雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月16日(水)の2 今日はとりあえず戦争にならない

2022年02月16日 19時48分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月16日(水)の2 今日はとりあえず戦争にならない


今日はとりあえずウクライナ戦争にならない。


 その代わり、則子さんが昨日、コロナワクチンの注射をして、今日調子が悪い。吐き気がして。下痢も。ぼくとあずきさんの食事の世話にだけ起きてきて、あとは1日寝ている。


 ゆっくり寝ていてください。早く平和になってください。


 明日は寒い。



雨宮日記 2月16日(水) 戦争はいつでも早朝に始まる

2022年02月16日 10時13分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月16日(水) 戦争はいつでも早朝に始まる


 今日はウクライナ戦争開戦の日ともうわさされている。


 ウクライナは日本のはるか西、これから夜が開けていく。いまウクライナとの時差は7時間。


 ということは今、ウクライナは午前3時、これからもっとも危険な時間になる。


 まだボクに何かやれることがあるか、考えよう。



雨宮日記 2月15日(火) 平和委員会でウクライナ戦争反対の声明を出した

2022年02月15日 21時43分39秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月15日(火) 平和委員会でウクライナ戦争反対の声明を出した


 浜松市平和委員会でウクライナ戦争反対の声明を出しました。


  ウクライナ戦争が危機的な情勢になってきたので、先日「戦争をなくし平和な浜松をつくる会」の声明を出しましたが、今度は緊急なので浜松市平和委員会の声明を出そうという提案を事務局次長にしました。


 事務局次長の賛同が得られたので、ボクが原案を書いて事務局次長が連絡を取りました。


 午後9時45分、在日ロシア大使館へファックスしました。


「在日ロシア大使館気付け プーチン大統領 様


いますぐ戦争準備を中止して平和へ立ち戻ってください


                              2022年2月15日夜


 今日、2022年2月15日夜現在、ロシア軍はロシア・ベラルーシ・黒海にロシア軍を大量に集結させ、ウクライナとの戦争準備を完了しているといわれています。


 もしこのままロシア軍がウクライナ国境を超えてウクライナ戦争が始まるなら、それはウクライナ人とロシア人の血を大量に流し、全世界とロシアにとって大きな悲劇と負債となるでしょう。


 ロシアが欲するウクライナでの正義は、破壊と殺戮では得られません。


 ロシアが欲するウクライナでの尊厳は、支配と弾圧では得られません。


いますぐ戦争準備を解除して、平和へ立ち戻ってください。


              浜松市平和委員会」





新・古代史ノート 14 雨宮神社 20220215

2022年02月15日 10時11分09秒 | 遠州古代史
新・古代史ノート 14 雨宮神社 20220215


 やっと古代史ブログ再開します。


 ボクのペンネームは雨宮(あまみや)智彦です。このペンネームの由来は、古代史・古墳・神社が大好きなボクが遠州の古い神社である天宮神社から最初、天宮智彦というペンネームを考えたことにあります。


 でも「天(あま)」というのはあまりに恐れ多くて、罰が当たりそうなので、同じ音で「雨(あめ)」に変更しました。


 ネットで調べると、雨宮神社は全国にあるようです。リストを作りたいと思います。これは雨宮○○神社や、遠州の天宮神社まで含めるのかどうか、研究します。


 一応いま判っている範囲で書いておきます。


  雨宮神社    熊本県相良村 天之水分神、国之水分神、久比邪持神(久比奢母智                     神)、高於加美神(高?神)、舟玉命
雨宮神社 香川県三豊市財田町 高?神、闇?神、天水分神
  雨宮社     名古屋市中川区 高?神、志那都比古神、天照皇大神
  雨宮坐日吉神社 長野県千曲市雨宮1 大山咋命、大己貴命 少彦名命 あめのみやにます
  天宮神社    静岡県森町 田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命


 とても興味深いです。


 「雨」「天」「?」の同一性と差異も勉強しなければ。


 「奄美」「アマミキョ」も考えないと。


 明らかに遠州の天宮神社は祭神が宗像の3女神で、雨宮神社とは異質ですね。


 熊本県相良村にはいちばん有名な雨宮神社があります。全景と巨岩の写真が印象的です。雨宮神社には、どこまで岩石信仰があるかどうかですね。


 問題は高?神(高於加美神)の性格でしょうか。これはすこし研究して、別項で詳述します。







思考ノート 5 俳句は瞬間の芸術 20220214

2022年02月14日 20時30分30秒 | 思考ノート
思考ノート 5 俳句は瞬間の芸術 20220214


 則子さんは、ずっと自由律俳句をやっている。ボクもそれに影響されたのか最近、俳句みたいなものをすこしづつ書いている。


      風花舞う寒庭1輪の赤椿咲いている


      背表紙がぼくを読めと本たちが騒ぐ冬


 俳句は瞬間の芸術だと思う。いや1枚の絵というより1枚のスケッチかな。


 じゃあ短歌は?短歌は4こまマンガかな。


 詩は?詩は短編マンガかも。


 小説とマンガと映画・アニメの違いは別項目で。



雨宮日記 2月14日(月) 日本政府も在ウクライナ日本人に避難よびかけ

2022年02月14日 17時06分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月14日(月) 日本政府も在ウクライナ日本人に避難よびかけ


 ウクライナ危機でウクライナ在住日本人に日本政府も避難よびかけています。


 アメリカメディアでは「16日」という具体的な日付まで出ています。


 まだ何かやれることがあるか、自分たちでやってみようと思います。



雨宮日記 2月13日(日) 国際感覚のないメデイアでは困る

2022年02月13日 19時22分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月13日(日) 国際感覚のないメデイアでは困る


 このごろ北京冬期オリンピックのテレビ映像を見ることが多い。カーリングやフィギュアなど、どれもおもしろい。


 でもメダルをとった日本選手の映像ばかり見せられて、金メダルをとった外国選手はなかなか見られない。


 歪んだナショナリズムではないかと思う。国粋主義かな。すくなくとも金銀銅などの選手は国籍に関係なく見せてほしい。それがマスコミの責任ではないでしょうか。


 でないと、ウクライナを狙うロシア大国主義のプーチン大統領を批判できない。


 ボクたちに国際感覚があるか、みんなが自問自答するべきだ。



思考ノート 4 入力と出力とオリジナリティー 20220213

2022年02月13日 09時33分44秒 | 思考ノート
思考ノート 4 入力と出力とオリジナリティー 20220213


 学ぶとは、学習とはというと、まず「まねる」。先生・師匠のいうとおり「入力(インプット)」する。


 ことばを親から覚えはじめの幼いこどものように。


 では「出力(アウトプット)」は?。


 最初は出力も同じだと思う。でも、人間は機械ではない。だんだん入力が増えていくと、出力もしだいに違ってくる。それが人間であり、「有機」体反応だと思う。


 同じ入力でも出力は違ってきて、結果は計量できない。


 弟子が師匠を超えて伸びていく瞬間だ。もちろん誤りか正解かという別問題はある。でも真実がなにかを師匠に聞いているようでは学習者として失格だ。


 自分の手で、自分の身で確かめなければ真実はわからない。間違った悲哀は、その本人だけが味わう資格がある。失敗した科学者のほうが成功した科学者より多いのではないか。


 失敗権・判断権は自分にある。それが科学や芸術であり、その個人のオリジナリティーなのだ。





新・本と映像の森 3 秋月龍珉『誤解された仏教』講談社学術文庫、2006年 20220212

2022年02月12日 11時48分45秒 | 本と映像の森
新・本と映像の森 3 秋月龍珉『誤解された仏教』講談社学術文庫、2006年 20220212


 251ページ、定価880円。原書1993年柏樹社。


 著者は臨済宗と禅の正当な道を極めた方です。


 その著者が書いた現代仏教の根底的批判は衝撃的です。


 まず仏陀は何を悟ったか。「私には死後の人生はない」「輪廻転生はない」ということを悟った。


 つまり仏陀が生きていたころのインドはヒンズー教全盛で、魂は輪廻転生して他の人間や動物や上の神々の世界に転生するのが常識だった。


 でも仏陀はそういう自分の輪廻転生はないと悟った。「仏教は無霊魂論である」(第1章)、「仏教は無神論である」(第5章)


 つまりは唯物論にも等しいですね。


 そして2番目に、秋月さんは現代日本の仏教では、「仏教は本来、葬式・法事に関わらない」(第3章
)、「死者を「仏」と呼んではならない」(第10章)と主張する。


 3番目に、もっとおもしろいのは、「「梵我一如」説は仏教ではない」(第6章)「正しい仏教は土着思想と対決する」(第8章)「仏教は「神秘主義」ではない」(第9章)ということ。これがむしろ核心だろうと思う。


 今日触れられなかった後半部分も含めて、もっといろいろ考えたい。





雨宮日記 2月11日(金) プリンターが届いた

2022年02月11日 20時51分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月11日(金) プリンターが届いた


 夕食の後、宅急便が届いて、ボクのプリンターでした。A4、エプソン。早速、則子さんに開けてもらって、パソコンの横に備え付けました。


 失敗紙も出ないので、きわめて快適です。


    43周年プレゼントは8千円のプリンター


    43周年建国記念日はまだ続いてる



    43周年君のコーヒーおいしくなったね



雨宮日記 2月11日(金) 結婚43周年記念日です

2022年02月11日 08時47分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月11日(金) 結婚43周年記念日です


 ボクと則子さんが結婚して43年の記念日です。いまから43年前、東田町(町自体が消えてしまった)にあった昔の労政会館でやりました。


 ちゃんと全部見たことはないのですが、会費制結婚式のビデオを変換してもらった動画ファイルがパソコンのなかに残っています。


 なぜ進歩的夫婦が「建国記念の日」にやったの?ということですが、式を冬の1~2月にやろうということは決まっていたので、「2・11」にやれば、当分は結婚記念日に休日になるよね、という安易な考えだったように思います。


 ボクたちは「建国記念の日反対」でしたから、いずれ廃止されるかもという気持ちでした。あ、まだやってるんですね?


 ボクは「銅鐸部族」の末裔を称しているので、神武天皇=「大和天皇家の始祖」とは出自が違うんで無関係です。無関係どころか、わが「銅鐸部族」は「大和天皇家」に滅ぼされたので、歴史上不倶戴天の仇敵です。これが本当の「歴史戦」です。


 こういうことは社会主義になろうと人類社会がどうなろうと、忘れさられていいことではありません。また、どこかでしゃべります。






思考ノート 3 すべて平等に、フラットに 20220210

2022年02月10日 08時06分30秒 | 思考ノート
思考ノート 3 すべて平等に、フラットに 20220210


 自分の思考方法の原理は、「すべて平等に、フラットに」ということから始まる。自分も他人も、すべての個人の思考を平等に、フラットに取り扱いたい。


 自分だから正しいとはならない。他人だから間違っていることはない。


 ボクはマルクス主義者でありたいと思うが、マルクスの言うことだから正しいとはならない。すべて具体的検証が必要です。


 むかしN子さんが、ボクの言ったことについて。つい「それ、誰の言ったことなの?」と口走ってしまったので、ボクに「へえ、N子さんは不破哲三さんの言ったことなら、さすが不破さんねえ、と賞賛して、ボクの言ったことなら、それって怪しいわと言うわけ??」と何回もからかわれた。


 それはたいへんな時間と労力を使うので、言うほど簡単ではない。


 でも、やはり自分の実際に検証できたこと、心から納得したことだけを発言したほうがいいと思う。自分が言葉で聞いただけのことは虚偽かも知れないから書く価値はないかも知れない。


 安部さんが言うことはすべてウソで、不破さんの言うことはすべて真実、ということは真実ではないとボクは思います。
 



雨宮日記 2月10日(木) ここは雨、北部は雪

2022年02月10日 08時05分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月10日(木) ここは雨、北部は雪


 起きてトイレへ行ったら、外で雨が降っていました。浜松市北部は予報では雪です。


 生き物には恵みの雨、恵みの雪です。


 今日は、空気が暖かいです。外で雨どいからポタ、ポタ、雨が落ちています。




 朝、封筒で郵便局に、ロシア大使館宛てのウクライナ侵攻の中止を求める「戦争をなくし平和な浜松をつくる会」の声明を出しました。


 戦争をくいとめられるといいのですが。



青い銀河とオレンジの花の断片 1 日記好きのルーツ 20220209

2022年02月09日 15時52分37秒 | 青い銀河とオレンジの花
青い銀河とオレンジの花の断片 1 日記好きのルーツ 20220209


 則子さんはネットなど見ないらしく、「雨宮日記に私のことなんか書かないでよ」と言いますが、そもそも無理な要求なんです。ボクたちの人生を別々に分けるなんて。


 いうだったか雨宮智彦のブログを見て「全編、則子さんへのラブレターですね」と言ってくれた人がいましたが、はい、そのとおりです。


 その「雨宮智彦のブログ」の「雨宮日記」は始めたのが2009年12月9日からです。今までずっと12年2ヶ月続けていることになります。


 さかのぼれば、学生時代の日記が少し残っています。そして結婚してからの夫婦のA5判の「対話ノート」が12冊あります。


 そのあとはボクがパソコンをやりはじめて、毎日のように則子さんに宛てて書いた紙のラブレター、ではない「ナウシカへの通信」時代になります。


 いずれ、ここで「対話ノート」も「ナウシカへの通信」も可能な部分はできるだけ紹介したいものです。ふたりの生きた証しですから。


 そして「ナウシカへの通信」も出さなくなり、「教えるべきことはすべて教えた」、日常的には則子さんへの助言もあまり必要なくなり、自分だけで独り言を書いてもおもしろくないなあと思っていたころです。


 ちょうど「雨宮智彦のブログ」を始めたので「雨宮日記」を始めました。それで現在に至ります。


 父が中央長上苑に入所して父と祖父の持ち物を整理し始めてから気がついたのだが、ボクの日記好きは、たぶん祖父の福男さんや父の節三さんから来ているらしい。


 祖父の戦後の日記や、父の最近に至る日記やまめに書いている家の記録を見ていると、書くことは苦では無く、むしろ生きていることという感じがする。書くことは自分の業(ごう)であると言ってもいい。


 祖父や父の日記などは、また別のところで紹介します。