「碧巌録(へきがんろく)」という、
中国禅の古典に記されている有名なエピソードの一つを、
バチあたりなほど平たい言葉と表現で記しちゃいますと......
==================================
ある時、雲門(うんもん)さんというスゴイ大師さんが、
修行中の僧侶さん達にこんなことを言いました。
「こりゃこりゃ。おまいさんたち。
これまでいろーんなことをやってきたのだろうが、
そのへんのことわ何もきかん。わしゃしらん。
それより、これから先にどんなことをしようと思っておるのか?
どんな心持ちで過ごしていくのか?
一句にしてわしに教えてみ。
んん?どや?ん?」
しかし、その問いに対して僧侶達は誰も答えることができず。
とにかく正しい答えを出さん!と、
しばし考えを巡らしている様でした。
そんな様子を見た雲門さんは一言、こう言いました。
「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」
==================================
原文は以下の通り......
==================================
雲門、垂語して云く、(うんもん、すいごしていわく)
十五日已前のことは汝に問はず、(じゅうごにちいぜんのことはなんじにとはず)
十五日已後、(じゅうごにちいご)
一句を道い将ち来たれ。(いっくをいいもちきたれ)
自ら代って云く、(みずからかわっていわく)
日々是好日。(にちにちこれこうじつ)
==================================
「日日是好日」は「日々是好日」と書いたり、
「ひびこれこうじつ」とか「こうにち」とか、
言い方もまちまちである様です。
「禅(ZEN)」の世界の言葉ですので、その意味は?となると、
「それぞれが、それぞれで自由に解釈するがよし......」
という感じなのでしょうか。(^^)
そして、そんな禅宗に関しては、
以前にはこんな記事を書いていたと思いますが......
「喫茶去(きっさこ)」
「喫茶去(きっさこ) 2」
「深川徒然。。おまけ」
「トイレの神様、仏様。」
「永平寺徒然」
これらの記事の中にも記してあるように、
禅というのは本当に面白いもので。
原理原則の一つに
「不立文字(ふりゅうもんじ)」=文字や言葉に真理などない!」
なんてものがありながら、その反動で、
他のどんな宗教より沢山の関連書物があったりもするのです。
冒頭に記した「碧眼録」という書もそんなものの一つで、
数々の禅問答......「語録」......なるものが収められています。
話は少し前、昨年末のこととなるのですが。
せわしない時節に少し思うことがあって。
久々にビシッ!としているお茶の先生のところにユルユルッ!
と伺ってまいりました。
お茶の師範でもある先生の隙の無い所作でもって立てられたお茶を
静々と飲みに行かせてもらった、
お点前(手前)を拝見させていただいた......というわけです。
京都の街などではインバウンド向けによくあるような場所なのですが、
東京ではそんな風に気軽にお茶を楽しめる様な所はなかなか見当たらなく。
この時は、浅草の有名茶道具屋さんである
「柿沼」さんの茶室に伺うことにしました。
その茶室の床の間に飾ってあった掛け軸が
「日々是好日」
だったのです。
柿沼さんは浅草のゴミゴミとした街中にありながら、
露地(ろじ)と呼ばれる清廉とした中庭の道も、
最小限にしっかりと作っています。
茶室への上がり口のところには「つくばい(蹲踞、蹲)」もあり、
しっかりと手洗いと口濯ぎ(すすぎ)もできます。
茶室という特別な空間に入る際の結界としての意味もあるわけです。
入り口もちゃんと「にじり口」で。
体を小さく、低くして、ニジニジ......っと、
這う様にして潜る戸口なので「躙口(にじりぐち)」。
この作りを茶室に持ち込んだのは勿論!の千利休さん。
利休さんが生きた時代は、乱世も極まる戦国時代。
人の命など風前の灯。
主従関係も上下関係も頑然としていた世界。
そんな中で、茶室の中だけは全ての人が平等である......
ということを示すために、この「小さい戸口」が作られたのだそうです。
この小さな口を潜るには、
どんなに身分が高い人でも平身低頭しなければならず。
どんなに強い武士さんでも刀や装身具を外し、
誰かに預けなければ茶室に入ることができないわけです。
良き茶室。(^^)
いつも正座している足がシビレまくっちゃうのでちゅけど......
それでも背筋をビシッ!とただし。
心もピシッ!として。
なんでもない毎日に心から感謝して。
なんの変哲もない自分にも感謝して。
普段気にも留めないような身近すぎる人達のことを想い。
普段ムカついているような人達のことも想い。
楽しいことにも、
厳しい世界にも、
不安な気持ちにも、
辛く思えるような出来事にも、
とにかく、
全てが自分の成長のためには良きことなのだと思えるように。
晴れでも雨でも風の日でも、
自然なるものにとっては全てが必要なことと思われ。
陰だ陽だ、光だ闇だ、と言いつつも、
光は闇があってこそという事実を捉え。
光も闇の一部なのだと、そういう理解も深め。
ま、とにかくビシッ!と。ユルッ!と。
お茶を飲んでまちたの。ええ。ええ。
上等な抹茶さんは苦甘でおいちいっす。(●´ω`●)ええ。
どんな時も、
日々、コレ、好日なり(^^)
ベストセラー・エッセイ「日日是好日」。
「森下典子」さんの代表作の一つでしょうか。
とても趣(おもむき)のある本です。
僕にとってはとても大切な本の一つ。
この本の213ページには、
僕の体に染み込んでしまったこんな言葉が記されています......
「雨の日は、雨を聴きなさい。
心も体も、ここにいなさい。」
この作品は2018年に
大森立嗣(おおもりたつし)監督によって映画化もされていて。
そちらでは、今は亡き樹木希林さんの演じるお茶の先生が抜群に印象深く......
上にリンクしている映画のインタビュー動画では、
希林さんはこんなことを言っています......
「今の、この、地球がもう、
いつどうなるかわからないような、、、
(中略)
こんなふうに、なんでもないことを、
来年もまた毎年同じように出来るということが本当に幸せなんですねぇ、、」
中国禅の古典に記されている有名なエピソードの一つを、
バチあたりなほど平たい言葉と表現で記しちゃいますと......
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ある時、雲門(うんもん)さんというスゴイ大師さんが、
修行中の僧侶さん達にこんなことを言いました。
「こりゃこりゃ。おまいさんたち。
これまでいろーんなことをやってきたのだろうが、
そのへんのことわ何もきかん。わしゃしらん。
それより、これから先にどんなことをしようと思っておるのか?
どんな心持ちで過ごしていくのか?
一句にしてわしに教えてみ。
んん?どや?ん?」
しかし、その問いに対して僧侶達は誰も答えることができず。
とにかく正しい答えを出さん!と、
しばし考えを巡らしている様でした。
そんな様子を見た雲門さんは一言、こう言いました。
「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」
==================================
原文は以下の通り......
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雲門、垂語して云く、(うんもん、すいごしていわく)
十五日已前のことは汝に問はず、(じゅうごにちいぜんのことはなんじにとはず)
十五日已後、(じゅうごにちいご)
一句を道い将ち来たれ。(いっくをいいもちきたれ)
自ら代って云く、(みずからかわっていわく)
日々是好日。(にちにちこれこうじつ)
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「日日是好日」は「日々是好日」と書いたり、
「ひびこれこうじつ」とか「こうにち」とか、
言い方もまちまちである様です。
「禅(ZEN)」の世界の言葉ですので、その意味は?となると、
「それぞれが、それぞれで自由に解釈するがよし......」
という感じなのでしょうか。(^^)
そして、そんな禅宗に関しては、
以前にはこんな記事を書いていたと思いますが......
「喫茶去(きっさこ)」
「喫茶去(きっさこ) 2」
「深川徒然。。おまけ」
「トイレの神様、仏様。」
「永平寺徒然」
これらの記事の中にも記してあるように、
禅というのは本当に面白いもので。
原理原則の一つに
「不立文字(ふりゅうもんじ)」=文字や言葉に真理などない!」
なんてものがありながら、その反動で、
他のどんな宗教より沢山の関連書物があったりもするのです。
冒頭に記した「碧眼録」という書もそんなものの一つで、
数々の禅問答......「語録」......なるものが収められています。
話は少し前、昨年末のこととなるのですが。
せわしない時節に少し思うことがあって。
久々にビシッ!としているお茶の先生のところにユルユルッ!
と伺ってまいりました。
お茶の師範でもある先生の隙の無い所作でもって立てられたお茶を
静々と飲みに行かせてもらった、
お点前(手前)を拝見させていただいた......というわけです。
京都の街などではインバウンド向けによくあるような場所なのですが、
東京ではそんな風に気軽にお茶を楽しめる様な所はなかなか見当たらなく。
この時は、浅草の有名茶道具屋さんである
「柿沼」さんの茶室に伺うことにしました。
その茶室の床の間に飾ってあった掛け軸が
「日々是好日」
だったのです。
柿沼さんは浅草のゴミゴミとした街中にありながら、
露地(ろじ)と呼ばれる清廉とした中庭の道も、
最小限にしっかりと作っています。
茶室への上がり口のところには「つくばい(蹲踞、蹲)」もあり、
しっかりと手洗いと口濯ぎ(すすぎ)もできます。
茶室という特別な空間に入る際の結界としての意味もあるわけです。
入り口もちゃんと「にじり口」で。
体を小さく、低くして、ニジニジ......っと、
這う様にして潜る戸口なので「躙口(にじりぐち)」。
この作りを茶室に持ち込んだのは勿論!の千利休さん。
利休さんが生きた時代は、乱世も極まる戦国時代。
人の命など風前の灯。
主従関係も上下関係も頑然としていた世界。
そんな中で、茶室の中だけは全ての人が平等である......
ということを示すために、この「小さい戸口」が作られたのだそうです。
この小さな口を潜るには、
どんなに身分が高い人でも平身低頭しなければならず。
どんなに強い武士さんでも刀や装身具を外し、
誰かに預けなければ茶室に入ることができないわけです。
良き茶室。(^^)
いつも正座している足がシビレまくっちゃうのでちゅけど......
それでも背筋をビシッ!とただし。
心もピシッ!として。
なんでもない毎日に心から感謝して。
なんの変哲もない自分にも感謝して。
普段気にも留めないような身近すぎる人達のことを想い。
普段ムカついているような人達のことも想い。
楽しいことにも、
厳しい世界にも、
不安な気持ちにも、
辛く思えるような出来事にも、
とにかく、
全てが自分の成長のためには良きことなのだと思えるように。
晴れでも雨でも風の日でも、
自然なるものにとっては全てが必要なことと思われ。
陰だ陽だ、光だ闇だ、と言いつつも、
光は闇があってこそという事実を捉え。
光も闇の一部なのだと、そういう理解も深め。
ま、とにかくビシッ!と。ユルッ!と。
お茶を飲んでまちたの。ええ。ええ。
上等な抹茶さんは苦甘でおいちいっす。(●´ω`●)ええ。
どんな時も、
日々、コレ、好日なり(^^)
ベストセラー・エッセイ「日日是好日」。
「森下典子」さんの代表作の一つでしょうか。
とても趣(おもむき)のある本です。
僕にとってはとても大切な本の一つ。
この本の213ページには、
僕の体に染み込んでしまったこんな言葉が記されています......
「雨の日は、雨を聴きなさい。
心も体も、ここにいなさい。」
この作品は2018年に
大森立嗣(おおもりたつし)監督によって映画化もされていて。
そちらでは、今は亡き樹木希林さんの演じるお茶の先生が抜群に印象深く......
上にリンクしている映画のインタビュー動画では、
希林さんはこんなことを言っています......
「今の、この、地球がもう、
いつどうなるかわからないような、、、
(中略)
こんなふうに、なんでもないことを、
来年もまた毎年同じように出来るということが本当に幸せなんですねぇ、、」
落ち着く素敵な部屋👀自分の部屋にしたい。
こちらの記事と樹木希林さんのインタビューで、茶室の中へ一瞬入る事ができました♡ ありがとうございます。 また映画観てみよう。
お抹茶もお菓子も大好きだけど、やっぱりあの空間が好きなんだなぁ。 あ、私も足はシビレまくりです… 痩せないといけませんです 笑
お茶室、落ち着きますね。
実家にはお稽古場としていた
場所があるので
炉もきってあり
一応、お茶室のていをなす
部屋があります。
喫茶去と並んでよく目にする
お軸にかかれてる禅の書ですね。
もう10年前に亡くなった
私の師匠(おじいちゃん先生でした)からは
「いい日もそうでない日も
受け入れて
そこから学ぶ
今を大切に生きよ」と
教えられていました。
ほかにもどんな解釈もできると
思いますが。
茶道は結婚して子育てに忙しくなって
遠ざかってしまいました。が
たまに季節の和菓子を買って
手元にある
茶箱を用いてお茶、点てて
ひとりお茶会やってます。^_^
黒織部で西尾の抹茶を
点てなければ、amenouzmetさん!
この時、既に全身を癌に蝕まれながら演技をしていたであろう希林さんの姿と、
原作の良さを大切にした味わいのある映画だなぁ、と。(^^)思います。
黒織部で西尾の抹茶を立てさせたら日本一大雑把!
な感じっす。(*´ω`*)ええ。ええ。
生きるも死ぬも簡単ではない
精妙な世界は丁寧に謙虚に
生きなければ分からない
格好ばかりの雑な
生き方では分からない
知識だけあっても
知恵は出て来ない
ということなのかもしれません
解釈は自由ですね😄