雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

 青い銀河とオレンジの花 断片資料 6 生きるためのよびかけ 20201220

2020年12月20日 19時38分32秒 | 青い銀河とオレンジの花
 青い銀河とオレンジの花 断片資料 6 生きるためのよびかけ 20201220

 ぼくたちが浜北で里山活動をしていたころに書いた「詩的メッセージ」。芸術的価値はないけれど、自分の心情をよく表わしている。そういう意味で歴史的価値はあると思う。


 以前、このブログに掲載したが、「青い銀河とオレンジの花 断片資料」として再掲載する。
 


 生きるためのよびかけ  わたしたちから あなたたちへ


                 雨宮智彦


あなたは 初夏の木々の息吹きを 感じますか?
鳥たちの 甘いさえずりが 耳に 聞こえますか?
ほら トンボたちの 飛翔
聞こえる? カエルたちの ラブコール
暑い夏 そして秋の セミたちの 鳴き声
生き物たちの 必死の恋が あなたの心に 届きますか?


いつのまにか 春の小川は コンクリートの水路になり
まわりの 水田はつぶされ マンションと駐車場になり
遊び場だった 緑の森は ゴルフ場や産廃処分場になり
ぼくたちは 生命と地球から遮断され 分断され 
お互いの 共感もなくなって ばらばらの個人になって
自然からも はるかに 遠くなってしまい


もし あなたが 今 里山のホタルの小さな光を 愛するなら
里山に 咲いているササユリと 共感できるなら
湿地の草むらで ひっそりと飛んでいる モノサシトンボと ゆったりと会話できるなら


あなたの子どもたちや孫たちの命は 
この地球の今と 遠く未来に届くでしょう


もう ぼくもいない きみもいない 遠い 温かな未来
ぼくときみの 子孫や 
あなたたちの 子孫が
ぼくときみが歩いた川べりを ゆったりと 歩いている
ぼくときみが汗をにじませて手をとりあって見たホタルを 見ている


自然と生命と幸せが よみがえり 輝く緑の里山
笑い声
真剣な 論議
幸せな 会話
だいじょうぶだよ ぼくたちは 今を 生きているんだよ


今日も 谷間は 草の匂いの そよ風が吹いて
ミツバチが 花から花へ 花粉を集め
里の家の前を オニヤンマが 大気を切って飛翔していく
青い空を サシバが 横切っていく


夜 天球を ゆっくりと回っていく 白い星の光
闇の中を ガサゴソと動いていく イノシシの親子
森の中で 鳴いている フクロウ


そんな光景を いま 心の中に 見ながら
ぼくも きみも あなたも 
だいじょうぶだよ
いっしょに 生きようね
今のあなたで だいじょうだよ と呼びかけながら 
生きている
もっと もっと 生きていたい


 (2006/6/23up、2006/10/20 2009/9/21補正)」











 青い銀河とオレンジの花 断片資料 5 過去資料 2 「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判  20011102」

2020年12月19日 08時07分32秒 | 青い銀河とオレンジの花

 青い銀河とオレンジの花 断片資料 5 過去資料 2 「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判  20011102」


 〔 過去の残っているボクの文書資料で「自伝 青い銀河とオレンジの花」に参考になりそうなものを掲載していきます。
 自筆でノートなどに残っているものと、パソコンファイルとして残っているものがあります。 


 2001年11月2日という日付は執筆の日ではなく、残っていたテキストファイル「やなぎだtxt.」に変換した日付です。他にも同じ2001年11月2日付けのテキストファイルがいくつも残っていますので。       
 内容的にはまったく不十分でここにさらすのは恥ずかしいのですが、当時はここまで考えていたという意味で、掲載する価値はすこしはあると思います。


 これのもとになった本が出てきたら紹介します。


 雨宮智彦 〕






「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判


はじめに


 柳田謙十郎さんとは誰か?




1、自然・宇宙・地球の歴史


 じっさい、ぼくは驚いたね。科学的社会主義の普及を任務とする労働者学習協会の会長が「自然の奇跡ともいうべきものでさえ…自然の世界の底には何らかの仕方で…創造的生命のエネルギーとでもよばるべき主体的なものが流れている…」(P18)と、くるんだから。


 これは、正真正銘の観念論ではないですか。そのすぐあとに「われわれに(誰に?)とって自然とは、硬化し固定化し動きのとれないような不毛の存在ではなくて、無始から無終にわたって、つねに新たなるもの、より高度なるものを生みださずにはいな客体的即主体的な生命をもった創造的自然である」(P19)


 自然=生命!?自然のなかに内的矛盾を持った発展過程を発見し、この「発展」「矛盾」の法則性を自然ー生命ー社会のすべてに、それこそすべての現象の「底に」、神を発見する宗教や観念論のたぐいではないですか。


2、生命とはなにか 


〔 注:この章は書かれなかった 〕


3、現在をどう見るかー自然史と人間史


 柳田さんのこの論文は「自然と人間」という表題なのに、まず「人間」の分析が「ない」のですね。えっ!とあなたはびっくりしますか。あなたは、この論文を読んだんでしょう。読んでくださいね。読んだという前提でこの文章を書いているのだから。


 だって、柳田さんは科学的社会主義だっていうんだから。科学的社会主義で「人間」論を語るのに、弁証法的唯物論だけを使っていればいいなんて言う人は一人もいないと思う。これは科学的社会主義の常識があるなら、史的唯物論の領分ですよね。そうじゃないという人がいれば反論してください。反論はできないよね、科学的社会主義であれば。


 柳田さんは「自然と人間」という表題で、延々と「自然」と「人間」の「非連続と連続」の話をしている。


 だから、ほんとうの「非連続と連続」の「境い目」は、どこかへすっとんでしまう。ほんとうの「境い目」は、どこにあるか。


 柳田さんにとっては、「人間の自覚的行動とは何か。それは自然史の延長としての人間の歴史を意識をもって展開してゆくことである。」


4、階級と党派性と人格


〔 注:この章は書かれなかった 〕


5、民主主義とは


 「かくして」、柳田さんにとっては「かくして成立したブルジョア民主主義は、ブルジョア階級の利益のための民主主義であって、」(P28)


 これもおお間違い。


6、個人と集団、社会


 「わたし」、「われわれ」、「人間」、「自己」。これらは同じようでも、それぞれ異なった概念です。重なりあうが、同じではない。柳田さんは、これらの概念をすべて「自己」のうちに取り込んでしまい、さらに


 〔 注 この後は書かれなかった 〕


7、観念論哲学と保育


 柳田さんの最後の言葉はこうです「このような科学的実践にとって、いたずらに主観主義的な大言壮語ほど憎むべき敵はいないのである。」(P99)
 そのとおり!」







ことばと詩 47 ゲーテ『西東詩集』より「三千年の・・・」

2020年12月19日 07時34分55秒 | ことばと詩
ことばと詩 47 ゲーテ『西東詩集』より「三千年の・・・」


 澤地久枝さん著『NHK人間大学 昭和私たちの同時代史』平成六年、で見つけたことば。


 「三千年の歴史から
  学ぶことを知らぬものは
  知ることもなく、やみの中にいよ、
  その日その日を生きるとも」(p130)


 いまだったら「五千年の歴史」って言わないといけないだろうなあ。



雨宮日記 2020年12月18日(金) 索引読みを新しく始める

2020年12月18日 15時51分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記  2020年12月18日(金) 索引読みを新しく始める


 いくつかの作品に続けている「索引作り読み」を新しくハイデッガー『存在と時間』岩波文庫、4冊について始める。


 むづかしい本だけど、最近、日本で出た原敏晴さんの『ニーチェとハイデッガーへの訣別』清風堂書店をガイドブックにして、しかし盲信はせずに始める。


 たぶん数ヶ月以上はかかると思う。


 このハイデッガーの「存在」はヘーゲル『大論理学』『小論理学』の最初の基本概念、存在(有)と無の「存在」と同じものなのか、違うものなのか。


 同じものなら、ここに「無」の概念が出てこないのは不思議だ。


 またなにかわかったら書きます。


 最初のキーは「存在」について「現存在」「世界内存在」「実存」といろいろバリエーションさせていることかなあ。そこに謎をとくキーがあるという予感がします。これは、また来年。





 アメリカのコロナ死者が30万人を超え、第二次世界大戦でのアメリカ軍の戦死者数29万1557人を超えた。


 おそろしい死者数。世界的に経済的「コロナ恐慌」とならないのが不思議なくらい。


 日本は第3波がまだまだ続く。


ことばと詩 46 エイゼンシュテイン「生きて、考えて、熱中した」 20201217

2020年12月17日 16時28分30秒 | ことばと詩

ことばと詩 46 エイゼンシュテイン「生きて、考えて、熱中した」 20201217


 エイゼンシュテインさんはソ連の映画監督で1948年2月11日に亡くなった。50才でした。大作「イワン雷帝 第2部」がスターリン体制下で上映禁止になり、その改作を準備していたさなかだった。


 つい最近、YouTubeでエイゼンシュテインさんの「イワン雷帝 第1部」をやっと見ることができた。すごかったです。建物の部屋での人間の影と光の使い方。


 映像にもかかわるボクとしては、あこがれの人、少しでも近づきたいと思う。


 「生きて、考えて、熱中した」というのは自伝の「題辞」のことばです。もちろんフランスの作家スタンダールの「生きて、書いて、愛した」を模したもの。


 かっこいいですね。


 題辞のおわりは「筆者は何をくぐり抜けて生き、何を考え、何に熱中したかをお見せしよう」と言っている。(以上、山田和夫さん著『エイゼンシュテイン』新日本新書、1998年、による)



雨宮日記 2020年12月16日(水) ヘーゲルとベートーヴェン

2020年12月16日 10時21分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記  2020年12月16日(水) ヘーゲルとベートーヴェン


 昼閒の予測最高気温がきのうより1度下がって7度に。エアコンを入れといてよかった。


 今までだと電気ストーブをつけて、腰と足に毛布を巻いて、手袋をつけて完全武装という感じですね。


 今日は作曲家ベートーヴェン生誕の日。250年前の1770年12月16日です。


 今やっているNHKFMの夜の記念番組がとても興味深くおもしろいです。作曲家の宮川さんやピアニストの仲道郁代さんなどなど。


 蛇足だが哲学者ヘーゲルも同じ1770年に生まれたということを最近、ボクは気づいた。そうかあ同時代人なんだ。2人は会ったことはなさそうだけど。


 2人にとって1789年のフランス革命は同じ19才の年に起きた大変革なんだ。


 「フランス革命とヘーゲルとベートーヴェン」という3題ばなしを書きたくなったです。



郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216

2020年12月16日 09時44分32秒 | 浜松静岡郷土史
郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216


 「郷土史」とういうのは古い言い方で今は、はやらないかも知れませんが、ここではその範囲を2020年現在の浜松市・静岡県を中心とする範囲としておきます。話が三河地方や愛知県・長野県・神奈川県へ行ってもいいということでお願いします。


 「郷土史の片隅に」という呼び方は、もちろんアニメ映画「この世界の片隅に」へのオマージュです。


 なお古代史のことは「遠州古代史」のなかで扱います。ここでは中世史・近世史・近代史・現代史・未来史の範囲です。


 今日が第1回。




郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216




「にんげんをかえせ」で知られる原爆詩人峠三吉さんと静岡とのかかわりは、ほとんど知られていないと思います。


 増岡敏和著『原爆詩人 峠三吉』という新日本新書があります。1985年発行の本です。いまはAmazonなどで古本で探してください。


 1952年の峠三吉さんの活動を妻の和子さんは、次のように手記に残しています。


 「1952年峠にとって命を賭けた最後の闘いの年となった。原爆を受けた広島として、病人でありながら平和運動の為に休む事無く働き続けなければならない峠であった。
 2月、国鉄全国大会への原爆展を依頼され恰度来広中の赤松俊子さんと面談中喀血、翌3月、文学戦線統一の重大性を思う故に推されて新日本文学会全国大会参加の途中で喀血。静岡文学会支部、民主グループの手厚い看護を受け、1ヶ月療養後上京」(p198)


 増岡敏和さんは、そのあと次のように詳しく書いています。


 「三吉は上京途中汽車の中で喀血し、下車して静岡日赤病院に入院するはめになった。そして入院直後大量喀血をし、また死に瀕した。新日本文学会静岡支部や全日自労静岡支部は救援活動をおこし、それを伝え聞いた新日本文学会広島支部と合同して峠三吉救援活動委員会を結成、全国に檄をとばして活動する。そうした力と療養のせいでかれは回復し、1ヶ月後に退院する。」(p200)


 この「静岡日赤病院」は静岡赤十字病院として、JR静岡駅から大通りを北へ左側を歩いて、市役所を過ぎて産業経済会館へ行くすぐ手前にあります。


 1952年当時、おなじ場所にあったか、峠三吉さんが入院したり、救援活動を静岡市民がしたことを直接体験した方や文献はないものでしょうか。


青い銀河とオレンジの花 断片資料 3 1988年のパソコン生活 20201215

2020年12月16日 08時47分35秒 | 青い銀河とオレンジの花
 青い銀河とオレンジの花 断片資料 3 1988年のパソコン生活 20201215




 1988年のパソコン生活




 1988年7月28日付け紙カード(B6)メモに手書きしたものが残っている。


 「パソコン 当面の学習と作業 88年度 88/7.28 
   9801VX2=メイン機 
   エプソンワードバンクNote2=補助機 
 当面の学習 
  (1)MSーDOS
  (2)ハードディスク
     来年 (パソコン通信、パソコン会計)
  (3) 桐、新松の習熟」


 「9801VX2」がNEC98の最初に買った機種かどうかは、いまわからないが、当時はデスクトップが主流で、いまみたいなノートパソコンは考えられなかったと思う。


 「エプソンワードバンクNote2」は三二補助器だった。


 ボクは当時はパソコンワープロに「松」を、データベースに「桐」を使っていた。今でも松ファイル、桐ファイルは残してある。これをなんとかテキストファイルに落とす方策がないものだろうか。



雨宮日記 2020年12月15日(火) 久しぶりに図書館へ行く

2020年12月15日 17時15分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年12月15日(火) 久しぶりに図書館へ行く


 秋は諸事情で行けなかった図書館に久しぶりに行ってきた。則子さんと午前9時半ごろタクシーで出かけた。


 まず2階の郷土資料室に行って高校演劇教室の始まりのころのこと、1960年代のことを調べた。このことはまた書く。


 1階へ行って普通の本を12冊借りて帰る。お腹いっぱいになって満足。これが1ヶ月分の読む本の一部。帰りは午後1時半ごろ。


 次に行くときからは蔵書がたくさんある城北図書館へ行くつもり。


 けさは寒くて左足がつった。午後も最高気温は8度くらいで寒い、日本海側は雪。


 友だちにお願いした新しいハードディスク(HDD)3.6テラが届いたので、2つめのダブル文書・写真用にする(アルファ2 α2)。新しく文書・写ファイルをコピーし始めた。



過去現在未来のメモノート 93 『資本論』の「社会的バリケード」という訳語について 20201114

2020年12月14日 11時23分34秒 | 過去現在のメモノート
過去現在未来のメモノート 93 『資本論』の「社会的バリケード」という訳語について 20201114


『資本論』の「社会的バリケード」という訳語について


 『資本論』の「第1部第3篇第8章 労働日」に、こういう文章がある。


 「自分たちを悩ます蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として1つの国法を、資本との自由意志契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼ら自ら阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない。
 「譲ることのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というつつましい“大憲章”が登場する。」
 (新日本出版社、新書版『資本論 ②』1983年、p525、ドイツ語原書p320)


 この「社会的防止手段」について、不破哲三さんが最初に「社会的バリケード」という訳語を提唱したのは前から知っている。その後、不破哲三さん自身がいろいろな論文のなかで繰り返したから。


 その最初は『赤旗 2020年4月15日』(7)面、「キーワードに見る資本論 ③」によれば、『古典教室 第1巻』のなかで言ったのが初めのようです。


 別に異議はないのですが、最近になって思うのは、語感として抽象的な概念である「社会的防止手段」を具体的なイメージを伴う「社会的バリケード」という言葉に変えたほうがいいかどうか。


 「バリスト」という言葉がある。今は死語だと思うが、1960年代末期に学生運動で「バリケード・ストライキ」のことを縮めてそう言った。


 いまは「バリケード」をネット検索すると道路に置く木の通行禁止標識が出てくる。本来は革命や戦乱のときに特に都市で使われる実力防衛手段だと思う。


 たぶん運動活動家の思う「バリケード」語感と一般市民の「バリケード」語感が違うような気がする。これは、論議の余地があると思う。


 ボクが外へ出て「バリケード」語感についてアンケート調査することも肉体的にできないし、論議した論文なり評論を見た覚えもない。


 「もっと論議を!」


   ☆


 もう1つは、ボクがたぶん数年前、丸山真男さんの『日本の思想』(岩波新書、1961年)を読んでいて見つけた文章を紹介する。


 「ヨーロッパに見られたような社会的栄誉をになう強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院など、国家権力にたいする社会的なバリケードがいかに脆弱であったかがわかる。前述した「立身出世」の社会的流動性がきわめて早期に成立したのはあまそのためであった。・・・・・・(中略)・・・・・・ともかく、条約改正を有力なモチーフとする制度的「近代化」は社会的バリケードの抵抗が少なかっただけに、国家機構をはじめてする社会各分野にほとんど無人の野を行くように進展した。」
 (p45)


 このように「社会的なバリケード」「社会的バリケード」と使われている。丸山真男さんの前に先行使用があるのだろうか。それとも丸山真男さんの独自用語だろうか。


 いずれにしても、1980年代に共産党は「丸山理論批判」を大会決定までして広げた。不破哲三さんが丸山真男さんの『日本の思想』を読んでないということは、絶対言えないと思う。目を通したはずだ。


 すくなくとも記憶にあったら、「社会的バリケード」の先行使用の例に触れるべきだし、不破哲三さんが万一知らなかったら、科学的社会主義の周囲の人が教えてあげるべきと思う。それが科学の世界です。









本と映像の森(第3) 12 川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年 20201213

2020年12月13日 11時51分32秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 12 川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年 20201213


 岩波書店、214ページ、定価本体700円。


 タイトルが禍々(まがまが)しいので、ボクは「何を言ってるんだ」と打ち捨てて数年間も読まなかった。


 その後、著者が大部の『昭和文学史(上・中・下)』講談社の著者であることを知って文学の専門家であることを知って、専門家の本なら立場はどううあっても、読む価値はあるだろうと読み出した。


 川西政明さんは二葉亭四迷さんの『浮雲』(1887年~1891年)から敗戦の日までの60年を前半、敗戦から現在(2005年)まで60年を後半として120年を1周樹ととらえる。


 「小説はつねに歴史とともに歩いてきた。・・・・・・これまでの歴史の上に立つ小説はもう書いてはいけない。」(はじめに、pⅳ)


 そういう立場で、著者は一つひとつの「終焉」を叙述する。


 目次は以下のとおり。


  Ⅰ

私の終焉
家の終焉
性の終焉
神の終焉




   志賀直哉の終焉
川端康成の終焉
太宰治の終焉
大江健三郎の終焉
村上春樹の終焉




   戦争の終焉
   革命の終焉
   原爆の終焉
   存在の終焉
   歴史の終焉


 以上です。こういうふうに書くと、まだ終焉してないものがある。早く終焉しろよ。


 新しい小説のサイクル、新しい歴史のサイクルが始まることをボクも望む。


 著者は言う「その非滅亡のかぼそい一線を発見してもらいたい。その非滅亡のかぼそい一線を見つけるために本書が役に立てば幸せである。」(「おわりに」、p213)


 この本は役に立ったけど、そためにはまだ足りないとボクは思う。







雨宮日記 2020年12月12日(土) 年賀状の準備

2020年12月12日 14時30分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年12月12日(土) 年賀状の準備


 もう12月も3分の1ほど終わったので、年賀状「初春新報」の準備をする。第44回、ほぼ完成。1月1日に公開します。もちろん則子さんの点検と許可を受た。


 則子さんの俳句年賀状の準備もする。植物のいい写真を探す。





NHKFMで湯川れい子さんがゲストで出ていた。むかしラジオで(60年代?)女性DJの草分けだったようです。


 エルビス・プレスリーの結婚式で証人として出席したことを聞いた。唇にキスされた。 









ことばと詩 45 萩尾望都さんの詩(『ポーの一族 4』「ペニーレイン」から) 20201211

2020年12月11日 09時56分26秒 | ことばと詩
ことばと詩 45 萩尾望都さんの詩(『ポーの一族 4』「ペニーレイン」から) 20201211


 萩尾望都さんは詩人です。そういうと、ウソお、萩尾望都さんはマンガ家でしょ、という声が帰ってきそうです。


 もちろん、萩尾望都さんはマンガ家です。でも萩尾望都さんのマンガに散りばめられたセリフの詩が、すごくいいんですね。


 マンガが無くても、詩として自立しているとボクは思う。


 そうかどうかは、たとえば「ポーの一族」シリーズを自分で見て(読んで)判断してください。


 『ポーの一族 4』「ペニーレイン」の


 「花畑の
  まんなかで
  とんぼがえりする
  コビトを見た


  それが
  神話の
  はじまり


  夜の庭には
  月に踊る妖精
  死んだこどもには
  バラの茎根を
  ナルキッソスには
  白い花嫁を


  竜よ
  天馬よ
 一角獣よ
 牧神よ
 イカロスよ


 目ざめよ
 目ざめよ
 もろもろの神話
 ー 時の夢よ ー」


 ちょっと詰め込みすぎっていうか、総動員の感じはありますが、ボクはこういうの好きですね。ぜひ詩観賞の角度で萩尾望都さんのマンガを読んでみてください。


 やはり、萩尾望都さんって「夜と闇と死」「寂しさ」がぴったり合うという感じですね。


 いま描かれている「ポーの一族」シリーズでアーサーのことを詳細に描いているんだから、キリアン・ブルンスウィックのその後も描いて欲しい。


 でないとマチアスが浮かばれない(「小鳥の巣」参照)。キリアンはマチアスの血を受け継いでいるのだから。以上、きわめて個人的感傷でした。





雨宮日記 2020年12月10日(木) 平和委員会の学習会でした

2020年12月10日 21時07分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年12月10日(木) 平和委員会の学習会でした


 浜松市平和委員会の学習会でした。オンライン日本平和大会・敵基地攻撃問題の特別集会の録画を編集して1時間10分くらいにして視聴しました。


 よかったなと思ったけど、1つは映像的には字が小さすぎて、多すぎてボクの目では非常に見づらい。


 2つは内容的に、とくに平和委員会の立場からはより精選していく余地がある。情勢分析的な報告は少なくして、もっと具体的な平和運動のことを運動の立場では重視するべきだ。

 ボクたちは評論家として平和運動をやっているのではない。

 秋のアメリカ軍を中心とした軍共同演習の総合的分析が欲しい。無い物ねだりではない。誰もやらないなら、自分でやります。そういうことです。


 国民の意識への反応の角度もおもしろかった。別にまた書きます。







雨宮日記 2020年12月9日(水) 干し柿を食べました

2020年12月09日 19時36分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年12月9日(水) 干し柿を食べました


きのう、「雨宮日記 2020年12月8日(日) 12・8です」と書いてしまいましたが、正確には「雨宮日記 2020年12月8日(火) 12・8です」。


今日は夕方、則子さんが職場でもらってきた干し柿を食べました。甘くておいしいので2個も食べてしまいました。


 干し柿は原材料が「渋柿」だそうですが、最初にこの甘さをつくった人は誰なんでしょうか。