銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

庶民の町、アストリアへ移動する(新連載小説の7)

2010-07-07 23:59:27 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第七章『庶民の町、アストリアへ移動する』

・・・・・[前号までのあらすじ]、初めてのニューヨークで家さがしをしなければならなくなった百合子(57)は、人々の心に触れ、喜怒哀楽を嘗め尽くすが・・・・・

 さて、地図代わりの地下鉄路線図に戻る。フォレスト・ヒルズと同じクィーンズと言う地域ながら、一本だけ、違う地下鉄・路線Nが、フォレスト・ヒルズの西北を走っていた。そこに行ってみようと42丁目(=タイムズスクエアー)駅から、出発する。すると、15分程度で、地下鉄が地上へ出た。そして高架になる。そのことはあっと驚く。が、駅舎群が、粗末だ。最近の東京では、中央線も小田急も、東横線も線路が、踏切を避けるために高架化されているが、その修正工事とともに、駅舎が改築され、豪華なビルになる。その手の日本の駅舎とはまったく異なった、シンプルな、駅で、細いホームは波板プラスチックで囲まれている。それらの駅と駅との間に町が見えるが、樹木が少ない。町工場らしきものは見えるが、邸宅と思われる雰囲気のものは見えない。

 『あ、もしかすると、フォレスト・ヒルズより、貧乏な人が住んでいる一帯かな?』と思う。『が、今の私には、そう言う地域の方がぴったりだ』とも思って、勇躍、終点のディトマス・アストリアに降り立った。結構にぎやかな街だ。大型のスーパーもある。しかも、なんと、馬券売り場まであった。
 森閑としていて上品なフォレスト・ヒルズにはありえない、露天商としての古本屋まであって、草間弥生が表紙になっている、アエラさえ売っていた。そのアエラを買いながら『ああ、これっていい予兆(サイン)かも』と思う。
 
 非常に大きなケーキやさんがあって、それに付属して広い喫茶店がある。そこにお茶しに入ると、マダムが日本にいる学友にそっくりだった。戦後の日本には、モダンな顔をした美人も発生していたのだ。百合子はそれを彼女に、告げながらケーキを買う。大家さんの坊やにお土産として。ちょっと矛盾しているようだけれど、引き続いて毎日慕われ、なつかれていたので、かわいいと思う気持ちには、変わりは無かった。かわいいから遊び相手となるのを、拒否できない。だからこそ、引っ越そうと思っているわけだ。

 さて、この街で最初に入った不動産屋は、今までとはまったく違った特徴があった。それは、この1999年にたずねたものに加えて、80日後次の年用にと、訪ねたところとも、2000年にニューヨークに来て、新たに訪ねた不動産屋をも含んでも、そのすべてとも、まったく違っていた。
 ここ以外の不動産屋では、スタッフが一人一人、オフィスを持っていて、隔壁で囲まれている。最近では日本の銀行もこういう形式をとるところがあるが、あれよりも、もっと立派なスペースを持っていて、事務所全体は静かである。

 つまり、受けて側の社員の数も少ないし、お客も数が少ない。つまり、シーンとしている。そして、デスクはマホガニーなどの両袖タイプで、立派だ。車も立派だ。1999年はBMVだったが、2000年はベンツで、物件まで案内をされた。

 ところが、このディトマス・アストリアのお店では、歩いて、物件まで案内をされたのだ。まあ、歩いていかれる距離だったからだともいえるし、石段を使って上る丘だったからともいえるが。

 ともかく、ここだけは、すこぶるつきで、にぎやかだった。狭いスペースの店なのだけれど、人気があるらしい。お客がひっきりなしに来る。しかも、社員も数が多い。その社員がすべて、コンパクトに机を寄せ合っていて、その机がスチール製で小さくて、方向もすべて、お客のほうを向いている。これって、いわゆる日本式だ。
 しかも待合室(といっても、廊下程度の広さなのだけれど)に雑誌さえ置いてあった。まるで美容院だ。混んでいるので、待たされる間、お客はそれを読んで待っている。百合子がその名を知っている雑誌としては、VOGUEがあった。なんとも庶民的で開放的だ。社長は、日本にビジネスを学びに来た過去が、あるのではないか、とさえ思った。

 一番右奥に座っている40代の男性が、社長らしくて、右の一番前に座っている女性が、いわゆる高卒の新入社員で、花の受付嬢というわけだ。きゃぴきゃぴギャルという言葉が日本で流行っているころだったが、その受付嬢はまさにそんな感じで、かわいくて性格も軽そうな女の子。体格も小さくて、少女みたいだ。分業体制がしっかりしていて、まず彼女が受け付けたあとで、その要望物件の大小(値段の高、低)に応じて、後ろにいる担当社員を、彼女が判断して、割り当てるらしい。
 こういうオフィスを作り上げた、社長は頭がよさそうな、しかも改革派だ。そして、何よりもすこぶるつきの美男だった。まるで、映画俳優みたいだ。フォレスト・ヒルズの白人青年より、甘い感じで、しかもその表情の動きが、人間の心に触れている。7メートルぐらい離れているので、その瞳の色まではわからなかったが、能面みたいだったフォレスト・ヒルズの青い瞳の青年とは違ったタイプだ。
               この項続く。  2010年7月8日   雨宮 舜

 なお、最近のニュースとしては、大相撲の決着方式(特にNHKが放送をやめたということ)に私は不満を持っておりますが、それについて触れると疲れるので、今は、この長い文章を完成させるのに専念をしたいと思っております。皆様の現在の関心事に触れなくて申し訳ございませんが・・・・・

 また、下に11時間で更新した#6がありますので海外にいらっしゃる方は、どうかそれもごらんをいただきたく。
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NYで、マンションを買えと勧められ(フォレストヒルズー2)

2010-07-07 13:32:26 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第六章『NYで、マンションを買えと勧められ仰天をする』(フォレストヒルズー2)』

・・・・・[前号までのあらすじ]百合子(57)は、ニューヨークで住まいを探すが、ひとりぽっちでやるので、困難がいろいろあって・・・・・


 ある朝、馬の蹄の音で目が覚めた。ぱか、ぱか、ぱかと言う音は映画の中で聞いただけの音だ。夢かしらと思いながら飛び起きて、窓から下を覗く。南北に通っている、アヴェニュー(五番街が特に有名だが)と言う大通りを、騎馬警官が南に向かって、進んでいくのが見えた。とおりには一台の車も通っていない、ので、馬は歩道よりだが、落ち着いて安心して進んでいく。
 『うわあー、これを見ることが出来ただけでも、このうちに住んだ価値はある』と思うが、親切な老夫婦のきちんとしたたたずまいを見た後では、百合子も本来は、思考する人間なのだから、その落ち着いた環境が絶対に必要で、早く引っ越し先を見つけないと駄目だと改めて、覚悟する。

 その日は、昼間は大学院の講義がない日だったので、早めに出かけた。前日の経験からフォレスト・ヒルズといっても相当に範囲が広い事がわかったので、今日は、別の駅で降りてみる。すると、お店などが集中している通りから、少し歩くと、昨日とは違った林に出た。もっと若い木々。そして、人工的に植樹された種々さまざまな木が、植えられている細長い林に出会う。
 
 それに沿って、奥行きは普通だが幅(というか、長さ)は100メートル以上のビルを使ったマンションが、あった。大理石を壁に貼ったようなとても新しいしかも高級なマンションだ。ここら辺りは、若い人が多く住んでいるのか、人通りが昨日より多い。こんなマンションに住めたらいいなあと、ぼんやりと入り口にたたずんでいると、どうも日本人らしいと思われる40代の男性が通りかかった。百合子は立ち話で、かくかくしかじかなので、このマンションに空きがありませんかと、聞いてみる。

 非常に親切に話を聞いてくれて、「後で、よい、不動産屋を紹介してあげます」といってくれるが、その前に、「自分の部屋を見せてあげます」ともいってくれた。
~~~~~~~~~~
 そのひとの部屋に入って仰天をした。片付いていると言うレベルが半端ではないのだ。クラシック音楽を聴くのが趣味だと聞いたが、どこにもレコードやCDが置いていない。別の部屋にあるのだろう。昔は商社マンだったが今は独立した社長さんだそうだから、もちろんPCもあるのだろうが、それもその応接スペースには置いてない。

 部屋は、細長い二十畳ぐらいで、間に十分なスペースを空けて、ソファー、デスク、チェストなどが配置してある。画廊も清潔感に満ちている空間だが、だいたい白い雰囲気だ。しかし、このお部屋はグレー、しかも濃い目のグレーである。家具のデザインは、モダンすぎず、かつアンティークでもない。普通の常識のある人用のものだが、上質な素材のもの。それらが、ぴっかぴかの清潔感の中に、きれいに納まっている。三階なので、葉っぱが見えるのだけれど、それらの葉っぱは、プラタナスなどの薄い色の緑で明るい。厚い葉の常緑樹ではない。

百合子は内心で驚嘆したものの、その現場では、褒めた言葉は出さなかったと思う。そんなにぺらぺらと口が回るほうでもない。ただ、自分の事を話していただけだ。でも、そこに入室する前に、玄関先で話した内容で、百合子が、とんでもない低級なレベルの物件で、800ドルもとられそうに成った事をしったから、『もっとちゃんとした家もあるんですよ』という事を教えたかったのであろう。ことに当たって、無理が無く、順調に運ぶ人もこの世の中にはいるのだ。もちろん、その人にはその人の悩みもあるのかもしれないが、こと、住宅に関してはその人は安全で恵まれている。

さて、大体の話を聴いてくれた上で、その人は「僕の知っている不動産屋を紹介してあげますよ」といってくれて、そのオフィスまで案内してくれた。今度の事務所は日本人の経営でしかも女性社長だ。
紹介者が帰った後で、そちらの人は、「うちは、駐在員で無いと扱わないんですよ。特に三ヶ月程度だと、扱わない」という。そのときに突然に、このオフィス内は、日本が再現していると感じた。
日本ってそうなのだ。現代アートをやっています』といったって、何の効力も無い国だ。先生をしています。特に大学教授をしています」などとなると、アーチストでもちゃんと扱ってもらえる。また、売れている、金銭的にもマスコミ的にも、売れているひとなら、またこれも尊敬の対象になるだろう。だけど、普通は現代アートの作家など、大衆的には無名であり、収入も少ないものだ。だから、信用が無い。社会からの扱いも粗末である。
しかし、百合子の方は、パリで大切に扱われ、このニューヨークでも、作品を見せただけで、大学院へ入学許可だったから、西欧の国では、実力主義で、しかも作品本位なのをしって、ある種の誇りを持っていたから、鼻をへし折られたと言うか、突然に、天から突き落とされたような気がして、へしゃげてしまった。すると、暫時の余裕を置いて、「あなた、お金は持っているの」と質問をされた。まあ、三ヶ月だけとはいっても海外へ、修行に来たいとか、行かれるなどと言うのは、経済的には余裕があるとみなされても当然だ。で、百合子はそのときの貯金残高を言った。すると、『それなら、マンションを買いなさい。あなたが、秋に三ヶ月使う。後の期間は私が管理して収入を上げてあげます』といわれた。

まったく予期していなかった提案だから、とっさには彼女の思考についていけず、もちろん、断った。だけど、今にして思えば、あれはチャンスだったかもしれない。あそこでマンションでも買ってしまった方が、生きガネをつかったと言うことになるのかな?
だけど、たら、ればと、今の時点で、仮定をしてもしかたが無いので、その時点へ戻って、先へ進もう。
~~~~~~~~~~
 彼女の発言を聞きながら、百合子が考えた事は、『ああ、もう、フォレスト・ヒルズの探索はやめよう』と言うことだった。ここは、日本で言えば、吉祥寺といったところか。デパートこそ無いが、中産階級に人気があって、最初に出来た住宅地の周りに、マンションとか、商店が集まってきている。都心から30分程度の距離があるが、日常生活は都心まで出かけなくても、すべてまかなえると言う場所だ。環境としては、今望みうる最高のところだけど、自分はたった三ヶ月しかいないし、収入が心配でしたがって支払いも心配だと、世間からみなされる不安定な立場なのだ。『あそこにアパートを探すのは、もう終わり、明日から、違うところを探すわ』というのがその日の結論だった。

     2010年7月6日、これを書く。送るのは、7日     雨宮 舜
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フォレストヒルズで、美青年(白人)になめられる。が、

2010-07-06 13:41:17 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第五章『フォレストヒルズで、美青年(白人)になめられる』

・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子(57才)は、初のニューヨークで、一人で住まいを探す必要ができてしまい・・・・・


 で、ニュージャージー(マンハッタン島の西側)も駄目で、美大の周辺のブルックリン(マンハッタン島の東南)も駄目だとすると、真東に存在するクィーンズと言う地域が残る。日本にいる間にはまったく知らなかった地帯だけれど、地下鉄の便がよい。で、そこをまず探索することとする。

 駅を降りた。林というか、森が広がり、その中に住宅が点在している。樹木は椎とか、樫などの常緑樹で、樹勢から考えて植樹されてから、100年以上は経っていると思われた。または、自然に昔から存在していた森林の中に、住宅地を、樹木を残したまま、造成をしたのであろうか。一種の森林浴が出来るほどの、雰囲気で、あたりはシーンとしている。タイムズスクエアーあたりの喧騒と、空気の悪さと、比べると雲泥の差がある。
 日本でも古い住宅地では、子供が巣立っていって、町全体がしーんとしているところがあるが、ここも同じだろうと考えた。
 アメリカの住宅と言うのは芝生の中に塀がない形で点在をしていて、家の周りには、花壇があるというイメージが強かったが、ここでは樹木で陽光がさえぎられるので、芝生は育っておらず、それもまた、古風さを演出していると言うか、静謐さを演出していると言うか、なんともいえない独特の雰囲気がある。

 ところで、日本では六本木ヒルズと言う高層ビルができた。その後も愛宕山ヒルズとか言う名前の、同じような高層ビルを(株)森ビルは続々と建てているらしい。百合子は、最初は、麻布、六本木あたりが高台であるから、あの命名があったと考えていたが、今、思うと、森ビルの一族の誰かが、昔フォレストヒルズに住んでいだ事があって、この街の上品さを、記憶にとどめておいたのかもしれない。そんな感じもしてくる。
 もう一つ、この街を思い出す、日本の記録が後に見つかった。五島みどりさんの母君が最初にニューヨークに入ったときに、お世話になったのが、フォレストヒルズの、知人の家の半地下だったということだ。ただ、半がついても地下というと日本では相当にイメージが悪いが実際にはそれほどでもない。
 ここで、挿入的に成るが、半地下と言う建築形式の説明を説明をさせて頂きたい。日本でもはやった有名な映画に、ウエストサイド物語と言うのがあった。裏窓と言うのもあった。それを見ると、ビルの入り口に数段の階段がある。それを上ったところにある階が一階と呼ばれる。パリでは一階はゼロと数えるが、あれはセーヌ川の氾濫のなごりでもあろうか。ともかく、ニューヨークでは、地上すれすれの一階を利用し始めたのは、ごく最近建築をされたビルのことであり、70年ぐらい前までのビルは、すべて、一階が半分ほど、地上から高くなっている。そして、半分ほど地上から下がった、地下室があるが、堀がめぐらされているケースが多くて、その半地下室にも外光が差し込み、風も通るのだ。

 フォレストヒルズに戻ろう.その一帯は、日本の田園調布と言うほど、豪華ではない。クリントン邸がある、ブルックリン・ハイツほど、豪華でもない。今はニュージャージーと比べても、人気は無い住宅地であろう。しかし、落ち着きと言う意味では、相当なレベルで、落ち着きのある町ではあった。

 百合子はやや薄暗いといってもよいほどの、森林を15分以上歩いたのち、広い道路に出た、向かい側は、テニスコートを含む緑地である。ここからは、店のたたずまいが日本の鎌倉の由比ガ浜通りみたいな雰囲気となる。あたりに目配りをしながら歩いていくとやがて道路の向こう側に不動産屋が一軒あるのに気がついた。
 入っていく。海外で初めて入る不動産屋だ。社員は一人だった。もしかしたら彼は社長でもあったか。30代で、フォレストヒルズで独立するとはなかなかのやり手かな? 白人の美青年で、青い瞳が透き通っている。

 百合子は希望条件を述べた。彼は、適宜な物件があるという。で、二人で車に乗ってそこまで見に行くことと成った。車には驚いた。真っ赤なBMVなのだけれど、その鍵システムがすさまじい。鍵というよりむしろ機械というか装置という方がふさわしい。ステンレスのパイプががっしりと、ハンドルを固めていた。驚いた顔をして、「盗まれるからですか?」と質問をすると、そうだとのこと。しかし、この質問をした事は、後で考えるとマイナスだった。非常にうぶな田舎ものとみなされて、値段を吹っかけられることとなったからだ。

 案内された物件は半地下だった。自然環境はすこぶるよい。隣に家がない。半地下を生かすための堀の向こう側には、芝生の緑地が広がる。明るい。樹木もさきほどの椎や樫ほどの、大木ではないし。後年百合子はNHKの特別番組でヴィオリニスト神尾真由子さんのスイスの家と言う映像見る。それとそっくりな部屋だった。

 部屋は八畳程度の広さなのだけれど、新築だということはわかる。ネズミ色の床も壁も、真新しいコンクリートで人間のにおいがしない。しかし、その部屋には、蛇口一つないのだから、台所や風呂場がどこにあるかを教えてもらわないと困る。じっと待っているが、なにも説明をしてくれない。

 百合子は想像する。『もしかすると、この階には、なにもそういう設備は設置していなくて、上の階にある、大家のそれを使うことになるのかしら』と。『それじゃあ、だめよ。絶対にだめだわ』と考える。しかも家具もないのだから、非常に不経済になる。外国では、貸間は家具付きが多いのだ。でも、一応値段を聞いてみる。800ドルだとのこと、これは、高い。ニューヨークに初めてきて、たった一週間程度しか滞在していなくても、そのくらいの判断はできる。それで断った。
 すると、彼は、その家の前の道路に百合子を放り出したまま、さっと、車で帰ってしまった。いやあ、びっくりだ。そこは、フォレストヒルズの地下鉄駅に帰るのには、一時間以上歩かないとならない場所だった。白人の美声年なのに、そんなに、不誠実だとは、ちょっと信じられなかった。お金をもうけることに専念している人間は、こういう風になるのだろうか。

 のちほど、サブプライム・ローンの問題が起こり、知識のないアフリカンの婦人などが、高額のローンを設定されていて、そのあげく、家をとられていく映像をテレビで見たが、その取り立ての風景と、この美声年が重なった。

 『完璧に、なめられている』と思う。『あなたね、私、あながどういう人間か、わかっていますよ』と、いいたかったが、いえなかった。それが、残念だ。別に英語の単語を知らなかったわけではない。百合子はいわゆる啖呵というのが切れない人間だった。こういえば勝てる。そして、自分への侮蔑を払いのけられるとわかっているのだけれど、日本にいる場合でも、日本語でだって、啖呵は切れないのだ。
~~~~~~~~~~
 さあて、どうするかだ。元来た道へ戻るかな?と思っていたときに、向こうから、熟年のご夫婦がやってきた。特に奥様の方がアジア系で、『あ、日本人が来た。助かった』と思う。ただ、ご主人が白人なので、彼女の滞米年数が長いと判断して、一応英語で話しかけてみる。すると奥様は中国系だとのこと。
 本当に親切に、いろいろ教えてくれて、「進行方向に、別の地下鉄駅があるので、そちらを利用なさいませ」という。しかも一緒にそこまでいってあげるという。その間に15分程度にあれこれをはなすと、彼女は非常に同情をしてくれて、喫茶店で、グレープジュースをごちそうしてくれた。
 百合子は後ほど、礼状を出したくて、住所を聞いたが教えてはもらえなかった。すぐ、事情を察する。いろいろな人が過去に彼女の親切につけ込んだりして、援助を乞うたのだろう。それで、深入りはしないという方針だと思われた。百合子は日本から、銀座の鳩居堂で買った和風のレターセットなどを持ってきていたので、それを、送りたかったが、あえて、それ以上を押さえた。
 彼女夫婦は、学者夫婦らしかった。その仕事がもたらす上品さがあり、誠実さのあるご夫婦だった。地獄で仏に会うとよく言うが、まさに、その言葉どおりだった。人が、誰も通っていないフォレストヒルズの幹線道路で、毎夕、「ここを夫婦で散歩しているのですよ」と、いう彼女たちに出会えたのは、神様のお助けであっただろう。

 のちほど、百合子は『ニューヨークには、よい喫茶店が少ない』のに気がつく。チェーン店で、安くて質の悪いものを飲ませるところは多いが。だから、あのとき招かれた喫茶店が、珍しい形の喫茶店で、相当に上等なお店で、『あの天然ジュースは、高かっただろう』と思うと、切ないほどの感謝の思いに満たされる。

 あれから、10年がたった。百合子も67歳だ。夫は年金暮らし。あのご夫婦と同じような生活費で、つつましく生活をしている。だからこそ、見ず知らずの人間に、最高級のジュースをごちそうしてくれた彼女たち夫婦の、親切が身にしみる。不誠実な不動産屋、しかし、美声年に遭ってひどい目に会わされた直後に、見かけは地味で慎ましいが、親切で、優しいこときわまりない老夫婦に出会ったのだ。『どこかで、神様が自分をごらんになっている』と感じる。「大丈夫。大丈夫、何とかなるわ。もう一回フォレストヒルズに来てみましょう」と声にならない声で、百合子は自分を励ました。

なお、下に、13時間で更新してしまった、連載四があります。夜ご自宅でパソコンをお開きになる方はそちらも、よろしく。
           2010年7月5日書き、送るのは6日        雨宮舜
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地図が、役に立たないぞ(ブルックリン)(新連載小説ー4)

2010-07-06 00:02:21 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第四章『地図が役に立たないぞ・・・・・』

・・・・・[前号までのあらすじ]、主婦の百合子(57)は単身ニューヨークへ留学するが、住まい探しをする必要ができた・・・・・


 早速に地図を探した。割と簡単に手に入る。地下鉄の駅のそばには、日本で言うコンビニと駅構内売店をミックスしたようなお店があって、そこに置いてある。で、買ってみたが役に立たない。本の形になっていて、ニューヨークに住んでいる、とか、ニューヨーク全体の像に精通している人には役に立つであろう。しかし、百合子のように、まったくニューヨークを知らない人間から見ると、皆目役に立たない本なのだ。

 これは、だめだ。パリに行ったときのように、市全体を一枚の紙に印刷したものがないかな?と大型の本屋にも行ってみたが、どうもそれがない様である。最初に買ったものと同じ種類で、版型の大きなものはあるが、別の種類はない。で、仕方がないので、最初に買ったものをためつすがめつするが、『相手先の番地を正確に知っている人には、これは、役に立つが、白紙状態からニューヨークを探ろうとする自分には、役に立たない』と改めて思う。ニューヨーク(またはパリでも)は、街の名前がとおり(道)の名前を基準としている。だから、何々、ストリートという相手先の町名をわかっている人には、この黄色とグレーの二色刷りの、ややおぼろげな印刷でも、探索が可能なのだ。

 困ったなあと思っているときに、ふと、『あれが代わりになるかもしれない』と思い至る。それは、駅の周辺に置いてあるただで手に入る地下鉄路線図だ。これが、カラー印刷で東京メトロのそれよりも10倍程度の大判で、地形そのものの縮尺となっている。ので、ニューヨーク全体を俯瞰するのに役に立つ。
~~~~~~~~~~
 それを眺めながら、まず、マンハッタン島内はやめようと考える。それは、最初のおうち、で懲りたポイントが、一部屋借りで、プライヴァシーが確保できないということにあったので、次は、パリ時代と同じく、一区画、台所お風呂を含めて借りる案を立てたからだ。もちろん、それは、より高くなるであろうから、マンハッタン島の中で借りれば、1500ドル以上になるだろう。そこまでの贅沢はできないと思い定める。
 それに、心の中で、大家さん夫妻に対して、『これは裏切ることになるわ』という気兼ねもあったのだ。だから、できるだけ遠くに次の住まいを得たかった。

 百合子は五十を過ぎているわけだけれど、大勢の人から「とてもかわいいところがある」といわれていた。顔がかわいいわけではなくて、もちろん性格のことだ。人懐っこくて、すぐ誰とでも仲良くなれる。それに、海外だとその傾向がより強まる。日本と違って上下関係を気にしないで済む。それで、心が全開となり、純真そのものとなるので、そういわれるらしいのだ。が、結果として誰からも親切にしてもらえる。それで、ますます人を信頼する。だから、好循環が生まれる。

 で、このタイムズスクエアーのうちでも、百合子が実際に、転居を申し出でる直前までは、大家さんは、信頼しきっていて、自分の数少ない知人に百合子を紹介してくれていた。その親切を裏切ることになる。紐帯が簡単に構築できることは、時として却って厄介だ。
 だが、自分は観光ビザで来ているので、滞在日数に、90日という期限がある。その間に、一定の成果を挙げないといけないと思えば、珍しく鬼になって、よりよい住まいを探そうと決意する。ともかくにして、一番の難関は赤ちゃんであり、その慕ってくれるひたむきさに抵抗するのは、同じ鬼になるにしても、つらすぎた。ママがあの調子なら、それは、90日間続く可能性があり、逃げないことにはどうにもならない。

 次に知っている名前はニュージャージーだった。百合子の周辺にはニューヨークへ駐在員、またはその妻として、住んでいた人が多くて、彼らの住まいはたいてい、ニュージャージーだった。で、治安がよいことが推察される。確かに、最初の日、マンハッタン島の西にあるニューアーク空港から、タイムズ・スクエーに来るまでで、そのことは実感していた。幹線道路沿いで、日本で言うと環境が悪い。だから、地価が安いであろう場所でも、一戸建ての、豪華な家が続いている。だから、全体にレベルが高いであろう。
これは、その後、マンハッタン島の東にある、J.F.ケネディ空港を利用したときにもさらに裏付けられた。そちらへ向かう幹線道路沿いには、これほどの、豪華な一軒建ては建っていない。

 だが、賃貸料が高いことも充分に予想をされた。
 そして何よりも困ったことは、車の運転ができない自分には、遠すぎることだった。ニュージャージーは、アメリカでも車社会が発達してから、開発された住宅街だと感じる。で、地下鉄が通っていない。電車はある。日本で言えば小田急とか、西武とか、京急とか東急、東武という類の電車だ。でも、ニューヨークに住む最も大きなメリットは、地下鉄が便利で安いことだ。一週間乗り放題で17ドルだ(後注8)。これが使えない、しかも乗換が不便なので、ニュージャージーは、論外となる。
~~~~~~~~~~
 次に名前が浮かんだのはブルックリンだった。美大もブルックリンにある。そして、事前の情報に比べれば、そこらあたり、ハイツと呼ばれる地域は、おしゃれな文化人が住むところとして、実際の格があがっていた。

 百合子自身も、連棟型の住宅の入り口に、100年以上前に建てられただろうと感じる、アールデコ調の手すりなどを見つけ、その美に打たれていた。友人に、まるでアッシャー家の崩壊の舞台みたいですと、手紙で書き送っている。
 一角には敷地が、500坪程度の邸宅が並んでいて、一軒には、表札にクリントンとあり、警官用の、ボックスが入り口においてあったので、『おお、クリントン大統領の別邸ですね』と思ったものだ。その一帯は人気がなく、大金持ちが別邸として持っているお屋敷群だと思う。マンハッタン島の中に、コンドミニアムという高級マンションを持っている人が、一種の別荘としてこれらの家を、保持しているか、または、普段はワシントン住まいの人が、別邸として持っている住宅であろう。本当に町全体がシーンとしているし。

 それに、南部には新しい住宅地も開かれており、ある地域では、隣近所の距離が近いことが一種の競争意識と連帯の両方を招くのか、多くの家で、クリスマスデコレーションが盛んで、そのカラフルな模様が日本の夕方のニュースでも紹介されたりしている。ニュージャージーなどより、一区画が小さいのだ。

 しかし、一方で、スパイク・リー監督の映画、そのもののような地域もあった。仕事が見つからない人々が、所在投げに道路にでて、足を投げ出して座り、一日中、ご近所様と井戸端会議をしている。街はごみで汚れていて、怠惰な雰囲気に満ちている。そんな、ストリートもある。で、ブルックリンも今回(1999年)は、探索さえ止めることとした。

さあ、それなら、次はどこにしようか。 この項続く。
     2010年7月5日         雨宮舜
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東大卒でも、引きこもるから、嫌なの(新連載小説の3)

2010-07-05 13:09:23 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第三章『東大卒でも引きこもるから、嫌なの』

・・・・・[前号までのあらすじ、主婦の百合子は、57歳にしてニューヨークへ留学する。が大家の赤ちゃんになつかれすぎて、困惑する・・・・・

 ある日、お風呂場から大きな音がする。『昼間なのに変だな』と思って覗くと見知らぬ若い女性がお掃除をしていた。すぐ、もう一人の下宿人だと感じる。百合子は簡単に自己紹介をしたあとで、「私ね。台所はずいぶんきれいにしたのだけれど、お風呂は一回も掃除をしたことはなかったわ」という。

 内心でこうも思った。お風呂場はタイルが白い。その上、ほとんどものが置いてない。だから、この家の中では唯一といってよいほどきれいに見える場所だ。それなのに、日本から長旅で帰ってきた途端に、掃除をするのはどうしてだろう』と。それとなく、そういうと、「私ね。髪の毛が落ちているのはたまらないの」と彼女は言う。「あ、そう。ごめんなさい。私も落としたかもしれない」と百合子は謝った。

 そして、その勤勉さに、ある種の好感を持った。で、大きく興味を抱いて観察をした。百合子より背が高いから、165センチぐらいだ。スリムな体型で、顔は小さめで、やや丸顔。温和な感じもあるのに、潔癖なところのある人だ。ふと、「お父さんはどういうお仕事をしている人なの」と聞く。これは普通の場合ならルール違反だ。探りを入れるという形になる。しかし、百合子は、彼女の育ちがよいことを確信していた。案の定、「○○会社の社長をしているわ」と彼女は答える。その名前は日本中の人が知っている一部上場会社のものだった。

 「うわあー、それなら、お見合いで、さっさと結婚をしていてもよいのに」と笑いながら言うと、彼女は真顔で、「日本の若い男性に、魅力を感じないの」という。「あ、そう。なんとなくわかるわ。主人でさえ(後注、6)、仕事のできるタイプと、できないタイプがあるといっていたし」と答えると、「東大卒でも、会社に入ってから引きこもったりしている人がいるのよ」と彼女は言う。

 この数年後のこととなる。日本の若い男性に、覇気がないタイプが多いということは社会現象として、論じられるようになり、草食系という言葉さえできた。(後注7)彼女は先取りをしていたこととなる。百合子は頭の中だけで考える。『このお嬢さんは、社長令嬢だというのに、こんなに体がよく動いて勤勉だ。この家の奥さんも大金持ちのお嬢さんみたいだが、きっと、中小企業の社長さんの娘なのだ。だから、お金が湯水のように使えるのだろう。未婚の下宿人のほうは、一流企業の社長といっても、彼女が中学生のころは、お父さんは、部長程度だっただろうし、お兄さん等がいて、私大へ通っていたりすると、サラリーマンの収入内で、いろいろきちんと生活をするということで、こういうお嬢さんが生まれた。潔癖でもあり、甘えがないということだ。ずいぶんと、赤ちゃんのママとは違うなあ』と思い至り、
 
 「ところで、この家の奥さんは困ったタイプね」と言うと、彼女はそっと目をそらす感じになった。それで、百合子も察する。この家に住んでいる限り、それを表現するのはタブーなのだと。また、こちらの未婚の女性がすこぶる頭がよいことも。それで、会話をそこで切り上げた。彼女の勤務先は、日本企業だと思われるが、それも忙しいであろうし、退社後のお付き合いもあるだろう。その後、長話をするチャンスは訪れなかった。

 そして、百合子は、『この家は、出て、別の住まいを探さないと駄目だ』と、心の中で決めた。パリでは昼間は版画修行一途であったが、夜は一人住まいで、ものを考え、それを文章に表すことを重ねた。それが、すばらしい経験と感じられた。自分に合っている。これこそ、自分のやりたいこと、そして、やれることであると確信した。

 パリに長居したかったが、どうしてもいったん帰国せねばならず、それで改めて出かけるのなら言葉が自由なニューヨークがいいと感じたのだ。
 今ではパリやニューヨークにどんどん出かけることができる、そんな、幸運に恵まれている百合子でも、若いころ、前途が見えなくて悩んだこともあった。だから、この家の奥さんの状況も理解はできる。彼女は打開をしたがっているが、百合子の考えでは、『今は、子育てに専念をしなければならない』となる。子供とは、生まれてきたら責任がある。そして一歳から三歳までなど、圧倒的に弱くて、親の保護を必要としている。そして、毎日新しい発見と進歩を示す、もっとも、楽しい時期でもあるのだ。

 体は動かさなくてはならない。だから疲労困憊はする。でも、大人になってから、大学の入試に成功しただの失敗しただのということや、就職ができるのできないの、などという、心配をする時期に比べれば、圧倒的に楽しい時期なのだ。
 しかし、幼児とは、言葉で反抗をしてこない。論理的な話などはできない時期だ。だから、親はつい子供にも意思やら人格があることを忘れてしまい、ただ、ただ、単純に安心をして自分の方を優先してしまう。

 『ブロードウエイの舞台に立つこと、せりふがある役までもらえなくてもよい。だけど、ダンサーとしては、成功した舞台に立ちたい。あわよくば、トニー賞ぐらい取れる舞台よ。そのためには年齢は、絶対に関係がある。この子を妊娠する前までに、結構よい位置まで到達していたのよ。あと少しだったのに』と、奥さんは考えているような気がした。

 百合子にもっと時間があれば、自分の経験を話してもよかった。そして彼女の心を解放して、別の次元に立たせてあげたかった。だけど、時間がなかった、今回も三ヶ月しかいないのだ。その間、目いっぱい、勉強して成果をあげなくてはならない。

 それほど、自分の家族にも犠牲を強いていたからだ。世の中とは誰か一人が、決定的に幸運であったり、幸福であることはできない。誰かがそれを、願い実行すれば、その影に我慢をしている人間が出てくる。
 自分の子供は、会社勤めをしていて、すでに二人とも25歳を過ぎていたが、『お母さんが、離婚をしかねない』というのは、大問題であろう。こんなに、海外を放浪していたら、離婚になると、世間一般は思っていて、「あの人はすでに離婚をしたよ」などと、うわさされていることも、チラッと感じてはいた。早く早く一定のところまで到達をしたい。それは、無理ではないと、感じていた。

 そして、深い信念と自信にも満ち溢れていた。人には潮時というものがある。今がそれだと感じていた。まっすぐに目的に向かう時期。

 それは、長い忍従の上で得たものだ。もっと早く海外へ行かれればよかったが、今、この瞬間でも、来ることができただけでも、幸運だと思う。第一お金がなくては、こんなことは、できないが、父親から遺産をもらっていた。

 だから、この家の奥さんと似たような境遇といってしまえばそのとおりである。だけど、こどもが20歳ぐらいになるまでは、子供に奉仕してきたとの自信はあった。いや、普通のお母さんよりは欠落があったかな? 芸能や芸術の仕事をしたい人間とは大体が、白昼夢に浸っているものだ。それは、子供にとっては迷惑なことであり、不安なことでも不満なことでもある。百合子はそのことで、子供から批判をされた時期もある。だけど、それを含めての子育てだ。喜怒哀楽をすべて飲み込んで、『波を越えてきた』という自信がある。

 だから、奥さんを見ていると、百合子自身がいらいらする。切なくもなる。もっと目覚めて、現実を見てといいたくなる。しかし、それは、彼女が他人であるから、いえないことである。そして大人でもあるのだから余計忠告ができない。結局、想念の、堂々巡りに陥る。それは、自分のエネルギーの無駄遣いである。百合子は過去にも他人のことで、心悩ませたことは何回もあった。その繰り返しは、90日間という今回は避けなければならない。
~~~~~~~~~~
 百合子は地図を買ってきた。このニューヨークには、誰も知り合いがいない。駐在員の妻としてきたわけではない。すべてを一人で開拓しなければならない。不動産屋を探すにも、まず、地図が頼りだった。繰り返すが、百合子は、1999年にはまだ、インターネットの知識も技術も持っていなかったから。そして、ニューヨーク便利帳、という日本語で書かれた一種の電話帳があることさえ知らなかった。

(後注、6)百合子の世代は、この若い人たちより、ほぼ、30歳程度上になる。しかし、卒業大学のブランド力と、仕事力が平行しないことは、すでに、よく見られる現象となっていた。夫は五万人社員がいる会社の研究員をしていたが、職場で、有名大学を出ている人が意外に使えないのだと、よく言っていた。
(後注7)百合子は、この問題は、男性側の性格やら、身体能力だけには帰せられないと感じている。社会的な要素も大きい。で、後に開いたブログやメルマガの世界で、政治について論じ始めることとなる。日本の若い男性に、無気力感が漂っているのは、政治状況から来る無力感も大きいからだ。それを、改善したいとなっていく。が、この1999年当時は、まだ、芸術の道に一途まい進していたころであった。
                この項、続く。2010年7月5日   雨宮舜
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ファイナルファンタジーが、大好きで(連載小説の2)

2010-07-04 17:11:49 | Weblog
〔前回までのあらすじ〕、57歳の日本人主婦百合子は、1999年に初めて、ニューヨーク入りをする。

第一部『タイムズスクエアーの家』、第二章

・・・・・ 百合子はポロット・インスティテュートに出かけてみて、そこが版画工房ではなく、美大であることに、驚く。日本の大学の卒業証明書等の、資格用書類は、何もを持ってきていなかったが、僥倖が重なって、大学院に入学できることとなった。その詳細は、2ヵ月後に始まるであろう、次の小説『煌くプラタナス』の中で述べたい。今日は、私生活を引き続き述べる。・・・・・

 うきうきした幸福な感覚で、下宿に戻ってくる。エレベーターを降りると、例の居間から、何か単純な音楽が聞こえ、興味を持ってチラッと覗いてみる。その部屋は、ドアも無い形式で、3メートルぐらいの長さの開口部があるので、簡単に中は見える。テレビがついていて画面はファイナルファンタジーであった。画面の前には、奥さんと思われる日本人女性が座っている。奥さんは若い人らしいが、挨拶する百合子に、は、はーと言う感じで、簡単に、やり過ごし、ゲームに戻った。

 百合子は、この家の乱雑さが、奥さんのゲーム好きにも原因があることを知った。『ああ、現代っ子って、わがままなんだなあ』と思う。百合子のように戦前の生まれだと、子供が一才と七ヶ月だと、ゲームなんかやっていられないという思いになると思うが、現代の女性だと違うのだろう。

 百合子も10(後注4)年ぐらい前の40代には、ドラゴンクエストをやった。子供が学校へ行っている間に、そっと隠れて。特に子供たちはとっくにやり終えているので、そのソフトを点検もしないので、昼間こっそりやっていることがばれないで、済んだ。が、どうしてもわからないときは、自分の子供に質問をすることができないので、友達のお子さんに電話をかけて教えてもらったりしたものだ。「あのね。どうしたら、虹の橋って架かるのかしら」とか。「こうこうこうすれば、よいんですよ」と教えてもらい、それで、やっと次の段階へ進んだが、結局のところ、ドラゴン・クエストVが完成できず、それ以来、ロールプレイングゲームには、手を染めていない。それが、体力や時間を大量に消耗するものであることが骨の髄までわかっていたから。

 後日、百合子は奥さんと、もっと仲良くなって、話を交わしたりして、なぜ、奥さんがゲームに熱中をしているかの、根本原因を知ることとなる。奥さんはゲームで気を紛らわせずにはいられないほど、いらいらしていた。それは出産と子育てによって、未来が閉ざされたと感じていたからだ。

 すらっとした人で、百合子より背が高く、167センチぐらいはある。日本でバレーやモダンダンスをマスターしていて、ブロードウエーでオーディションに応募し、ミュージカルの本場の舞台で、ダンサーとしてプロになることを夢見て、こちらへ、やってきた女性だった。しかし、割と簡単な交際で赤ちゃんができてしまい、その結果、実質的に結婚をすることとなって、急に生活も進路も大変更になり、そのことに戸惑い、対応ができないでいる模様だった。
 しかも、ご主人は、男性としては、素敵な存在だが、さまざまな事情から、まだ、入籍もしていないとのこと。別に嫌いでもないのだけれど、好きで好きでたまらないというわけでもなくて、新婚気分で、『はい、これから、私は、がんばりますよ』という姿勢には、到底なれない模様だった。

 その奥さんの気分を反映しているのか、北側の道路に面して、大きな窓があったが、それは、分厚い青緑色のカーテンで覆われていた。日光を一筋も入れない、居間で、彼女はファイナルファンタジーに熱中することとなっていた。だから、坊やも猫も相手をしてもらえなくて、つまらない。やがて二人とも、百合子の部屋に入り浸るようになった。

 百合子が布巾で、自室のガラステーブルを拭くと、坊やは早速まねをする。まだ、日本語がしゃべれるという年齢ではないが、賢い坊やで、退屈しきっているので、百合子のすることは何でも真似をしてくれる。それは、かわいいが、早晩困ったことになるだろうという予感を抱いた。百合子は、非常に子供好きで、かつ、何事も断ることができないタイプだ。太宰治の小説に『饗応夫人』というのがあるが、こと子育てという意味ではまさにそれで、自分の子供が幼児期には、半分以上のエネルギーを割いて、他人のこどもの世話をしてきたみたいなものだった。

 二度とそのわだちを踏まないぞと決意して、「おばちゃんね。これからお仕事があるのね。だから、ママのところへ行ってね」といいながら、ドアの外へだす。しかし、一才と七ヶ月の坊やが、そんなことを理解してくれるはずも無い。うわーんと大声で泣きだす。

 お父さんもお母さんもアメリカンドリームを、達成したくてニューヨークへ来たエネルギーレベルの高い存在だ。遺伝的に、坊やもきわめてエネルギーレベルが高かった。泣いている坊やを心配して、お母さんが駆けつけてくるかと思ったが、来ない。それで、あるとき、お母さんと話し合うこととした。

 決して命令調とか、説教調にならないように気をつける。でも、お母さんは百合子の言いたいことの本質をすぐ理解して、「去年、妹と母が来たときはすごくきれいだったのよ」という。「妹は母と似ているの。家事がすきなのよ」とも。百合子ははっと思い当たることがあって、「おかあさんは、妹さんをかわいがった」と聞くとそうだとの返事。「そう。妹のほうだけを母はかわいがったの」と彼女は言う。

 『うわあ、これは、とても難しい問題を抱えたお嬢さんだ。偏愛をしたお母さんを嫌いだから、お母さんのやっていることを真似したり身につけたくは、なかったのだ。だから、家事は嫌い。お子さんを育てきれるかな?』と内心で思うが、質問をずらして、「もしかしたら、実家からお金を送ってもらっている」と聞いたら、「ええ、生活費を毎月、送ってもらっているの」と答えをもらった。

 百合子はすばやく頭を回転させる。『二つの部屋を間貸しして、かつご主人が働いていて、かつ、実家から仕送りがある。奥さんは外出好きでもない模様なのに、なぜ、そんなにお金がいるのだろう。もしかしたら、この広いマンションは賃貸?』と思い至るが、さすがにそれを聞くのははばかられた。

 でも、『なんと危なっかしい生活だろう』と、今度は、それを心配になる。『もっと、地味な小さな部屋に住んでもいいではないかなあ? この部屋は広すぎる。お金をとって、また貸しをするのはある種の賢さでもあるが、ちょっと、道を間違えているよ』とも思うが、ここを選んだのは、例のオーディショん向けの、地の利のよさがあったかららしいので、引越しなど考えられないのだろう。

 『うわ、どうしたら、この問題をうまく解決できるだろう。自分が子守をしないで済むためにも、彼女が生き生きとした生活を取り戻すためにも、今のままではまずいな』と思案する百合子の前に、もう一人の下宿人が、日本から帰ってきた。
(後注4)今から10年ほど前のことなので、こういう年齢構成となる
  この項、つづく。2010年7月5日   雨宮舜
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べとべとの、ガラステーブル(新連載小説の1)

2010-07-04 15:51:36 | Weblog
 はじめて、このブログに気がついた方に申し上げます。スクロールしていただきますと、下に、どうして、連載小説を始めたかのいきさつが書いてあります。左のカレンダーの七月四日の下、二つ目の記事と、しても同じものが開きます。

 以下の文章は、1999年のニューヨークを舞台にした、その新連載・小説『ジョーイの出立』の第一部の第一章となります。
~~~~~~~~~~
第一章『タイムズスクエアーの家』
 エレベーターを降りたとたんに怪訝な思いにとらわれた。『あれ、外は昼間だったのに』と思って。どこにも外光の影がなく、蛍光灯が、照らすホールは青緑色に染まっていて、いささか以上に、お客を迎えるという雰囲気ではなかった。大型のゴミ袋に、急遽という感じで詰め込まれた、衣服やおもちゃが、壁沿いの床に、十個近く積み上げられている。それが、彼ら夫妻にとっては、『片付けた』ということだったかも知れないと後では思うが、当日はただ、ただ、驚いた。

 でも、空港からの連絡のせいか、大家はすぐ現れた。背が高く、色白で、目の大きな青年。百合子は彼の若さに驚いた。マンハッタン島の中心部に、人に貸せるほどの広さの、マンションを持っている人といえば、ゴルフかヨットで、日焼けした40歳以上のバタ臭い日本人であろうと事前には、思い込んでいたからだ。この部屋は、日本で言えば、144平米、(建坪、46坪)、幅が12メートル、奥行きが12メートルの商業用ビルの一角を、住宅として改築してあった。が、ともかく、買い上げ費用は高かったと思われる。なのに、ごく普通の、しかもイケメンと言っていいだろう若い日本人が現れたから、それも驚きを強めた。

 奥から、たたたっという感じで、小さな男の子が走って出てきた。活発で、百合子に話しかける。『あ、この子には普段、遊ぶ相手がいないのだ。私が珍しいのね』と百合子は思う。百合子は幼児を育てるという意味では、ベテランの一人で、相手の子供たちもすぐそれがわかるらしい。その子にまとわりつかれながら居間に通される。

 周囲をラックで囲まれた、6畳程度の客間は、正座する形でしつらえてあり、中央にガラスのテーブルが置いてあった。周りを金属のパイプで囲まれた形のもの。その上に、ジュースの類が、三ミリか、五ミリの厚さで、ゼリー状に固まっていた。先ほどの坊やが手をつくと、彼の手がべとべとになるという感じ。

 『あれ、あれ』と思うが、初対面の人間として、それを父親に注意するわけにも行かないので、黙っているが、坊やは自分を注目してくれる百合子にすぐ、反応して、『好きだよ』という態度をとる。特に大家さんに百合子は感謝していた。

 今回の研修方滞在の最大の目的は、ブルックリンにあるポロット・インスティテュート(後注1)を訪ねることにある。百合子は「アメリカで版画をやるなら、ポロットが一番でしょう」とは、銀座でアメリカ人から教わっていたが、ポロット自体の所在地は知らなかった。この青年大家に事前に調べてもらって、電話番号と、最寄り駅を日本にファックスで、送ってもらってあった。それはとてもありがたいことだった。アメリカ大使館に問い合わせるという案もあったが、図体が大きそうで厄介だった。そして、この1999年ごろは、百合子はパソコンにはまだ疎くて、インターネットは、駆使できなかったし。

 大家は、ファックスや、契約用紙を持ち出して、家賃とか、そのほかを決定し始め、一応それが終わると、住民としての注意を与え始めた。「ここはタイムズスクエアー(後注2)に三分でいかれるほど、便利な場所ですが、治安は大変悪い(後注3)ので夜は絶対にである家内でください」と言われる。

 その後で、百合子は自室へ案内をしてもらう。高い場所にまどのある、部屋で、クロークがあるが、家具としてはベッドと、ガラステーブル(しかし、丸型で座卓用)がおいてあるだけだった。窓にカーテンがないのが、『あれ、朝早く起こされるな』という感じがして、困ったが、もともと商業用ビルなので、カーテンレールがないから、そのままになっている模様だった。次に台所と、風呂場に案内される。両方とも広くて、設備的にはしっかりしている。風呂場のそばに、もうひとつの賃貸用の個室があり、その部屋の住人は、今、日本に夏休みをとって帰省中とのこと。

 大体の説明が済むと大家は、赤ちゃんと一緒に自室に引き上げた。そして、直後、夜勤があるといって、挨拶の上で外へ出て行った。赤ちゃんは寝室にお母さんといるらしい。

 百合子は自室のクロークを、スーツケースからの荷物で、満たしたあとで、台所に立つ。

 参ったなあと思う。流し内には、2、3日分と思われる食器が、たまっている。普通の日本人の奥さんだったら、私がこれを洗ってしまうと恥ずかしがって、あとで、トラブルになると思う。しかし、居間のべとべとのテーブルを見た後では、『奥さんは、家事ができないタイプなのだ』と感じて、次の日の自分のために、お皿洗いをはじめる。

 しかし、さらに参った。排水口が、二重三重にだめになっているのだ。水がまったくはけない。百合子はお皿類を、床に置きなおし始める。そして、腕まくりをして、排水口を、ブラシなどできれいにし始める。参ったわ。まだ、時差のためにもうろうとしているのよ。私って飛行機の中では眠られないタイプなの』と、自分に向かっていってみるが、頭上の大音響を立てている排気ファンにかき消されて、奥の寝室にいる奥さんの耳に入るわけもない。

 換気扇のメーターを見ると、最大値で動いている。このおかげで、腐敗臭が、室内にこもるのを防いでいるのだ。

 しばらくの間、もくもくと作業を続けていると、足元に何か柔らかいものが触る。下を見てみると、大きな猫がゆったりと百合子の足を巻いていた。

 すぐしゃがんで確かめてみる。虚勢をされていないオス猫だった。体格はよく、毛は真っ黒で目は金。どちらかというと、美猫という方である。しかし、一切声を上げない。

 百合子はぴんと来る。この猫は奥さんにしかられまくっていて、すっかり、臆病になっている。最初から赤ちゃんは飛んで出てきたのに、猫好きな百合子に、挨拶に出てこないのが不思議だが、普段叱られまくっていて、おびえきっているのだ。だけど、やはり、動物的勘というものは確かで、百合子が猫好きなのは、わかっている。

 叱られる原因は、おしっこと、ウンチの粗相だろう。だけど、この台所の様子を見ると、猫トイレなどほうったらかしで汚れているであろうから、この猫はトイレを使いたくないのだ。悪循環になっていると、思って、百合子はそっと、頭や、胴体をなぜた。流しの作用を終えて、自室に戻ると、黒猫はついてきた。で、自室に入れて、部屋のドアを閉めると、猫はおびえて、ドアそばで、あけてくれと引っかく。どういうことかな? と百合子は思案する。もしかするとお仕置きをかねて、この部屋に閉じ込められた過去があるのかな?とも思う。仕方がないので、「また、遊んであげるね」といって、外へだし、緊急用に買ってあった、インスタントラーメンを食べてその夜は寝た。

(後注1、この中では組織や個人の名前を仮名と本名、連立で使わせいていただきます。この工房?は、仮名となります)
(後注2)こちらは、本当の名前を使っています。
(後注3) このころはまだ、あの9.11の前で、人々は気が強く、上昇志向一点張りだった。それに、ジュリアーニ市長の、都市、クリーンアップ作戦も、100%の完成を見ていなかった。
 また、このマンションがあるところは、目の前に、大ビルがあって、しかもそのビルの入り口が別のとおりにあるために、人目がない場所で、したがって、ホームレスがおしっこをする場所でもあった。ニューヨークには公衆便所が少ないと思われ、かつ、普通のビルにはビルそのものに、鍵がないと入れないシステムなので、たちしょんべんが増える。

   2010年7月4日        雨宮 舜
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新・連載小説を始めます、ゼロ回目、1999年のNYを

2010-07-04 09:38:33 | Weblog
 この間、クラス会が連続してあって、そこで、何人かの方に言われたのですが、「よく書くわね。しかも、テーマが多岐にわたっている」と。

 それを聞きながら、『うーん、ある意味でありがたい言葉だ。それならここで、次の段階へ行ってよいかなあ』と考えてみたのです。つまり、あるテーマを結構深く掘り下げていく。登場人物が固定してくる形。本質的にはエッセイとして、毎回まとめるが、連続してまとまると一本の小説という形になるという仕上げ方。

 実は未発表の小説は何本も抱えています。よく、「あなた、芥川賞をとるつもり?」とからかわれていますが、何事かを丁寧に書き、追求していこうとするときに、エッセイという形式より、小説のほうが追求しやすいこともあるのです。で、極言をすれば、エッセイは一種の気晴らしででもあって、本当は、小説という形で、考えることをまとめてみたいとは、内心では、思っていたのです。

 で、上記の言葉をいただいたことを、小さなきっかけとして、連載を始めさせていただきます。この小説の要諦ですが・・・・・

 *場所は、1999年、秋のニューヨーク
 *主人公は、 そのとき、初めてニューヨーク入りした57歳の日本人のおばさん
          (ただし、英語はほとんど、自由に使える)
 *滞在の目的は、版画修行で、昼間はブルックリンにある美大に通っている。
   (この昼間の部分は、後に始める新しい小説『煌くプラタナス』の中で語ります)

 *この小説のタイトルを『ジョーイの出立』とする。
 * 下部タイトルを部で分けるが、第一部は、『マンハッタンの家』とする。

 *善玉や、悪玉が登場するが、彼、彼女らの特徴をきちんと捉える。遠慮をせずにきちんと書き抜く。

 * 小説全体の、結果としての読後感は、『やはり、人間であることはよいことなのだ』と、言う思いが十分に満たされること。苦しみと喜びの両方を味わう、人間そのものを描出すること。読者と作者の双方にとって、それが可能になるように、努力をしていくこと。

・・・・・これは、私にとっては大切なことなのです。この原文は、10年以上前に書き、長いので、メルマガ向きではないと判断をして、プリントアウト(ブックレット)の形式にして、数人の友人にすでに読んでいただいています。が、まったく、新しいアプローチで、ある種の面白さをこめて、描きなおすつもりです・・・・・

 ありていに言えば、ある一人の個人の夜の生活、私生活の部分です。世の体制に変化を与える問題小説でもないし、胸がわくわくする恋愛小説でもありません。ただし、ひそかな思い、特に人を慕う思いは、出てきます。秘められた恋愛、プラトニックラブは、出てきます。若い人のストレートなそれも、年取った人の捻じ曲がっているそれも。

 ともかくですが、小さな話を面白く描き、読ませる才能は、私には結構あるみたいです。どうか、ご期待をくださいませ。それに、「それって、たった三ヶ月の間で、把握をしたことなの?」と、皆様には、驚かれるであろうと、確信するほど、私は、アンテナが敏感な人間です。特にそのころは。

 そういえば、急に思い出しました。「あなた、恋愛が入っていなければ、小説とはいえないわよ」と、先達からからかい気味に言われたことを。ちょっとフィクションもこめて、膨らますかな。では、

  2010年7月3日                  雨宮 舜
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みなとみらいで、牡蠣を採る、二人のおばさん(たくましさに、微笑む)、

2010-07-02 23:50:01 | Weblog
 以下の話は私自身が見聞きしたものではなくて、主人からの伝聞です。

 でも、日本人と韓国人(または、北朝鮮籍の人)の国民性の違いが現れていて、大変面白いと思うので採録をさせてくださいませ。

 主人がみなとみらい(横浜)を歩いていたときのことです。場所は、インターコンチネンタルホテルのすぐそば。

 万葉会館という、温泉施設があるところです。この会館は、芸能人なども来るとかいわれていたり、熱海から本当のお湯を運んでいるとか、いわれている施設で、大体四千円ぐらいで一日楽しめるそうです。でも、我が家では、誰も行ったことはないのですが、ともかく、その施設は海べりに建っています。

 そこから、海上保安庁の『北朝鮮の不審船が保存をされている博物館』までの間は、ひたひたと波の打ち寄せる海岸となっています。しかし、その波ですが、ほとんど波ともいえないほど、静かなものです。東京湾の中の横浜湾(?)、のそのまた、いろいろな建物や埠頭に囲まれた一帯ですから。

 でも、海そのものは結構深い模様で、人が落ちると危険ですから、フェンスで、水際までは入れないようになっているそうです。しかし、垂直のがけというわけでもなく、一種のテラス式の、かつ階段状の護岸が、三段ぐらいできているそうです。

 その安全なしかし、普通なら人が入ってはいけないところで、がつん、がつん、と音がするので、不思議に思って、下の方をの覗いてみると二人のご婦人が、牡蠣を採っていたのだそうです。で、活発に会話を交わしている二人の、言葉がどうも朝鮮語らしくて、それなりに主人は納得をしたみたいです。
~~~~~~~~~~~~~

 私もすぐ納得をしました。実は横浜港(または、横須賀港)にはムール貝がびっしりと護岸に引っ付いています。おいしそうです。採ったらいいんじゃあないかと思いますが、日本人は誰もそれをしません。牡蠣は、ムール貝よりより、おいしさという点では、上等な種類の貝です。ただ、私は、横浜港に牡蠣が存在しているのには、今まで気がつきませんでした。で、その二人のご夫人は、万葉会館の従業員ではないかと、感じます。

 または、前に万葉会館に遊びに来たことがある、川崎あたりに住んでいるおばさんで、「あそこに牡蠣があるわ」と気がついて、別の日に、貝採りようの武装をしてきたかな?だって、日帰りの観光に来て、急に気がついても、入ってはいけない場所に入って、牡蠣を鑿(のみ)などを使って、はがして、採るなど、普通の人にはできませんもの。この場所に土地勘がある人です。

 特に日本人は、恥を知るというか、ルールに従うという性質があって、フェンスがあって、立ち入り禁止になっていたら、普通は入りません。それに、ただで、牡蠣を採るのは、貧乏に見えるので、それも恥ずかしがるでしょう。横浜には中国人も住んでいますが、彼らは、中華街を中心にビジネスで成功しているので、海岸で、牡蠣を採るなんてしないはずです。また、大陸から若い人を呼び寄せていますが、彼らも、若いので格好をつけたいから、恥ずかしがるでしょう。また、レストラン等に勤めていて、自分では料理を作らないと思いますので、牡蠣を手に入れようなどとは思わないはずです。

 主人が見るところ、このご婦人たちは、はじめてではないようでした。最近、はがした牡蠣の痕が、点々と白く、しかもたくさん、コンクリートの護岸の上に残っているそうで、海女並みのベテランさんだったのです。ただし本当の海女ほど、危険を犯さないで採れる、形の護岸です。

 私なんかにしてみれば、運河とか、海が汚かった時代を覚えているから、『ここで、採ったものなんか食べられないわよね』という感覚がある。今でも、奥まったところ、(たとえば、横浜駅のすぐそば)では、猫の死体が、ぷかぷか浮かんでいたりします。

 でもね。下水道の整備が進んで、昔に比べればはるかにきれいになっていて、潮くささとか、どぶくささは消えています。牡蠣を採ったとしても、それを、一日ぐらい台所で、塩水につけておけば、貝が自然に、海水を呼吸(消化)して身奇麗になってくれるはずです。

 それに、自分の国に住んでいるわけではないという居直りがあるのでしょう。国籍がどうかはわからないものの、『誰も私たちのことを知っているはずはないわよね』と言う居直りはあるはず。
~~~~~~~~~~~~

 そこへ海上保安庁のものらしい、パトロールカーがやってきて、「そこへ入ってはいけません」といったのだそうです。すると若い方のご婦人が日本語で、「はい、わかりました」と答えたのですが、それっきりで、やめる気配がないのです。
 すると、パトロール隊が、大変やさしい丁寧な言い方で、「ご存知かもしれませんが、夏の牡蠣は、産卵シーズンで卵巣に毒があるのですよ」といったのです。それもまた、若い方のご婦人が「はい、わかりました」と答えたのですが、実際には採集のがつん、がつんをやめなかったそうです。

 いったんは向こうへ、走り去ったパトロール隊が、少し経って、戻ってきて、同じ注意をしたのだそうです。で、若いご婦人の方が、また、「はい、はい」と答えたのですが、実際には絶対にやめなかったのだそうです。

 そういえば、私たちも教わっていますよね。英語で表記した場合のRのつく月には牡蠣は食べてはいけないのだと。つまり、四月から10月までは牡蠣は食べるべきではないと。

 だけど、主人の見るところ、その二人はベテランの模様で、決してはじめてではないと見えたので、牡蠣が実際には、今(夏)でも食べられるのであろうということでした。

 私は、「もしかしたら干すんではない。そしたら、毒が消えるのかもよ」といいました。または、濃い塩に漬けておいて、冬のキムチに使うのかもしれません。塩水の中に卵巣の毒素が溶け出していて、無害になるのかもしれません。

 ともかく、この話から得る教訓は、日本人があまりにも馴致されすぎて、おとなしくなりすぎているということを、感じることです。若い人が草食系とよく言われるけれど、おばさん系も、もっと、野暮でもよくて、野蛮でもいいのです。その方が生き生きしていて、たくましくて、楽しいかもしれません。

 われわれ日本人の間には、このごろ、家庭菜園ははやっています。それは、歴史的に言えば、弥生時代の習性を思い出しているということです。でも、野原や海に行って、採集をして、食料を得る生活など、すっかり忘れています。つまり、縄文時代の習性などはるか昔に捨て去っていて、思い出しもしないというわけです。

 潮干狩りでアサリを採る海岸だって、横浜には残っていません。鎌倉の海だってアサリなんか採れるはずもないです。

 二人のご婦人は、自然に引っ付いてきた牡蠣を見つけて、「これねえ。ほうっておいたら、死ぬだけよ。もったいないわよ」と言い合って採集しているのでしょう。決して貧乏なわけではないと思います。ほほえましいたくましさです。

 最後になりました。私はムール貝だけは、専門の漁師さんが入漁して、採ったらよいと感じます。きれいな海水に二日ぐらいつけて置けば大丈夫で、食べられると思う。確かに、『そのまま、自然に死なせたら、もったいない』と思うほど、大量にありますし。横浜にも横須賀にも。

   では、2010年7月3日                     雨宮舜
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今野選手の、絶妙なるパフォーマンスの、深い意義

2010-07-02 00:09:46 | Weblog
 本日(2010-7-1)の夕方NHKで、岡田ジャパンの選手の記者会見を同時進行的に見ていたときです。6時55分にNHKは、カメラをスタジオに切り替え、天気予報を始めました。判断としては、主要な選手のインタビューが終わったので、それ以上をライブで、「視聴者に見せる必要はない」ということだったと感じます。

 しかし、私はファンとして、もっと知りたくて、チャンネルをまわし始めました。その探している間に、中村俊輔選手が、何かを話されたらしいのでですが、私は、未見ですので、ここでは何も触れません。

 やっと8チャンネル(フジテレビ)に到達して、まだ、同時進行的に放映をしているのにあたりました。フジテレビはセンスがよいです。普通は、このような時間帯は、コマーシャルで、占有されている時間ですが、そちらより、ライブ映像を優先したのは、センスがよい。事前の抽選会では、日本、パラグァイ戦を、『まさか、そこまで岡田ジャパンは、勝ち進むはずがない』と、取り逃がしたそうですが、『この、コマーシャル無視の、現場映像優先・放映はセンスがよかった』と、担当者をほめて差し上げたい。

 さて、そこで、とても、驚く映像を目にしました。それは、一見すると馬鹿みたいな映像でしたが、よく考えると、非常に意味深く、かつ、岡田ジャパンの本質を伝えていると思うので、丁寧に、書き表させてくださいませ。

 七時まで、あと、3分となり、記者会見の司会者(幹事会社の記者)が、岡田監督jに二回目の発言を促すと、監督は、「今野がなにか、言いたがっていたが」とおっしゃいました。それで、右後列にいた、今野選手をみんなが振り返り、カメラもそこへ、マイクもそこへ向かいました。

 そのときにテレビの前に座っていた大方の視聴者の考えたことは、『あれ、この人ってゴールしたっけ』だったと思います。または、『あら、目立ちたがりやななのね』くらいのものでしょう。特別サッカーに詳しい人以外は、その程度の認識だったと思います。

 私は、最もサッカーに疎い種族ですから、この場面では、『ああ、岡田さんが、チームに和したというのは本当だった』と、ほっとしたくらいが一番の特筆すべきことだったのです。だって、今野選手が、もし監督を嫌いだったら、そんなお願いをするわけもないですから。カメルーン戦勝利の前までは、うわさはかまびすしかったですね。選手が監督を嫌っていると。

 岡田監督については、逗子にお住まいで、八幡宮の雪洞祭りを通じてファンになっているとは、以前、このランでも書きましたが、一方で、氏が、サッカー界においては、最高レベルでの、インテリであり、選手に対しては理知的過ぎる対応となっていて、反目を招いているのであろうとは、カメルーン戦、勝利の前までは感じていたのです。
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 さて、望みどおり、カメラが自分に向かい、マイクも手にしたのに、今野選手はためらいを見せました。下を向いて「厳(きび)しいなあ」とも、つぶやきました。一瞬の間合いを置いて、「闘利王選手のまねをします」と前置きをして、「ウオーッ、集合だー」と大声を上げたのです。ちょっとだみ声でね。そこが真似の真似たるゆえんでしょう。

 そのときに、壇上の28人は、みんな大笑いです。カメラは瞬間移動して、岡田監督を捕らえましたが、画面では後ろになる長谷部選手と、二人重なって、監督もいすから転げ落ちそうになって笑っていました。

 この瞬間、私の頭の中には、たくさんの想念が浮かんだのです。それを、逐一書かせてください。大切なものの方を後にして、簡単なものからあげていきます。

 まず、医者の息子であり、早稲田出身という、岡田監督(先ほどもいったように、冷静で、ありすぎる人)が、本当に選手と一体になっているということと、このチームが真に溶け合ったよいチームになっていたということを、また改めて感じさせられました。

 今野選手ももちろん偉いです。もし、事前に自分がどんなパフォーマンスをするかを、ちらっとでも、もらしていたら、こんなにみんなは笑わなかったでしょう。単に、『何らかの感謝のメッセージを発表するはずだ』と、チームメイト全員に、思わせていたから、みんな驚いて、椅子から転げ落ちたのです。
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 さて、ここからは、闘利王選手と川口選手に入ります。川口選手は主将として、よくみんなをまとめられました。大いに賞賛してよいと感じます。中村俊輔、森本選手、稲本選手、楢崎選手、出たい人はいっぱいいるでしょうし、戦前の大方の評価は、それら、主力(今では、だれが主力ともいえないが)が南アフリカのピッチを踏むことは疑わなかったのですし。

 つまり、岡田監督が、外に見せなかった、情や、精神性において、みんなを引っ張りまとめた人材です。将来、指導者として、名指揮官になれる可能性があります。

 しかし、闘利王選手が一種のリーダーとしてチームを引っ張ったことも事実なのでしょう。特にその攻撃的な精神で、みんなを引っ張ったのです。前進、前向き、な闘争心というやつです。しかも、カメルーン戦前に、決定的な、言葉を披露して、みんなを、ある方向へ向けて統一しました。それは===俺たちは、下手なんだ。下手は下手なりに、鈍くさく、やらなければならない===というもの。

 それで、みんなは、目覚めて、覚悟ができて、立派な守備に徹しることができ、一勝をあげることができたのです。その存在の価値については、みんな感じているのでしょうが、その本人は、この場所にいません。

 彼について、特にその業績について、どう、日本国民に伝えたらよいのかを、ある種考え抜いて、しかも奇想天外に、面白さを凝縮して、それを、視聴者に、思い出させたのが、今野選手のパフォーマンスでした。
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 とても美しい光景であり、このチームがひたすらに精神性で、勝ちあがってきたことを証明する場面でもあったのです。

 しかし、しかしなのです。闘利王選手については、ここで、もう少し、述べたいことがあります。演劇畑の人間がよく言う言葉に、「板の上で、死ね」とか、「われわれは身内の死に目にも会えないのだ」という言葉があります。闘利王選手のお父さんが、病気で危険な段階で、試合が終わったので、ブラジルへ帰国するとのことで、この記者会見場にいないわけですが、もし、彼が演劇畑の人間だったら、この記者会見は、その最終幕でもあり、出席するべきでもあろうかと、思います。

 でも、もし、彼が日本国籍を返上して、これから、ブラジル人として、欧州リーグ、またはブラジル内で、活躍するとしたら、この記者会見場は、さして大切な場所ではありません。特に闘利王選手が、自分のリーダーシップの高さを自覚して、将来指導者になっていく道を望んでいてその場がブラジルのチームだったりすると、なおさら、この会見は無意味になります。

 プロ・野球界に進んだ人が、本当にやりたい仕事は、高校野球の監督だそうです。これから、伸びていく若い人を指導すること、これほど、意義があり、生きがいのある仕事もないでしょう。そして、ブラジルは、オリンピックも控えています。大統領が、闘利王選手にひそかにメールを送り、何らかの広報面でのサポートを依頼したかもしれません。これは想像ですが、ありえましょう。

 日本という国は、マスコミが発達しているので、ブラジルにいるよりは知名度を上げることができて、コマーシャル収入等は高くなると思います。そして、闘利王選手が来日したのも自分の意思ではなくて、渋谷幕張高校のスカウトでした。

 今は日本国籍を取得している彼も、両親の段階からは、ブラジル人なのです。祖父母は日本カラーを色濃く残していたかもしれませんが、両親の段階ではブラジル人なのです。W杯という世界で、闘利王選手が深い愛国心に目覚めたとしても、それを誰が非難できるでしょうか?

 私がふと、こんな感想を漏らすと、主人が脇で、『かんぐりすぎない方がよいよ』といいます。それも、一法です。だけど、ジャの道はヘビで、サッカー界の大勢の人は、あの記者会見場にいた、選手を含めて、それが、すでに、わかっているのかもしれません。

 それらの複雑さを全部含めて、一瞬のひらめきとして行われた、今野選手のパフォーマンスは、本当に絶妙でした。闘利王選手の貢献をだれも、言及できなかったからこそ、なにか、してやりたい。だけど、もし、日本国籍を返上するのが、近々だったら、ここで、言葉で称揚することもできない。

だけど、お笑いにまぶせば、すべては、許されます。
 みんな笑い転げました。でも、その「ウオーッ」という大声は、日本選手団が失いがちな野生を、このチームに吹き込み、活性化したのです。そして、そのハーフ特有のかわいくて美しい顔にも似合わない、激しい闘争心によって、サッカーが一種の格闘技(ファールを呼び込む、接触技を見ているとそう感じます)である、原点にみんなを、立ち返らせたのです。

 最後の試合に立ち現れた心理的なメカニズムについては、ここでは長くなるので触れません。だけど、最初の三試合までの、勝利は、板こ一枚下は地獄の船乗りのたとえと同じく、個性がぶつかり合い、ばらばらになってしまうチームを、それぞれが、適材適所で守り立てた結果であり、闘利王選手の功績はそれなりに、永遠に記憶されるべきなのです。

 最後の最後でも、岡田監督の資質は役立ちました。氏がインテリではなかったら、俺が俺がになってしまって、今野選手にマイクが渡るような采配が生まれなかったでしょう。

 そして、この感動をもたらした、このチームを生んだ、影にある大いなる化学変化に役立った、純粋日本人の川口選手の、みんなの心をまとめた、情による、リーダーシップも、繰り返しになりますが、高く評価されるべきです。ありがとう。みなさん。
  では、今日はこれで。  2010年7月2日に、一日にあったことを書く。雨宮舜
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 ますいさくら・さん・の、洗練度と、キレのよさに驚く

2010-07-01 00:08:06 | Weblog
 今日、銀座の裏路地を歩いていたら、白とグレーの見事な着物姿に出会いました。ふっくらとしたお顔の美人で、携帯で、お客さんと待ち合わせ中のホステスさん。場所は通好みのフレンチの前。オーナーが、テレビなどには出ないので、かえって客層がよいのではないかなあと思うお店です。その後で、喫茶店でも、商談中、(もしかしたら、お店等の宣伝の話、純粋に、商談)のホステスさんに出会いました。彼女のもりがみのつややかなこと。西大后とまでは、いわないが。

 彼女も白い着物。多分、絹。先週は化繊だなあ(しかし、水洗いができるので、夏向き)と思う白地の着物を着ていた、美人に会いましたが、今日の美人たち、特にフレンチの前にいた人は、芳醇な感じがするきわめつけの美人。
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 しかし、今日は赤い着物と、乱れた髪で登場した、ますいさくらさんの極め付きの頭のよさと、切れを話題にしたいのです。彼女を見た場所はテレビで、例の夏木マリさんのオペラ紹介番組です。

 しかし、その日のテーマは歌舞伎です。映画『花の吉原百人切り』でも有名になっている、籠釣瓶花街酔醒(通称かごつるべ)。主演は現代の吉右衛門。間に、土屋アンナ主演の『さくらん』もはさんで、論理が展開します。日時は6月25日の金曜日。

 私はこのますいさくらさんという人を、よく知りませんでした。双子のおねえさん(志保)がいて、そちらもすごく有名みたいで、混濁していました。二人の本も読んだことはありません。

 今、きちんと、インターネットサーフィンをしたら、北鎌倉の育ちで、父上は県会議員だとのこと。お姉さんの志保さんは、明治大学出身だそうですが、さくらさんのほうは拓殖大学(外国語学部)を出て、商社マン(海外勤務)をしていたそうです。お嬢さんがあるが、シングルマザーであることと、母の水商売が、差別につながるといけないので、イギリス留学をさせているとのこと。ふーむ。よく考えていらっしゃる。それなりに、お金がないとできないことですが。

 お嬢さんの年齢がわからないのですが、唯一心配なのは、ヴィヴィアン・リー化すること。つまり、六歳から寄宿学校に入れられて、ゆっくりした家族愛の中で、はぐくまれなかった、ヴィヴィアン・リーは、神経質の度が過ぎたのです。

 だけど、さくらさんは、絵本とか、童話を書いているそうですから、大丈夫でしょう。夫婦でいる人よりも、気を使う形になるかもしれないから。気をつけて、愛を注いでいらっしゃると思う。
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 しかし、そのお子さんが、日本にいないということも、彼女を自由にしたと思いますが、発言には、驚天動地の自由さがあり、かつ、きれがよいこと、この上なかったです。

 この番組は司会が夏木まりさんで、ゲストが二人呼ばれますが、たいていは、夏木さんより、若く、したがって思考内容が、より単純であり、結局は、リーダーとしての夏木さんが論を牛耳る形となります。しかし、この日ばかりは、『ほーっ。恐れ入りました』という感じで、引いていらっしゃいましたよ。
 でも、ますいさくらさんが、でしゃばりで、いやだったというわけでは、まったくないのです。もうひとりのゲストが、大島みゆきさんというバライエティ番組からでてきて、かわいいブスをセールスポイントにしている人で、バッティング(対立、拮抗)しないタイプだったからです。

 さて、テーマは男女の機微です。ますいさくらさんのユニークにして、覚悟の座った分析については、詳細は再現できません。聞いている最中は『面白い発想だなあ』と思いましたが、展開が速すぎて、メモる間もないし、記憶する間もない感じでした。
 もし、ご興味がありましたら、オンデマンド放送があるかどうかを確かめてください。または、再放送を待ってください。

 同じNHK火曜日の爆問・学問が録画率が高いそうです。特にメディア関係者とか、芸能界で、好評で、録画後、見ている人が多いそうです。こちらも同じ傾向がある番組ではないかしら。特にこの日の、ますいさくらさんの発言は、すばらしい聞き物、見ものでした。
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 今日、私が一番言いたいことは、これだけの個性は、『やはり、海外暮らしが育てた、というか、ブラッシュアップしたものだろうなあ』ということです。
 お姉さんも才人らしいから、もともとの、地頭もよい人だろうけれど、それ以上に海外暮らしの経験が大きいと思います。

 それと、銀座のクラブと言う世界も、一種の治外法権的なところがあります。

 同じ年齢(あらフォー世代)の女性は、地域社会やら、職域社会で、言外の規制に縛られて生きていると思いますから。そこから、自由であることも大きいです。
   では。2010年7月1日 早朝                 雨宮舜
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