幾つかの曲を一緒に作って来た旧知の女性アーティストさんが、
少し前に自身のSNSで呟いていたことがあって。それは、
室生犀星(むろうさいせい)さんの詩篇にまつわることでした。
===============================
何者か割れたり
我が内にありて閉ぢられしもの割れたり
かれらみな声を挙げて叫び出せり
桃の実のごときもの割られたり
星のごときもの光り出せり。
===============================
彼女が取り上げていたこの詩作は
「何者ぞ」という題名であったと思いますが......なるほど、
室生犀星さんも、この詩も、彼女の内に入っていたのか......と。
この詩に含まれるエッセンスと言いましょうか、
ナニモノカ、と言いましょうか。
そういったものが僕が彼女に強く感じていた感性部分と
とてもリンクするモノであり。
それで、この時、僕さんはイタク感心もしてしまい。
また改めて彼女の感性と才智の素晴らしさを思ってしまったのでした。
そんなことがあって、
久々に書棚から引っ張り出した「室生犀星」さんの詩集。
福永武彦さんによる編集版。
「表紙デザインわコレでイイわけ!?」
みたいな。心配で夜も眠れなくなってしまうような文庫本。
作品のセレクトには編集者さんの個性も
かなり入っている様に思えますが、
室生さんの入門編としてはとても良い本ではないかと思います。
すーーーーっと、簡単に読めます。
特に、室生さんを有名にしたのは、
この「小景異情(その二)」という詩でしょうか。
冒頭の部分は多くの人が知っているのではないか?とも思いますが......
===============================
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
===============================
故郷は遠くにあって、思うだけのものであり、
例え、どん底に落ちたとしても、
帰るところではない......
なんて、そんな詩ですけど。
ご多分に漏れず?
この詩が僕と室生さんとの最初の出会いとなったモノでもあって。
18歳の頃から故郷を離れて暮らしていた僕にとっては
「ニューシネマパラダイス」という映画同様に、
とても共感できる部分のあった作品。
室生さんは嫌いではないのです。ええ。
そして、こんな本をチラチラと読み直していたら、
突然、ふと浮かんできたのが曲のラフ・スケッチ。
近く、仕上げて、世に出せればかなぁ.....とか。
あのボーカリストが良いのかなぁ......とか......
君が赤と言えば、赤に見えた。
君が青と言えば、青にも見えた。
でも最近は違って見えるんだ。
赤が青に見えて、
青は緑にも見える。
何かが変わったんだ。
捧げて、捧げて、捧げて、捧げて、それでも、捧げて。
それでもいいと思っていた。
それが嬉しくて、楽しくもあった。
でも今は自分も欲しくなったんだ。
君に捧げているものを自分も欲しいと思うんだ。
ヒドイ話だ。
目も当てられない。
与えたものを欲しいだなんて。
美しさなど微塵もない。
まったくもって悲しい話。
夜空に月を見つけると、
僕は自分の小ささを嘆き。
昇る太陽を目にすると、
いつも君のことを思う。
それでも僕の足は動かず。
僕はどこへもいけない。
冷たい闇の中にうずくまる。
ひどい話さ。
目も当てられない。
本といえば、最近、アチコチで話題となっている図書館のある、
「ところざわサクラタウン」さんに伺って来まちた。
埼玉県は所沢市にあります。
ちと、撮影の所用があったもので。ええ。(^^)
コチラがサクラタウンの中核「角川武蔵野ミュージアム」さん。
うーーーーーんんん......
アチコチで目に入ってくるのは
「角川書店なのだよぉぉ」
という感じの諸々。
これほど強く角川書店感が前に出ているとなると......
U-----------MMMMMM......
図書館内にはカフェとかサクラダイナーとかありまちて。
無理矢理ビールをお皿に乗せてみたりとかしてみたんすけど。
うーーーーんんん......(´ω`)......
どこか、しっくりこんのですなぁ......
なぜか。
ええ。
なぜなのか。
かくなるうえは、
武蔵野うどんの名店「かんたろう」さんに!
辛味肉汁うどんを食べに行って帰るのじゃ!
アゴが疲れるくらいコシが強いのじゃ!
ってくらいでもスコブル美味いのぢゃ!
うずらの卵煮じゃ!
このお店は好きっす。満足っす♪
しっくりくるっす。ええ。( ̄ー+ ̄)
少し前に自身のSNSで呟いていたことがあって。それは、
室生犀星(むろうさいせい)さんの詩篇にまつわることでした。
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何者か割れたり
我が内にありて閉ぢられしもの割れたり
かれらみな声を挙げて叫び出せり
桃の実のごときもの割られたり
星のごときもの光り出せり。
===============================
彼女が取り上げていたこの詩作は
「何者ぞ」という題名であったと思いますが......なるほど、
室生犀星さんも、この詩も、彼女の内に入っていたのか......と。
この詩に含まれるエッセンスと言いましょうか、
ナニモノカ、と言いましょうか。
そういったものが僕が彼女に強く感じていた感性部分と
とてもリンクするモノであり。
それで、この時、僕さんはイタク感心もしてしまい。
また改めて彼女の感性と才智の素晴らしさを思ってしまったのでした。
そんなことがあって、
久々に書棚から引っ張り出した「室生犀星」さんの詩集。
福永武彦さんによる編集版。
「表紙デザインわコレでイイわけ!?」
みたいな。心配で夜も眠れなくなってしまうような文庫本。
作品のセレクトには編集者さんの個性も
かなり入っている様に思えますが、
室生さんの入門編としてはとても良い本ではないかと思います。
すーーーーっと、簡単に読めます。
特に、室生さんを有名にしたのは、
この「小景異情(その二)」という詩でしょうか。
冒頭の部分は多くの人が知っているのではないか?とも思いますが......
===============================
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
===============================
故郷は遠くにあって、思うだけのものであり、
例え、どん底に落ちたとしても、
帰るところではない......
なんて、そんな詩ですけど。
ご多分に漏れず?
この詩が僕と室生さんとの最初の出会いとなったモノでもあって。
18歳の頃から故郷を離れて暮らしていた僕にとっては
「ニューシネマパラダイス」という映画同様に、
とても共感できる部分のあった作品。
室生さんは嫌いではないのです。ええ。
そして、こんな本をチラチラと読み直していたら、
突然、ふと浮かんできたのが曲のラフ・スケッチ。
近く、仕上げて、世に出せればかなぁ.....とか。
あのボーカリストが良いのかなぁ......とか......
君が赤と言えば、赤に見えた。
君が青と言えば、青にも見えた。
でも最近は違って見えるんだ。
赤が青に見えて、
青は緑にも見える。
何かが変わったんだ。
捧げて、捧げて、捧げて、捧げて、それでも、捧げて。
それでもいいと思っていた。
それが嬉しくて、楽しくもあった。
でも今は自分も欲しくなったんだ。
君に捧げているものを自分も欲しいと思うんだ。
ヒドイ話だ。
目も当てられない。
与えたものを欲しいだなんて。
美しさなど微塵もない。
まったくもって悲しい話。
夜空に月を見つけると、
僕は自分の小ささを嘆き。
昇る太陽を目にすると、
いつも君のことを思う。
それでも僕の足は動かず。
僕はどこへもいけない。
冷たい闇の中にうずくまる。
ひどい話さ。
目も当てられない。
本といえば、最近、アチコチで話題となっている図書館のある、
「ところざわサクラタウン」さんに伺って来まちた。
埼玉県は所沢市にあります。
ちと、撮影の所用があったもので。ええ。(^^)
コチラがサクラタウンの中核「角川武蔵野ミュージアム」さん。
うーーーーーんんん......
アチコチで目に入ってくるのは
「角川書店なのだよぉぉ」
という感じの諸々。
これほど強く角川書店感が前に出ているとなると......
U-----------MMMMMM......
図書館内にはカフェとかサクラダイナーとかありまちて。
無理矢理ビールをお皿に乗せてみたりとかしてみたんすけど。
うーーーーんんん......(´ω`)......
どこか、しっくりこんのですなぁ......
なぜか。
ええ。
なぜなのか。
かくなるうえは、
武蔵野うどんの名店「かんたろう」さんに!
辛味肉汁うどんを食べに行って帰るのじゃ!
アゴが疲れるくらいコシが強いのじゃ!
ってくらいでもスコブル美味いのぢゃ!
うずらの卵煮じゃ!
このお店は好きっす。満足っす♪
しっくりくるっす。ええ。( ̄ー+ ̄)
節分まで時間の感覚が
おかしくて(流れがおそい感じ)
今朝から元に戻ったような気がしています。
私だけでしょうね、きっと^_^
なにかがかわったのか?!
底冷えする冬は
私は鍋焼きうどん、
もしくは
葛のあんかけうどんを作ります。
先日、一本2万円するという
日本酒の酒粕を蔵元さんに
いただきました。
普通のとはちょっと
ちがってまろやかでした。
他からも同じような話をかなりもらってます。
僕は一日中胸が締められていて、結構大変でした。
今年は殊更「豆」が大事だったようです。
LEDは理想的ですが
LED(人工)の光は
一定の波長しか持っていません
太陽(自然)の光は
多様な波長を持っています
水は様々な波長を通過して
活性化していきます
意図的に削除排除
されたモノは不自然
流れの中で変わっていくモノ
は自然なのかもしれません
ブログ管理の問題だと思うよ。さわさんだって思い切って発言したのに気の毒やん。metさんのそういうところは透けて見えまっせ。異質なものを排除するのではなく向き合えよ。これ都合悪けりゃ削除してええで。ほな
それらの全てのコメントも、
名前の移り変わりも、
ここには残っていると思います。
更には、
他のブログにも沢山の名前で入っていて、
全て荒れています。
智さんがおっしゃるように削除されていたり、
そのまま今も残っていたり。
プリリンねーさんのコメント欄にもずっと入って来ている様ですが、
そちらでは智さんがおっしゃるように、
最近はずっと削除されているようです。
誰かや、何かや、
様々なことに対して考えたり、
自身の言動を「周知の場」で発信して行く際は、
そんなコトゴトを全て、一度、出来うる限り、
時間もかけてリサーチして、
確認もして、
なるべく真実に近い認識を持てる様に努力もして、
それから言動を決めるのが良いのではないか、、、
とも思います。
このブログには
「仲良しサークル」
などとは一度でも記されたことはありませんし。
スタートから終始一貫して、
タイトルやサブタイトルに嘘がないようにと、
粛々と「自己満足」で書き綴っているだけの、
ダダの、些細な、
人々にとって取るに足りない私的な日記以上のものでもありません。
そして、そんなレベルなので、
コメントも全てそのままにしてます。
なんの影響力もないので。
このコメント欄でも、
全てを真っ直ぐに見てくれている方々にだけは、
嘘がないように書き記せれば、、、
という判断と気持ちからです。
そこも、智さんのおっしゃるように、
「異質なものを排除せず、向き合うために」
ということに対する最善の判断だとも思うので。
発信者が印象操作をするような形より、
見ている人の方が全てを感じ、
印象決定をできるようにする方が最善ではないかと思っています。
その方が今の時代に沿っているとも思いますし。
智さんがおっしゃるようにソーシャルにある以上、
日記とはいえ様々な方々が覗きに来てくれますので、
返事不要さんとあなたのように、
相性が良い人同士もいるでしょうし、
そんなことも含めて、
このブログでは全てそのまま残すようにしてます。
分かる人には、
全てが浮き出て見えていけば良いのかなぁ、と。
更には、コレまた智さんが
「思い切って発言したのに」
とおっしゃっている様に、
その方がサワさんの思いに応える事だとも思っています。
そもそも、このブログにはダイレクトメールのアドレスも出てますので、
サワさんが裏で言いたいことであればこちらに届きます。
それでも表に書いたと言うことは、
周知で良い、というさわさんの意思だとも思っています。
さわさんから落としてほしい、、
と連絡が来たら直ぐに落としますし。
今のところそれが最善の判断と礼節だと考えています。
また、そんな判断も、
コレまた智さんの言うように、
「色んな人がいる」
わけですから、様々な判断があるのだとも思います。
そういう判断も、全て、
コレまたまたまた、智さんの言う様に、
管理者の責務であり判断ではないでしょうか。
そして、自由裁量の部分ではないかと考えています。
智さんは、
智さんの好きな場所で、
同じようにすれば良いわけですし。
そもそも、
気に入らないところには来ない方が良いとも思います。
自由ですから。
当初、とても礼節のある方でもあった智さんが、
僕の知人であり、
恩人でもある方の話してくれた言葉に関してのコメント一往復以降、
突然、人格が豹変し、
失礼極まりない、攻撃的な人格になってしまった、、、
ということも全てここに残っています。
もう一度その辺も、
ご自身の軌跡も冷静に見直して頂ければ、
その時のやりとりすら、
智さんに対する批判でもなんでもなく、
「ただ単に、
僕が、
僕の大切な友人の人格や名誉を守るために、
その友人を一度も見たことも、
話したこともなければ、
このブログの過去記事など殆ど読んでもいない方から、
一方的に決めつけられてしまった人間性否定に関して、
必死に、
友人としてその人の名誉や人格を護ろうとしている、、、」
という僕の姿が阿呆者の様に浮き出して見えてくるのではないかと。
そう思っています。
ただそれだけのお返事だという事もわかってもらえるのではないかと。
智さんが批判した方は、
多くの富士山登山者の方々を何十年も助け続けて来ている様な人なのです。
登ったり、触れたりした人はわかると思うのですが、
富士山は実は厳しい山です。
そこには、常に、大袈裟な表現でなく、
命のやり取りが目前にあります。
そんな世界を目の当たりにしながら生きて来ている方なのです。
そう言う言葉遣いにもなります。
僕も、登山の時にとても助けてもらいましたし、
多くの人を無償で救っている、
本当に素晴らしい方なのですね。
KUさんという、
このブログによく出てくる大切な友達のお母さんでもあり。
普段、こんなところでは書けないくらい、
誰もが知る有名な方々も裏で助けているという仕事をもしている方でもあるのです。
日本の宝である富士山の自然を守るために、
金銭も関係なく日夜働いてもいる方です。
それをよく知る僕としては、
大切な友達であるKUさんのためにも、
その方の人格を誤認識させてはならない、、
と。そんな気持ちで書いた返事となります。
何卒、今一度、
冷静な気持ちで読み直していただけたらと。
そして、こんな返事ができることも含め、
「出来うる限り」
ですが、
みなさんのコメントをそのまま残すということは
意味があることではないかと考えています。
智さんのコメントにしても、
これまでずっと丁寧に名前に貼ってあったご自身のブログページのアドレスリンクが、
今回は付けられていない様なのですが、
あなたほどの人であれば、
そこにもきっと、あなたの意図があるはずですし。
見ている人は、
ここで表立って発言はしないにしても、
きっとそう言う細かいところまでしっかり見てくれていると思います。
ともさんが「仲良し」と言う言葉で感じられていることは、
きっと、
そんな、
ここまでつらつらと記して来たことに対する、
暗黙の理解と信頼とがこのブログ全体に含まれていることを
感じ取ってのことではないか、と。
僕はそんなふうに考えています。
どうか今一度、
少し冷静に、
元の智さんに戻って、
全体を見わたして、
出来うれば、
過去全ての記事やコメントを見ていただいた上で、
今後の言動を決めていただければと願っています。
このままでは、
コメントを荒らしているのは、
返事不要さんでも誰でもなく、
智さんこそがその張本人と周知されてしまいますので。
どうか、そこも、何卒、冷静に。
智さんはとても知的で、本来、
とても冷静に周りを見て動いて来た人であるとも感じられますので、
最初の様に楽しくお話ができたら最高だなぁ、、と、
勝手ながら思っておりまする。
改めて、よろしくお願いします。
私は自分をブロガーだと思ってないのでつい自由にのびのび投稿してしまいます。そして神様のイメージが悪くなったのは事実です。見解の相違という便利な言葉で終わります。大変だなぁというのは伝わりました。🙇
今度ともよろしくお願いします(^^)
戦乱の世は長く続いていた
と考えれば
理解出来ないモノを
排除することは
不自然でも悪でもない
とも考えられます
1つの思考パターンにはまり
怒りや不満の中に居ると
信頼や感謝などの深い意識は
醸成出来ないような気がします
その場の怒り悲しみを
その後の感謝に繋げていくことが
大切なのかもしれません
返事不要さんの言葉として置いておきます。
返事不要です。