「凛と」という少し前の記事に、
アンネンさんからこんなコメントを頂いていました。
================================
(前略)
——————生きる意味やら簡単に答えが出ないこと
(もしくは分かりきっていること)
を敢えて問いにして迷走することがあります。
そんな時はヴィクトールフランクル氏の
『私たちは人生に問われている存在である。』
を思い出すことにしています。
(後略)
================================
とても良い言葉だなぁ、と。そう思いまして。
こんな言葉を紡ぐ「ヴィクトール・フランクル」さんとは、
いったいどんな人なのだろうか?と。
本の作家さんとしての名前は以前から耳にしていたのですが、
僕はまだ一度も読んだことがなく。
アンネンさんには
「一度読んでみますね(^ν^)ありがとうございます。」
という返答をしていました。
その後、改めて彼の著作を調べてみると、
代表作は「夜と霧」という作品のようで。
しかし、入門編としては
「それでも人生にイエスと言う」
という作品が一番良いのではないか?という結論にいたり。
初心者の僕は、先ずはこの本から読んでみることにしました。
読んでみると、まぁ、これ、名著作ではないかと。
とても心動かされました。
この本につまっている哲学や死生観、人生論というのは、いったい、
どれほどの経験から生まれているのだろうか?と。
Wikipediaあたりで調べてみると......
================================
1905年。ウィーンに生まれる。
ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。
ウィーン大学医学部精神科教授、
ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。
1933年からウィーンの精神病院で
女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、
ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、
ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。
1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に
家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、
父はここで死亡し、
母と妻は別の収容所に移されて死亡した。
フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、
3日後にテュルクハイムに移送され、
1945年4月にアメリカ軍により解放された。
その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、
1971年まで勤務した。
1947年にエレオノール・キャサリン・シュヴィンと再婚。
50年以上に渡り仲睦まじい夫婦であっただけでなく、
彼女はフランクルの学問的な協力者でもあった。
ナチス強制収容所での体験を元に著した「夜と霧」は、
日本語を含め17カ国語に翻訳され、
60年以上にわたって読み継がれている。
発行部数は(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、
「言語を絶する感動」と評されている。
1991年のアメリカ国会図書館の調査で
「私の人生に最も影響を与えた本」
の9位になった。
2000年の読売新聞による
「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」
のアンケート調査では世界の名著部門の第3位となった。
極限的な体験を経て生き残った人であるが、
ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。
学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。
================================
———————あの、アウシュビッツや、
幾つもの強制収容所から生き延びてきた精神医学者......
その言葉は潔く、気高く。
深く、強く、わかりやすかったです。
古い本でしたが、
コロナ禍に沈む今にこそ響く部分があるようにも思えたり。
なので、備忘録として、
本の前半部分から幾つかの文を以下に置いておくことにしました。
この本や著者を知るキッカケをくれたアンネンさんには改めての御礼を。
ありがとうございます。(^^)
================================
———————カント以来、ヨーロッパの思索は、
人間本来の尊厳についてはっきりした見解を示すことができました。
カントその人が定言命法の第二式でつぎのように述べていたからです。
「あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。
人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」
けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、
労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。
自分の尊厳を奪われて、
経済活動のたんなる手段にされてしまいました。
もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、
生きる糧になっているということですらありませんでした。
むしろ、人間とその生、その生きる力、
その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。
それから第二次世界大戦が始まりました。
いまや、人間とその生命が、
死のために役立てられるまでになったのです。
そして、強制収容所が建設されました。
収容所では、死刑の判決を下された人間の生命さえも、
最後のひとときにいたるまで徹底的に利用されたのです。
それにしても、生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。
人間はどれほどその尊厳を奪われ、おとしめられたことでしょうか。
このことを確認するために、ちょっと思い浮かべてみましょう。
一国家が、自ら死刑の判決を下したすべての人間を、
なんとかしてもっと徹底的に利用しようとするのです。
猶予された人生の最後の瞬間にいたるまで、
なおその労働力を役立てようとするのです。
おそらく、そのような人間をあっさり殺してしまったり、
それどころか生かしておいて死ぬまで養ったりするより、
そうする方が合理的だという考えから、そうしようとするのです。
また、強制収容所では、私たちは
「スープをやる値うちもない」
といって非難されることさえしばしばでした。
そのスープはといえば、
一日に一度きりの食事として与えられたものでした。
しかも私たちは土木工事を果たして、
その経費を埋め合わせなければならなかったのです。
価値のない私たちは、この身にあまる施しものを受け取るときも、
それにふさわしい仕方で受け取らなければなりませんでした。
囚人はスープを受け取るとき、
帽子を脱がなければならなかったのです。
さて、私たちの生命がスープの値うちもなかったように、
私たちの死もまた、たいした値うちはありませんでした。
つまり、私たちの死は、一発の銃弾を費やす値うちもなく、
ただシクロンB(青酸の入ったガス状の害虫駆除剤)
を使えばよいものだったのです。
おしまいには、精神病院での集団殺害が起きました。
ここではっきりしたのは、もはやどんなみじめなあり方でも
「生産的」ではなくなった生命はすべて、
文字どおり「生きる価値がない」とみなされたということです。
(中略)
————————こうした懐疑にも揺り動かされないためには、
生きる意味があるという信念が
びくともしないものでなければならないでしょう。
このような懐疑と悲観主義をも引き受けて担うには、
私たちは、人間として生きている意味と価値を、
絶対的に信じていなければならないでしょう。
しかし、そのためには、
やはり理想主義や情熱に訴えるしかないのに、
現代は、あらゆる情熱が濫用されたあげく、
ありとあらゆる理想主義が打ち砕かれた時代なのです。
(中略)
————————しかしながら、私たちは、
このようなニヒリズムを通り抜け、
悲観主義と懐疑を通り抜け、
いまではもう、「新」しくはなく、
古くなったしらけた「即物主義」を通り抜けて、
新しい人間性に、いまこそ到達しなければなりません。
================================
================================
あるチェスの選手が、チェスの問題に直面して、
解答がわからず、盤の駒をひっくり返すとします。
なんということをするのでしょうか。
そんなんことをして、
チェスの問題の解決になるのでしょうか——————
(中略)
———————チェスの勝負のルールを無視したのと同じです。
(中略)
———————自殺する人も、人生のルールに反しています。
人生のルールは私たちに、
どんなこともしても勝つということを求めてはいませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。
================================
================================
——————以上、全てのことからわかるのは一つだけです。
つまり、死は生きる意味の一部になっているということです。
(中略)
——————苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。
そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです。
(中略)
——————一日一日、一時間一時間、
一瞬一瞬が一回きりだということも、
人生におそろしくも素晴らしい責任の重みを負わせているのです。
================================
================================
———————そういうわけで、
生きるということは、ある意味で義務であり、
たったひとつの重大な責務なのです。
確かに人生にはまたよろこびもありますが、
そのよろこびを得ようと努めることはできません。
よろこびそのものを「欲する」ことはできません。
よろこびは自ずと湧くものなのです。
帰結が出てくるように、自ずと湧くのです。
しあわせは、決して目標ではないし、
目標であってもならないし、
さらに目標であることもできません。
それは結果に過ぎないのです。
しあわせとは、
タゴールの詩で義務と言われているものを果たした結果なのです。
(中略)
———————それはものごとの考え方を180度転回することです。
その転回を遂行してからはもう、
「私は人生にまだなにかを期待できるか」
と問うことはありません。
いまではもう、
「人生は私になにを期待しているか」
と問うだけです。
(中略)
私たちが
「生きる意味があるか」
と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」
に答えなければならない。
答えを出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、
人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、
そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな未来が私たちを待ち受けているのかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
================================
「それでも人生にイエスと言う(…trotzdem Ja zum Leben sagen)」
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)著より抜粋。
ヴィクトールさんに、限りなき敬意と感謝を込めて。
アンネンさんからこんなコメントを頂いていました。
================================
(前略)
——————生きる意味やら簡単に答えが出ないこと
(もしくは分かりきっていること)
を敢えて問いにして迷走することがあります。
そんな時はヴィクトールフランクル氏の
『私たちは人生に問われている存在である。』
を思い出すことにしています。
(後略)
================================
とても良い言葉だなぁ、と。そう思いまして。
こんな言葉を紡ぐ「ヴィクトール・フランクル」さんとは、
いったいどんな人なのだろうか?と。
本の作家さんとしての名前は以前から耳にしていたのですが、
僕はまだ一度も読んだことがなく。
アンネンさんには
「一度読んでみますね(^ν^)ありがとうございます。」
という返答をしていました。
その後、改めて彼の著作を調べてみると、
代表作は「夜と霧」という作品のようで。
しかし、入門編としては
「それでも人生にイエスと言う」
という作品が一番良いのではないか?という結論にいたり。
初心者の僕は、先ずはこの本から読んでみることにしました。
読んでみると、まぁ、これ、名著作ではないかと。
とても心動かされました。
この本につまっている哲学や死生観、人生論というのは、いったい、
どれほどの経験から生まれているのだろうか?と。
Wikipediaあたりで調べてみると......
================================
1905年。ウィーンに生まれる。
ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。
ウィーン大学医学部精神科教授、
ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。
1933年からウィーンの精神病院で
女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、
ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、
ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。
1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に
家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、
父はここで死亡し、
母と妻は別の収容所に移されて死亡した。
フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、
3日後にテュルクハイムに移送され、
1945年4月にアメリカ軍により解放された。
その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、
1971年まで勤務した。
1947年にエレオノール・キャサリン・シュヴィンと再婚。
50年以上に渡り仲睦まじい夫婦であっただけでなく、
彼女はフランクルの学問的な協力者でもあった。
ナチス強制収容所での体験を元に著した「夜と霧」は、
日本語を含め17カ国語に翻訳され、
60年以上にわたって読み継がれている。
発行部数は(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、
「言語を絶する感動」と評されている。
1991年のアメリカ国会図書館の調査で
「私の人生に最も影響を与えた本」
の9位になった。
2000年の読売新聞による
「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」
のアンケート調査では世界の名著部門の第3位となった。
極限的な体験を経て生き残った人であるが、
ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。
学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。
================================
———————あの、アウシュビッツや、
幾つもの強制収容所から生き延びてきた精神医学者......
その言葉は潔く、気高く。
深く、強く、わかりやすかったです。
古い本でしたが、
コロナ禍に沈む今にこそ響く部分があるようにも思えたり。
なので、備忘録として、
本の前半部分から幾つかの文を以下に置いておくことにしました。
この本や著者を知るキッカケをくれたアンネンさんには改めての御礼を。
ありがとうございます。(^^)
================================
———————カント以来、ヨーロッパの思索は、
人間本来の尊厳についてはっきりした見解を示すことができました。
カントその人が定言命法の第二式でつぎのように述べていたからです。
「あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。
人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」
けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、
労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。
自分の尊厳を奪われて、
経済活動のたんなる手段にされてしまいました。
もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、
生きる糧になっているということですらありませんでした。
むしろ、人間とその生、その生きる力、
その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。
それから第二次世界大戦が始まりました。
いまや、人間とその生命が、
死のために役立てられるまでになったのです。
そして、強制収容所が建設されました。
収容所では、死刑の判決を下された人間の生命さえも、
最後のひとときにいたるまで徹底的に利用されたのです。
それにしても、生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。
人間はどれほどその尊厳を奪われ、おとしめられたことでしょうか。
このことを確認するために、ちょっと思い浮かべてみましょう。
一国家が、自ら死刑の判決を下したすべての人間を、
なんとかしてもっと徹底的に利用しようとするのです。
猶予された人生の最後の瞬間にいたるまで、
なおその労働力を役立てようとするのです。
おそらく、そのような人間をあっさり殺してしまったり、
それどころか生かしておいて死ぬまで養ったりするより、
そうする方が合理的だという考えから、そうしようとするのです。
また、強制収容所では、私たちは
「スープをやる値うちもない」
といって非難されることさえしばしばでした。
そのスープはといえば、
一日に一度きりの食事として与えられたものでした。
しかも私たちは土木工事を果たして、
その経費を埋め合わせなければならなかったのです。
価値のない私たちは、この身にあまる施しものを受け取るときも、
それにふさわしい仕方で受け取らなければなりませんでした。
囚人はスープを受け取るとき、
帽子を脱がなければならなかったのです。
さて、私たちの生命がスープの値うちもなかったように、
私たちの死もまた、たいした値うちはありませんでした。
つまり、私たちの死は、一発の銃弾を費やす値うちもなく、
ただシクロンB(青酸の入ったガス状の害虫駆除剤)
を使えばよいものだったのです。
おしまいには、精神病院での集団殺害が起きました。
ここではっきりしたのは、もはやどんなみじめなあり方でも
「生産的」ではなくなった生命はすべて、
文字どおり「生きる価値がない」とみなされたということです。
(中略)
————————こうした懐疑にも揺り動かされないためには、
生きる意味があるという信念が
びくともしないものでなければならないでしょう。
このような懐疑と悲観主義をも引き受けて担うには、
私たちは、人間として生きている意味と価値を、
絶対的に信じていなければならないでしょう。
しかし、そのためには、
やはり理想主義や情熱に訴えるしかないのに、
現代は、あらゆる情熱が濫用されたあげく、
ありとあらゆる理想主義が打ち砕かれた時代なのです。
(中略)
————————しかしながら、私たちは、
このようなニヒリズムを通り抜け、
悲観主義と懐疑を通り抜け、
いまではもう、「新」しくはなく、
古くなったしらけた「即物主義」を通り抜けて、
新しい人間性に、いまこそ到達しなければなりません。
================================
================================
あるチェスの選手が、チェスの問題に直面して、
解答がわからず、盤の駒をひっくり返すとします。
なんということをするのでしょうか。
そんなんことをして、
チェスの問題の解決になるのでしょうか——————
(中略)
———————チェスの勝負のルールを無視したのと同じです。
(中略)
———————自殺する人も、人生のルールに反しています。
人生のルールは私たちに、
どんなこともしても勝つということを求めてはいませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。
================================
================================
——————以上、全てのことからわかるのは一つだけです。
つまり、死は生きる意味の一部になっているということです。
(中略)
——————苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。
そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです。
(中略)
——————一日一日、一時間一時間、
一瞬一瞬が一回きりだということも、
人生におそろしくも素晴らしい責任の重みを負わせているのです。
================================
================================
———————そういうわけで、
生きるということは、ある意味で義務であり、
たったひとつの重大な責務なのです。
確かに人生にはまたよろこびもありますが、
そのよろこびを得ようと努めることはできません。
よろこびそのものを「欲する」ことはできません。
よろこびは自ずと湧くものなのです。
帰結が出てくるように、自ずと湧くのです。
しあわせは、決して目標ではないし、
目標であってもならないし、
さらに目標であることもできません。
それは結果に過ぎないのです。
しあわせとは、
タゴールの詩で義務と言われているものを果たした結果なのです。
(中略)
———————それはものごとの考え方を180度転回することです。
その転回を遂行してからはもう、
「私は人生にまだなにかを期待できるか」
と問うことはありません。
いまではもう、
「人生は私になにを期待しているか」
と問うだけです。
(中略)
私たちが
「生きる意味があるか」
と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」
に答えなければならない。
答えを出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、
人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、
そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな未来が私たちを待ち受けているのかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
================================
「それでも人生にイエスと言う(…trotzdem Ja zum Leben sagen)」
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)著より抜粋。
ヴィクトールさんに、限りなき敬意と感謝を込めて。