こんばんは
今日は早めに帰ってきました。
先日もカルテ開示云々・・・がありましたと書きましたが、いろいろ書いてこられました。
正直に一つだけはいいわけはできないな~(事務的にも書かれていますし)と思いましたが、それ以外は今の自分が考えても(後出しで考えても)「選択肢は間違っていない」と思えるのですが、やはり結果が伴わないとだめだということなのかしら…と思ってしまいます。
僕は外来で重症の患者さんも多いこともありますが、そういう患者さんのカルテを書くことよりも真正面から話を聞いて、カルテにはサラッとしか書かないです。カルテに書くことよりも患者さんに紙で書いて渡すことの方が多いくらい・・・・。
ですから改めて書く時間がないです。
今回は完璧に「信頼しすぎ」て失敗したような気がします。
今の僕が後から考えても「選択肢は間違っていない」と胸を張って言えると思うのですが、やはり今の世の中は「文書」で書き遺していなかったらだめなんでしょうね。
文書がないから…と言われればそれまでです。
僕は患者さんが好きで、この人にできることは何か…と思って対応しても、一度も外来に来たこともない親族がいろいろ言っていくのだな~ということが良くわかりました。
個人的には・・・何があろうと僕自身が患者さんのためにベストを尽くしたことは僕自身が知っていますし、医療という分野が好きで、患者さんとの人間関係が好きな僕自身が一人一人の患者さんにできることを行ったことは・・・他人が否定しようと自分自身が肯定します。
僕自身が患者さんに尽くしたことを肯定できるうちは、誰が何といおうと引くつもりはありません。患者さんを信頼し、患者さんから信頼されて医療をしていこうとして、それで駄目ならばやはり日本の医療が「仁術」ではなくなっていっているのだろうと思いました。
ただ、僕の思いは誰が何といおうとやはり、患者さんとの信頼関係が最も重要であり、それを「結果論」から攻められる筋合いは一切ない。
自分で言うのもなんですが、僕が結果論で攻められるのならば、だれもシビアな診療科に行こうなんて思わないだろうと思いますし、だからこそたとえどういう思いで向こうがいようときちんと論破していかなくては誰のためにもならないのだろうと思います。
たぶん、僕を憎めば良いと思っているのかわかりませんが、どうしようもないものも「生命」にはあるということを分かってもらうことは患者さん家族のためにもなると思います。
先程から、帰ってきて考えることはそういうことでした。
僕のこれからの行動が「患者さんに対する」「家族に対する」「多くの人に対する」『愛』で行われることを祈念して、今日の記事を終わります。
まぁ、遺族の気持ちとしてはそうなんでしょうね。向こうが憎しみで来るなら、こちらは愛で返しましょう。
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それで駄目なら、また考えます
では、また。