雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

散逸構造論 4

2012-09-18 00:00:17 | 面白い
それは、広大無辺な宇宙空間に
ポツリ、ポツリと小さな埃の様に浮かぶ星々。。
太陽、月、地球......そして、生命。
僕らの存在......

もちっとつづく。。。




もしかしたら、生命はもちろん、
この世界に存在するもの全てが散逸構造そのものなのではないか......
と思えることです。
あくまで個人的な意見ですが。



全ては宇宙のわずかな「ゆらぎ」から生まれ、
「ネガティブ・フィードバック」の「潰し」をくぐり抜け。
くぐり抜けたその果てに、今度は全体からの
「ポジティブ・フィードバック」
を受けて誕生する。
それは「奇跡」ではないかと......
散逸構造論的な奇跡ではないかと......思えるのです。
なんとなく、このプリゴジンの理論には、僕達の存在、
命創造の根本原理も含まれている様な気がしてならないのです。
「存在」というものは、誰が何と言おうと、
宇宙の法則からしたらポジティブである、
という証明をしてくれた様な気がしてしまうのです。



混沌から生まれた秩序が僕達。
絶望から生まれた希望が僕達。
そういうことになるのでしょうか。



コレが僕がプリゴジンを好きな理由です。
僕らや万物の存在そのものが
「確率論的にはとんでもない奇跡である」
ということを科学証明してくれたような気がするのです。



僕らは、元々はそんなちっぽけなただの「ゆらぎ」かもしれない。
でも、とても貴重な「ゆらぎ」かもしれない。
そんなことを証明してくれたような、そんな気がします。



「バタフライ・エフェクト」
たった一羽の蝶の羽ばたきが時に世界を変えてしまう......
よく知られるそんな話しにも「散逸構造論」は繋がっています。
だから僕らは常にそんな「ゆらぎ」を創らなければいけない。
とてもちっぽけで小さなものでも、
押しつぶしてくる大きな「全体」の中であっても、
それを創らなければいけない。
ソレはもしかしたら、
そんな大きな全体をも動かす「ゆらぎ」になるかもしれない。
「散逸構造論」にはそんなメッセージがあるように思えるのです。



散らかった机からいつも僕を見つめるDJミッフィー。
......なんだろうか、数日前に
「やべっ! 机片付けなきゃ。。」
なんてちっぽけな話しから始まったこの記事。
なんだかとんでもない所に来ちゃった気が......(;*´ω`)ゞ ァィャー
ブログタイトルの由来話しくらいの長編になってしまいまちた。
物理の話やし....ドンびき感も!?たっぷりやし......
好きな話だとついつい記したくなっちゃうのだろうか......
まぁ、サブタイトル通りの気持ちで書いたから、いいか。。
クレーム受付中ということで(;^_^A

机未だに片付けられてへんわ。。やべ(><)


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7 コメント

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ポジティブフィードバックとネガティブフィードバック (蓮華)
2012-09-18 00:57:49
なかなかの長編でしたね。とても勉強になりました。私も物理学と真理、心理学には何かしらの繋がりのようなものがあるように思う時があります。

私達の存在がゆらぎであるとして、今現在はポジティブフィードバックの中に、我々はいるのでしょうか?それとも、ネガティブフィードバック?

ポジティブフィードバックの中にいた、と言うことができるのは、我々が宇宙の混沌を打ち破り、宇宙全体を変えることができた時に始めて、ポジティブフィードバックの中にいた、と言えるのかもしれません。

それは結果論から導き出せる答えなので、現時点では何とも言えないのかもしれませんね。でも、我々生命が宇宙に誕生した、と言うことは、間違いなく奇跡であり、ポジティブフィードバックの結果であるとするならば、今後、混沌を打ち破り、絶滅することがなければ、それは証明されます。

しかし、何を持って、宇宙の混沌を打ち破ったといえるのでしょうか。
宇宙の果てとは?

宇宙に果てがないのだとするならば、我々はポジティブにいるのか、ネガティブにいるのか、決めることはできない、ということになります。

それもまた、確率論的に述べていくしか説明することは出来ないのかもしれませんね。
または、観測する期間を区切るか、ですかね。

ポジティブフィードバックを受けていた、となるような、混沌に負けない、強い心を持ちたいです。強く、強く、前に、前に。負けない方へ、負けない方へ。
返信する
もうひとつだけ (蓮華)
2012-09-18 01:56:17
ふと、おもったことがあったので、もうひとつだけ。

過去に大きなゆらぎをもった人間に出会ったことがあります。

大きなゆらぎでしたが、ネガティブフィードバックにより、今にも消え入りそうになっていました。

誰もが始めは、そんなに大きなゆらぎになるとは思っていませんでしたが、強く、光るそのゆらぎは、多くの人達に影響を与え、かえていきました。

ゆらぎそのものの力もあったと思いますが、ポジティブフィードバックの力もあったのかもしれません。

その後、そのゆらぎはどうなったのかは分かりません。絵を描くのが好きなようでしたから、その方面でいつかまた目にするかも知れませんね。

こんな話ばかりですみません。
私もそのゆらぎの、ポジティブフィードバックになりたかった、ということです。
返信する
蓮花さんへ (amenouzmet)
2012-09-18 22:38:20
散逸構造論の話しは存在の「起源」の「しくみ」にまつわる部分で、「起」は常に「ポジ」ではないか、と記してあると思います。
そして、ここで記しているのは物理を借りた個人の「哲学」です。

「いる」ということであれば「ポジ」でも「ネガ」でもないと僕は思っています。
「いる」ということ、、それは即ち「間」だと思っています。
存在している間は常に「ネガ」「ポジ」の両間で揺れ動いているのだと僕は認識しています。
なので、存在は常に陰にも陽にもいけるのではないのでしょうか。そしてそれを司るのは、「人という存在の場合」はそれぞれの「自由意志」なのではないかと思っています。
宇宙に関しての質問部分も同様に答えられると思っています。

宇宙もビッグバン理論では最初はわずかな「ゆらぎ」から始まりました。その後、コノ瞬間も拡大を続けるこの宇宙はまさに「間にある」と言えると思います。宇宙も人間同様に陰にも陽にも成れる可能性を持ったまま拡大を続けている状態なのではないかと思います。
面白いのは、、同様に、、宇宙にも人のような「意志」があるのでしょうか?ないのでしょうか!?(^^)
宇宙の「果て」というのはそんな宇宙意志の中にあるのかもしれませんね。

「間」ということに関してもまたいつか記せれば良いな、、と思いました。
いつもありがとうございます。
返信する
Unknown (ゆうゆはは)
2022-05-04 22:57:05
ウクライナ🇺🇦にも
ロシア🇷🇺にも
ゆらぎがうまれていますように。。。

私たちにできる、創ることのできるゆらぎは
なんなのでしょうか。。。
(/ _ ; )
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ゆうゆははさんへ。 (amenouzmet)
2022-05-05 01:00:27
自分の人生をしっかり生きることではないかと。
それが世界を変える小さな揺らぎでもあると。
そう思います。
返信する
Unknown (ゆうゆはは)
2022-05-05 08:22:18
お返事いただき、嬉しいです^_^

そうですね。そうですよね。
奇跡的に生を受けた私たちですもの!
ありがとうございます。
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ゆうゆははさんへ。 (amenouzmet)
2022-05-05 12:09:54
(^ν^)
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