雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2019年10月10日(木) 台風近づく

2019年10月10日 13時49分11秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年10月10日(木) 台風近づく

 ハードディスク(HD)の整理を始める。分類せずにあっちこっちに入っている写真や文章や動画を分類し整理して使えるようにする。

 台風が南方洋上から近づいている。今は915ヘクトパスカル。上陸時の予測は940ヘクトパスカル。暴風の広さがすごい。

 今は、もう風が強い。土曜日の夜、いまのところ伊豆半島あたりに上陸か。

 ボクは言うだけで、台風への備えが何もできないので則子さんが買い物や準備を仕事で忙しいなかでしてくれる。ありがとうございます。

 則子さんは土曜日に久々の講演会に午後、焼津に出かけるはずだったけど、台風で中止となったとの連絡がきました。

 


新・本と映像の森 307 令丈(れいじょう)ヒロ子『パンプキン 摸擬原爆の夏』講談社青い鳥文庫、2019年

2019年10月09日 22時05分39秒 | 本と映像の森

 

新・本と映像の森 307 令丈(れいじょう)ヒロ子『パンプキン 摸擬原爆の夏』講談社青い鳥文庫、2019年

 6月15日、宮尾和孝/絵、121ページ、定価本体660円、原書2011年7月26日。

 パンプキンは英語で「カボチャ」のことです。日米戦争の末期に日本の各都市でアメリカ軍が落とした数十発の4.5トンの巨大爆弾のことです。

 誰が最初に「パンプキン」と言ったのかは、ここには書いてありません。ボクもこれから調べてみます。

 主人公は大阪市東住吉区田辺に住む小学5年生の普通の少女ヒロカです。夏休みを楽しんでいるところへ、東京から同い年のいとこの男の子、あまり仲のよくないたくみが近くに住むおじいいちゃんのところへやってきます。

 たくみは、パンプキン爆弾について調べているというのです。パンプキン爆弾とはなにか。摸擬原爆とはなんだ。ヒロカはすこし興味がわいてきます。

 ヒロカはたくみといっしょにパンプキンのことを調べ始めます。

 「「知らないことは、こわいことだよ。だれかの言ってることが事実とちがっていても、そうなのかなあって信じてしまう。ぼくはそれがいやなんだ。」
 なるほど。たくみは、そんな気持ちでよく本を読んだり研究していたんだ。
 「あのな・・・・・・。いろんなことを知っていくと、結局だれが悪いのかも、わからへんようになるな。」」(p89~90)

 浜松に落ちた摸擬原爆のことは「戦争と平和」で書きます。


人間宇宙生命思想 3 20191008 再録 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」

2019年10月08日 16時43分10秒 | 人間・生命・宇宙


人間宇宙生命思想 3 20191008 再録 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」

 
< 再録 > 

「哲学の学習 2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」 2009年12月08日 04時10分49秒 | 人間・生命・宇宙

 ヘーゲルさんと言えば、代表作は『大論理学』と『小論理学』ですが(ぼくが言っているだけかも知れませんが)、これを読むのはきわめて難解です。

 「有」「無」「成」から始まるやつです。

 それで、いい逐条の解説書が欲しいのですが、『小論理学』のいい解説書だと思う本が出版されました。

 高村是(よし)あつさん著、広島県労働者学習協議会編『ヘーゲル『小論理学』を読む1&2』一粒の麦社、2009年9月10日発行、の2冊です。
 (すみません、著者の「あつ」の漢字が出ません。)

 さっそく買い求めたところ、『小論理学』の本文の前の異常に長い「序文」「序論」「呼び概念」をきちんと開設してくれています。なんと、全4冊を予定しているうち、この2冊が全部、「序文」「序論」「呼び概念」の解説です。
 現にこの部分は、岩波文庫、松村一人さん訳の2冊本『小論理学』の上巻の322ページのうち255ページを占めている部分です。

 ぼくの買ったのは1982年1月第32刷ですから27年前、まだぼくが……才の頃ですね。高村さんの解説をたよりに、ぼくも27年間放っておいた小論理学を少し読み進んでみたいと思います。一粒の麦社は、電話 082-231-6170 です。

 なお、さっき、岩波書店のホームページにアクセスしてみましたが、文庫も、ヘーゲル全集も、いま品切れ状態です。
 岩波書店に「再版して!」と呼びかけませんか?

 人類の知的「世界遺産」が読めないなんて、おかしいですよ。

 誰か、ヘーゲルさんの全著作を、正確に、わかりやすく日本語に翻訳して、誰でもいつでもアクセスできる「ヘーゲルHP」を作ってくれないかな?」


< 再録にあたって >

再録にあたって、ヘーゲル『小論理学』の目次を掲載しておきます。『小論理学』は斜め読みでもいいので目を通すべきだと思います。

◎目次・『小論理学』

「(松村一人訳、上下巻、岩波文庫)
第1部 有論
 A 質
a 有
b 定有
c 向自有
B 量
a 純量
b 定量
c 度
C 限度
 (以上、上巻)

第2部 本質論
 A 現存在の根拠としての本質
a 純粋な反省規定
 イ 同一性
 ロ 区別
 ハ 根拠
b 現存在
c 物
B 現象
a 現象の世界
b 内容と形式
c 相関
C 現実性
a 実体性の相関
b 因果性の相関
c 交互作用

第3部 概念論
 A 主観的概念
a 概念そのもの
b 判断
 イ 質的判断
 ロ 反省の判断
 ハ 必然性の判断
 ニ 概念の判断
c 推理
 イ 質的推理
 ロ 反省の推理
 ハ 必然性の推理
B 客観
a 機械的関係
b 化学的関係
c 目的的関係
C 理念
a 生命
b 認識
 イ 認識
 ロ 意志
c 絶対的理念」
 

 


雨宮日記 2019年10月7日(月) 被爆者の会ビデオあとすこし

2019年10月07日 23時20分26秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年10月7日(月) 被爆者の会ビデオあとすこし

 被爆者の会ビデオの作成をNくんとする。ほぼ9割方できた。あとは仕上げと修正。

 いま12分、もう1~2分伸びるかも。

 やれやれという感じ。一番苦労したビデオだろう。

 すこし涼しくなってきた。右足の指がかゆい。しもやけにならないように注意しないと。

 関西電力は腐っている。底なしの腐った沼という感じ。日本の支配層が腐っているのか。

 


戦争と平和 32 静岡の平和と戦争 1 静岡大学の米軍占領下の原爆展

2019年10月06日 08時30分43秒 | 戦争と平和


戦争と平和 32 静岡の平和と戦争 1 静岡大学の米軍占領下の原爆展

 静岡県の平和と戦争の歴史と現在をたどっていく企画。ボクの状態では文献での研究が主になる。

 かもがわブックレットで小畑哲雄さん著『占領下の原爆展 ー 平和を追い求めた青春 ー』(かもがわ書店、1995年、63ページ、定価550円)という本が手元にある。

 京大生を中心に京都駅前の丸物百貨店で1951年に開かれた「総合原爆展」を書いているのですが、そのなかに以下のような叙述があります。

 「「『原爆展』掘り起こしニュース」第1号(1992年3月16日付け)に」「皆さんのご協力によって集まった資料によって、51年の「原爆展」が占領下にもかわらず驚くほどの広がりをもって取り組まれたことが分ってきました。
 当時の学園新聞などの記事によれば、静岡大学、同志社大学、東京大学などで「原爆展」が取り組まれています。おそらくこれらの大学の取組みには、京大の「原爆展」が大きな役割を果たしていると思われます。
 また、このニュースの見開き面に紹介したように、京都以外の各府県(大阪、兵庫、滋賀、広島、群馬、鳥取など)でも、「原爆展」の資料が活用されています。今日の平和運動のルーツを考える上でも、原爆展を掘り起こすことは、意義あることと、あらためて思います。」(「プロローグ」p7)

 ボクもこの本を読むまで知らなかったし、たぶん静岡県の平和運動関係者にも知られていないのかもしれない(知っている方がいたらごめんなさい)。

 静岡大学で1951年当時に学生や先生だった方や、当時の学園新聞をお持ちの方いたら、雨宮智彦までご一報ください。

 


人間宇宙生命思想 2 20191005再録 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 

2019年10月05日 21時05分34秒 | 人間・生命・宇宙

人間宇宙生命思想 2 20191005再録 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 


「2009年12月05日 04時27分47秒 | 人間・生命・宇宙

 哲学とは何でしょうか、といきなり聞いてみても、誰も答えてくれないので「わからないときはまず辞典」というわが親の教え(親の商売は本屋さん)に従って辞典を見てましょう。

 手元にある青木書店の『哲学辞典 第4版』で「哲学」を引くと、その冒頭に「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学であり、したがって全体としての世界についての見解をしめす世界観である。また論理学および認識論をそのうちにふくんでいる。」(p321)と書いてあります。

 書いてあるから正しいというわけではありませんが「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という規定は、ぼくとしては共感します(それが真実かどうかはまだ未定)。

 なぜかと言うと、結論の押しつけや定義集ではなくて「知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という角度です。

 ところで、哲学と言えばヘーゲル、ヘーゲルと言えば哲学の、ヘーゲルさんはどう言っているでしょうか。

 岩波文庫版のヘーゲル『小論理学(上)』の「エンチクロベディーへの序論」では、こう述べています。

 「意識は、時間からすれば、対象の概念よりも表象の方を先に作るものであり、しかも思惟する精神は、表象作用を通じまた表象作用にたよってのみ思惟的な認識および把握に進むものである」(一、p61)

 「哲学はまず一般的に言って、対象を思惟によって考察することと定義されうる。」(二、p62)

 「感情、直感、要求、意志等々の諸規定性は、それらが意識されているかぎり、一般に表象と呼ぶことができる。したがって一般的に言って、哲学は表象を思想やカテゴリーに、より正確に言えば概念に変えるものだと言うことができる。」(三、p65)

 つまり、哲学は対象の表象を思惟によって考察し、カテゴリーや概念に変えることだというのです。

 ヘーゲルさんのここでのこういう規定にはぼくは賛同します。ところが、『小論理学』『大論理学』の実際の本文を読むと、最初から「有(存在)」「無」「成」などの概念から概念へ自動進行していくように読めます。

 これはどういうこと?こういう疑問から哲学の自主勉強を始めます。」

 


雨宮日記 2019年10月4日(金) スズメがいない

2019年10月04日 21時53分09秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年10月4日(金) スズメがいない

 秋にはピーチクパーチクうるさいぐらいのはずの雀(すずめ)があんまり近所にいないと則子さんは言う。

 やはりすみかが奪われているのか。不明。

 日本は部分的に大雨。浜松は昨夜大雨だったみたい。

 これから書く自伝の名称を「銀河とタンポポ」に変更したくなった。「青い地球とオレンジの花」もいいけど、「銀河」の方が好きだな。

 まだ準備原稿「時間の針の闇の破片」を書いている段階。まだ先の話です。

 


新・本と映像の森 306 皇なつき/作画:恩田陸/原作『蜜蜂と遠雷 1』幻冬舎コミック、2019年

2019年10月04日 11時16分24秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 306 皇なつき/作画:恩田陸/原作『蜜蜂と遠雷 1』幻冬舎コミック、2019年

 9月30日、A5版、140ページ、定価本体880円

 ボクの大好きな小説『蜜蜂と遠雷』が今日、10月4日に映画封切りされる。同じくらいにマンガ化された第1巻。友だちから借りた本。

 4人の主人公それぞれに描いて、第1巻はちょうどコンクールが始まる直前までを描いている。

 いちばん初めにホフマンの推薦状を置いて、1番目にマサル・アナトールをもってきた皇なつきさんの演出は、恩田陸の場面を順序を違えて再構成し、違った効果を出している。

 これがどう出るかは次巻以降で確認しよう。

 この小説では3人にそれぞれ配置された副主人公(とでもいったもの・・・)がとてもいい。

 栄伝亜矢夜の介添え的について行動するヴァイオリン弾きの浜崎奏。高島明石に密着する同級生の映画ジャーナリスト雅美。マサル・アナトールのナサニエル・シルヴァーバーグ先生とシルヴァーバーグの元彼・三枝子。

 天使の風間塵を見守るのは天国にいるホフマン先生。

 全体の雰囲気はいい。ただ、ちょっと背景描写がボクとしてはものたりない。もっと描きこんでほしいけど。

 浜松人としてはアクトタワー直近のホテルから散歩に出ると海岸があるのは、なんとも違和感がある。南海トラフ地震がおこったらあぶないだろう?

それはともかく、第2巻以後の展開に期待する。ラスト場面も。


 < 参考 >

「新・本と映像の森 3 恩田陸『蜜蜂と遠雷』
2017年02月23日 15時42分38秒 | 本と映像の森

 恩田陸/著『蜜蜂と遠雷』幻冬舎、2016年9月20日第1刷発行、507ページ、定価1800円+税

 3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールを舞台に、4人の16才から28才までの新進ピアニスト・コンテスタントたちの演奏と挑戦を描く。

 「芳ヶ江国際ピアノコンクール」というのは、実在します。というより「浜松国際ピアノコンクール」のことで、当然、会場は浜松のアクトシテイです。

 まあ、会場は、どこでもいいんですけど。

 この小説の主人公たち、ピアニスト・コンテスタントたちだけはなく、その周囲の撮影者、審査員、調律師などを含めて、音楽とは何か、音楽は人間とどのような関係を結ぶのか、演奏面での探求・切磋琢磨を描いています。

 それがメロデイまで聞こえそうなリアルさで描かれています。クラシックは大好きで、いつも聞いているので、それだけで最高です。

 第一次予選から第二次予選、第三次予選と本選、4回の審査を描いてゆきます。

     ☆

 題名の「蜜蜂と遠雷」、「蜜蜂」は養蜂家の父についてフランスの自然のなかで育った日本人の少年・風間塵(じん)のことですよね。

 では「遠雷」は?

 物語のなかで明示されていないように思いますが、 ボクは、たぶん主人公のひとり,13才で母の死に直面しピアノを絶った、いま20才の女性・栄伝亜夜のような気がします。この物語のなかで、いちばん好きな主人公です。」

 


雨宮日記 2019年10月3日(木) 右手が寒い

2019年10月03日 08時28分47秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年10月3日(木) 右手が寒い

 まだ暑いと思うが、ボクのマヒしている右腕の先だけは寒い。左手の暖かいと感じるのと明確に違う。

 右腕の痺れはずっとある。ひじから先だ。

 夜眠るときには、ときに左手で右手の平を握っていないと眠れない日がある。

 「ちゃんとリハビリやらんから」と言うなら、それは違う。そういう症状なのだ。「症状」と「症状の改善」を混同したらいかんと思う。

 もう10月。消費税が1日に8%から10%に上がって、どうなるか。大不況が来るのか。

 ボクは買い物ができないので実感がない。2%上がるから、常識的には2%買うのを抑えると思うが。前回はどうだったんだろう?

 


新・本と映像の森 305 マルクス『新版 資本論 ①』新日本出版社、2019年、(その1)

2019年10月02日 16時32分46秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 305 マルクス『新版 資本論 ①』新日本出版社、2019年、(その1)

 ①の定価1680円、全12冊。

 (その1)と書いたのは、実は今日現在、本をまだ手に入れていない。発売は「9月20日」なのだが、友だちにお願いして先週と今週2回、共産党西部地区委員会へ買いに行ってもらったのだが、なぜかまだ売ってない。

 9月20日発売と広告して9月30日現在、影も形もないのは本の販売政策としては致命的におかしい。西部地区委員会も予約受付ビラさえ出していない。何だこれ?売る気あるの?という感じ。

 友人に注文してもらったので、手にはいってすこし読んだら、(その2)を書きます。

 共産党中央委員会がネットで「資本論発売記念講演会」を広告していたので9月20日夜、ネットでリアルタイムで鑑賞した。

 志位和夫さん(共産党委員長)。萩原さん(経済学者)。山口富夫さん(共産党社会科学研究所副所長)。不破哲三さん(共産党社会科学研究所所長)の4人。

 ボクは経済学者の萩原さんの話がオリジナリテイがあって新鮮でおもしろかった。

 山口さんの話は12冊の成り立ちだし、志位さんと不破さんの話は、いままでどかこかで言ったか書いたことで、新鮮なはなしはあまりなかったように感じた。間違っていたらすみません。新しいこと、ありました?

 講演会の中身にあまり関係はないが、他の3人が立って話をしたのに、不破さんだけ椅子に座って話をして、終わりに演壇が2段高くしてあって降りるときに「よろけた」ので、「不破さん年取ったなあ」と感じた。

 『資本論』を初めて読んだのはボクが名古屋で学生のころ、岩波文庫の向坂訳で、支持政党は違うが違和感はなく読めた。その時は第1巻だけだったと思う。

 その後、新日本出版社の新書訳や新日本出版社の上製版、宮川訳などを買って読んだ。

 仲閒と学習会を第3部まで何回もやって、中年になってから、ようやく全巻を読んだ。まだ読み終わった気にはならないので新版も読みたい。

 終わりまで隔月発行の全12冊、2年間です。早く第1巻を読みたい。


 < 過去の再録 >


「本と映像の森 300 カール・マルクス『資本論 Das KapItal』
2014年05月31日 18時15分04秒 | 本と映像の森

 記念すべき「300」回目は、「もしキミが無人島へ持って行く1冊だけ」の本を選べ、と言われたら、という問いです。この前、辞書作りを描いたテレビ番組で「大辞林」を描いてましたが、冒頭でそういうシーンが出て来ます。

 やはり、これでしょうね。カール・マルクス著『資本論』、全3部で、この新日本上製版では、残念ながら「1冊」にはなりません。新日本新書版だと13冊、これだと5冊。
 無人島へ持って行くには重いですが、自宅に置くには、これと別に「索引」があるので、ボクのおすすめです。

 現代社会を理解するにも、弁証法哲学を理解するためにも、最良の書です。内容については、また紹介する機会があると思います。

 小さい学習会とかやりたい方は、ぜひご相談ください。チューターやります。

 第1部 資本の生産過程 1319ページ 

 第2部 資本の流通過程(というタイトルですが実際は違う) 

857ページ

 第3部 資本の総過程  1596ページ
              合計 3772ページ
 

 なおドイツ語の原題では「Das KapItal」ですので、「Das」というのは単なる定冠詞であって「資本」というのが正解で、ドイツ語の授業だったら「資本論」というのは、誤答になると思います。」

 


時間の針の闇の自伝の断片 1 ペンネーム 20190930

2019年10月01日 11時36分23秒 | 青い銀河とオレンジの花


時間の針の闇の自伝の断片 1 ペンネーム 20190930

 自伝「青い地球とオレンジの花」を書く前に、準備作業があって、それをこの「時間の針の闇の自伝の断片」でしていくことにする。

 このタイトルは、むかし評論かなにかで見たソ連のSF小説のタイトル、たぶん「時間の針の闇の破片」だと記憶しているのだが。ストルガツキー兄弟だと思ったけど、ウィキペディア「ストルガツキー兄弟」には出ていない。

 今は不明ということで開始します。


 最初に使ったペンネームは「宮沢信二」。名古屋の生協で働いていたとき労組のニュース(1976年1月1日発行、創刊号)に大好きなフランスの詩人ルイ・アラゴンのことを書かせてもらった。

 もちろん宮沢賢治さんから借りて「治」をボクは次男なので「二」に変えた。ボクの本名から「信」だけを入れた。

 浜松へ帰ってきて、若い同世代の仲閒で同人雑誌を出そうということになり、『零 創刊号』という薄い雑誌をつくった。

 ボクも『零』に「藤井智則」という名前で詩と評論を書いた。1978年(昭和53年)5月5日発行となっている。

 翌年2月に結婚することになるボクは、彼女の名前を借りて字を「伊藤」から「藤井」へ変え、「則子」の子を取り「智」を入れた。彼女の許可を取ったかどうかは記憶にない。

 藤井智則名で詩「十一月の惑星詩」と「死者の思い出Ⅲ(瀬戸内)」、評論「萩尾望都ノート序説」を書いた。

 それからちょっと時間が空くが、いまの「雨宮智彦のブログ」を使ってブログを始めたのは10年前、2009年11月なので「雨宮智彦」は、そのころからだと思う。

 本来は、最初「天宮智彦」だった。古代や遺跡や神社好きのボクが、静岡県森町にある「天宮神社」からとったのだが、よく考えたら天宮神社はウィキペディアにも載っている古い神社です。

 「天の宮」なんて名前は恐れ多いし、祟りもこわい。

 それで「天の宮」はやめて同じ発音の「雨の宮」にした。いまでは本名よりも、この「雨宮智彦」の方が自分の名前としてしっくりくる。自分でつけた名前だしね。

 これから平和運動でもぜんぶ「雨宮智彦」で通そうかな。

 

 t追加 < 参考「雨宮日記」から >

 「天宮智彦」で検索してみたら、2010年7月11日の「雨宮日記」に書いてありましたので引用します。


 「雨宮日記 7月11日(日) 「雨宮日記のルーツ」は雨宮修平
2010年07月13日 05時58分27秒 | 雨宮日誌

 「なんで、お父さんは、古代史なんかやってるの?」と娘に言われたので、書きます。

 元々、20代のころから古代史に興味はあったのですが、深める余裕がなく、「雨宮ブログ」の前身である「遠江と日本 古代史の森」というHPを2005年1月から書き始めました。
 このときの著者名は「天宮智彦」です。
 このHPは書き続けることができず、短期間で凍結し、いまも凍結状態です。

 この表紙にこう書きました。

 「日本とわが故郷・遠江(遠州・静岡県西部・浜松市の古代史)はおもしろいです。

 「三国志」の「倭人伝」、「日本書紀」「古事記」「風土記」をどう読み取るか。
 銅鐸・銅剣・銅矛・曲玉・古墳など物証をどう理解するか。
 卑弥呼・倭の五王・天皇家などの人物像をどう考えるか。

 そして遠州の古代史には銅鐸をはじめとして、いろんな謎があります。

 静岡県浜松市の1市民として、歴史の事実と真実を考えていきたいと思います。
 更新不定期です

 (天宮智彦)」

 「天宮」は、遠江・森町にある「天宮神社」からも来ていますが、むしろ天皇家の祖先である「天族」からも由来しています。
 そこで、「雨宮ブログ」を始めるときに、「天」+「宮」では、あまりに罰当たりかなと思って、「雨宮」にしました。
 この時には、一色まことさんのピアノマンガ『ピアノの森』を読み始めていて、2人の主人公、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平を知っていましたので、ピアノの天才・海と違って、優等生で全力で努力して悩む主人公・雨宮修平に共感して、最終的に「雨宮智彦のブログ」として始めたように思います。
 
 週刊「モーニング」に隔週連載の「ピアノの森」ではワルシャワでのしょぱんコンクールの最終予選で、12人の最終枠に入れなかった雨宮修平が衝撃を受けた場面で、今週号が終わりました。
 うわあ、雨宮、がんばれ。死ぬなよ!」