年最後の「青い地球」完成

 浜松市平和委員会の機関紙「青い地球 355号」が届く。オスプレイ浜松飛来特集。A4で1ページ。Nくんの協力で写真4枚がきれいに出ている。感謝。

 これで今年最後、次は新年号。来年はどんな紙面を作ろうかな。

 小松左京さんの『果てしなき流れの果てに』や光瀬龍さん『百億の昼と千億の夜』のはなしをする。大好きなSFのはなしができてボクは満足です。


過去現在未来のメモリーノート 55 宮本顕治さんと宮本百合子さんの『十二年の手紙』について

2018年12月15日 14時31分28秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 55 宮本顕治さんと宮本百合子さんの『十二年の手紙』について

 戦前の1933年から1945年まで治安維持法などで投獄された宮本顕治さんと、奥さんの宮本百合子さんの往復書簡はよく知られています。

 ところが、これを論じる人はみんな「宮本顕治さんが宮本百合子さんに与えた影響」は論じるけれど、「宮本百合子さんが夫の宮本顕治さんに与えた影響」については考えようとしない。これはなぜか?

 影響などないと思っているのか?小さいと考えているなら、大きな間違いだと思う。きちんと2人の手紙を読み切ってから詳細に論じたい。その時間があれば。

 


 雨宮日記 12月11日(火)の2 赤ちゃんの鳴き声

2018年12月14日 16時22分05秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 12月11日(火)の2 赤ちゃんの鳴き声

 クリニックへへ定期診断で行ったとき、赤ちゃんとお母さんがいた。そのうち赤ちゃんがむずかりだして泣き出した。

 あー、赤ちゃんの鳴き声なんて何年ぶりに聞いただろう。赤ちゃんの鳴き声っていいよね。

 お母さんは、そういうわけにはいかんだろうけど。

 急に変なことを書くような気がするが、アメリカ軍オスプレイとのたたかいは、そんな子どもの声をボクらが聞けるかどうか、ということではないか。

 


古代ブログ 97 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 53 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社

2018年12月14日 13時01分16秒 | 遠州古代史

古代ブログ 97 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 53 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社


遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社
2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史

 大きな「エフイーシーチェーン」工場の南に、普門寺というお寺がありますが、その横にありました。僕の使っている地図『街の達人 1/1万 静岡便利情報地図』(昭文社、227ページ、3200円+消費税)では載っていませんでしたが、現地へ行って「あ、神社だ」と気がつきました。

 普門寺と同じ緑地の中にあり、敷地は分かれていません。

 写真を見ての通り、浜松では「千木(ちぎ)」も「堅魚木(かつおぎ)」もない神社が多いので、変な表現ですが「神社らしい神社」を見ると、「プチ感動」します。

 正面で見える堅魚木は5本あります。真正面に突き出る側面の堅魚木は3本です。

 5も3も、奇数で素数、つまり、4でも6でもないとことは、おもしろいです。偶数だと素数ではありません。古代にそういうことは、理解していたのでしょうか?

 千木の切り方は「縦」なので「男神」になりますか?よくわかりませんが。

 『浜松市神社名鑑』(1982年)によると、旧浜松市内には「住吉神社」は2社あります。もう一つは、常光町にあります。現在の東区で、東名浜松インターの1500m東北東にあります。
 
 浜松で2つだけの住吉神社同士の関係は、わかりません。

 住吉神社ですから、航海安全の神さまだと思います。有名なのは、大阪の住吉神社ですが、古代科学者の安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると、宮崎県・福岡県にも住吉神社があって、どこが発祥の神社かということのようです。

 なお、浜松市中区の町名「住吉」は現代になって名付けた「新町名」で住吉神社とは関係なさそうです。

 日本列島の航海の神さま・海人族は、系統が何種類かあって、今のところ、外来系の「安曇族」と「宗像族」と、日本列島在来の「住吉神社」系統と3種類に分かれていると理解しています。間違っているかも知れませんが。

 住吉神社の「神さま」については、明日、書きます。」


 もう1つ再録。

「2013年11月22日 07時20分58秒 | 古代史を考える
古代史を考える 住吉神社の神さまは誰?住吉神社はどこ?

 「遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町の住吉神社 2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史 」の続きです。

 まず住吉神社の神さまは、『古事記』でイザナギが妻のイザナギと別れて「ツクシのヒムカの橘のオドのアハキ原」でみそぎをして生んだ中に、「其の底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神なり」とあります。

 そして同じ『古事記』の「仲哀天皇記」でおきながたらし姫命が朝鮮半島へ渡り「墨江大神の荒御魂を以ち、国守る神と為て祭り鎮め還り渡りたまふ」とあります。

 『日本書紀』にも同じ神話があり、こちらは「住吉大神」です。

 この「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」は、航海の神ですから、当然、航海の目印になるような神です。しかも、太陽神のような単神ではなく、「3柱」です。

 そのような現象や天体があるのでしょうか?それがあるのです。天体ファンなら、いや日本人ならだいたい知っている「オリオン座」の真ん中が3つ並んだ「3つ星」なのです。

 しかもオリオン座の「3つ星」は、天体座標で天の赤道付近にありますから、ほぼ真東から出て真西に沈みます。夜の航海の目当てとして、これほど確かな東西を指し示す天体は他にありません。

 大阪の住吉神社へは行ったことがないので、大和(だいわ)岩雄さんの『神々の考古学』によると「わが国でも、三つ星に重ねた神殿があるからである。その神殿は、大阪の住吉大社の筒男三神をまつる、縦に並んだ3つの神殿である」(p72)、「縦に神殿が並ぶのは日本中の神社で住吉大社のみである。」(p74)。

 「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」はオリオン座の3つ星で間違いないと思います。

 そこで「『古事記』の「墨江大神」はどこにいたか、ですが、『古事記』のみそぎの記事が「ツクシの」と特定している以上、この「住吉大神」は九州で生まれた九州の神であるとするしかありません。その後、九州勢力が東へ勢力を伸ばすのに従って、住吉神社も大阪の難波に新拠点を置いたとするのが妥当な説だと思います。

 その九州の住吉神社は、安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると宮崎県と福岡県の2つあります。どちらが元なのかは、今のところわかりません。」

 


新・本と映像の森 217 NHKテレビ「100分で名著 スピノザ「エチカ ①」 20181203

2018年12月13日 14時40分06秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 217 NHKテレビ「100分で名著 スピノザ「エチカ ①」 20181203

 司会は伊集院光さんと安部みつ子さん。講師は國分功一郎さん。

 すごくよくわかり、面白い。もう3回見るのと、むかし買った『エチカ』を読んでみようと思った。テキストが発売されています。

 最初に哲学者スピノザの紹介。「異端」「無神論者」と言われた。「世間から嫌われ、糾弾され続けました。

 数学的論証をしようとした。定義・公理から定理を証明していく。

 42才で亡くなった。主著「エチカ」は死後出版されが発売禁止措置を受けた。

 「神は無限である」つまり「神は有限ではない「私は神の一部である」という。「神即自然」「汎神論」といい、キリスト教・ユダヤ教の神とは異なっている。

 「エチカ」の言語は「エートス」で「動物の住み家」のこと。『エチカ』は、人間がどうあるべきかではなく、人間がどういうところに住んでるかを考えた本。

 【 雨宮注:そういう点では『資本論』を書いたマルクスと非常に似ている。 】。

 國分さんは言う「スピノザになかなかアクセスできないもどかしさ」「頭が走ってくれない」「OS(オペレイティング・システム)が違うんだ」

 あと3回聞いて何かあったら書きます。

 


古代ブログ 96 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 52 中区住吉4丁目(青少年の家西側)の住吉南古墳

2018年12月12日 20時25分49秒 | 遠州古代史

 

古代ブログ 96 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 52 中区住吉4丁目(青少年の家西側)の住吉南古墳

 再録。

「2010年11月13日 13時55分06秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社41 中区住吉4丁目(青少年の家西側)の住吉南古墳

 浜松市中区住吉4丁目の、いま青少年の家の建物の西側の小さな森が、住吉南古墳です。
 円墳で、直径28mの円墳で、幅4mの周溝がめぐっています。

 立て看板には「住吉墓苑南古墳」「前方後円墳である」と書かれていますが、調査によって円墳であることがわかり、名称も「住吉南古墳」です。

 青少年の家を目標に行けば、古墳はすぐにわかります。
 写真は、樹が生い茂っていてわかりにくいですね。

 参考文献 浜松市生活文化部生涯学習課(文化財担当)編集『浜松の古墳めぐり ー浜松市文化財ブックレット1ー』浜松市発行、2008年、p34」

 

 


雨宮日記 12月11日(火) オスプレイ浜松飛来について浜松市平和委員会声明を書く

2018年12月11日 13時26分47秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 12月11日(火) オスプレイ浜松飛来について浜松市平和委員会声明を書く

 いろいろ電話で話して、オスプレイ浜松問題が少し見えてきた。『中日新聞』朝刊にオスプレイ飛来の記事がのる。写真はない。

 オスプレイ浜松の動画は「ピース浜松 サイトB」の1分18秒の「米空軍オスプレイ浜松基地初飛来」しかないようだ。

 今日は浜松市平和委員会声明「航空自衛隊浜松基地を米軍機オスプレイに使わせるな」の原案を書いて討議に回す。できあがりは夕方。

 則子さんは午前中は父の付き添いで佐藤町診療所へ。午後は浜北の長女のところへ。そのあいだを縫ってボクのファックスなどの用事をしてくれる。ありがとうございます。

 寒くなって電気ヒーターをつける。
 
 


 雨宮日記 12月10日(月) 浜松に米軍機オスプレイが飛来!

2018年12月10日 20時19分49秒 | 雨宮日誌

 
 雨宮日記 12月10日(月) 浜松に米軍機オスプレイが飛来!

 最初に「浜松にオスプレイが」という電話があったときは冗談かと思った。

 でも友人が実際に航空自衛隊浜松基地に飛来した米軍機オスプレイ2機の映像を持ってきたので疑いようもなかった。まさしくオスプレイ。

 さっそくその映像から1分10秒の「米空軍オスプレイ浜松基地初飛来」をつくって「ピース浜松 サイトB」にアップ。画像を見たら機体に書かれた英語は「USAF」とあり「米国空軍」なので、海兵隊のMVでなく横田基地のCVの方。

 「青い地球」の編輯企画を1から作り直す。しばらくは、これで忙しい。なぜ?といろいろ考えることがある。

 


過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210

2018年12月10日 11時59分59秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210


 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」というものがある。2つとも戦前の日本の「プロレタリア文学」運動において、指導的理論となったものである。

 今年「第十回手塚英孝賞受賞作」は、谷本諭さんの「「社会主義リアリズム」とは何だったのか ー 二一世紀の目で考える」という論文です。今日はこれを検討しようというのではありません。

 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」を見るのに谷本諭さんの論文が適しているので、これで一瞥した上でボクの意見を書こうと思う。

「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」の命名に、文学の方法的混迷が現れているように思う。

 「唯物弁証法的創作方法」というが、「唯物弁証法」は哲学の理論である。哲学と文学ではジャンルが違い、方法も違うと思う。

 「唯物弁証法」は哲学の方法ですらない。哲学の方法で到達した理論的結晶が「唯物弁証法」だと思う。「方法」ではない。

 なにか勘違いか過誤がありそうなのだが、蔵原惟人さんの評論がまだ手に入らないので、今回はパスしておく。

 「社会主義リアリズム」のほうは、さらにおかしい。「社会主義」は社会体制である。どうして体制名を文学の潮流名にするのか。

 「奴隷制ロマンティシズム」「封建制リアリズム」「資本主義ロマンティシズム」「共産主義リアリズム」は存在するのか。

 「進歩的リアリズム」とか「批判的リアリズム」という言い方なら、その当否は別にして、感覚的にわかる。

 哲学や歴史の方法を、そのまま文学の方法とすることの無理・無茶について考えてみるべきではないか?

 


新・本と映像の森 216 中西功(こう)『死の壁の中から』岩波新書、1971年

2018年12月08日 11時58分37秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 216 中西功(こう)『死の壁の中から』岩波新書、1971年

 「本と映像の森」では、できるだけボクが過去に読んだ本のことも書くようにしている。新聞の「書評」欄の現在主義に不満なので。

 ボクらが今読むべき本は、ほとんど過去に出された本であると思う。

 中西功さんは戦前から中国問題の専門家で。3回検挙された.2回目の検挙のあと中国へ渡り満州・上海で反戦平和の活動に従事した。

 42年6月に上海で検挙、東京で裁判を受け1945年9月11日に死刑を求刑される。

 第1に、本の主要部分は1943年12月13日から1945年10月1日まで、獄中から妻の方子さんに送った手紙です。宮本顕治さん=宮本百合子さんの獄中書簡とともに市民が愛読する価値はあると思う。

 たとえばp64「ギセイ」、p98「ウソ」、p107「勇気」、p147「死」

 第2に、「Ⅰ この手紙を世に出すにあたって」(p1~49)が重要だと思います。

 1つは、「「3年すれば日本が負ける」ということは、上海の留置場で私がみんなにそのような話をしたので、それが直ぐ刑事の方に伝わって、私の調書の第1面にその旨が書いてありました。それで、私を調べる連中はまずそれを見て、一度は必ず「お前は今でも日本が負けると思っているのか」と論争になりました。」(p35)

 これは敗戦後に「実は私はそう思っていた」という話ではありません。「見通し」があるなら、その場で言え、ということです。あの頃、これを言ったのは、宮本顕治など少数の人たちでしょうけど、1942年に「3年後に日本は負ける」と公然と言っていた人は、ボクはまだ中西功さん以外に知りません。知っていたら教えて欲しいです。

 第2に、10月10日の出獄した日の夜、徳田球一さんと論争をしていることです。「議論はどのテーマについても完全に平行線でした。この平行線の性格を一言でいえば、三二年テーゼとコミンテルンの第七回大会との方針の違いです。これが戦後の日本人民の運動のわかれ目であったと、私は今も考えています。」ボクもそう思っています。

 中西功さんは言う「その当時、つぎの2つのスローガンをつくりました。「闘って闘って闘いぬく」「生きて生きて生き抜く」これが私の死に直面した覚悟でもあったのです。」(p40)

 中西功さんが、この本より以前に書いた『中国革命と毛沢東思想』は別途、取りあげる予定です。

 


雨宮日記 12月7日(金) 「道標」を読み始める

2018年12月07日 23時09分09秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 12月7日(金) 「道標」を読み始める

 昨日は、ソフトバンクの携帯電話が5時間くらい不通。現代文明は不安定ですね。原因は部品の製品認証期限が切れたこと。世界11カ国で起こったそうです。その製造会社がどうしたのか信じられない。

 今日から、宮本百合子さんの「道標」を読み始める。たぶん2度目?『宮本百合子全集 第7巻』善654ページが第1部・第2部。

 朝9時にケアマネさんが来る。月1回。ごくろうさまです。

 午後は、則子さんは浜北へ行く。2人の孫の成長の話がおもしろい。下の女の子が2才4ヶ月になるが、絵を書くとマルがぴたり止まるようになった。つい子の前まではグルグルまわるだけだったのに。

 

 


過去現在未来のメモリーノート 53 マルクスの概念について <再録> 20181207

2018年12月07日 16時39分45秒 | 雨宮日誌


過去現在未来のメモリーノート 53 マルクスの概念について <再録> 20181207

 いま『雨宮智彦のブログ』を過去にさかのぼっていたら「雨宮日記 7月15日(月) 依然暑いですが「マルクス抜き書き」始めました 2013年07月15日 21時37分47秒 | 雨宮日誌」」というのを見つけました。

 5年前の「雨宮日記」ですが、わりあい大事なことを「雨宮日記」に書いているので、忘れないために、ここに再録しておきます。

 「雨宮日記 7月15日(月) 依然暑いですが「マルクス抜き書き」始めました
2013年07月15日 21時37分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月15日(月) 依然暑いですが「マルクス抜き書き」始めました

 依然として暑いのですが、「マルクス抜き書き」を本格的に作り始めました。

 どういうことかというと、この世界というか日本の社会科学辞典や資本論事典、あるいは資本論索引が基本的に非常にたよりないので、使い物になりません。

 たとえば新日本出版社上製版についている「索引」には、資本論の基本的概念である(とボクは思っている)「物象化」(「物件化」とする論者もいます)あるいは「物化」という用語が索引にありません。

 「人格」はありませんが「人格化」は、いちおうありました。それと1対になっている「物象化」という概念が索引にないのは「無視してよろしい」と考えているとしか思えません。

 うっかり「入れ忘れました」というのなら、それは「索引」の意味をなしていません。

 つまり「人格の物象化と物象の人格化」です。『資本論』の基本思想は、人間諸個人が社会的関係が作り出した「貨幣」「資本」などの「物象」に支配される、ということだと思います。

 「個人的所有」という用語は索引にありますが、「個人」「諸個人」「自由な諸個人」が索引にないので、「個人的所有」という用語の意味がわかっているのかどうか、非常に心許ないです。

 『資本論 第1部』の終わり近く、『資本論 第1部』の結論のような部分、「第24章 いわゆる本源的蓄積」で、マルクスは「」と書いています。

 『資本論』は精緻な経済学の書で、資本主義が法則的に社会主義に転化すると結論した書で、その法則性・必然性に従うことが、労働者・国民の解放の道であると、もしあなたが教わっていたら、それは、マルクスが主張したことではありません。

 マルクスの主張は、そういう「必然性に従うこと」では、ありません。逆に、そういう法則性を人間「諸個人」の「意識的計画的管理」に置くことを主張したのです。

 それを、科学的に「証明」するために「マルクス 抜き書き」を作っています。やっと時間的な余裕があるので、それを本格的に始めました。

 本にするのではなく、パソコンの中の「文字ファイル」なので「一太郎」または「ワード」で誰でも読めるようにしておきます。

 もし自分の納得いくように完成したら、ここで「告知」したいと思います。

 もちろん「マルクス抜き書き」だけではなく、補足する「マルクス以外抜き書き」も作っています。

 則子さま、もしボクが急死したら、パソコンの中の「マルクス抜き書きファイル」「マルクス以外抜き書きファイル」を、「読みたい」という希望者のみなさんに「CD」ファイルにしてお渡ししてください。

 自分でこういうファイルを作成し始めたのが2年くらい前で、今年になって、ちょっとまとまったお金が手元に偶然出来たので、大月書店で以前に(20年くらい前)出版された、マルクス経済学者・久留間鮫造さんの『普及版 マルクス経済学レキシコン』全7巻を買いましたら、ぼくと同じ考えで、マルクス・エンゲルスから「競争」「方法」「唯物史観」「貨幣」「恐慌」という主題で、抜き書きしている、画期的な著作です。

 『普及版』は、原著にある「ドイツ語原文」を省略している「日本語」部分だけですが、とっても役に立つ本です。「総索引」もついています。

 まだ手に入ったばかりですので、「レキシコン」の具体的評価は、まだできませんが、久留間鮫造さんの本は、できるだけ入手して読みたいと思います。

 「山登りでガイドが間違うと、みんな間違った道に入り込んでしまう」と、とても大事な警告を発言していらっしゃいます。そのとおりと、思います。

  ☆

 16日、「以前」を「依然」に訂正しました。」