しかし、カラツの神様が話してくれたそんな酒呑童子の物語というのは、
「本当は、こういう話だったのですよ......」
という、
なんとも摩訶不思議で興味深いものだったのです。
......つづきます(^^)
「令和(れいわ)」なる新元号も無事発表されまして。
新時代の胎動を全身で感じつつ、
お話の方はマイペースに前回からの続きとなりまする♪(^^)
先ずは定番モノとはいえ、
お馴染みでない方もいらっしゃるとは思いますので、
数秒でわかる「酒呑童子(しゅてんどうじ)」のあらすじを少々......
—————————平安の昔。話題の元号!?で言えば、
「正暦(しょうりゃく)」か「長徳(ちょうとく)」の頃。
京都の町の外れにある大枝山(おおえやま)の老ノ坂(おいのさか)という峠に、
恐ろしい鬼の集団が棲んでいました。
この鬼達は峠の一帯は勿論、京の都にまで降りてきて窃盗や恐喝、
人さらいや人殺し、果ては人をバラバラにして食べてしまう!
という悪事を繰り返していました。
特にこの鬼集団を率いる大ボスの鬼は凶暴で、しかもお酒が大好き。
そんなところから下部(しもべ)の鬼達や人々からは
「酒呑童子」と呼ばれ恐れられていました。
そこで、
時の帝(みかど)である一条天皇はこの鬼達を退治することを決意。
時は995年。
帝は当時最高の武人
「源頼光(みなもとのらいこう、よりみつ)」を中心とする最強部隊を編成し、
鬼征伐へと向わせました。
部隊のメンバーは人々から「頼光四天王」と呼ばれていた4人の屈強な勇者達。
四天王の筆頭となる渡辺綱(わたなべのつな)をはじめ、
金太郎伝説で有名な坂田金時や碓井貞光、
卜部季武(うらべのすえたけ)という豪華メンバー。
そんな勇猛で知略にもたけた頼光さん達一行は、
峠にある鬼の居城を山伏を装って訪ね、
一夜の宿をとらせてほしいと頼み込みます。
そこで頼光さん達は酒宴を開き、鬼達の酒に毒を混ぜ、飲ませ、
鬼達がグデングデンになって寝込んでしまったところを一斉に!
成敗してしまいます。
しかし、ひときわ強かった酒呑童子だけは首を切られた後も、
その首だけで頼光に襲いかかり、
頼光のかぶっていた兜(かぶと)に噛みつき、そのまま離れない!
という非常事態に。
頼光はそれでもなんとかその窮地も脱し、無事に鬼達を退治。
その後、退治した証拠として
酒呑童子の首を帝に見せるため都に持ち帰ります。
首は帝が無事に検分した後、
宇治の平等院の宝蔵に納められることとなりました—————————————
と、簡単に記すとこんな感じでしょうか。
ポイントとしては、長い年月の間に物語は沢山の筋に分かれて伝わっていて、
鬼達の居城は都の外れの大枝山でなく、丹後半島近くの丹波の大江山だったとか。
いやいや、伊吹山の方だ!とか。
元々はお寺にいた童子が鬼になってしまったのだ、とか。
その寺は比叡山だったとか、奈良の白毫寺(びゃくごうじ)だったとか。
イヤ、新潟の山寺で生まれた鬼だった!とか。
寺から追い払ったのはアノ、最澄!だったとか。
空海だったとか。
物語の中で頼光たちが鬼達の情報を聞き出したという
酒呑童子に仕えていた女は洗濯係のおばちゃんだったとか。
いや、若くて綺麗な、さらわれた女の子だった、とか。
討ち取った首は京へ持ち帰ろうとしたけれど、
途中、老ノ坂の峠で道端のお地蔵さんに
「不浄なものを京に持ち込むな」
と忠告され、
それきり首がその場から動かなくなって、
仕方なく四天王達はそのまま峠に首を埋葬したとか。
しかし、そんな「峠に埋葬した」という話にも別説があり。
四天王に退治される間際の酒呑童子は今までの罪を深く悔い、詫びて、
死後は首から上に病気を持つ人々を助けるということを望んだので、
頼光たちはその場に童子を「明神」として埋め、祀った......
なんていう話も。
そしてその場所こそが!
恐ろしい心霊現象の体験報告が後を絶たないという!
地元、京都府民も恐れおののく!
老ノ坂峠に今もある最恐の心霊スポット!
首塚大明神!
であると。
今に至るまで脈々と伝わっているわけなのです。
......こちらが、その京都が誇る最恐心霊スポット!?の一つ。
老坂峠にある首塚大明神。
えええええええーーーーーーーーーっ!?
そんなトコの写真のせちゃっていいのぉぉぉぉぉーーーーーっ!?
見てる俺らにトバッチリとかあるんじゃねぇぇぇぇーーーーっ!?
責任とれんのかぁぁぁぁーーーっ!
こらぁああ!
つーか!?
そんなとこいっちゃったわけぇぇぇぇ!?
まじーーーーーーーーっ!?
バカじゃねぇぇぇーーーーーっ!?
と。ええ。
おっしゃることはよくわかります。
わちきだって好き好んでそんなところに行くわけはありませぬ。
頼光さんではあるまいし。
ええ。ええ。
と。
しかし。
よく見ていただけると?
お分かりになる人は!?分かるのかもしれませんが。
この首塚。
この写真に関しては!?
感じミテみるに......
僕は、特に......悪い気は......しません。
勿論、時と場合と人にもよるとは思いますが、
その「悪い気はしない」ということの理由こそが、
この場所に僕が踏み込むことになってしまった理由でもあり、
唐津の神(カラツの神)から聞いた真の!?
新の!?
酒呑童子の物語だったのです。
それは、これまで一度も語られたことのない、
聞いたこともない酒呑童子の物語でした。
続きます(^^)
「本当は、こういう話だったのですよ......」
という、
なんとも摩訶不思議で興味深いものだったのです。
......つづきます(^^)
「令和(れいわ)」なる新元号も無事発表されまして。
新時代の胎動を全身で感じつつ、
お話の方はマイペースに前回からの続きとなりまする♪(^^)
先ずは定番モノとはいえ、
お馴染みでない方もいらっしゃるとは思いますので、
数秒でわかる「酒呑童子(しゅてんどうじ)」のあらすじを少々......
—————————平安の昔。話題の元号!?で言えば、
「正暦(しょうりゃく)」か「長徳(ちょうとく)」の頃。
京都の町の外れにある大枝山(おおえやま)の老ノ坂(おいのさか)という峠に、
恐ろしい鬼の集団が棲んでいました。
この鬼達は峠の一帯は勿論、京の都にまで降りてきて窃盗や恐喝、
人さらいや人殺し、果ては人をバラバラにして食べてしまう!
という悪事を繰り返していました。
特にこの鬼集団を率いる大ボスの鬼は凶暴で、しかもお酒が大好き。
そんなところから下部(しもべ)の鬼達や人々からは
「酒呑童子」と呼ばれ恐れられていました。
そこで、
時の帝(みかど)である一条天皇はこの鬼達を退治することを決意。
時は995年。
帝は当時最高の武人
「源頼光(みなもとのらいこう、よりみつ)」を中心とする最強部隊を編成し、
鬼征伐へと向わせました。
部隊のメンバーは人々から「頼光四天王」と呼ばれていた4人の屈強な勇者達。
四天王の筆頭となる渡辺綱(わたなべのつな)をはじめ、
金太郎伝説で有名な坂田金時や碓井貞光、
卜部季武(うらべのすえたけ)という豪華メンバー。
そんな勇猛で知略にもたけた頼光さん達一行は、
峠にある鬼の居城を山伏を装って訪ね、
一夜の宿をとらせてほしいと頼み込みます。
そこで頼光さん達は酒宴を開き、鬼達の酒に毒を混ぜ、飲ませ、
鬼達がグデングデンになって寝込んでしまったところを一斉に!
成敗してしまいます。
しかし、ひときわ強かった酒呑童子だけは首を切られた後も、
その首だけで頼光に襲いかかり、
頼光のかぶっていた兜(かぶと)に噛みつき、そのまま離れない!
という非常事態に。
頼光はそれでもなんとかその窮地も脱し、無事に鬼達を退治。
その後、退治した証拠として
酒呑童子の首を帝に見せるため都に持ち帰ります。
首は帝が無事に検分した後、
宇治の平等院の宝蔵に納められることとなりました—————————————
と、簡単に記すとこんな感じでしょうか。
ポイントとしては、長い年月の間に物語は沢山の筋に分かれて伝わっていて、
鬼達の居城は都の外れの大枝山でなく、丹後半島近くの丹波の大江山だったとか。
いやいや、伊吹山の方だ!とか。
元々はお寺にいた童子が鬼になってしまったのだ、とか。
その寺は比叡山だったとか、奈良の白毫寺(びゃくごうじ)だったとか。
イヤ、新潟の山寺で生まれた鬼だった!とか。
寺から追い払ったのはアノ、最澄!だったとか。
空海だったとか。
物語の中で頼光たちが鬼達の情報を聞き出したという
酒呑童子に仕えていた女は洗濯係のおばちゃんだったとか。
いや、若くて綺麗な、さらわれた女の子だった、とか。
討ち取った首は京へ持ち帰ろうとしたけれど、
途中、老ノ坂の峠で道端のお地蔵さんに
「不浄なものを京に持ち込むな」
と忠告され、
それきり首がその場から動かなくなって、
仕方なく四天王達はそのまま峠に首を埋葬したとか。
しかし、そんな「峠に埋葬した」という話にも別説があり。
四天王に退治される間際の酒呑童子は今までの罪を深く悔い、詫びて、
死後は首から上に病気を持つ人々を助けるということを望んだので、
頼光たちはその場に童子を「明神」として埋め、祀った......
なんていう話も。
そしてその場所こそが!
恐ろしい心霊現象の体験報告が後を絶たないという!
地元、京都府民も恐れおののく!
老ノ坂峠に今もある最恐の心霊スポット!
首塚大明神!
であると。
今に至るまで脈々と伝わっているわけなのです。
......こちらが、その京都が誇る最恐心霊スポット!?の一つ。
老坂峠にある首塚大明神。
えええええええーーーーーーーーーっ!?
そんなトコの写真のせちゃっていいのぉぉぉぉぉーーーーーっ!?
見てる俺らにトバッチリとかあるんじゃねぇぇぇぇーーーーっ!?
責任とれんのかぁぁぁぁーーーっ!
こらぁああ!
つーか!?
そんなとこいっちゃったわけぇぇぇぇ!?
まじーーーーーーーーっ!?
バカじゃねぇぇぇーーーーーっ!?
と。ええ。
おっしゃることはよくわかります。
わちきだって好き好んでそんなところに行くわけはありませぬ。
頼光さんではあるまいし。
ええ。ええ。
と。
しかし。
よく見ていただけると?
お分かりになる人は!?分かるのかもしれませんが。
この首塚。
この写真に関しては!?
感じミテみるに......
僕は、特に......悪い気は......しません。
勿論、時と場合と人にもよるとは思いますが、
その「悪い気はしない」ということの理由こそが、
この場所に僕が踏み込むことになってしまった理由でもあり、
唐津の神(カラツの神)から聞いた真の!?
新の!?
酒呑童子の物語だったのです。
それは、これまで一度も語られたことのない、
聞いたこともない酒呑童子の物語でした。
続きます(^^)
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