こんばんは
先程、テレビをつけたら内藤VS亀田のボクシングの試合がやっていたので見てしまいました。
その後はいろいろ考え事をしていたのですが、最近は自分の時間の使い方に関して考えることが多いです。
・・・いや、いつもか・・・・。
当然ながら人間には一定の時間しか与えられていません。どう時間を使い、生きていくかは本人が決めなくてはなりません。
僕は高校時代・・高校2年生までは「生物学者」志望でした。理由は生物のいろいろな関係(食物連鎖含め生態系など)が好きだったからです。
そんな中いろいろな理由があり、「医師」志望に変わったのが高校2年の秋。その後は「医師」も楽しいと思いながら今の生活を満喫しています。 医師という仕事が僕は好きです。
本当に様々なことをその場で考えなくてはならず、責任も大きなものでありますし、多くの人に貢献することができる仕事だと思っています。 だからこそ、このような勤務環境でも楽しく仕事ができます(好きでなければできないと思います)。
・・・流石に疲れはしますが・・・・。
同じ病気であれば同じ対応をすればよい・・・なんてものでは医療というものはありません。一人一人の患者さんでの様々な違いを考慮し、治療を行っていかなくてはなりません。
それが患者さんの「時間」を守ることにつながると思いますし、患者さんのために自分ができることなのだと思っています。
たぶん、能力で「医師」になってしまったひとはきつい診療科にはいかないのかもしれませんね。能力ではなく好きか否かで仕事を選ぶべきだろうと思っています。
そういう意味では・・・・・・非常に楽しく過ごさせていただいております。
また、医療における研究という分野は「見たこともない人の幸せ」に貢献でき、将来につながると思っています。将来、多くの人が幸せな時間を過ごすきっかけになる何らかの研究ができれば嬉しいと思っています。
「好きな仕事」と「能力的に向いた仕事」というのは異なるのでしょうけど、僕は自分自身についてはこれは一致していて「医療」「医師」だと思っています。
そんな中、子供のころから歴史書や兵法書(父親も読書好き・・兵法書まであり)を読むのが好きだった関係で「政治」の分野なんかも興味は持っていました。
歴史を読み解いていくと楽しくて仕方がありません。
今の時代において 「織田信長がいたらどう考えて、どう動くだろう」「西郷隆盛なら・・・」「坂本竜馬がいたら・・・」 そんなことを考えながら今の日本を見ています。
けど、好きな仕事にはならないだろうな…と思うことが多いです。好きな仕事をやるのでなければ人は十全の力を発揮することはないでしょうし、僕も「机上の空論」を考えているだけだということを知っているつもりなので・・・。
考えることと実行することは異なる
政治では考えたことを実行するためには「金」「人脈」「根回し」・・・様々なものが必要でしょう。 「きれいごと」だけを言っていう政党もありますが…清濁併せのまねばならないだろうとも思っています。実行することができるかどうかは・・難しい。
「考えたこと」と「実行すること」の間の大きな違いが・・・政治の世界では難しいのでしょうね。「名参謀」であってもそれを実行することに意味があるのであって・・・・・・・・「実行不能」のように見えることを「実行する」ことに楽しさはありそうですが・・・
あと、今の日本では織田信長クラスの偉人でも出ない限りは「能力制」にはできないのでしょう。信長のように能力のある人間に責任・権限を、年功序列である程度の給料をあげるように徹底すれば少しは変わるのかもしれませんが・・・今の日本ではそれはできますまい。
よほど、この国を変える「強い意志」を持った人以外にできることではないと思います。長期的な視野で「国をより良くしていくこと」「過去にとらわれず未来を切り開くこと」に楽しさを感じるような人間が出てくるといいな~などと他力本願なことを思っています。
僕は人に貢献する仕事が好きです。医療は僕にとっての天職だと思いますし、実際どんな勤務環境下で働いていても苦痛はないです。ただ、自分自身の幸せの中に「家族」や「趣味」「子供たちを含め・・・未来」があるので医療だけをやっていたいわけでもなく、今の日本の医療体制の異常さは多くの人に知っていただき変えていかなくてはならないと思っています。
それが今の医療だけではなくて…多くの職業で共通した問題(日本の)なのだと思いますが・・・・。
日本人の根底に「遅くまで働かなくてはならない」とでもいうような何かが植え付けられているかのようですね。本来は効率をもっと追究してもよいはずなんですが、日本という国は効率を追求しているように見えて非効率的なことこの上ないように思えます。
それを改善できればよいのでしょう。
また、教育や政治という問題にも興味はあります。人に何かを教えることはその人が自分を超えていく可能性を広げるという意味で非常に楽しいことだと思います。
僕はそういう意味では教師向きです。
自分を超える人間が多い方が教師としては有能ですよね。
宗教の指導者(仏陀とかキリストとか)が多くの人を幸せに導いたら…悟りの境地に達するところまで導いたら・・・自分と同じ境地に達することができたら喜ぶだろうというのと同じことです。
神様がいるとして「人が幸福になる」ことを喜ぶだろうというのと同じことでしょう。
http://blog.with2.net/link.php?602868
人気ブログランキングへ←応援よろしくお願いします
僕は自分を教師向きの人間だと思っています。そして教育というのはこの国だけでなく世界のために、世界の未来のために必要なことです。この日本という国に関しては今までも書いてきたように「資源」が「人材」なわけですから、教育をもっと重要視しなくてはだめです。
そして政治に関しては・・・・・・楽しいかもしれませんが、やはり「好き」にはなれないかもしれないな~と思っています。
それでは、また。