夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

2025(令和7)年03月14日(金)晴れ。 #歴彩館

2025年03月14日 | 日記・紀行

2025(令和7)年03月14日(金)晴れ。 #歴彩館

 

歴彩館を久しぶりに訪れました。正式には、京都府立京都学・歴彩館と呼ぶそうですが、ここでは単に歴彩館といいます。本当に久しぶりで、コロナ武漢ウィルス騒動がおきてからは、府立図書館やこの歴彩館などの公共施設に足を運ばなくなっていました。それが今すっかり習慣化していることにも気づきました。

以前に歴彩館をおとづれた時の記録を残しています。ブログ日記のそれを検索してみると、2017年の秋のことでした。

府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館 - 作雨作晴 https://is.gd/WDgjrm

そのときから、すでに五年も経過してます。時間の早さにあらためて驚くばかりです。歴彩館がオープンしたのは、平成29年4月28日だそうですから、以前に私がおとづれた時は、まだ歴彩館もオープンして半年も経ってはいませんでした。そのとき私が館内で読書をしているときにも、施設の関係者が空調の設備を見回っているようでした。その前年に閉館した京都府立総合資料館の古い建物もそのまま残っていました。ところが今日おとづれたときには、その面影はまったく消え去って、その跡地には新しい建物が立っていました。

まだ若かった三十を超えてまだまもないころに、妻に弁当を作ってもらって、資料館に通った頃に見つめた、あたり一帶の面影がすっかり消えているのに驚きました。

また、歴彩館のなかも、私が前におとづれたときとは大きく様変わりしていました。一つは府立大学の図書館と連携されていて、図書も著しく増加して蔵書の規模も内容も各段によくなっていたことです。

開架書庫に並べられた膨大な数と量の本の背表紙をゆっくりと読み取りながら歩いていると、まず、桝田啓三郎文庫目録 という私には懐かしい名前の分厚く大きな目録本が目につきました。

というのは、私が高校生の頃に読み始めたキルケゴールの本は、ほとんどすべてこの桝田啓三郎の翻訳だったからです。「反復」も「不安の概念」も「死に至る病」も「誘惑者の日記」もすべて桝田啓三郎の翻訳で読みました。桝田啓三郎はキルケゴールの全集本の完成を目指していたはずですが、それは確か未完に終わったようです。それとは別に多くの翻訳者の手になる、白水社から出版されていたキルケゴールの著作集も買い揃えました。

キルケゴールは激烈なヘーゲル批判者として哲学史に登場しています。しかし、その後の私の思想的な遍歴の中で、私の興味と関心は、聖書のキリスト教と彼が批判の対象としたヘーゲル哲学そのものの方へと移行してしまい、いくどかの転居のあいだに、今は私の手元にはキルケゴールの著作は、売り払ったのか処分したのか、一部の文庫本を除いて、ほとんど残っていません。

それはとにかく、まだできてまもないこの歴彩館に以前におとづれたときとくらべて、図書の量と質が比較にならないくらいによくなっていました。マルクス・ヘーゲル系の哲学者である牧野紀之氏の本「辞書で読むドイツ語」もありました。牧野氏には、青年時代に短い間でしたが、直接習ったことがあります。牧野紀之氏についてはいずれ何らかの形で論評したいと考えています。

また、京都大学の前身である尊攘堂の創設に関わった品川弥二郎の著作全集もありました。和歌や日本古典の蔵書も充実していました。しかし、このときに開架の棚を見た限りでは、牧野紀之さんが未知谷という出版社から出しているヘーゲル『小論理学』や『精神現象学』の翻訳と註解の大著も『関口ドイツ文法』もありませんでした。また、「冠詞論」などで知られているドイツ語学者の関口存男の著作集も見当たらないようでした。哲学関係の文献については大したものはなさそうでした。

とはいえ、これほどの質と量の内容のある図書を蔵した歴彩館を京都府市民に開放してくださっている関係者の方々には本当に頭が下がります。府立大学の蔵書も連携して閲覧できるようになったせいもあると思います。大学関係者の方々にも感謝の念しかうかびません。このすばらしい歴彩館を京都府市民は、それに相応しく利用活用して、その恩恵に応えていくことができればいいのにと思いました。

 

ちなみに、キルケゴールに触れた私の過去の論考。

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十五節 [道徳と個人] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/WYvgPl
ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 十三〔決断について〕 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Ri5u3Z
業平卿紀行録8 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/91AEkl
ルイス・フロイス - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/6xoDnU
私の哲学史(3)──キルケゴール(主体性について) : 夕暮れのフクロウ https://is.gd/NXb1Wh

 

 

 

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