雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

玉前徒然 2

2021-05-17 00:03:26 | 不思議...パワスポ寺社
よくできたもので、
海岸線は国道128号線(房総横断道路)にものの見事に沿ってますが。
次回は、このお手製の地図も絡めて、
玉崎神社さんの奥に隠れている徒然話などを記し置いておこうかと。
またどこにも残っていない様なお話となるとは思いますが、
もう一話だけ、続かせていただきます。(^^)






現在の地理に関しては、
一宮は房総半島東部の中心地の一つになるのだと思います。
そして、上にある縄文海進の時代にしても同様で、むしろ、
昔の方が海に突き出た岬......
まさに「前(さき)」であったことが明瞭であり、
その地理的優位性が見て取れます。

なにより、この地の沖には今も昔も変わらない、
南から流れてくる黒潮と、
北から流れてくる親潮とがぶつかる一大漁場があります。
寒流と暖流が交わる海が陸の程近くにあるというのは
世界的にも稀有なことなのだそうで、
この一宮から銚子にかけての一帯は
昔から山海の幸が豊かであったと思われます。
更には、一宮は川(一宮川)の河口でもあって。
河川運搬で下ってくる作物や山幸と、
海から上がってくる海幸や人々との
交差点ともなっていたのではないでしょうか。

ちなみに、一宮の山奥側には
「茂原(もばら)」という地があるのですが、この名は、
昔は一宮川の河口から内陸に広がっていた汽水域の湿地が
「一面の藻の原」の様だったからではないか......
とも想像できます。

一方で、一宮の南、
東浪見鳥居(とらみとりい)と神洗神社(かみあらいじんじゃ)
のある太東埼(たいとうさき)は、さらに外洋へと突き出ていて。
この形は大型船舶を有する船舶漁業者さん達にとっては
今よりも利便性が高かったのではないでしょうか。
この地図を見る限り、
大きな漁船や貿易船などは一宮付近の遠浅の浜に付けるのは難しそうで、
太東埼(たいとうさき)の南側も同様。
九十九里浜は昔から砂礫が厚く堆積していた
非常に浅い海であったことに間違いは無く。
また、そうであったからこそ現在の様な浜辺ともなったわけで。
岬自体も基本は険しい崖ですし、
船を付けるとしたら岬の北側の付け根......
やはり、神洗神社の辺りでしょうか。
現在の太東漁港がこの辺りにあるのも頷けます。
ここから一宮や玉崎神社に向かうには、
この辺に船を付けてから浅瀬をボートで移動するか、
上陸した後に陸路で一宮に向かう......
という形にもなるかと思います。
玉崎神社に今に伝わる「上総十二社祭り」などは、
まさにこのことを実像化している様に思えます。

そんな豊かな地を治めていた王の精神的、占術的支柱ともなれば、
それは現在の天皇陛下的な立場ともなり。
そんな力を持っていた方が玉依姫(たまよりひめ)さんで。
以前も幾度か記していましたが、
玉依姫とは「魂=タマ」が「依る=ヨル」姫さんですから、
神の言葉を降す能力と位の高い巫女職の名称とも思われます。
役職名ということです。
その最上位は「日の巫女」であり、いわば「卑弥呼」。
そんな女性が国の行末や、
日々の「政治=まつりごと」の良し悪しを占う際に
潔斎(けっさい)を行っていたであろう地が、
現在の神洗神社さんのある地ではないかと。



そうです。



神洗(かみあらい)とは、髪洗(かみあらい)です。



長く美しい黒髪であった!?
玉依姫さんや高位の巫女職の皆さんは、
神洗神社の地で心身を洗い清めてから、
玉前神社(たまさきじんじゃ)の方に入られたのではないかと。
実のところ、これと似た形は日本中至る所にあって。
有名なところで言えば、京都、嵐山の
「野宮神社(ののみやじんじゃ)」さんなどは、
伊勢神宮の女王たる「斎王(さいおう)」が神宮に入る際に、
嵐山の水で心身を清める生活をしばらくしてから参入する......
という場所でした。
神洗神社と玉前神社とはソレと同じ関係に思われます。
なので、神洗神社さんは「元宮」というわけではなく、
「潔斎の宮」であると思えるわけです。
神洗神社さんのあたりには今でも真水の池が沢山ありますし、
海もすぐそば。
潔斎の場所となれる環境も十分。
そして、そんな祓いや清めをした後に、
玉依姫さんが玉崎神社に入るために辿る道が海岸線の道であり。
それは、古(いにしえ)の昔においては上の縄文海進地図にある様に、
今の国道128号線であったのではないかと。
地図の通り、この道のすぐ横は昔は海だったワケです。





最後に、上にも出て来た玉前神社における最大の祭り
「上総十二社祭り」に関してですが、
この祭りは房総最古の浜降り神事であり、
1200年以上の歴史と伝統を誇るそうです。
それは、まさに、海の向こうからやって来た神々が集う祭で。
興味深いことは、その神々の数がなぜ?
「12」という数字で表されているのか。
今回の「玉前徒然」のお話は、
このまま「鹿島徒然」のお話へと繋がっていく......
というわけなのです。(^^)



鹿島徒然
鹿島徒然 2
鹿島徒然 3



上総国一宮の北、
それほど遠くない所にある茨城県、鹿島神宮。
そこもまた、以前記した様に
「12」と言う数が滲み出てくる地であり、
この、上総から鹿島にかけての一帯というのは、
そんな12を聖数とする神々の地でもあるようなのです。
鹿島エリアのアチコチに散らばる12の文字......
( ̄+ー ̄)むむむのむ。





鹿島神宮の主祭神は建御雷神(タケミカズチノカミ)。
剣とカミナリ。
日本国神話における最強の武神。



玉前神社と同じく、
太平洋を望む鹿島神宮「東一の鳥居」。
写真は東日本大震災前の、まだ防波堤が低かった頃のもの。







「12」と縁が深い神と言えばゼウス。
オリンポス(オリュンポス)12神のトップの神であり、
雷(いかずち)を操るギリシャ神話最強の武神。



ギリシャ、アテネにあるゼウス神殿。
街中にある、
有名な「ハドリアヌスの凱旋門」をくぐった先に見えて来ます。





日本はギリシャとも強く繋がっているのかなぁ、と。
個人的には感じ、思ってもいます。(^^)


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4 コメント

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Unknown (love)
2021-05-17 08:18:14
おはようございます。
前回、今回と私と主人の地元が出てきて懐かしくなりました!玉前神社さんは娘の七五三や、初詣でよくお世話になった神社さんです(^_^)
今はコロナで実家にも中々帰れない状況ですが・・・
帰った際は玉前神社さんへ伺いたいと思います( ´ ▽ ` )
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loveさんへ。 (amenouzmet)
2021-05-17 10:24:11
おおお!それは姫さんも喜びますねぇー(^ω^)
姫さんによろしくお伝えくださいませ。
とても痛かったでふ、、と、、(T . T)
返信する
Unknown (のり)
2021-05-17 18:19:05
いつもブログ更新楽しみにしています。ありがとうございます。

アルコール摂取しすぎて状況判断できないほどの酩酊状態の時に豹変する身内がいました。

玉依姫、職業名、依代。

uzmetさんやM子さんのブログを読みながら神様の事など少しずつわかってくると、一概言えませんが、もしかして、アルコールによりトランス状態になった時に、玉依系の分け御霊の魂の人に憑依されるのが神様系ならいいのですが、、、良く無き系の方が憑依して悪さをして、その人の人格否定的な通常時ではあり得ない言動をしているのでは?と考えてしまいました。

あくまでも仮説妄想です。
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のりさんへ。 (amenouzmet)
2021-05-17 18:29:00
そうですね。あくまで仮説妄想にしておいた方が良きかと。はい。
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