雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

鹿島徒然 2

2016-03-12 01:58:01 | 凄い...パワスポ寺社
ギリシャ神話のトップの神、ゼウス。

世界を支配した神々の王であるゼウスを象徴する星は木星。

その最強の武器はイカヅチ。

鹿島の神はこの国最強の軍神タケミカヅチ。

その象徴するものも雷(かみなり)。

地震?カミナリ?火事?オヤジ(オオヤジ)?

......地殻変動は?どーなのだ?

そして、

不思議なことに鹿島の周りでは「12」という数字が付いて回ります......

そー言えば、ゼウスの従える神はオリンポス12神。

黄道12宮(こうどうじゅうにきゅう)と12星座......


与太話は、ヨタリながらも続くのです。。(^^)






十二神、十二橋駅......
いつ、誰が、どのような意味あいで付けた名前なのか......
近年につけられたのだとしても、
その命名におけるインスピレーションの源泉は.......
どうなのでしょう......
どこから来ているのでしょうか......
「十二神」という地には偶然なのか、必然なのか。
不思議と「国立 鹿島宇宙技術センター=NICT」などもあります......



普通、日本においての聖数は「8=ハチ」とか「3」とか「7」とか。
西洋でも大陸系だと「7」とか、三位一体の「3」とか。
中でも「12」という数字を特別視するのは
ギリシャ神話が一番特徴的であって、
意味深く使われもする数字。



———————オリンポス12神。



黄道12宮(こうどうじゅうにきゅう)と12星座。



地球上で最も多いプレートが交わる交差点ともなっている鹿島神宮。
その地中奥深くに埋められて、
横たわっているかもしれないこの地の謎は、
この国の虚々実々たる歴史書から意図的に消され、しかし、
掘れば掘るほど宇宙的な力やビリビリとシビレル日本と
世界神話との重なりを見せられるようにも思えるのです。



伊勢を掘れば、ユダヤ、シュメールが見えてきて、
出雲を掘れば、朝廷や弥生以前からあるこの国の「王の姿」が見えてきます。
そして鹿島を掘ると、ギリシャが見えるなんて......



でも世界の海はちゃんと繋がっているわけで、
特段珍しいことでもないとも思います。
何と言っても太平洋側には「黒潮」という大海流が流れています。
その流れに乗りさえすれば、台湾あたりからは沖縄を通り、
鹿児島の南端から四国、熊野、伊勢、富士山、伊豆、千葉、
茨城までは高速道路の様に走れます。

ギリシャからはイラク、イランへ。
イランあたりから海に乗り出せば、そこからはインドを回り、
マレーシアやインドネシアを通り。
中国南部から台湾までのルートは確実に見えてきます。
簡単に言えば、ペリーさんの「黒船の航路」です。

陸路ではシルクロードだってあります。

大昔、ギリシャの神々を信望する人々は日本には来ていない.......

なんてことは到底言えません。

ギリシャ神話の世界は紀元前1500年から2000年ぐらい前。
即ち、今から3500から4000年ぐらい前。
日本は縄文時代の末期。
ホメロスの叙事詩によれば、その後、
日本が弥生時代に移行しようかという紀元前500年頃には、
ギリシャでは既に大きな戦艦同士で大戦争などもしています。
ハリウッドでも幾度も映画化されているような、そんな船で、
あちこちの港に寄りながら日本に来ることは
不可能なことでは無かったでしょう。
秦の始皇帝の元から富士山を目指し、
大勢の民を引き連れてこの国に渡ってきたという徐福(じょふく)。
その徐福伝説の航路もそんな当時の最新の船と
「黒潮」がキーとなるわけです。



そもそも、大和朝廷で記紀神話の編纂指揮を執っていた藤原氏は、
辿れば中臣鎌足(なかとみのかまたり)であり。
彼の出生地は鹿島の地とも言われています。
大和朝廷以前。
少なくとも弥生時代から鹿島の地には一大政治勢力や
文化圏があったということです。
朝廷を動かしていった鹿島発の智恵というのは本当は何処から来たのか?
源泉は無かったのか?
奈良公園の鹿さんも、
春日大社という奈良の中心に座する神社自体も、
元はこの鹿島神宮から移されたもの。



学会で発表されている縄文時代の人口分布表から見ても、
大和朝廷以前どころか、弥生以前、縄文時代......
神話の時代に人が一番住んでいた地というのは
関東から東北にかけてなのです。
メディア等でもあまりにも語られ無いのですが、
関東圏にある縄文から弥生にかけての遺跡や古墳の数や大きさ、
あまりに古すぎて普通の山や丘のように見えて埋もれているであろう
古墳等の数は、実は九州や奈良以上に多いのです。

そもそも縄文も弥生も、
その名前の元となった場所は東京にあって。
縄文遺跡の最初の発掘地は品川区の大森。
弥生式土器の最初の発見地は文京区の弥生町です。
埼玉県の「稲荷山古墳」から出土した剣に刻まれた王の名の見解も
未だまとまってはいません。
最近発見された静岡の「高尾山古墳」の主も、意味も、
品川の東京タワーの麓にある巨大な「丸山古墳」の主も、意味も、
井の頭公園近辺の遺跡群に関しての年代も、位置付けも、
茨城県、阿字ヶ浦にある異様な数の古墳群も、
伊豆、熱海の海底に眠る遺跡の年代も、意味も、
伊豆山神社の秘宝とされている「男神立像」の背丈の大きさや、
異国風の顔のつくりや、
龍の様に足の指が三本であることや、
その神名の意味することなども未だハッキリと解明されていません。

記紀神話に「神代」と書かれている古い神々を祀る神社の数と分布、
関連史跡となると、関東の地が俄然多くなってくるということにも
あまり関心が持たれていませんし、あまり取り上げられません。
それら東日本の遺跡や古墳などには、
もしかしたらとても興味深い意味と歴史が
隠されているかもしれないのに......です。



もっと言えば、
国の起源が神話によっている近代国家も世界では稀です。



仮に列島の西の方から力のある王が来たとしても、
徐福伝説同様、熊野灘や伊勢、
中部山嶺からもハッキリと見えている関東の霊峰
「富士山」を目指さない王などありえないと思います。
富士山は産業汚染物質に汚されがちな現在の日本の空気でも、
遥か和歌山県からも見えるのです。
伊勢の地からも、
長野や岐阜の山嶺の中からでも富士山はよく見えていたのです。
昔からこの国の多くの場所で富士山は意識できたわけで。
人間の心理を考えれば、あれほど美しく魅惑的な山を、
つい二千年程前まで列島の西方に住まう権力者が目指さなかった......なんて、
そんなことがあるハズはないのです。

そして、その富士の山麓にたどり着けば。
そこには肥よくで大きな大地と水と恵みの海が広がり、
温泉も鉱物資源も豊富で、
よく晴れ、雨も降り、
川も山も全てがある。

現在わかっている縄文時代の人口分布を考えるにしても、
富士山を中心とした関東の地に、この国の一大勢力や
王国があった可能性は無視できないことだとも思うのです。

天孫ニニギノミコトの正妻である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
なぜ富士山の女神となっているのか?
姉の磐長姫(いわながひめ)を単独で祀る神社がなぜ?
富士山の近くの伊豆に多いのか?

そんな王国が「もし」関東の地にあったとして、
今より海面が8メートル以上高い「縄文海進」の地形を考えれば、
その重要拠点は関東から東北の地にかけて広く点在もしていたハズで。
特に、地理的にも国内外との交易の
最重要拠点の1つとなりえる場所にあるのが鹿島であり、
そして、対となる地が香取......
古代ギリシャとの縁などもあったかもしれません。



鹿島の地に佇むと、
僕にはそんな大昔のこの国の風景が見えてくるのです......
それは大和朝廷以前の王国の姿。
出雲以前......もしくは、出雲と同じ時代の王国......
イヤ、もしかしたら同じ国か......



卑弥呼だ邪馬台国だ......と、
少し前の時代に仕掛けられた
「目逸らしクイズ?」
の答え探しに奔走する以外にも、もう少しだけ、
関東や東日本の奥深い歴史にもスポットを当ててもらえればいいなぁ......
とも思います。
しかし、この国の教科書が教える歴史は

「王は九州から大和にやってきた......神武東征」

「神の孫は九州、高千穂の峰に降り立った......天孫、ニニギノミコト降臨」

となっています。

よーーーく考えると、

見つけなければいけないことがマダ沢山ある気がします。

よーーーく考え直さなければいけない時代なのかもしれません。

地球規模で考える、星の時代なのかもしれません。

常識など幻にすぎません。

捻じ曲げられた虚構の歴史からは、
虚構の国や政治しか生まれないと思います。
この国は、いったい、何年虚実の道を歩んでいるのでしょうか。
何年、夢を見ているのでしょうか。
民は未だ寝かされているのでしょうか。
鹿島の地を訪れると、
僕は時折そんな感慨に襲われます。



鹿島神宮の神紋でもあり、
全国の神社で最も多く使われている神紋は
「三つ巴=みつどもえ」



グルグルと一つの円を作っているのは、
陰陽のマークの様なマガタマ!?が3つです。
陰と陽......出雲と伊勢と......あとは?
もう1つの勢力があることを意味しているとは考えられないでしょうか?

九州と大和朝廷—————
対馬、隠岐、北九州、宮崎、鹿児島、沖縄、朝鮮半島、太平洋の島々......
海洋民族。弥生。

朝廷以前の大和—————
出雲、関東、東北、蝦夷、熊襲、隼人、土蜘蛛、中国北部、モンゴル......
列島土着民。縄文。

その他移民族—————
物部、秦、徐福......古代ユダヤ、ヒッタイト、シュメール、ギリシャ......
古代オリエントの民。

三つどもえ—————
この国は三つの民が「丸く」和合されて作られた国なのか......?

御気をつけなさい。。」で記した芥川龍之介さんも、
そんな「三つどもえ」や「デウス=ゼウス」の陰に
気付いていたのでしょうか。



「鰐川=わにがわ」と呼ばれる、
北浦から利根川に流れ出る河川の中に鹿島神宮の「西 一の鳥居」が立っています。
震災後に再建されたこの鳥居は、
水上に立つものでは日本一の大きさとなります。
古代では確実に淡水と海水が入り混じる、
遠浅の大きな「浦」であったであろうこの場所を渡らなければ、
香取神宮から鹿島神宮にはたどりつけません。
何故?名前が「鰐=わに」なのか......
確たる由来はわかりません、が、ただ、
この川にかかる「神宮橋」を渡るとき、
僕はいつも不思議なビジョンを見るのです。

「ココこそが因幡の白兎の舞台だったのではないか......」

と、そんなクリアな映像が脳裏に浮かんで来るのです。
鹿島の近くに印旛沼......いんばぬま......
印旛(いんば)なんて場所までがあるからなのでしょうか......
今回の初詣でも、橋を渡っている時に思わず、
一緒に行っていたフシギーズの皆さんにそんなことを話してしまったのです......が、
勿論!確たる証拠などありません。( ̄ー ̄)
ただ、
ここに関しても、
僕にはひとつ不思議に思っている史実があるのです......

与太話わ、最後にもう一回だけ続くのです!(*`・ω・*)ゞ


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2 コメント

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twice upさんへ。 (amenouzmet)
2018-11-03 21:19:24
興味深い決勝戦ですね(^^)こちらこそ、いつもありがとうございます。
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ACL (twice up)
2018-11-03 19:12:10
いつもありがとうございます。また、ご無沙汰しております。
今やっているACLの決勝が、鹿島対イランのペルセポリスなので面白いなあと、思いながら見ていました。
いつもありがとうございます。今日もありがとうございます。
返信する

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