鹿児島県、種子島。
宝満神社さん。
続きます。(^^)
実は、僕さん。
3、4年ほど前から種子島の神様や他の神々様から
「種子島に行ってくれ」
とずっと言われて来ていまして。
しかし、
「急ぐ必要はない」
と、そうも言われていたもので。
なので、自然なタイミングが生まれるまでは
無理に行かないでいた場所ではありました。
しかし、今回。
昨年末の出雲会議が終わった後になぜか?
強烈に行きたくなってしまい。
不思議と自然に行く流れともなって。
それで、
その流れに身を任せて向かってみることにしました。
種子島には鹿児島港から桜島や
開聞岳(かいもんだけ)を横目に高速船で渡りました。
島の西之表港に着いて、
最初に向かったのは「浦田神社」というところ。
細長い、ロケットのような形!?をした
島の北端にある神社さん。
北半球においては、多くの場合、
地球のエネルギー的なものは北方から入ります。
風水などでもお馴染みの知識や感覚?でしょうか。
なので、この地からスタートして島を回っていくのは
とても自然でエネルギッシュな感覚にもなれます。
ただ、この時は、
僕さんに関してはもう一つの理由がありまして。
ソレが、僕さんが種子島に伺う際に
プリリンねーさんが降ろしてくれた神々の言葉。
「千座の岩屋(ちくらのいわや)と
雄龍雌龍の岩(おたつめたつのいわ)と
浦田神社と、
タネの神が言っていました。
宮古島に繋がるらしいよ」
ふーーむむむ......
タネの神とは種子島の神様。
となると、その3ヶ所はマストで行ってみようかな、と。
それで最初に北端の浦田神社さんに向かったという次第。
神社のある浦田漁港はとても美しく、静か。
龍神さんもいらっしゃいますでしょうか。
社(やしろ)は高台から港を護るようにして鎮座しています。
故あって、福島から取り寄せてお持ちした
「若清水」という日本酒。
誰もいなかったので、
アマテラス祝詞(のりと)と共にしっかりとお届けしつつ......
境内の端には神様が上に乗って米の種を撒いたと伝わる大岩
「御種蒔石(おたねまきいし、お種子まき石)」
があります。
岩の写真は撮り忘れていたのでネットから拝借。
境内の由緒書き看板にはこんなことが書かれています。
———————ここ浦田神社は白米を祀っており、
祭神はウガヤフキアエズの命である。
命(ミコト)は神社のお種子まき石の上から下の田んぼに向けて
稲の種子をまいたと言われ、
稲作発祥縁起の伝説が残る。
また、ここ種子島北部の浦田神社と
種子島南部にある宝満神社は一対をなす神社であり、
南種子町(みなみたねちょう)宝満神社の
赤米(あかごめ)が絶えたとき、
浦田神社の白米を宝満神社へ持っていくと赤米になり、
浦田神社の白米が絶えたときは、
宝満神社の赤米を浦田神社へ持っていくと
白米になると伝えられている—————————————
神社自体の由緒に関しても興味深いのですが......
—————————種子島で最も古い神社は、
北の浦田神社と南の宝満神社である。
浦田神社の祭神は鸕鵜葺草葺不合尊
(ウガヤフキアエズノミコト、鵜葺草葺不合命)。
宝満神社の祭神はウガヤフキアエズの尊の妻、
玉依姫(たまよりひめ)であることから、
両社は夫婦神社といわれる。
また、神饌米(しんせんまい)は宝満神社が赤米であるのに対し、
浦田神社は白米である。
個の神社は拝殿だけで本殿は無く、背後の山を神山とし、
山頂の二体の巨石夫婦岩が御神体である——————————
種子島の名前の由来に関しては色々な説があるようですが、
個人的には、おそらく、
この神社や岩や宝満神社の伝承が元になっているのではないかと。
そして、
この国における稲作発祥の地はどこか?ということに関しては、
現在主流の学説としては北九州エリアとされています。
佐賀県で日本最古の水田跡が発見されているからなのですが、
朝鮮半島からの伝来説とも重ねられているわけです。
しかし、黒潮の流れや陸稲などの栽培法も考慮すると、
確かに種子島も日本国における稲作発祥の地であるという可能性も
否定できないという学説もあります。
もしかしたら稲の種が最初に列島に持ち込まれた場所である可能性。
もし、そうだとしたならば、
稲作を国富の根幹とする神道や日本国において、
この島の存在と意味というのは
とても大切なものともなるのではないかと。
種子島を巡るというのは、どうも、そんな、
この国における稲作の最初期の形を知る、
感じさせていただく......
国の基幹産業の起源を学ばせていただく......
というような旅となるのではないかと。
国旗の白と赤とは、
紅白とは、
本来どんな意味を持っていた言葉なのか......
を知る島であり旅ともなるのではないかと。
島で最初に訪れた浦田神社では
そんなことを感じさせられもしたのです。
浦田漁港を守るようにしてある
漁業家の原捨思(はらすてし)さんの碑や、
その上にある港の守護社
「恵比寿神社」さんにもチロチロとお酒を配りつつ、
種子島を巡るお話は続きます。
☆シリーズ過去記事☆
「一巡」
「一巡 2」
宝満神社さん。
続きます。(^^)
実は、僕さん。
3、4年ほど前から種子島の神様や他の神々様から
「種子島に行ってくれ」
とずっと言われて来ていまして。
しかし、
「急ぐ必要はない」
と、そうも言われていたもので。
なので、自然なタイミングが生まれるまでは
無理に行かないでいた場所ではありました。
しかし、今回。
昨年末の出雲会議が終わった後になぜか?
強烈に行きたくなってしまい。
不思議と自然に行く流れともなって。
それで、
その流れに身を任せて向かってみることにしました。
種子島には鹿児島港から桜島や
開聞岳(かいもんだけ)を横目に高速船で渡りました。
島の西之表港に着いて、
最初に向かったのは「浦田神社」というところ。
細長い、ロケットのような形!?をした
島の北端にある神社さん。
北半球においては、多くの場合、
地球のエネルギー的なものは北方から入ります。
風水などでもお馴染みの知識や感覚?でしょうか。
なので、この地からスタートして島を回っていくのは
とても自然でエネルギッシュな感覚にもなれます。
ただ、この時は、
僕さんに関してはもう一つの理由がありまして。
ソレが、僕さんが種子島に伺う際に
プリリンねーさんが降ろしてくれた神々の言葉。
「千座の岩屋(ちくらのいわや)と
雄龍雌龍の岩(おたつめたつのいわ)と
浦田神社と、
タネの神が言っていました。
宮古島に繋がるらしいよ」
ふーーむむむ......
タネの神とは種子島の神様。
となると、その3ヶ所はマストで行ってみようかな、と。
それで最初に北端の浦田神社さんに向かったという次第。
神社のある浦田漁港はとても美しく、静か。
龍神さんもいらっしゃいますでしょうか。
社(やしろ)は高台から港を護るようにして鎮座しています。
故あって、福島から取り寄せてお持ちした
「若清水」という日本酒。
誰もいなかったので、
アマテラス祝詞(のりと)と共にしっかりとお届けしつつ......
境内の端には神様が上に乗って米の種を撒いたと伝わる大岩
「御種蒔石(おたねまきいし、お種子まき石)」
があります。
岩の写真は撮り忘れていたのでネットから拝借。
境内の由緒書き看板にはこんなことが書かれています。
———————ここ浦田神社は白米を祀っており、
祭神はウガヤフキアエズの命である。
命(ミコト)は神社のお種子まき石の上から下の田んぼに向けて
稲の種子をまいたと言われ、
稲作発祥縁起の伝説が残る。
また、ここ種子島北部の浦田神社と
種子島南部にある宝満神社は一対をなす神社であり、
南種子町(みなみたねちょう)宝満神社の
赤米(あかごめ)が絶えたとき、
浦田神社の白米を宝満神社へ持っていくと赤米になり、
浦田神社の白米が絶えたときは、
宝満神社の赤米を浦田神社へ持っていくと
白米になると伝えられている—————————————
神社自体の由緒に関しても興味深いのですが......
—————————種子島で最も古い神社は、
北の浦田神社と南の宝満神社である。
浦田神社の祭神は鸕鵜葺草葺不合尊
(ウガヤフキアエズノミコト、鵜葺草葺不合命)。
宝満神社の祭神はウガヤフキアエズの尊の妻、
玉依姫(たまよりひめ)であることから、
両社は夫婦神社といわれる。
また、神饌米(しんせんまい)は宝満神社が赤米であるのに対し、
浦田神社は白米である。
個の神社は拝殿だけで本殿は無く、背後の山を神山とし、
山頂の二体の巨石夫婦岩が御神体である——————————
種子島の名前の由来に関しては色々な説があるようですが、
個人的には、おそらく、
この神社や岩や宝満神社の伝承が元になっているのではないかと。
そして、
この国における稲作発祥の地はどこか?ということに関しては、
現在主流の学説としては北九州エリアとされています。
佐賀県で日本最古の水田跡が発見されているからなのですが、
朝鮮半島からの伝来説とも重ねられているわけです。
しかし、黒潮の流れや陸稲などの栽培法も考慮すると、
確かに種子島も日本国における稲作発祥の地であるという可能性も
否定できないという学説もあります。
もしかしたら稲の種が最初に列島に持ち込まれた場所である可能性。
もし、そうだとしたならば、
稲作を国富の根幹とする神道や日本国において、
この島の存在と意味というのは
とても大切なものともなるのではないかと。
種子島を巡るというのは、どうも、そんな、
この国における稲作の最初期の形を知る、
感じさせていただく......
国の基幹産業の起源を学ばせていただく......
というような旅となるのではないかと。
国旗の白と赤とは、
紅白とは、
本来どんな意味を持っていた言葉なのか......
を知る島であり旅ともなるのではないかと。
島で最初に訪れた浦田神社では
そんなことを感じさせられもしたのです。
浦田漁港を守るようにしてある
漁業家の原捨思(はらすてし)さんの碑や、
その上にある港の守護社
「恵比寿神社」さんにもチロチロとお酒を配りつつ、
種子島を巡るお話は続きます。
☆シリーズ過去記事☆
「一巡」
「一巡 2」