全国に長谷川(はせがわ)さんとか、
長谷部(はせべ)さんとかいらっしゃるじゃないですか。
サッカー日本代表の不動のキャプテンさんとか。
その「長谷=はせ」の部分というのは、文字通り、
山間に流れる河川と共に「細長く連なる谷」のことで。
その呼称のルーツを辿ると、
奈良県「三輪山=みわやま」の南麓の地にたどり着くのです。
「青き炎」でも記した
「饒速日命=ニギハヤヒ」さんが打ち立てた古代大和王朝。
その王朝の信仰と執政の中心地
「大神神社=おおみわじんじゃ」の南麓。南側。
地域的には現在の「桜井市」という市の中に入っていますが、
地名は「初瀬=はつせ」と書いて「ハセ」と呼びます。
「長谷=はせ」ではないのですね。
そもそも「長谷」はどう読んでも「ちょうや」とか
「ながや」「ながたに」とかですし......
元は「初瀬=はせ」で、
後から意味を表す漢字でもって充て込まれたのですね。
そんな初瀬の地というのは「大和川=やまとがわ」という、
奈良盆地を潤す貴重な河川の上流域に位置していて。
山奥から流れ出す清水の流れと、
ソレに連なる細長い山合いの谷は緑も濃く、深く、美しく。
心地良い風もスラリと抜け通る豊かな地です。
大和川もこの源流部分では、
地名と同じく「初瀬川=はせがわ」と呼ばれます。
きっと長谷川さんの故郷ですな(^ω^)
モチロン全員では無いでしょうけど。
長谷川さんは初瀬川さんだったわけです。
長谷部さんはこの初瀬川沿いに清々と広がる
美しき集落のことでしょうか。
初瀬の川、上流部。(^ν^)
古文献や和歌などからも長谷よりも「初瀬」の名の方が古く、
大元だということはキチンと分かっていて、
弥生時代はもちろん、
縄文時代の遺跡や土器まで沢山出てくる歴史ある地です。
そこには巨大観音像で有名な大寺院
「長谷寺=はせでら」さんもあって。(^^)
この長谷寺の「長谷」も、
元は「初瀬」であったことが容易に想像出来ます。
何かと心地よし......
本堂は国宝なのですね(^^)
長谷寺と言えば、またピン!と来る人がいるかと思いますが、
関東、神奈川県、
鎌倉市にあるコレまた有名な「長谷寺」さんも同じ系列のお寺さんです。
伝承的にもこの二つの寺院はシッカリと繋がっていて。
鎌倉の長谷寺さんは、元はこの奈良の長谷寺を関東の地に勧請し、
移したもの。
奈良の本院と同じく巨大な十一面観音像が安置され、
多くの人々から崇敬されています。
この長谷寺の総本山のある、
奈良「初瀬」の地の名前の由来を更に掘り下げていくと、
古代都市や古代大和王朝における大事な交易や、
情報の要の「道」が、
当時は「河川」であったことがわかります。
グーグルマップなどで見てもらえればさらに良く分かると思いますが、
「大和川」というのは、
本州の奥まった盆地にある奈良の都と
大阪湾や瀬戸内海を繋ぐ貴重な河川であり。
現在の堺市近くの河口からこの川を遡っていくと、
時間的にも
「あっ!」
という間に大和、大三輪の地に着いてしまいます。
そんな人や物資を乗せた船が進める限界の場所であり、
辿り着く最奥地が「初瀬」の地であって。
多くの荷物や人や情報が交換される地でもありました。
この大和川の存在が三輪山を
ヤマト国の中心地とさせた理由の一つでもありますし、
古代の王、
ニギハヤヒさんの一族が住んでいたことも容易に想像がつきます。
古代大和の地で様々な荷や人、
情報が「初めて」積まれ、出て行き、
辿り着きもする「川の瀬」でもあったので、
この地は「初瀬=はせ」と呼ばれていたわけです。
「泊瀬」と書かれていた時代もあったようですが、
この場合も「船が泊まる瀬、地」という意味であって、
同音、同意で文字が異なるだけだと思われます。
「......なにしろ、ソノ話だけでこんなブログ20回は
タップリコと書けそうなくらいなので......」
と記した「青き炎」のシリーズ記事をスパッ!と
4回で切り上げたにも関わらず、
こうして今回の記事も含め、追加で2回も!
書かなければいけなくなっていること自体に、やはり、
スサノオさんやニギハヤヒさんの途轍も無い力を
感じてしまう次第なのですが......
(^_^;)ヒヤヒヤ......
実は、今回の記事を書くことになったキッカケというのが、
前回の「番外編」で記した
「草場一壽=くさばかずひさ」さんの展覧会にあった
「虹色の龍神さん」でして。
僕は、その「虹龍さん」を幾度となく感じ取っていた?
見ていた?
というようなこともあったもので......
......あぁっ!(*゜ロ゜)
アチキわいたって普通の人ですのよっ!
ケーキ好きだし!(=゜ω゜)ノ
ピザ食べた後に蕎麦食べに行っちゃう人だし!(=゜ω゜)ノ
いたって不思議なノーマルくんだおっ!
......ってなことで。
前回記した絵画展に一緒に出かけてくれた
「フシギーズ前頭筆頭」のゴージャスプリンなお姉様に
「実わ、、
この絵の虹龍さんの写真があるんだけど見ちゃう?
ね?どや!?」
などとお見せしたところ、
「あー、、本物ですよ。(^^)
龍さんがこんなこと言ってます......」
なーーーんて、なって。
それでまた今回、引き続きの「青き炎」大和編!
なんてことになってしまっているというワケなのです。
まぁ、全国の長谷寺ファンの皆さんのためにも、
長谷川さんや長谷部さんファンのためにも、
ココわひとつ!奮起して!記そうかと。ええ。
それでもって、
これが僕が長谷寺に行った時に写り込んでくれた虹龍さん。
左上に虹色の鱗......など!?見えるでしょうか......
「何かの光の加減じゃん!」
「気のせい!」
としてもらっても何の問題もなく。ええ。勿論。
で、下が鎌倉の長谷寺から
江ノ島に遊びに来てくれていた時の虹色の龍神さん。
奈良の長谷寺の龍さんと同じ龍さんです。(^^)
写っているのは尻尾の方ですな。ええ。
プッチンプリリンのお姉さんと虹龍さんとの
フシギーな会話を聞いていたりなんかすると、
虹龍さんは最近「トアル事情」があって。
鎌倉の長谷寺の方に本拠地を移しているのようなのです。
が、奈良の方にもちょくちょく帰っているとも思われ。
この美しき虹色の龍神さんは、古代大和朝廷やこの国の創生を、
陰で支えて来てくれた大きな力を持つ龍神さんで。
前回記した「草場一壽=くさばかずひさ」さんの描いた龍神さんも、
この龍神さんではないかと思うのです。
今、この瞬間も、
この国を力強く守ってくれている龍神さんだと思うのです。
きっと。(^^)ええ。
そんな奈良、三輪山の南、初瀬の地には「出雲」という地名が
今もシッカリと残っています。
よく見るとこの標識にも......虹が写ってるのですが......
龍さんとずっと一緒!?(@_@)
「青き炎」で「少し」記したことが、
ここにも毅然たる事実として、足跡として、
残っているように思います。
出雲を故郷とする初代大和の王「ニギハヤヒ」さんの家臣や末裔が
住みついた地なのでしょうか。
大和の交易や経済の最重要地を管理、護っていたのだと思います。
ちょっと不思議好き!?な人たちの間や、
中でもマニアック?でフシギーズ!?
と思われる人々の間で時折話題に上る
「瀬織津姫=せおりつひめ」という名前の女神さんがいます。
古代日本で隠された最高の女神......と噂される女神さん。
そんな伝承には好奇心や能力者!?
のプライドみたいなものがそそられるのでしょうか......
わかりませんが、その封印され、
あらゆる角度であらゆるミステリーが語られまくるこの女神様に関しても、
僕はキット、ここ、
初瀬の地にいらっしゃったのではないかと思っています。
北に祭祀と執政の中心地である三輪山を背負い、
太陽に南面する地の高台。
目前には清廉な川が流れ、田畑や多くの山々も近い地。
陰陽道や風水的にも完璧なる地。
未だ発掘調査されていない古代遺跡や城跡らしき遺構も沢山あります。
では、姫神はなぜ封印されたのか?
それは「青き炎」で記した様に、
古代の権力者達が最も消したかった偉大なる名を冠した神様
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
=「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
の奥様だったからです。
わかりやすいところで言えば「明治神宮」などでもそうであるように、
古代の神様を「本当に」祀る寺社では、
男性神であれば必ずその奥様......
正妻の方も一緒に祀られる形が多いのです。
当たり前の話ではありますが、
ニギハヤヒさんの足跡を消そうとした時、
そんな奥様の足跡も消さなければ業務オーダーの完成!とは相成りません。
当然、奥様の痕跡からニギハヤヒさんを辿ることも出来てしまいますので。
「もし」そんなことで封印されたと考えると......
瀬織津姫さんという美しき女神様は......僕は......
「ニギハヤヒさんの奥様!」
だったのだと思うのです。
何より、初瀬(ハセ)の地の、
その「川の瀬」から船で降りて行って「港=海=津」に出る......
大和川の瀬を下り、
津に出て行く出発の地を護る清らかなる水の女神様......
瀬を降りて津に向かう女神様......せおりつ......瀬織津姫。
「織り」は「降り」「下り」
誰が文字を変えたのでしょうか。まったく......
ちなみに、書籍やネット、
不思議なる能力を持っているとおっしゃっている様な人達も含め、
このコトをわかっている人に僕は今迄一度も出会ったことが無かったのです。が、
「青き炎」を記し出した時から起きている不思議な出来事の中の一つに、
このことを理解している人との貴重な出会いがあったのです。
先日、草場さんの絵画展に一緒に行ったプッチンプリリン♡お姉さんズのお一人は、
驚くことに、このことをとても普通にわかっていました。
龍神さんとも話せちゃいますし。
透明なる力を持った本物さんでございます。
恐れ入りまちた!(*゜ω゜*)/
あっ!
これまでセオリツ姫さんの話を一度もしていなかっただけで、
我が心の友、九州の「Mさん」や、
北陸の「Yさん」は本物中の本物ですのでトーゼン知ってますのね。
間違いなく。ええ。
そういう人たちは皆、
ちゃんと社会でしっかりお仕事をして暮らしています。
不思議~!?な力でお金を稼いでたりなんかしていません。
僕らと同じように毎日汗水垂らして、
愚痴の一つや二つもこぼしながら働いています。
これ、
とても大事なことです。
そんなこんなで、
この女神様が祀られている場所の多くが
清らかな清水の湧き出る地であるわけで。
有名どころで言えば、
京都、下鴨神社の最奧にある湧水地や、
名古屋、熱田神宮の最奧で、
これまた清水の湧き出る「清水社」の裏山に祀られていたり。
その多くが人々にとって大切な河川の源流域に祀られていることが多い......
という事実にも深く納得がいくというワケなのです。はい。
これまたイッポン!
座布団一枚!
失礼いたしやしたぁぁぁあぁ。。
また来週ぅぅぅーーーっ!( ´ ▽ ` )ノ
☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
「青き炎」「2」「3」「4」
「大和編」
「海賊編」 「2」
「番外編」
「氷川編」
「素粒子編」
「首塚編」「2」「3」「4」
長谷部(はせべ)さんとかいらっしゃるじゃないですか。
サッカー日本代表の不動のキャプテンさんとか。
その「長谷=はせ」の部分というのは、文字通り、
山間に流れる河川と共に「細長く連なる谷」のことで。
その呼称のルーツを辿ると、
奈良県「三輪山=みわやま」の南麓の地にたどり着くのです。
「青き炎」でも記した
「饒速日命=ニギハヤヒ」さんが打ち立てた古代大和王朝。
その王朝の信仰と執政の中心地
「大神神社=おおみわじんじゃ」の南麓。南側。
地域的には現在の「桜井市」という市の中に入っていますが、
地名は「初瀬=はつせ」と書いて「ハセ」と呼びます。
「長谷=はせ」ではないのですね。
そもそも「長谷」はどう読んでも「ちょうや」とか
「ながや」「ながたに」とかですし......
元は「初瀬=はせ」で、
後から意味を表す漢字でもって充て込まれたのですね。
そんな初瀬の地というのは「大和川=やまとがわ」という、
奈良盆地を潤す貴重な河川の上流域に位置していて。
山奥から流れ出す清水の流れと、
ソレに連なる細長い山合いの谷は緑も濃く、深く、美しく。
心地良い風もスラリと抜け通る豊かな地です。
大和川もこの源流部分では、
地名と同じく「初瀬川=はせがわ」と呼ばれます。
きっと長谷川さんの故郷ですな(^ω^)
モチロン全員では無いでしょうけど。
長谷川さんは初瀬川さんだったわけです。
長谷部さんはこの初瀬川沿いに清々と広がる
美しき集落のことでしょうか。
初瀬の川、上流部。(^ν^)
古文献や和歌などからも長谷よりも「初瀬」の名の方が古く、
大元だということはキチンと分かっていて、
弥生時代はもちろん、
縄文時代の遺跡や土器まで沢山出てくる歴史ある地です。
そこには巨大観音像で有名な大寺院
「長谷寺=はせでら」さんもあって。(^^)
この長谷寺の「長谷」も、
元は「初瀬」であったことが容易に想像出来ます。
何かと心地よし......
本堂は国宝なのですね(^^)
長谷寺と言えば、またピン!と来る人がいるかと思いますが、
関東、神奈川県、
鎌倉市にあるコレまた有名な「長谷寺」さんも同じ系列のお寺さんです。
伝承的にもこの二つの寺院はシッカリと繋がっていて。
鎌倉の長谷寺さんは、元はこの奈良の長谷寺を関東の地に勧請し、
移したもの。
奈良の本院と同じく巨大な十一面観音像が安置され、
多くの人々から崇敬されています。
この長谷寺の総本山のある、
奈良「初瀬」の地の名前の由来を更に掘り下げていくと、
古代都市や古代大和王朝における大事な交易や、
情報の要の「道」が、
当時は「河川」であったことがわかります。
グーグルマップなどで見てもらえればさらに良く分かると思いますが、
「大和川」というのは、
本州の奥まった盆地にある奈良の都と
大阪湾や瀬戸内海を繋ぐ貴重な河川であり。
現在の堺市近くの河口からこの川を遡っていくと、
時間的にも
「あっ!」
という間に大和、大三輪の地に着いてしまいます。
そんな人や物資を乗せた船が進める限界の場所であり、
辿り着く最奥地が「初瀬」の地であって。
多くの荷物や人や情報が交換される地でもありました。
この大和川の存在が三輪山を
ヤマト国の中心地とさせた理由の一つでもありますし、
古代の王、
ニギハヤヒさんの一族が住んでいたことも容易に想像がつきます。
古代大和の地で様々な荷や人、
情報が「初めて」積まれ、出て行き、
辿り着きもする「川の瀬」でもあったので、
この地は「初瀬=はせ」と呼ばれていたわけです。
「泊瀬」と書かれていた時代もあったようですが、
この場合も「船が泊まる瀬、地」という意味であって、
同音、同意で文字が異なるだけだと思われます。
「......なにしろ、ソノ話だけでこんなブログ20回は
タップリコと書けそうなくらいなので......」
と記した「青き炎」のシリーズ記事をスパッ!と
4回で切り上げたにも関わらず、
こうして今回の記事も含め、追加で2回も!
書かなければいけなくなっていること自体に、やはり、
スサノオさんやニギハヤヒさんの途轍も無い力を
感じてしまう次第なのですが......
(^_^;)ヒヤヒヤ......
実は、今回の記事を書くことになったキッカケというのが、
前回の「番外編」で記した
「草場一壽=くさばかずひさ」さんの展覧会にあった
「虹色の龍神さん」でして。
僕は、その「虹龍さん」を幾度となく感じ取っていた?
見ていた?
というようなこともあったもので......
......あぁっ!(*゜ロ゜)
アチキわいたって普通の人ですのよっ!
ケーキ好きだし!(=゜ω゜)ノ
ピザ食べた後に蕎麦食べに行っちゃう人だし!(=゜ω゜)ノ
いたって不思議なノーマルくんだおっ!
......ってなことで。
前回記した絵画展に一緒に出かけてくれた
「フシギーズ前頭筆頭」のゴージャスプリンなお姉様に
「実わ、、
この絵の虹龍さんの写真があるんだけど見ちゃう?
ね?どや!?」
などとお見せしたところ、
「あー、、本物ですよ。(^^)
龍さんがこんなこと言ってます......」
なーーーんて、なって。
それでまた今回、引き続きの「青き炎」大和編!
なんてことになってしまっているというワケなのです。
まぁ、全国の長谷寺ファンの皆さんのためにも、
長谷川さんや長谷部さんファンのためにも、
ココわひとつ!奮起して!記そうかと。ええ。
それでもって、
これが僕が長谷寺に行った時に写り込んでくれた虹龍さん。
左上に虹色の鱗......など!?見えるでしょうか......
「何かの光の加減じゃん!」
「気のせい!」
としてもらっても何の問題もなく。ええ。勿論。
で、下が鎌倉の長谷寺から
江ノ島に遊びに来てくれていた時の虹色の龍神さん。
奈良の長谷寺の龍さんと同じ龍さんです。(^^)
写っているのは尻尾の方ですな。ええ。
プッチンプリリンのお姉さんと虹龍さんとの
フシギーな会話を聞いていたりなんかすると、
虹龍さんは最近「トアル事情」があって。
鎌倉の長谷寺の方に本拠地を移しているのようなのです。
が、奈良の方にもちょくちょく帰っているとも思われ。
この美しき虹色の龍神さんは、古代大和朝廷やこの国の創生を、
陰で支えて来てくれた大きな力を持つ龍神さんで。
前回記した「草場一壽=くさばかずひさ」さんの描いた龍神さんも、
この龍神さんではないかと思うのです。
今、この瞬間も、
この国を力強く守ってくれている龍神さんだと思うのです。
きっと。(^^)ええ。
そんな奈良、三輪山の南、初瀬の地には「出雲」という地名が
今もシッカリと残っています。
よく見るとこの標識にも......虹が写ってるのですが......
龍さんとずっと一緒!?(@_@)
「青き炎」で「少し」記したことが、
ここにも毅然たる事実として、足跡として、
残っているように思います。
出雲を故郷とする初代大和の王「ニギハヤヒ」さんの家臣や末裔が
住みついた地なのでしょうか。
大和の交易や経済の最重要地を管理、護っていたのだと思います。
ちょっと不思議好き!?な人たちの間や、
中でもマニアック?でフシギーズ!?
と思われる人々の間で時折話題に上る
「瀬織津姫=せおりつひめ」という名前の女神さんがいます。
古代日本で隠された最高の女神......と噂される女神さん。
そんな伝承には好奇心や能力者!?
のプライドみたいなものがそそられるのでしょうか......
わかりませんが、その封印され、
あらゆる角度であらゆるミステリーが語られまくるこの女神様に関しても、
僕はキット、ここ、
初瀬の地にいらっしゃったのではないかと思っています。
北に祭祀と執政の中心地である三輪山を背負い、
太陽に南面する地の高台。
目前には清廉な川が流れ、田畑や多くの山々も近い地。
陰陽道や風水的にも完璧なる地。
未だ発掘調査されていない古代遺跡や城跡らしき遺構も沢山あります。
では、姫神はなぜ封印されたのか?
それは「青き炎」で記した様に、
古代の権力者達が最も消したかった偉大なる名を冠した神様
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
=「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
の奥様だったからです。
わかりやすいところで言えば「明治神宮」などでもそうであるように、
古代の神様を「本当に」祀る寺社では、
男性神であれば必ずその奥様......
正妻の方も一緒に祀られる形が多いのです。
当たり前の話ではありますが、
ニギハヤヒさんの足跡を消そうとした時、
そんな奥様の足跡も消さなければ業務オーダーの完成!とは相成りません。
当然、奥様の痕跡からニギハヤヒさんを辿ることも出来てしまいますので。
「もし」そんなことで封印されたと考えると......
瀬織津姫さんという美しき女神様は......僕は......
「ニギハヤヒさんの奥様!」
だったのだと思うのです。
何より、初瀬(ハセ)の地の、
その「川の瀬」から船で降りて行って「港=海=津」に出る......
大和川の瀬を下り、
津に出て行く出発の地を護る清らかなる水の女神様......
瀬を降りて津に向かう女神様......せおりつ......瀬織津姫。
「織り」は「降り」「下り」
誰が文字を変えたのでしょうか。まったく......
ちなみに、書籍やネット、
不思議なる能力を持っているとおっしゃっている様な人達も含め、
このコトをわかっている人に僕は今迄一度も出会ったことが無かったのです。が、
「青き炎」を記し出した時から起きている不思議な出来事の中の一つに、
このことを理解している人との貴重な出会いがあったのです。
先日、草場さんの絵画展に一緒に行ったプッチンプリリン♡お姉さんズのお一人は、
驚くことに、このことをとても普通にわかっていました。
龍神さんとも話せちゃいますし。
透明なる力を持った本物さんでございます。
恐れ入りまちた!(*゜ω゜*)/
あっ!
これまでセオリツ姫さんの話を一度もしていなかっただけで、
我が心の友、九州の「Mさん」や、
北陸の「Yさん」は本物中の本物ですのでトーゼン知ってますのね。
間違いなく。ええ。
そういう人たちは皆、
ちゃんと社会でしっかりお仕事をして暮らしています。
不思議~!?な力でお金を稼いでたりなんかしていません。
僕らと同じように毎日汗水垂らして、
愚痴の一つや二つもこぼしながら働いています。
これ、
とても大事なことです。
そんなこんなで、
この女神様が祀られている場所の多くが
清らかな清水の湧き出る地であるわけで。
有名どころで言えば、
京都、下鴨神社の最奧にある湧水地や、
名古屋、熱田神宮の最奧で、
これまた清水の湧き出る「清水社」の裏山に祀られていたり。
その多くが人々にとって大切な河川の源流域に祀られていることが多い......
という事実にも深く納得がいくというワケなのです。はい。
これまたイッポン!
座布団一枚!
失礼いたしやしたぁぁぁあぁ。。
また来週ぅぅぅーーーっ!( ´ ▽ ` )ノ
☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
「青き炎」「2」「3」「4」
「大和編」
「海賊編」 「2」
「番外編」
「氷川編」
「素粒子編」
「首塚編」「2」「3」「4」
M子さんのブログから、来ました。(^-^)/
なんか、上からの催促もあって?(笑)、いくつか過去記事、読ませていただき、ぐわん~と来たりしてます。
にうつひめ神社は、おととし、15年ぶりに日本に行った時に、最初に行った神社でもあり。
「朱」の女神シリーズ、かなり、来ました。
ただ、どうも私的には、姫は、空海さんに封印されてたイメージが。。(⌒-⌒; )
で、まあ、それはそれとして。
この記事の写真、M子さんのブログでも拝見してましたが。
えええ~?
これって、虹の龍さんの写真だったのお~?って、今更ながら。(⌒-⌒; )
実は、I さんがハワイに行かれてた頃。
私は、急遽、九州方面に行っており。
草場さんのギャラリーで、この虹の龍さんのシルクスクリーン版を買ってきてるのです。
(もともと、M子さんのブログで紹介されてたこの絵を見た時から、ぐわん~と来ており。
あれよあれよと、日本行きの話しになったのでした。)
で。
どうも、やっぱ、この絵、相当、なんか入ってるみたいで。
虹の龍さんの存在感、すごいのです。
この虹の龍さん、レムリアの龍さんのような気がするのですが、I さんのイメージは、どんなですか~?
ねーさんの友達の!いやいや、どもども~。
わざわざタイの方からですな!?ありがとうございます(^_^)
虹龍さんを考える前に先ず「虹」を考えると良いと思います。
地球上で現れる虹は何処でも全て7色で変わらないのですね。不思議です。
人の目が認識できる範囲ではありますが、常に7色です。
おそらく、太古の昔、
この星に降り立った人達が「もし」いるとしたら、
ソレは7つの星から降りてこられたのだと思います。
それぞれの考えや思い、違いはあるけれど、
この星で一緒に暮らすには共通のルールを確立しましょう......と。
そのルール確立の印として7つの虹がこの星に据えられたのかもしれません。
虹は調和の印です。
水=地球と光=宇宙が合わさる時に出るもの。
ソレは7種の星人達の印であり協調の印。
だから虹は誰が見ても心地の良いものなのだとも思えます(^_^)
勿論その中にはレムリアもあったでしょうし、
過去この星で栄えた様々な文明も入っていると思います。
そんな調和、統合の力を持つ龍神さんが虹龍さんで、
現日本国の元となった大和王朝は「青き炎」で記した通り天津、国津と言われし2つの勢力を統合して出来たものです。
それを最初に成したのが「天照国照ニギハヤヒ」であり、
その統合の力は正に虹龍の力。
ねーさんが言っている通り、虹龍さんはいつもニギハヤヒのような統合力のある人に力を貸しているのだと僕も思っています。
右だ左だ、上だ下だ、天だ地だ、あの星この星......
という考えを持つような人々にはもしかしたらナカナカ馴染めないかもしれませんし、怖く思える部分もあるかもしれません。。
そんな力はルリコさんの言う通り強力で崇高です。
草場さんはそんな力も見事に捉え絵にしています。
稀なる方です。
3000万円。。と言われても買いたくてしょうがありませんでした(; ̄ェ ̄)
しかし......
かなり自制して書いているブログだったのですが。。。ヤバイ!!( ̄O ̄;)
るりこさんのせーででで!?
コメント欄だからとオモイッキしオフトークとかしちゃってるるるしっ!?ヤバし!?
ちなみにルリコさんがネーサンの所で質問していた牛頭天王の件は
ルリコさんのお察し通り!スサノオさんです。
やはり「青き炎」に記してますが、
海の向こうから渡ってきた大王ですからバイキング?チンギス?のような大きなツノのついた、
脅しの効いた鎧兜を被っていたのだと思います。
戦場や平場に乗り込む時のそんなツノ付きヘルメット!?
を被った姿を見ていた人々は「牛頭」と呼んだのですね(^_^)
早速のこゆい回答、ありがとうございます~。
o(^▽^)o
なるほど、虹の解釈、納得です。
以前、とある霊的な記憶?がある女性が、虹=縛り付けてるもの~だから、イヤ!みたいなことを、云ってたことがあり。
虹=ルールって表現、わかる気がします。
やはり、プリズムオブリラ~ってことなんでしょうかね~。
私にとっての「神様」は、ず~っと昔から、M子さんのところの「レムリアの神様」のことだったんだ!と気付いて以来。
いろんなことがふにおちたのでした。
多分、人魚から、人間になって、リラの王子(イラタの神)に伝えたかったことは、レムリアの神の教えだったんだろうな~と、当時を思い返したりしてました。笑
牛頭天王の話しも、超納得です。
(^_-)-☆
そんでですね。
統合の象徴であった「ニギハヤヒ」は、M子さんのところの話しによると、殺されちゃった訳ですよね。
となると、やはり、何故?誰に?ってのが、気になるところで。(⌒-⌒; )
もしかしたら、私、その場面に居たかも?と、ふと、感じたり。
草場さんの虹の龍さんみてると、こみあげてくるものがあるのです。
展示会に、初期の作品ってありましたか?
ギャラリーに、20年前の作品があって、すごかったです。
作品自体は、荒削りな感じで、今の繊細さはないのですが、パワーが、すごいのです。
星の子?が、飛んでくる姿が描かれた作品があったのですが。
私の中の記憶と重なる感じがして、ああ、この人も覚えてるんだな~と感じました。
ギャラリーの女性曰く。
人には云わないけど、(草場さんも)視える方のようです。
生の作品のエネルギー、ホント、すごいですよね~。
この虹の龍さんのタイトルは、「時は今」ってことで、やっぱ、「今」なんだろうな~。
4日、楽しみです。(^_-)-☆
生まれ育った者です。
とても興味深く
読ませていただきました。
三輪山から白山
原生林のままの与喜山まで
連なっています。
長谷寺の舞台に虹龍!
感動しました。
牛頭天王をお祭りする
素戔嗚神社が
写真にある連歌橋のすぐ近くに
大きな銀杏の木が御神木
あるんです。
ごってらさんの愛称です。
長谷寺は子供のころの遊び場所
抱かれていたんだなと思います。
このお話、読めて嬉しいです。
羨ましいですぅ(><)/
このブログでは未だ記していませんが、勿論!?素盞嗚神社さんも伺っています。
急斜面の中腹。谷を見下ろせる場所。仰る様に御神木もすばらしかったです。また折を見て記してみます(^^)
そして1年ちょっと前、ふとしたきっかけで三輪山を訪れたことで、日本の神話や古代史に興味を持つようになりました。
それからずっと、特にニギハヤヒ様に惹かれて私なりに色々と調べて学んできたので、ニギハヤヒ様や瀬織津姫様が本当にこの地にいらっしゃったかと思うと、なんだか胸がいっぱいになります。。
本来なら、夫婦の神様は一緒に祀られるとのことで、三輪山の周辺でもともとは瀬織津姫が祀られていた場所もあるのでしょうか?
個人的には、大神神社の中の市杵島姫神社や、山の辺の道の龗神神社(まだお詣りしたことはないのですけど…)などが、なんとなーく気になります。。
私は何の力もなくてあてずっぽうですがf(^^;
虹龍さんも、すごーーーく興味深いですね!
どんな龍神さんなのでしょう…✨
ルリコさんやこもりくさんとのコメントも奥がとっても深そうで、私もいつか本質を理解できるようになりたいものです☆ミ
大宮神社の本殿近くにもあると思いますが、大抵は「祓戸の神」として多くの神社の御手洗や参道口付近に祀られてらと思います。
祓戸社とかありましたら挨拶!?してみて下さい。
今日の関西は良いお天気で、久しぶりに三輪山の大神神社から檜原神社までお詣りできました⛩️
以前に教えていただいた祓戸社も^^
ずっと昔、ニギハヤヒさまや瀬織津姫さまもいらっしゃったという場所…と胸を弾ませてきました🐇✨
途中にある龗神神社にも初めて寄れて、この地の白龍さんと黒龍さんがおられるそうですが、今は青龍もいらしてるとか…🐉
私に感じる力はありませんが、見えない存在にも思いを馳せながら、いつも感謝の気持ちを大切にしたいと思います🌸
この記事はとても大事ですねぇ。。(^^)
ここで書いたことは、その後、あちこちで使われてもいたようでして......
ええ。ええ。