ただ、
ここに関しても、
僕には1つ不思議に思っている史実があるのです。
与太話わ、最後にもう一回だけ続くのです!(*`・ω・*)ゞ
記紀(古事記、日本書紀)を編纂する際に、
日本中から神社や人々に伝わる書物や由緒、
神話集や史書などが徹底的に集められたそうなのですが、
記紀が書き上げられた後、
それらの集められた書物は何処に行ったのか?
未だにわからないのだそうです。
何処かに......あるとは思いますが......
実は、今に伝わる地方史書である「風土記=ふどき」というものは、
古事記の編纂(へんさん)が終わった直後に、
朝廷から全国各地にオーダーが出されてまとめられた......
という書物なのです。
どれも古事記の完成後から733年ぐらいまでの間に、
日本書紀と一緒に「同時並行」するような形でまとめられています。
記紀との帳尻合わせが大変だったのか?......な!?(´・_・`)
そんな中、現在に残る風土記というのは全部で5冊のみ。
出雲国風土記(いずものくにふどき)、
播磨国風土記(はりまのくにふどき)、
肥前国風土記(びぜんのくにふどき)、
豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)、
そして鹿島の地、常陸国風土記(ひたちのくにふどき)。
他は何故か?ほとんどのものが失われています。
???(´・_・`)
他にも興味深いこととして、
鹿島神宮の御敷地には記紀に描かれる
「高天原」という名前の地もシッカリとあります。
現在は本宮地と分断され「飛び地扱い」となっている為、
あまり人々に気付かれませんが、
そこには鬼塚と呼ばれるとても大きな古墳の山もあります。
そもそも記紀において、出雲に派遣され、
国をアマテラスに譲らせた.....
と書かれている強力無比な力を持つ二神は、
鹿島神宮と香取神宮の神様なわけです。
「アマテラスの国、高天原は東国にあった......」
ということを暗に示しているようなものではないでしょうか?
「鹿島七家」と呼ばれる「アメノコヤネ」の神から分かれた7氏族も、
この国の歴史に深く関わっている氏族ばかり。
国摩(くになず)、
中臣(なかとみ)、
卜部(うらべ)、
香取(かとり)、
岐(くなと)......
残り二氏は......不明......
記紀では、
天孫「ニニギノミコト=瓊瓊杵命」は、
アメノコヤネを引き連れて鹿児島?宮崎?
の高千穂の峰に天下ったと言います。
鹿児島と鹿島って......似てね!?(=゜ω゜)ノ
児って、チャイルドだよね!?(=゜ω゜)ノ
先はどっち?
なのか!?
さらに、出雲の風土記に関しては、
完成後に天皇への報告の「奏上=そうじょう」がなされた......
なんてことも伝わっています。
出雲国風土記には記紀に最も多くの物語が選ばれ、
組み入れられてもいた為、
その内容のチェックが一際厳しかった?のか......
本当に隠したい真実は実は別のところにあるので、
スサノオ(素戔嗚)さんの縁深い地であり、
晩年に隠居した場所でもあったから?なのか?
あえて出雲を「ダシ」の様に使って怪しませるように仕向けたのか......
出雲は、
人々の探究心を向かわせるオトリ迷宮としては格好の地でもあったから!?
なのか......
大事なことは、
青年や壮年期のスサノオさんが権勢を振るっていた地というのは、
必ずしも出雲とは限らないということです。
なにせ、この神様の足跡や神社というのは、
九州から青森に至るまで日本中に沢山あるのですから。
こんな僕ですら故郷を離れて頑張って生活してますし。稼いでますし。
僕も隠居したら、もしかしたら故郷に帰ったり、
大好きな鹿児島とか仙台とか沖縄とかの地に住むかも知れませんし。
そんな可能性を考えてみるのも普通に「アリ」ではないかとも思うのです。
そうして、そんな発想をしていくと、
俄然、高天原や鹿島とともに関東、東海の地にある
「伊豆=いず」
という地名も気になってくるのです。
出雲......IZUMO......IZU...MO......
リチャード三世、ラリーJr......
大抵は二世や息子の方が長い名前となります。
親は色々とつけ足したくなるから?
なのでしょうか。
伊豆と出雲。
日、出ずる国。日本。
富士山や伊豆の周辺には恐ろしく古い神々の名を祀る神社が、
意外にもカナリ多くあります。
その祭神名は九州や対馬でもナカナカ見ないような名前で。
記紀神話においては神代に創造の大元神として書かれているような神々。
その祀る配列も独特。
奈良や京都や出雲に散らばり有るような地名や山も、何故か?
一箇所にまとまってあるような場所もあったり......
そんなこんなのコトはまたいつか書ける時にココに記したく思いますが、
その時は「伊豆徒然」とでもなるのでしょうか......わかりませんが、
この辺りのことは僕もまだまだ探求中の身なのでございます。( ̄^ ̄)ゞビシッ!
三回続いた「鹿島徒然」。
最後に、鹿島のお気に入りスポットでもある、
日の出の方角に向かって太平洋に立つ「東一の鳥居」さんを。
今回行ってみたら高い防波堤が出来ていて、
鳥居の下からは海が見えない様になっていました......
ちょっと風情が変わってしまいましたが......
以前はこんな感じでして(^^)
ココは「レイライン」の東端でもあって。
この鳥居の遥か先にはハワイ諸島があったりします。
鳥居の手前には海から昇る太陽を迎えるかの様なこんな石碑も......
美味しいものも少し、ご紹介。
こちらは参道の外れにあるお蕎麦屋さん「竹やぶ」
こちらの巾着デザインの「湯のみ」がとてもお気に入りなのでやんす(^_^)
気に入りすぎて店主さんに譲ってもらっちゃったりして。
昔から毎年、鹿島には九州、
佐賀県の有田焼の卸元さんが参拝と小売にくるのだそうです。
境内、御手洗池前にあるお茶屋
「一休=ひとやすみ」さんのアイスコーヒー。
「竹炭」のスティックなのです(^^)
参拝の一休みはここでとるのが一番癒やされます。
ところてーん♪(^^)
塩焼きー。
味噌こんにゃくー。
さよならーっ!ヾ(* ̄▽ ̄*)Bye
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「鹿島徒然」
「鹿島徒然 2」
ここに関しても、
僕には1つ不思議に思っている史実があるのです。
与太話わ、最後にもう一回だけ続くのです!(*`・ω・*)ゞ
記紀(古事記、日本書紀)を編纂する際に、
日本中から神社や人々に伝わる書物や由緒、
神話集や史書などが徹底的に集められたそうなのですが、
記紀が書き上げられた後、
それらの集められた書物は何処に行ったのか?
未だにわからないのだそうです。
何処かに......あるとは思いますが......
実は、今に伝わる地方史書である「風土記=ふどき」というものは、
古事記の編纂(へんさん)が終わった直後に、
朝廷から全国各地にオーダーが出されてまとめられた......
という書物なのです。
どれも古事記の完成後から733年ぐらいまでの間に、
日本書紀と一緒に「同時並行」するような形でまとめられています。
記紀との帳尻合わせが大変だったのか?......な!?(´・_・`)
そんな中、現在に残る風土記というのは全部で5冊のみ。
出雲国風土記(いずものくにふどき)、
播磨国風土記(はりまのくにふどき)、
肥前国風土記(びぜんのくにふどき)、
豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)、
そして鹿島の地、常陸国風土記(ひたちのくにふどき)。
他は何故か?ほとんどのものが失われています。
???(´・_・`)
他にも興味深いこととして、
鹿島神宮の御敷地には記紀に描かれる
「高天原」という名前の地もシッカリとあります。
現在は本宮地と分断され「飛び地扱い」となっている為、
あまり人々に気付かれませんが、
そこには鬼塚と呼ばれるとても大きな古墳の山もあります。
そもそも記紀において、出雲に派遣され、
国をアマテラスに譲らせた.....
と書かれている強力無比な力を持つ二神は、
鹿島神宮と香取神宮の神様なわけです。
「アマテラスの国、高天原は東国にあった......」
ということを暗に示しているようなものではないでしょうか?
「鹿島七家」と呼ばれる「アメノコヤネ」の神から分かれた7氏族も、
この国の歴史に深く関わっている氏族ばかり。
国摩(くになず)、
中臣(なかとみ)、
卜部(うらべ)、
香取(かとり)、
岐(くなと)......
残り二氏は......不明......
記紀では、
天孫「ニニギノミコト=瓊瓊杵命」は、
アメノコヤネを引き連れて鹿児島?宮崎?
の高千穂の峰に天下ったと言います。
鹿児島と鹿島って......似てね!?(=゜ω゜)ノ
児って、チャイルドだよね!?(=゜ω゜)ノ
先はどっち?
なのか!?
さらに、出雲の風土記に関しては、
完成後に天皇への報告の「奏上=そうじょう」がなされた......
なんてことも伝わっています。
出雲国風土記には記紀に最も多くの物語が選ばれ、
組み入れられてもいた為、
その内容のチェックが一際厳しかった?のか......
本当に隠したい真実は実は別のところにあるので、
スサノオ(素戔嗚)さんの縁深い地であり、
晩年に隠居した場所でもあったから?なのか?
あえて出雲を「ダシ」の様に使って怪しませるように仕向けたのか......
出雲は、
人々の探究心を向かわせるオトリ迷宮としては格好の地でもあったから!?
なのか......
大事なことは、
青年や壮年期のスサノオさんが権勢を振るっていた地というのは、
必ずしも出雲とは限らないということです。
なにせ、この神様の足跡や神社というのは、
九州から青森に至るまで日本中に沢山あるのですから。
こんな僕ですら故郷を離れて頑張って生活してますし。稼いでますし。
僕も隠居したら、もしかしたら故郷に帰ったり、
大好きな鹿児島とか仙台とか沖縄とかの地に住むかも知れませんし。
そんな可能性を考えてみるのも普通に「アリ」ではないかとも思うのです。
そうして、そんな発想をしていくと、
俄然、高天原や鹿島とともに関東、東海の地にある
「伊豆=いず」
という地名も気になってくるのです。
出雲......IZUMO......IZU...MO......
リチャード三世、ラリーJr......
大抵は二世や息子の方が長い名前となります。
親は色々とつけ足したくなるから?
なのでしょうか。
伊豆と出雲。
日、出ずる国。日本。
富士山や伊豆の周辺には恐ろしく古い神々の名を祀る神社が、
意外にもカナリ多くあります。
その祭神名は九州や対馬でもナカナカ見ないような名前で。
記紀神話においては神代に創造の大元神として書かれているような神々。
その祀る配列も独特。
奈良や京都や出雲に散らばり有るような地名や山も、何故か?
一箇所にまとまってあるような場所もあったり......
そんなこんなのコトはまたいつか書ける時にココに記したく思いますが、
その時は「伊豆徒然」とでもなるのでしょうか......わかりませんが、
この辺りのことは僕もまだまだ探求中の身なのでございます。( ̄^ ̄)ゞビシッ!
三回続いた「鹿島徒然」。
最後に、鹿島のお気に入りスポットでもある、
日の出の方角に向かって太平洋に立つ「東一の鳥居」さんを。
今回行ってみたら高い防波堤が出来ていて、
鳥居の下からは海が見えない様になっていました......
ちょっと風情が変わってしまいましたが......
以前はこんな感じでして(^^)
ココは「レイライン」の東端でもあって。
この鳥居の遥か先にはハワイ諸島があったりします。
鳥居の手前には海から昇る太陽を迎えるかの様なこんな石碑も......
美味しいものも少し、ご紹介。
こちらは参道の外れにあるお蕎麦屋さん「竹やぶ」
こちらの巾着デザインの「湯のみ」がとてもお気に入りなのでやんす(^_^)
気に入りすぎて店主さんに譲ってもらっちゃったりして。
昔から毎年、鹿島には九州、
佐賀県の有田焼の卸元さんが参拝と小売にくるのだそうです。
境内、御手洗池前にあるお茶屋
「一休=ひとやすみ」さんのアイスコーヒー。
「竹炭」のスティックなのです(^^)
参拝の一休みはここでとるのが一番癒やされます。
ところてーん♪(^^)
塩焼きー。
味噌こんにゃくー。
さよならーっ!ヾ(* ̄▽ ̄*)Bye
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「鹿島徒然」
「鹿島徒然 2」
香取までの一休み、ゆるゆる竹やぶさんで蕎麦湯を飲みながら読んでます。
しかし電車はまだまだ先々。すくないのう。
鹿島、香取の旅ですね。よいですなー。ユッタリと、味わってくださいませー。