1.甲状腺機能低下症とは
甲状腺ホルモンは、身体の新陳代謝をスムーズにする役割がある。このホルモンがなくても生きていけるが分泌低下すれば、色黒・寒がり・脱毛・体温低下・脈拍数低下・易疲労・胃腸機能低下(食欲不振、便秘)などの新陳代謝低下症状が生じる。
甲状腺機能低下症との確定診断は、本症の確定診断には血液検査を行う。トリヨードサイロキシン(T3)低値、サイロキシン(T4)低値、甲状腺刺激ホルモン(TSH)高値という検査結果は、甲状腺機能低下症であることを裏付ける。
なお甲状腺機能低下症の原因は種々だが、最も多いのは橋本病である。
2.開業針灸における甲状腺機能低下症の診療
1)甲状腺機能低下症患者は珍しくない
鍼灸には、不定愁訴を訴える患者が多く来院する。その大部分は更年期障害・神経症・筋痛症候群であるが、甲状腺機能低下症との診断がついた患者もまれに来院する。甲状腺機能低下症が疑われる患者はさらに多く来院する。
不定愁訴症候群の中から甲状腺機能低下症の疑いをもつ条件だが、私は、腎虚のイメージとして把握している。すなわち色黒・脱毛・寒がりに注目している。
2)甲状腺機能低下症の鍼灸治療と治療効果
甲状腺ホルモン分泌低下が原因なので、鍼灸では無理だろうと考えがちだが、施術してみると、効果絶大で、しかも速効性があることが分かる。その治療効果とは、一言でいえば疲労倦怠感の大幅な軽減である。筆者の場合、全身とくに体幹背面の筋を緩めるような鍼灸治療を行うが、とくにどのツボが必須ということではなく、仰臥位で10~20本程度の置針10分間、その後の伏臥位でも10~20本程度の置針10分間、座位で肩井、天柱への単刺程度の治療で、十分な効果が得られることが非常に多いと思う。
しかしながら、治療効果の持続時間は1~2日程度にすぎないのである。
3)鍼灸治療の適応と限界
甲状腺機能低下症の原因は不明であり、根本的治療法も確立していない。ホルモン補充療法としてチラージン(甲状腺ホルモンであるサイロキシン)が投与され、これは基本的に一生服用することになる。
甲状腺機能低下患者で、医師によるホルモン補充療法がすでに行われ、検査値も正常内に入っているのに、身体のだるさを訴える例も相当あるようだ。そうした者が投薬治療を受けつつも、鍼灸治療を希望しるのであろう。
鍼灸は、無論のことホルモン補充療法にとって代わるものにならない。だが鍼灸をすると、たとえば、今にも倒れそうになり、やっと治療院に来院した者が、治療後は元気になって帰って行くのを目の当たりにすることができる。
かといって、毎日ないし一日おきに針灸に来院させることは費用の面や時間の制約もあって困難であろう。、交感神経緊張を目的として、つらい時は熱いシャワーを短時間浴びることをアドバイスしている。実際、これもかなり効果的である。
3.脚気と鍼灸治療について
かつて脚気が原因不明の病気だった時代、脚気に針灸治療が行われ、そこそこ有効だったという話が伝わっているが、針灸治療が甲状腺機能低下症状に限定的ながら効果があることを考えれば、脚気に対してもある程度効果が見込めるのだろうか。
1)脚気の語源・症状
脚気という名称は、7世紀に著された「病源候論」に、“その病脚より起こるをもっての故に脚気と名づく”(木下晴都「最新鍼灸治療学」上巻より)とある。
ビタミンB1(チアミン)の欠乏により、心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。
ビタミンB1は神経機能を正常に働かせる作用がある。脳や神経に必要な成分はおもに糖質で、その代謝にB1が関与している。というのも、B1は炭水化物のなかの糖質が分解されてエネルギーに変わるときに欠かせないからである。糖質をたくさん摂取しても、B1がないと糖質の分解ができず、疲労物質(乳酸など)が体内にたまり、疲れやすくなったり、だるく、倦怠感が出るのはそのためである。
脚気の自覚症状は、初期には易疲労感のみであるが、進行するにつれ食欲不振・四肢(特に下肢のしびれ感)・動悸・息切れが加わる。不足すると末梢神経に異常をきたし、手足のしびれ、疲労、最悪の場合「心臓脚気」で命を落とすこともある。心臓機能の低下・不全を併発したときは、「脚気衝心」と呼ばれ、突然の嘔吐をきたしショック状態になり、死に至る病でもあった。
ビタミンB1は米の胚芽部多く含まれるが、わが国で庶民にも脚気が広く蔓延したのは、精米された白米を食べる習慣が広まった江戸時代頃からで、それ以前は、貴族など高貴な身分の者がかかった疾患だった。
2)脚気の針灸治療
脚気の治療というと、「脚気八処の灸」が広く知ら東洋療法学校協会の経穴の教科書に載っている。この八穴とは、風市・伏兎・犢鼻・膝眼・足三里・上廉・下廉・絶骨(懸鍾)である(トトク風に懸かって、膝の上下三里と記憶)。出典は「千金方」による。本著は唐代、孫真人(655-658)により著された。
下肢部を重点的に取穴していることから、下肢症状に対処したものだと思える。ただし「神応経」には、ほかに心兪・脾兪・腎兪・関元兪・水分などの穴にも針灸するよう指示している。要するに全身治療を行う必要があるらしい。
鍼灸という物理的刺激が、交感神経緊張状態をもたらし、改善効果を生じたと考えれば、その効果は一過性だろう。それよりも、脚のだるさ・下肢浮腫・食欲不振などを併せ持つ患者を、早合点して初期の脚気だと誤診した結果によるものではないか?
「針灸臨床医典」には、治療期間について次のような記載もある。
浮腫のみ→1~2週間の治療
筋萎縮が始まると→1~2ヶ月の治療を要する
心臓衰弱(脚気衝心)→手ごわい