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夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

民主主義の人間観と倫理観──皇室と民主主義

2014年12月19日 | 国家論


民主主義の人間観と倫理観──皇室と民主主義


元東大教授で法学部で長年にわたって憲法学を教えられてきた、奥平康弘氏は、“「天皇制」と民主主義は両立しない”と自らの著書で述べられています。(註1)

しかし、本当に皇室(奥平氏のいわゆる「天皇制」)と民主主義とは両立しない”ものなのでしょうか。そのように断定される奥平康弘氏は、日本共産党のように「天皇制」を廃止して、「民主主義」にとって代えようと主張されているのですが、はたして、氏のいうところの民主主義」というのは何ら欠点のない完全無欠のものなのでしょうか。

奥平氏はそう断定されるとしても、かといって一方では、「天皇制」を廃して「民主主義」を国家の原理とすることの「合理的な根拠」を論証できているわけでもありません。これでは科学にも学問にもならないのではないでしょうか。いずれにしても、長年にわたって東大の法学部で憲法学を教えるという公職におられた方の見解でもあり、善かれ悪しかれ影響力はあるのだろうと思います。奥平康弘氏の憲法観はもっと問題視されて良いと思います。

とくに奥平氏の「民主主義」観、憲法観には時間軸が抜け落ちています。国家における歴史や伝統の継承という観点がありません。単なる一世代による、それも真理の正否の定かでもない多数決の判断にしたがって、歴史や伝統の断絶を もたらすのは「民主主義」の僭越であり傲慢だと思います。そして何よりも奥平康弘氏の憲法観の根本的で致命的な欠陥は、哲学者ヘーゲルの明らかにした国家と自然法 の論理をいささかも検討された形跡のないことです。

憲法学における学識については、もともと奥平康弘氏の足許にも及ばないとしても、私の理解する「民主主義」観では皇室とは二律背反の関係にあるものではありません。民主主義は皇室と両立し得ると考えます。奥平氏が「民主主義」という言葉でどの様な内容のことを考えておられるのか、不勉強のためによく分かりませんが、これまでも、いくつか私なりに「民主主義」について考えるかぎりは、皇室と「民主主義」は両立するものだし、両立させるべきものです。以下に、そう考える根拠のひとつとして私の民主主義観を示した十年ほど前の論考を再録しておきます。

十年ほどの間に私の考えも変化しており、下記の論考からは若干変化もしていますが、基本概念には変更はないので当時の論考のまま残しておきます。

(註1 奥平康弘著『「萬世一系」の研究』401頁)


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民主主義の人間観と倫理観』──より良き民主国家建設のために①

民 主主義の倫理観や人間観について述べようとすると、「民主主義に倫理観や人間 観があるのですか」と問われたりする。もちろん、他の多くの重要な社会思想と同じように、民主主義にも、人間観や倫理観は含まれている。結論からいって、 歴史的にも社会的にもこれほど重要な役割を果してきた民主主義のような思想に人間観や倫理観が含まれないと考えるほうがおかしいのではないでしょうか。こ んな質問を受けること自体、日本の民主主義の伝統の浅さや、学校での民主主義教育の貧しさを推測させるものと思います。

民 主主義とは、語源からすれば、民衆の権力、人民の支配と言う意味ですが、起源 としては、古代ギリシャが考えられています。しかし、現代の民主主義は、古代ギリシャではなくフランス革命とイギリス・プロテスタンティズムに直接の根拠 を持つと考えられます。そして、ことばは同じ民主主義であっても、フランス革命の人民主権の色彩の強い政治的民主主義と、個人の尊重や社会構成員の権利の 平等を強調するプロテスタントの社会的民主主義は区別されるべきでしょう。

民 主主義とは、基本的人権の尊重や法の下の平等、納税や兵役の義務などといった 個人と共同体の関係のあり方を規定する倫理観や人間観の体系といってよいと思います。この民主主義は、経済的弱者や被抑圧者を母胎とする思想であるいえま す。今日の社会に当てはめれば、勤労者や一般消費者の論理を代弁する価値観といえます。

そ れに対して、 自由主義とは、簡単に定義すれば、人間の欲望を無制限に追及す ることを肯定する人生観、倫理観といえます。この思想は、歴史的には産業ブルジョアジーの考え方として登場したものであり、したがって、この主義は、今日 の社会では、いわゆる資本家=生産者の論理を代弁することになります。

こ うした自由主義観や民主主義観は、これらの思想の母体となった特に欧米では自 明の前提だったのではないでしょうか。そして、逆にこうした本質的な理解を欠いたままに、浅薄な議論が行われてきたことが、日本で「民主主義」の信用を貶 めることになったのではないでしょうか。不幸なことだとも思います。

と ころで、民主主義の倫理観についてですが、これは日本国憲法においても「納税 の義務」、「教育の義務」、「労働の義務」「生存権や財産権の保障」などに現われています。これらは共同体の個人に対する義務や個人の共同体に対する義務 を規定したものです。納税の義務や労働の義務や教育の義務は比較的にわかりやすいと思います。国民の国家や共同体に対する倫理的義務を示しています。封建 時代の年貢制度などと比較されると民主主義の倫理観がどのようなものであるかわかると思います。

儒 教道徳を根底にした封建社会の倫理とは違って、民主主義には「個人としての尊 重」や「基本的人権の尊重」や「法の下に平等」「他者の自由の尊重」といった人間観、倫理観が根底にあります。これらの権利義務は強制によるものではな く、民衆の多数決原理によって自ら制定した法律に基づく自発的意思によるものです。 

中 でも、民主主義国家の国民の国家に対する倫理的な義務を規定した納税の義務な どについては、日本では、ほとんどが「源泉徴収」によって行われているので、国家や公共団体に対する国民の倫理的な義務は自覚されにくくなっていると思い ます。全国民が一律に「収入の10パーセント」を納付することなど、税制を根本的に簡素化し、また源泉徴収制度も廃止し、国民の自主的な納付制度に改革す れば、国民の民主的な自覚も少しは高まるかもしれません。 

そ して、国民の国家に対する倫理的な義務の最たるものである「兵役の義務」があ ります。しかし、日本国憲法には、その成立の特異性ゆえに、「兵役の義務」については規定されていません。民主主義にとってあまりにも自明な「兵役の義 務」が規定されていないのです。本来、民主主義国家では、国民は何よりも、国家国民のために、自ら国防の任務を負うのです。

封 建社会や絶対主義国家では、武士や軍隊が主君である大名や天皇のために国防の使命を負いましたが、民主主義国家では国民全体が国民自身のために、その責任 を担います。国防のために兵役の義務を果すことは、民主主義国家の国民にとってはあまりにも自明のことです。兵役に従事し、身命をとして国家国民のために 奉仕すること、これ以上の倫理的義務があるでしょうか。封建社会や絶対主義国家には、国民全体にこうした意識はありません。そして、現在の日本人の「民主 主義」には、この倫理観が完全に欠落しているのです。

民 主国家の事例としてスイスが取り上げられますが、スイスの国防の実体は、「軍事国家」といえるほどのものです。これが、歴史的に典型的な民主主義国家の実際です。「徴兵制」(正しくは志願制兵役)や「愛国心」などというと、いわゆ る「右翼的な思想」の専売特許のように思われていますが、論理的に考えて、民主主義国家の国民の愛国心ほど強いものはありません。もしそうでないとすれ ば、その国家は名目はとにかく、実質的には「民主主義国」ではないのです。なぜなら、民主主義国家であるほど、その政府は、国民に奉仕する存在となり、ま た、その国家は一般国民にとって暮らしやすい幸福な国になるからです。国家や政府からの恩恵を十分に自覚している国民は、なにも政府から強制されることが なくとも、もっとも愛国的な国民になります。

ま た、民主主義は伝統文化を尊重するものです。その倫理観からも、私たちの祖国 と祖先の、動かすことのできない過去の伝統文化を、その宗教や習俗を尊敬し愛することのない民主主義があるのでしょうか。民主主義の原則が、単に空間的に だけではなく時間的にも歴史的にも貫かれれば、当然の論理的帰結としてそうなります。「戦後の民主主義」が、日本の伝統文化を破壊しているというのは、民 主主義の思想の本来的な欠陥から来るのでしょうか。あるいは、民主主義を、浅薄にしか理解しなかった国民の、特に自称左翼の責任でしょうか。 

こ うした民主主義観が真に基礎を得るには宗教が必要なのですが、残念ながら、日 本ではその基礎を欠いていたといえます。宗教抜きの民主主義は、今日の日本のような「欲望民主主義」「悪平等民主主義」になりがちです。明治の指導者は、 民主主義の人間観や倫理観を拒絶して、あるいは理解しないで、「天皇制」や「教育勅語」などによって、当時の道徳的危機を打開しようとしました。その結果が、 民主主義国イギリスとの同盟ではなく、ヒットラーとの同盟となったのだと思います。この歴史的教訓を、それは歴史的必然と言ってよいと思いますが、深く学 ばないと、かってのドイツと同じように、再び同じ結果を招くことになると思います。                               

特 に、日本の民主主義は、太平洋戦争による敗北を契機に日本国民に導入 されたために、多くの点で、歪曲され、浅薄化していると思います。というよりも、民主主義の概念が、いわゆる左翼から右翼まで混乱しています。イギリス・ プロテスタンティズムを基盤とする「社会的民主主義」については、古代ギリシャ民主主義やフランス革命の「政治的民主主義」と区別するために、これを「共 和主義」と呼んだほうがよいかもしれません。いずれにせよ「民主主義とは何か」という本質的な論議と認識をいっそう深める必要があると思います。

そ して、民主主義には、多くの伝統的な宗教や倫理道徳にも共通する、もっとも普 遍的な人間観や倫理観が含まれているのですから、国民はこの民主主義の倫理観、人間観によって自分たち国民を教育すればよいのです。確かに、民主主義に は、「あなたの父母を敬え」とか「殺すなかれ」とか「盗むな」といったこと細かな倫理規定まで含むものではありませんが、しかし、基本的人権の尊重とか、 個人の尊厳、少数意見の尊重というような根本的な倫理観は含まれているのです。 

そ うして国民全体の民主主義についての認識を高め、民主主義によって自己教育を 深めて行きながら、同時に、民主主義政治が衆愚政治や全体主義に反転することを防いでゆく必要があるのですが、それには、民主主義の概念を国民全体で深く 体得しつつ解決して行くしかないと思います。これはプラトン以来の人類の困難な課題なのかも知れません。ニーチェの思想やマルクス主義などの「全体主義」 も、その解決法が正しいかいなかはとにかく、端緒は衆愚政治に対する抵抗でした。

歴 史的には民主主義はプロテスタント・キリスト教の論理的帰結、もし くはその完成、もしくはその世俗化であるともいえます。ですから、そこには当然、キリスト教の倫理観、人間観が内容的に保存されているのです。ですから、 民主主義は、宗教という形式を止揚した「宗教」ともいえます。(宗教をどのように定義するかによりますが)この点については、 私は実証的な歴史学者でもないので、論理的に推測するしかないのですが。とはいえ、民主主義の倫理観や人間観は、最も普遍的で、多くの伝統的宗教や倫理道 徳の最大公約数としての意義ももっています。

 
最 後に、 さらに逸脱するかも知れませんが、 大学や教育者、政治家、公務員、そして国民自身の責任として、学校教育における正しい民主主義教育の必要について主張したいと思います。最近一部の人には 評判の悪い、古色蒼然とした「民主主義」ですが、そのせいか、人間観や倫理観としての観点からの民主主義教育の重要性が自覚されてもいず、実行もされてい ません。これは学校で「道徳の時間」に民主主義の訓練がほとんど行われていないことにもあらわれています。

共 産主義者の「民主主義観」に対する大衆の健全な反感が、民主主義の健全な育成 の障害になったのかも知れません。共産主義者の「唯物論人民民主主義」は、個人としての人格を尊重せず、学問、宗教、思想信条の自由を尊重する精神を欠 き、自己の思想を相対化して反省することを知らない、全体主義的で狂信的なものだからです。

い じめの問題も学力低下の問題も、「クラス共同体」の問題として、子供たち自身 が民主主義の精神とルールに従って、自主的に主体的に問題解決に取り組むための民主的な訓練の機会として活用すべきなのですが、指導者や学校に、そのよう な問題意識がありません。単に学校や教師自身の問題として、あるいは、その生徒個人の問題として扱われています。その結果、子供たちの倫理観も人間観も深 まりません。「クラス共同体」の問題として、社会や共同体の倫理の問題としてクラス全体で主体的に取り組み解決しようという自覚も姿勢も欠いています。今 日のこのような学校現場や、また日本社会全体としての一般的な道徳的危機を、正しい民主主義の人間観や倫理観の普及と徹底以外にどうして正しく解決できる でしょうか。

そ して学校教育の現場では「政治活動」と「政治教育」とが混同され、はっきりと 区別されてきませんでした。「政治活動の禁止」という名目で「政治教育」まで否定され行われてこなかったのです。確かに、学校教育においては、特定の価値 観にしたがった「政治活動」は完全に禁止される必要があります。しかし、「政治教育」は、つまり民主主義の制度とその精神、その倫理観と人間観はあらゆる 場面で教育され、民主主義の能力は訓練される必要があります。

い じめの問題や、生徒自身の学力の問題なども、生徒自身の参加と自治の精神を活 用して、民主主義的に解決する能力を高めるよい機会になります。そのためには、なによりも特に学校関係者が 民主主義の制度と精神を、実際に活用し運営する「能力」として普段に高めてゆく必要があると思います。

学 校でのこの民主主義教育の充実が、今日の「郵政民営化問題」や北朝鮮や中国な どの「非民主的国家」との外交のあり方、「北朝鮮の拉致被害者の救済」といった、政治的な課題に対する国民の問題解決能力を高めることになります。年金問 題や少子高齢化問題といった政治的課題についての、国民の判断能力や問題解決能力を高めることになります。

そ して、今日の政党政治を、利権がらみの錯綜し閉塞したものから、もっと合理的 なものに再編して行く必要があります。先にも述べたように、今日のいわゆる「市民社会」は、基本的に生産者、資本家と消費者、勤労者の利害の対立と調和の 上に構成されているのですから、生産者、資本家の利害を代表するのか、それとも、消費者、勤労者の利害を代表するのか、政治家にその旗幟を鮮明にさせ、そ れぞれの旗幟にしたがって、自由党と民主党に結集させ、民主主義の原理にたつ二大政党が国家と国民のために、政治の質を競いあわせるようにするのです。そ のためにも、現在の自由民主党は、解体されて、自由党と民主党になり、現在の岡田民主党をも巻き込んで、今一度政界が再編成される必要があります。

そして、生産者、資本家の利益を代弁する自由党と消費者、勤労者の利益を代弁する民主党のそれぞれが国民のための政治を目指して競争し合うことです。
それが、劣悪な政治という長年の不幸から国民を救うことにもなると思います。

  2003/08/20

民主主義の人間観と倫理観──より良き民主国家建設のために①   

http://goo.gl/R68HDn

 

 

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12月10日(水)のTW:日本共産党の「天皇制」

2014年12月11日 | 国家論

 

2014年12月11日 | ツイツター

日本共産党の皇室についての考え方は、憲法学者の奥平康弘氏などと同じのようだ。 Yahoo!ニュース - <共産党>志位委員長「天皇制の問題には手をつけない」             

   (毎日新聞)headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141208-…             「天皇制」の合理的な根拠? goo.gl/pGVTmp

 
 

<共産党>志位委員長「天皇制の問題には手をつけない」

毎日新聞 12月8日(月)18時52分配信

http://goo.gl/ienNNx

 共産党の志位和夫委員長は8日、日本外国特派員協会の記者会見で、共産党が将来の参加を目指す連立政 権について「天皇制の問題には手をつけない」と述 べ、当面見直さない考えを示した。同党は2004年の綱領改定で、天皇条項も含めて「現行憲法の全条項を守る」との方針を打ち出している。

 志位氏は衆院選で共産党が躍進した場合の天皇制への対応を聞かれ、「天皇制度を国民の合意で民主共和制に変えることを展望するが、かなり先の段階で解決 される問題だ」と発言。「私たちが参加する政権ができても、天皇制はかなり長期にわたり共存する」と語った。【田所柳子】

 

※追記

共産主義についてはよく知りませんが、その考え方としては、皇室や伝統的な法的理性に──自然法に、法の支配に──従うのではなくて、それに代えて共産党の指導によって国家国民を統治しようという考え方ではなかったでしょうか。

そうした民主集中制による共産党幹部の指導と統治が「真理」であることの、哲学の用語でいえば、共産党の政治が、国家の「概念」を実現するものであることはどのように保証されるのでしょうか。

過去の歴史で明らかになった共産党の民主集中制による政治は、人間の本性にしたがって権力の腐敗を招き、自由を損って堕落と崩壊の道を辿ることを実証しています。

それでも、現在のような自民党の不公正な政治のもとで、いわゆる「資本主義」体制下での共産党は、失業や貧困に苦しむ人たちにとっては一定の存在意義はあるのだと思います。

そもそも「天皇制(度)」という言葉自体が、自然法を理解しない憲法学者や共産主義者たちが、生きた歴史と伝統にある皇室を廃止するために、自分たちに都合の良い人工物に見せかけるために考え出した用語です。

「自由にして民主的な独立した立憲君主国家体制の政治」の概念については、これまでの論考に明らかにしてあります。

 

 

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12月5日(金)のTW:「天皇制」の合理的な根拠?(2)

2014年12月06日 | 国家論

「12月4日(木)のTW:「天皇制」の合理的な根拠」奥平康弘氏の抱いているような憲法観を、その限界を克服することも出来ないまま氏に教えられた東大法学... blog.goo.ne.jp/aowls/e/d3572a…


 
 
 
※追記20141206
 
奥平康弘氏の著書『萬世一系の研究』について、ツィッターでノートを取りながら、検討してみました。関心の持てる人は上記のリンク先を覗いて見てください。書評としてまとめる価値があるかどうかは、まだ分かりません。
 
「「天皇制」は民主主義とは両立しない」という記述が、奥平氏の著書から引用されているらしいのをたま たま知ったことが、『萬世一系の研究』の本文に当ってみようと同書を読み始めた切っ掛けでした。確かに、あとがき401頁のなかで、奥平氏は著書のまとめ のような形でそのように書かれていました。だから、奥平康弘氏自身の見解であることは間違いないようです。

といっても、“「天皇制」は民主主義とは両立しない”と言うことによって、奥平氏は「天皇制」を擁護しようとしているのではありません。むしろ奥平氏は国家の原理として「民主主義」をもって「天皇制」にとって代えることを主張されているようです。

 
しかしいずれにせよ、奥平康弘氏は「国家の真理」などと言うことには考え及ばないようです。奥平氏が 「民主主義」という言葉でどういうことを念頭におかれているのかよく分かりませんが、ふつうには「民主主義」とは、国家を「多数決原理」で統治しようとい う考え方です。しかし「多数決原理」そのものは、それによって決せられた内容そのものの真理であることを必ずしも保証するものではありません。そうした 「民主主義」のもつ限界については、これまでにも私のブログで様々に論証していますから、関心のある人は調べてみてください。
 
奥平康弘氏は氏のいわゆる「天皇制」の存在についての合理的な根拠を見出せませんでした。だからと言っ て奥平氏に「天皇制の存在」の“不合理”を説明できたわけでもありません。奥平氏にはこの本の中で「人権論」や「男女平等論」をもってしては「天皇制」の 不合理を論証できないことを明らかにしただけでした。
 
かといって「天皇制」の合理的な根拠も確認できなかった奥平氏は、謙虚に自身の哲学的能力の低さを反省 するのではなく、“「天皇制」は「民主主義」とは両立できない”と断定して、無責任にも「天皇制」を「民主主義」にとって代えようと主張するのです。そこ には二千余年にわたって存続してきた皇室の存在に関わる民族の叡智や歴史と伝統に対する配慮というものがほとんど感じられません。
 
「民主主義」は国民多数の意思で国家を統治することだけを原理とするもので、「国民の多数の意思」その ものが「真理」であることを保証するものではありません。むしろ、それがきわめて大きな取り返しの付かない誤りを繰り返すものであることは歴史のなかでも 明らかです。奥平康弘氏に国家の原理として「民主主義の合理的な根拠」を論証できているわけではないと思います。
 
奥平氏の誤りは、「天皇制」の存在の“不合理”を説明できずに、かといって国家の原理として「民主主 義」のその合理的な必然性を論証できてもいないにもかかわらず、「天皇制」を廃止してそれに代えて「民主主義」を主張するという無責任にあると思います。 さらに奥平康弘氏の根本的な誤りは、氏自身の妄想する「天皇制」と「民主主義」とを分断して、両者を二者択一式にしてしまう悟性的な思考方法にあります。
 
「悟性的な思考」とはどういうものであるか、その破壊的な性格の危険性についてはこれまでにもさまざまな論考で検討していますから調べてください。
 
さらに言うなら、国家の真理を追求したヘーゲル哲学について、とくにヘーゲルの『法の哲学』における 「立憲君主国家体制(憲法Verfassung)」の意義と必然性についての論証を奥平康弘氏も検討されるべきだと思います。上記のリンク先のブログでも 拙劣ながら考察していますので参考にでもしていただければと思います。そうして、大学教授としての資格、もしくはその哲学の低さというものを考えられるべ きではないでしょうか。
 
ヘーゲルの『法の哲学』に対する批判を書いて、そして、その誤りを論証されてから、“「天皇制」と「民 主主義」は両立しない”と断定される理由を説明するべきだと思います。奥平氏はただ非哲学的にそう断定されるだけで、その真理であることの論証はまだなさ れていないようですから。
 
 
 
 
 ※追記20180715
本稿の記事を当ブログに公開した時点においては、奥平康弘氏はまだご存命中でした。
 
 
 
 
 
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12月4日(木)のTW:「天皇制」の合理的な根拠?

2014年12月05日 | 国家論

皇室典範の個々の規定を個別に改正して事態を収拾しようとする政策に頭から反対するつもりはない。しかし、これは対症療法でしかなく、暫定措置的な効果が期待されるに過ぎない。天皇制(天皇家)が憲法上の制度たることをやめないかぎりは、不自由・拘束は遺憾ながら制度とともに a


付いてまわらざるをえない。(奥平康弘『萬世一系の研究』S378)
※奥平康弘氏はここまで論じ来たって、君主制(奥平氏のいわゆる「天皇制」)を、人権論や男女平等論から批判しても無力であることを悟って、結論として「天皇制(天皇家)が憲法上の制度たるをやめないかぎりは」b


「不自由・拘束は付いてまわる」と言う。この奥平康弘氏の君主制国家に対する批判において、奥平氏の示している限界は、まず第一に氏が Konstitution としての憲法しか知らず、Verfassung としての憲法を知らないことにある。こうした奥平氏の憲法観の悟性的であることの c


欠陥は、実定憲法と自然憲法の区別を必要十分に知らず、たんに「実定憲法」のみをもって「憲法」と見なすことになっている。さらに第二に、奥平氏が「不自由・拘束は付いてまわる」と述べるとき、その「自由」の実体をどのようなものとみるか、いわば氏の「自由観」における欠陥、d


もしくは弱点である。奥平氏には自由における「Liberty」と「Freedom」の区別を正しく認識されておらず、奥平氏のいわゆる「自由」が悟性的な「自由」でしかないことである。 e


では一体そもそも、「女帝」論議をひきおこす根幹である天皇制には、いかなる合理的な根拠があるのか。この論議、すなわち根底に向けてあるべき論議はどうなるのか。・・・
「戦後六〇年」の間に、天皇制に関してはたくさんの議論があった。けれども、公には、a


天皇制の合理的な根拠を真正面から問題にする機会をわれわれは持ったことがない。今こそが本当は、その好機だと思う。しかし、今度もウヤムヤに終わるだろう。「女帝」論議と違って、天皇制の合理的な根拠をめぐる議論は、道具的な意味での「合理性」が問われるのではなくて、b


憲法体系に関わる政治原理のレベルで問われるべきものであって、いわゆる「公共理性」(public reason)にもとづく討議とならざるを得ない。法制官僚的には、憲法第一条から始まり第八条にまで至る「第一章 天皇」の諸規定の存在=既成事実から出発することになるが、c


「公共理性」はそうした存在自体の根拠を問うのである。
告白すれば本書では、きちんとした形では「公共理性」からの検討がなされたわけではない。しかし制度の成立存続に関する歴史研究を遂行するに当たって、意識の背景には「公共理性」からの検討という着眼が、私なりにあるのであって、d


読者が本誌のあちらこちらでは、いくばくかでもそのことに気付いていただけたならば幸いである。(奥平康弘『萬世一系の研究』あとがき  s401 )

※ここで奥平氏は 「では一体そもそも、「女帝」論議をひきおこす根幹である天皇制には、いかなる合理的な根拠があるのか。」という問いを  e


自ら発して、さらに、この「合理的な根拠」を「公共理性」(public reason)と言い換え、「告白すれば本書では、きちんとした形では「公共理性」からの検討がなされたわけではない。」と言い訳しておられる。しかし、これでは話にもならない。f


いずれにせよ本書での奥平康弘氏の論考の根本的な欠陥は、ヘーゲルの歴史的な作品である『法の哲学』を検討、検証したあとがまったく見られないことである。氏のいわゆる「天皇制の合理的な根拠」「公共理性」(public reason)については、g


すでにヘーゲルの『法の哲学』において、「国家と自然法の論理」として論証されているからである。h


 
 
※追記20141205
 
ここでノートをとりながらつぶやいた『萬世一系の研究』の著者である奥平康弘氏は、元東京大学教授で、法学部で長年のあいだ憲法学を教えられてきたそうです。ということは、奥平氏のもとで教育を受けた多くの若者たちが、今も財務省や裁判所などの政府国家機関で官僚などとして、またその他政財界においても、日本の中枢を担って働いているということです。
 
奥平康弘氏の抱いているような憲法観を、その限界を克服することも出来ない氏に教えられたまま東大法学部を卒業した若者などが、司法、行政立法における政府国家機関やNHK、朝日新聞などの新聞、テレビなどのマスコミなどに就職して、そのまま国家と国民に対して指導的立場に立つようなことになっているということです。
 
また奥平氏のいわゆる“「天皇制」は民主主義とは両立しない”といった悟性的な“結論”を実際に真に受けた在日朝鮮人などが、自らの憎悪と偏見でそれをさらにいっそう振幅させながら、自らの妄想する「天皇制」を攻撃して、日本の国民大衆の嫌韓感情を刺激するというドンキホーテまがいの悲喜劇も起きているようです。
 
こうしたことは何も奥平康弘氏だけに限ったことではないと思います。若者たちを無責任無自覚に「洗脳」「扇動」することになっている大学教授たちなどいわゆる「インテリ」たちが、日本の国家社会にもたらしている害悪の罪は、彼らの教えた新聞記者や政治家、官僚たちが日本の国益を深く損なっている例に見るように、きわめて深刻なものとなっていると言えるのではないでしょうか。
 

 

 
 
 
 
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11月23日(日)のTW:天皇を「自然人」としてしか見れない奥平康弘氏

2014年11月24日 | 国家論
※追記20121203
 
憲法学者である奥平康弘氏の『萬世一系の研究』を先般から、ツィッターでノートを取りながら読んでいます。これまで読んだところでの印象では、奥平氏の「天皇制」批判の観点は、まず第一に、「人権」の観点から、天皇には皇位の就任と退位に「自由」がなく、「天皇の人権」が損なわれているのではないかということ、第二に、皇位の継承において、皇室典範の「男系男子継承」の規定などが、同じ日本国憲法のなかに規定されている「男女同権」規定に反するのではないか、という主張にあるように思われます。
 
そうした「人権」や「男女平等」の原理に反するから、「天皇制」は廃止されるべきではないか、というのが奥平康弘氏の主張であるように思われます。これに対する反論は、私なりにツィッターメモで呟いていますが、浅学、勉強不足のために他の有識者たちが奥平康弘氏のこうした「天皇制」に対する批判に対してどのような見識を持っておられるのかわかりません。この奥平康弘氏の著書については、西尾幹二氏らも読んでおられるはずですけれども、それに対して西尾氏がどういう見解をもっておられるのかはわかりません。
 
いずれにしても、あまり多くの人の興味や関心を引くこともないような、こうしたマイナーなテーマであっても、ここに奥平康弘氏の著作の断片などを垣間見られて、もし興味と関心を持たれる方がおられればと思い、その一部をブログ記事として記録しておくものです。
 
 
 

GHQが「世襲」の原則を良しとみたのは、 「日本古来ノ歴史」を背景に統一国家をまとめ上げ、臣民の信頼と尊敬を一身に集めている現前の天皇制を維持することのうちに様々な効能を読み取ったからである。この点で、彼らにとっても、その中身を批判的に検討した上のことでないにしても、 a


「日本古来ノ歴史」を何らかの形で支持しないわけにはゆかない。こうした「歴史」と「伝統」を欠いた天皇制からは、彼らの予想する効能は期待しがたい。その限りでGHQは全く新しい天皇制を作ることに何の関心も持たなかったのである。b


総括するに、GHQは「世襲のもの」とする天皇制を肯定することによって、天皇家に付いてまとわるあれこれの制度構成要素を「歴史」や「伝統」にもとづいて正当化する日本側の議論には、有効な対抗軸を持てない立場に立たされていたのである。 c (ibid s128 )


彼らGHQにとっての天皇制の効用は、民衆に対して摩訶不思議な統合的な効果を保有する天皇制の機能であった。この機能たるや、独特な歴史と伝統を背景にして培われてきた制度の所産に他ならない。この制度に、いたずらにメスを揮うことは、 a


彼らにとっては、元も子もなくなるかもしれないのであった。こうして、彼らにとって、 「皇室典範的なるもの」は改革の対象としては、誠に微妙な存在であったに違いないのである。 b
(ibid s 129 )


第二に指摘したく思うのは、男女同権を掲げて女帝容認を迫っているものの、 GHQそのもののポジションが当初から大変妥協的な性質を帯びていたということである。それは何よりも、せめて女帝可能性の余地を規定の上だけ残していて──順位をずっと下に置くことによって a


──実際には女性に決して出番が来ないようにするわけには行かないのかという打診の仕方に現れている。これと相似の見解は、臨時法制調査会における杉村章三郎の採るところであった。しかしながら、こうした外観取り繕い主義をもってしては、b


伝統に基づく確信的男系主義者とは到底太刀打ちできないのである。なにぶんにも男女平等原則よりも優越して「男系世襲ノ原則」があると唱える確信論者を相手とする以上、 GHQとしてはもっと強く、ほとんど絶対的に平等原則を主張しなければならなかったはずなのである。c(ibid s130)


しかしながら、元来が特権的世襲主義によって構築される君主制を容認=前提にしたうえで、男女平等原則を絶対的に唱えることはむずかしい。 GHQは、イギリスやオランダの女王たちをモデルあるいは理想としていたであろう。けれども、これは日本法制官僚が効果的に反論するように、継承順位の中でa


後順位にあった女性が偶然に──平等原則によってではなくてその例外として──王位に就き得た実例でしかなかったのであって、所詮、女性差別的な制度であるという本音を同じように具有している。
こうして見れば明治典憲創始に当たった法制官僚が女帝論を排斥するとともに、b


それと裏腹に庶出の天皇・皇族を存続させる努力を払うなかで味わわねばならなかった苦悩と緊張感を、戦後の法制官僚は、 GHQの女帝論と対決する際にはついに経験せずに済んだと思う。敵は、ちょろいものであった! c (ibid s 130) ※ ここで奥平康弘氏は、


日本の君主制が、あくまでも女帝もしくは女系の天皇を原則として認めていないことを、「男女平等原則に反する」、「女性差別的な制度」であるという観点から批判している。しかし、その一方で奥平氏は、この点で女王の存在を認めているイギリスやオランダの君主制度を例に反論することは、


イギリスやオランダの君主制も本質的に「男女差別的な制度」であることから、「到底太刀打ちできない」ということも認めている。したがって日本の君主制の「男子一系世襲主義」を否定するには、「男女の絶対的な平等原則」を主張するか、「君主制」そのものを否定するしかないことも認めている。


ただ、ここでの奥平康弘氏の主張の欠陥を言うなら、国家が維持されるためには「秩序」が必然的に要請されるものであること、国家体制としての君主制は、「国家の秩序」から要請されるもの、国家の概念から必然的に生成されるものであることを奥平氏が理解していないことである。


奥平氏の「男女の絶対的な平等原則」の主張などは、典型的な悟性的思考の帰結でしかないものである。その論理的な帰結は、秩序の崩壊であり、無政府状態としての国家の消滅であろう。奥平康弘氏はこの論理的な帰結を肯定されるのであろうか。もしそうであればもはや議論の余地もないだろうけれども。


【無難な「庶系の皇族」否定論】
伊藤博文、井上毅らの明治法制官僚らは、心底から男系主義と庶系皇族容認主義とを両者不可分のワンセットと考え、この点における日本独自性を──西洋人の目を気にしながら──維持するのに頭を悩ますところがあった。さて戦後の法制官僚らはどうであろうか。a


一方で、彼ら自体において、公然あるいは堂々、庶系皇族容認主義を──男系主義堅持のために──固執するほどの熱意を持っていなかったと思われる。  b  (ibid s 131 ) ※ここで奥平氏は、なぜ人間社会が一夫一婦制が行われているかの論証については、


「アメリカ社会における一夫一婦制のイデオロギーの形成を考究した最近の労作として注目に値する」としてアメリカ人学者の論文を参考文献として挙げているだけである。なぜ一夫一婦制が優先されるかについて自らは論証していない。(あるいはできない?)


4 第九一帝国議会における論議
i 政府の政策──法制局「想定問答」(各論部分)
皇室典範上程の準備
政府は、一方でGHQとの接衝を経て、その承認を得るとともに、他方で枢密院管制六条三号(「帝国憲法ニ付属スル法律及ビ勅令」)にもとづき内閣提出法案としての皇室典範案を a


 
 

※追記20121204

奥平氏は、どうやら「男女の絶対的な平等原則」の主張と「君主制」そのものを否定する立場に立っておられるようである。つまり、国家の消滅と無政府状態を肯定し、それらを志向している。

そうであるとして、さらに一言しておかなければならないのは、たとい国家の消滅と無政府状態をめざすとしても、そのことによって現実にもたらされるものは、 決して「無政府」でも「無国家」でもなく て、むしろ「独裁的な国家」「独裁的な政府」という特殊な国家、特殊な政府によって取って代わられるだけである。なぜなら、人間社会において国家や政府は必然であるから。

だから奥平康弘氏の「思想」によってもたらされるものは、氏の主観的な意向に反して、決して「自由な政府」でも「自由な国家」でもなくて、むしろ、共産主義諸国によってすでに実証されているような独裁的な政府であり独裁的な国家でしかない。奥平氏の主張によってもたらされる現実とは、かってのソビエト連邦や現在の中華人民共和国、朝鮮人民共和国の諸国家など「共和国」に見られる不自由な歴史が、この日本において再び繰り返されるに終わるだけのことであるだろう。

 
 
 
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10月21日(火)のTW:階級と国家

2014年10月22日 | 国家論

「国家の理念は、a)まず直接に現実化し、みずから自己に関係する有機体としての個別的国家をなす。すなわち憲法もしくは国内法である。b)国家の理念は次に個別的国家と他の諸国家との相互関係に移っていく。 ──すなわち対外法。c)最後にそれは類としての普遍的理念であり、個々の諸国家に


対抗する絶対的な権力であり、世界史の過程においてその実現化を成就する精神である。」【法の哲学§259】〈補注〉〔独立自存する個別的諸国家〕国家は現実には本質上個別的国家であり、さらに進んでも、やはり特殊的国家である。個体性と特殊性とは区別されなければならない。個体性は国家の a


理念自体の契機であるが、特殊性は歴史に属する。諸国家は、諸国家として相互に独立し、したがってその相互関係は外面的関係であるのほかはなく、かくてそれを結ぶ第三者がそれらの上になければならない。ところでこの第三者こそ世界史において自己を実現し、かつ世界史に対する絶対的な裁判官をなすb


精神である。なるほど多くの国家が連盟としていわば他の国家に対する裁判を構成することもありうるし、たとえば神聖同盟のような国家連合の現れることもあるだろう。しかしこれらは常に永久平和として同じく、単に相対的で制限されているに過ぎない。c


常に、かつ特殊的国家に対して、その力は現わす唯一絶対の裁判官は、普遍者として、その能動的類として世界史に自己を現わす絶対的(潜在的かつ顕在的に)に存在する精神である。(ibid s 210 )


エンゲルス「・・・それゆえ国家は決して社会に外から押し付けられた力ではない。・・・国家はむしろ特定の発展段階における社会の一産物である。それは、社会が調整不可能な対立のうちに分裂していること、社会がそれを悪魔祓いすることができないことの告白である。経済的利害をめぐって争い合う a


諸階級のこの対立による不毛な闘争により、諸階級、そして社会が消耗し尽くさないために、その対立を抑え込み、『秩序』の中に留めるための、外見上社会を超えて立つ力が必要となった。・・・・そして、この、社会から発しながら、社会の上に立ち、社会からいよいよ離れていく力が、国家なのである」


※ここでのエンゲルスは、ヘーゲルの国家観に著しく回帰している。かってマルクスやエンゲルスたちの語った国家観は次のようなものである。「国家は無産階級に対して有産階級を護る組織である」「文明の基礎は一階級による他階級の搾取であるから、すべての文明の発展は、継続的な矛盾の中で展開する。a


すべての生産の進歩は、同時に被抑圧階級、多数者の立場の後退である。一階級の益はすべて必然的に他階級への害であり、一階級の解放は他階級の抑圧である」ここでは、マルクスによれば階級を超越した国家などあり得ないとされている。b


しかし、「例外的には相闘う階級の力が均衡し、国家権力が暫時両者に対し独立性をもち、調整者となるような外見を呈することもある」とも述べている。国家権力の階級からの独立性を例外と見るか、本質と見るか。どちらの国家観が正しいか、それはどのようにして証明されるか。c


 
 ※追記20141026
 
ここには二つの国家観が示されている。一つは言うまでもなく、ヘーゲルの国家観で、理性国家観。もう一つはマルクス・エンゲルスのそれで、階級国家観。マルクスの国家観は階級闘争史観から来るもので、共産党や朝日新聞や東京新聞その他の左翼新聞による「ブルジョア政府」打倒を目的とする、プロレタリア独裁国家観が論理的な帰結として出てくる。
 
共産党や朝日新聞の「反日」国家活動は、彼らの「マルクス主義」の論理的な帰結にすぎない。問題は、国家の本質、その概念の認識として、マルクス・エンゲルスのそれとヘーゲルのそれとのいずれが正しいか、ということである。
 
エンゲルスの国家観はヘーゲルのそれに近くなっている。このマルクス主義の国家観の問題が解決されることなくして、日本共産党問題も朝日新聞問題も解決することはない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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吉田松陰山河襟帯詩碑

2014年08月23日 | 国家論


吉田松陰山河襟帯詩碑

この漢詩碑は京都府立図書館の南に立っている。図書館前の駐輪場の傍らに昔からあるのは知っていた。しかしその内容はほんの最近まで知らなかった。 石碑は大小幾らも市内には建っているし、あまり関心もなかったから。この詩碑が吉田松陰のものであることを知ったのは最近のことである。

 この日図書館を訪れたとき、たまたま詩碑の内容を詳しく知る気になって、標石と詩碑の本文を読もうとしたけれど、標石の方は「吉田松陰先生山河○○ 詩碑」と読めただけで、漢詩碑の本体の方は、漢詩文の素養も全くない私にはまったくちんぷん漢文で読めない。吉田松陰の大きな詩碑が、なぜこの地に立って いるのか、この詩碑の文言や刻まれている来歴などが読み取れれば直ぐに理解できかもしれないが、分からない。

 それで、デジカメで記録のために写真に撮って、自宅に戻ってから、調べてみることにした。この日はそのまま図書館に行って奥平康弘氏の『「萬世一系」の研究』を読んだ。

自 宅に戻ってこの吉田松陰の詩碑の写真をブログ に記録しておくついでに、詩碑の内容も調べてみようと思った。ネット時代の恩恵もあって、「吉田松陰、山河、詩碑 京都」などをキーワードに検索してみる と、直ぐにこの漢詩碑の内容が分かった。次のような内容の漢詩が刻まれている。

  山河襟帯自然城  東来無不日憶神京
今朝盥嗽拝鳳闕  野人悲泣不能行
上林零落非復昔  空有山河無変更
聞説今皇聖明徳  敬天憐民発至誠
鶏鳴乃起親斎戒  祈掃妖氛致太平
従来英皇不世出  悠々失機今公卿
安得天詔勅六師  坐使皇威被八絋
人生若萍無定在  何日重拝天日明

  右癸丑十月朔旦奉鳳闕、粛然賦之。時余将西走入海。

    丙辰季夏           二十一回藤寅手録

 詩碑の原文は以上で、次のように訓読されるという。

 「鳳闕を拝し奉る。山河襟帯自然の城、東来日として神京を憶はざるなし、今朝盥嗽して鳳闕を拝し、野人悲泣して行くこと能はず、上林零落、復た昔に 非ず、空しく山河の変更なき有り、聞説く今皇聖明の徳、天を敬ひ民を憐み至誠より発す、鶏鳴乃ち起き親ら斎戒し、妖気を掃ひて太平を致さんことを祈る、従 来英皇世出てず、悠々機を失す今の公卿安んぞ天詔を六師に勅して、坐ながら皇威をして八紘に被らしむるを得ん。人生は萍の若く定在なし、何れの日にか重ね て天日の明なるを拝せん。右は癸丑十年朔旦、鳳闕を拝し奉り、蕭然として之を賦す、時に余将に西走して海に入らんとす、

丙辰季夏、二十一回藤寅手録。」

 漢詩や漢文の世界からほど遠くなった平成の御世に生きる無教養の私には直ぐには読解できない。辞書を片手に現代語訳を試みることにした。素人のことなので誤訳があるかもしれない。

「宮城を拝し申し上げる。山と河が襟と帯のような天然の城郭。江戸に来てからも、神の都のことを一日も思わない日はない。今朝、手を洗い口を漱ぎ清 めて宮城を拝すれども、一介の野人に過ぎない私は悲しみ泣いても宮城へ行くこともできない。朝廷は零落して再び昔の面影は無い。ただ山河のみが空しく昔に 変わらずに残されて在る。聞くところによると今上陛下の優れた御徳は、至誠をもって天を敬い民を憐れみ、鶏鳴と共に起きて自ら斎戒して身を清め、妖気を払 い清めて平和な世の中がもたらされむことを祈る。 もとより優れた帝は世に現れることはない。それなのにのどかに過ごして機会を失っている今の公卿たちに、軍師どもに皇勅を発して、帝の威光を全国に被わし めることがどうしてできようか。私の生涯は浮き草のようなもので定まったところもない。 いずれの日にか必ず再び太陽のように明澄なる天子様をお拝しすることが出来るだろうか。右の詩は癸丑の年(嘉永六年一八五三年十月一日)。御所を拝し申し 上げて、謹んで厳かにこの漢詩を賦した。時に私は将にこれから長崎に行き海外に出ようとしている。

丙辰季夏(安政三年一八五六年夏の末)二十一回藤寅手録(猛士吉田寅次郎自ら書す) 」

 

 この漢詩碑の裏面にはこの詩碑の来歴が次のように刻まれている。

是先師松陰吉田先生嘉永癸丑十月朔過京都拝
禁闕詩真蹟也初先師為山縣公爵厳父有稔翁書之
翁以伝公爵公爵謂是先師精神之所鍾豈蔵之私家
乎因献於御府焉今茲戊申十月丁先生五十年忌辰
奏請得允撮影以頒同志者京都府教育会員相謀勒
諸石会長大森知府属余記其由乃叙其梗概云
明治四十一年十月
                        従二位勲一等子爵野村   靖撰
                        正三位勲一等男爵野村素介書

                                                         芳村茂承鐫

この漢詩は亡くなられた松陰吉田先生が嘉永癸丑十月一日(嘉永六年一八五三年十月一日)の朝、京都を通過したとき御所を拝して詠んだ漢詩の松陰先生の真筆 である。そもそも故先生は山縣公爵の厳父である有稔翁のためにこの詩を書かれた。有稔翁はこれを公爵に伝えたが、公爵が仰られるには、この漢詩は亡き先生 の精神を実現したもので、この漢詩をどうして私蔵してよいものだろうか。だからこれを宮中に献納した。今ここに戊申十月丁(明治四十一年一九〇八年十月) は先生の五十回忌に当たるので願い出て撮影の許しを得て、それを同志の者に頒布した。京都府教育会の会員はこの漢詩を石碑に刻むことを互いに計画して、会 長である大森京都府知事は私に(子爵野村 靖)この碑の由来を記録するように依託された。よってその経緯などを叙したものである。
           明治四十一年十月
                            従二位勲一等子爵野村  靖撰
                            正三位勲一等男爵野村素介書
                                                             芳村茂承鐫

吉田松陰が詠んだこの漢詩の内容や、詩碑の裏に記された来歴からもわかるように、長 崎の港にロシアのプチャーチン艦隊が停泊していることを耳にした松陰は、海外の情勢を知ろうとして、江戸から長崎に向かいます。その途中に京都在の同志、 梁川星巌のところに立ち寄ったときに、この漢詩が詠まれたようです。この詩の内容からも、吉田松陰の生きた時代の急迫した状況が伝わってきます。

海外から列強が開国を迫り来る状況にあって、それに対応する能力もすでに失った幕府権力を眼のあたりにして、松陰は皇室の権威をもって国家の威光を回復しようとします。この漢詩にはそうした松陰の根本思想がすでに読みとれます。

そ の後さまざまな経緯をへて、松陰が安政の大獄で殉難したことは現代に生きる私たちは知っています。松陰の死後、その跡を継いだ伊藤博文や井上毅たちの尽力 によって、この松陰の思想はやがて大日本帝国憲法に受け継がれ、明治新生日本の形として残されたことも知っています。しかし、もし歴史上類い希な才能を もった吉田松陰が生き残って、自ら大日本帝国憲法の制定に携わったとすれば、その憲法はどのような形に成ったでしょうか。

それは歴史の空 しいIFでしかありませんが、松陰の思想は有為な井上毅などに引き継がれていますから、それほど大きな違いはなかっただろうと想像されます。いずれにして も、皇室やその伝統の形而上学は歴史上すでに客観的に存在していたものです。ただ、その恒久的な理念をどのように正しく間違いなく言い表し定式化するか は、吉田松陰や井上毅のような希有の碩学に依らざるをえないものです。

それにしても、この詩碑の内容を読んで、松陰がいなければその後の日本がどうなったか、現代に生きる私たちが吉田松陰の苦難の生涯にどれほどに限りない深甚の恩恵を被っていることか、それを知ると心に涙とともに感謝せざるをえないものです。

 来年のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」では、吉田松陰の妹が主人公に描かれるそうです。しかし現在のNHKのドラマ制作スタッフたちに、はたして一体どこまで歴史を歪めることなく、その真実の深みにおいて描ききれるものでしょうか。

 

 

※参考資料


『奉拝鳳闕詩』長崎紀行収載(全集:第九巻、三四六頁収載)
 http://goo.gl/MLngqJ

 吉田松陰拝闕詩碑
http://goo.gl/OhDO7w

 

 

 

 

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安全保障問題の論客、猪木正道氏の死去といくつかの論文

2012年11月19日 | 国家論

 

猪木正道氏が死去 安全保障問題の論客 

「正論」メンバー - MSN産経ニュース http://p.tl/-d6u-

政治学者の猪木正道氏がさる11月5日になくなられたそうである。最近はほとんどマスコミ界にも登場されることはなかったから、最近の動向は全くわ からなかった。青年時代に氏の著作は読んだ記憶はある。内容については忘れた。氏が防衛大学の校長をされておられたということはよく記憶に残って知ってい る。

猪木正道氏が、下に引用した論考のなかでも主張されておられるように、国家と市民社会と家族のそれぞれの関係のあり方についてはまことにむずかしい面があると思う。私も以前の論考で、市民社会と国家との関係についていくつか論じたことがある。

一時アメリカや日本でも流行しかけた、いわゆる「新自由主義」のように、国家が市民社会や家族とに無関心で関わりも無くなれば、極端な場合は、それ こそホッブスのいう、「万人は万人にとって狼である」という社会に、弱肉強食の格差社会になってしまって、本当の弱者は居場所も無くなってしまいかねない。

かといって、民主党のように国民に媚びて財源のことも考えず社会保障を充実させたり、また、かっての自民党のように、土木利権国家となって過度に不必要な公共投資を行うと、無駄な公共工事による赤字で現在のように国民も負いきれない借金を抱え込むことになる。

また、全体主義や共産主義のように、国家が市民社会や家族に干渉しすぎたりすると、自由も無くなり人々は働かなくなったり腐敗したり戦争に駆り立てられたりして破滅する。これらの 事実は 過去の歴史においても証明されている。ヘーゲルのいう「理性国家」は理念としては正しいとしても、その具体化となると、現実の市民社会や他の諸国家とのし がらみに絡み取られて、その兼ね合いやバランスを取ることが極めてむずかしい。諸国民の苦悩もここにあると言えるかもしれない。

その上、今の官僚や政治家たちも、大学や大学院でもカントやヘーゲルなどほとんど教えられず勉強もしないから、猪木正道氏の主張するような問題意識も発想も出てこない。それで不幸になるとすれば、それは国民大衆である。

猪木正道氏のような学者がいよいよ消滅してゆくのが気の毒な日本の現状ではないだろうか。

  ≪管理人のいくつかの論考≫

 

 


【昭和正論座】国家の正しい位置づけを 防衛大学校長・猪木正道

 昭和49年3月25日掲載


≪欲求不満のダイナミズム≫

物価騰貴に怒り、ジェット機や新幹線の騒音を告発する国民の声は、マス・メディアを通じて増幅され、“一億総憤激”の観を呈している。もっとも注目すべき点は、憤激の矛先が主として“国家”に向けられていることだろう。自由経済ないし市場経済の下では、国家が物価の動向に果す役割は本来限定されているはずなのだが、公共料金等政府の責任範囲は広まるばかりであるから、国家が少なくとも共同被告の立場に置かれるのも無理はない。

しかし国家が“一億総憤激”の的とされるのには、もっと深い根拠があるように思う。第二次世界大戦中に物価騰貴どころか、食糧、衣料その 他物資の不足はひどいもので、戦争末期には都市の住民は敵機の爆撃や強制疎開により住宅まで奪われたけれども、戦争遂行という大義名分がまかり通って、国 民の不満は少なくとも表面化しなかった。国家の巨大な力が、社会を圧倒し、不満の表面化さえ許さなかったからである。

 “一億総憤激”の前兆は、敗戦後二十年をへた一九六五年あたりからぼつぼつ現れたように思われる。その頃わが国では高々度経済成長のひず みが露呈され、欲求不満のダイナミズムが噴出しはじめた。ベトナム戦争への米国の介入が本格化したのにともなって、アメリカばかりでなく、自由世界のほと んどすべての先進国で、小国に対する爆撃への嫌悪感が高まった。急進的・破壊的な学生運動が日、米、英、独、仏、伊の諸国で荒れ狂ったのも六七年頃から だった。物価、公害、戦争等々に対する憤激が互いに結びついて、“国家”を弾劾する一種の反国家的ムードが地球上いたるところの先進諸国に拡がった。

≪国家に対する社会の反撃≫

第二次大戦の終結まで、さらには東西の冷戦が対決の段階から交渉の段階に移行するまで、社会の側からの要求は強大な国家権力によって吸収され、抑圧 されてきた。六〇年代の後半から自由世界の先進諸国でその反動期がはじまり、私たちは今や国家に対する社会の噴出という新しい時代に入ったといえるのでは なかろうか?

もっと遡(さかのぼ)って考えると、国家と社会との関係は、近代国家と市民社会とが歴史の舞台に登場して以来、一貫して国 家 が社会を圧倒し、蚕食して、とめどもなく肥大するという一方的なものだった。十八世紀末のフランス大革命を機として大陸諸国に徴兵制が施行されたことと、 十九世紀の三十年代に工場法という形で英国の工場に国家権力がはじめて介入したことの二つは、国家の社会に対する優位を確立した意味で、真に画期的な出来 事であった。

さらに義務教育の普及という形で、国家は教育を手中に収め、種痘の強制など保健・衛生面で、また失業・災害保険等社会政策・社会保障の面で、国家権力のガン細胞的な増殖は二十世紀に入って加速度を加えた。

ヒトラーの第三帝国とスターリンのソ連とは、右のような国家肥大現象の頂点であったといっても過言ではあるまい。一九四五年四月末にヒトラーがベル リンの防空壕(ごう)内で自殺し、八年後の三月五日にスターリンの死が発表された時、全体主義国家への国家の肥大傾向は停止した。そして一九六〇年代の後 半から、ベトナム戦争と高度成長とに対する批判をきっかけとして、国家に対する社会の反撃が噴出しはじめたのである。

≪無政府状態の現出の恐れ≫

よく知られているようにヘーゲルは人倫のありかたを家族、市民社会および国家の三段階に区分した。そして彼は市民社会をもろもろの欲求の体系として とらえ、市民社会の矛盾を克服するのは理性国家の使命であると考えたのである。ヘーゲルの国家観が現実の国家の分析というよりは、国家のあるべき理想像の 提示であったことは疑いない。反動的なプロイセン政府の検閲を回避するため、ヘーゲルは公刊の著書では必ずしも真意を表明できなかったといわれる。しかし 現実の国家が理性国家の名に値するか否かは別として、市民社会がもろもろの欲求の体系であることは間違いない。 

国家が社会を圧倒し、蚕食して、とめどもなく肥大するという全体主義化の傾向には、すこぶる危険な要因が含まれていたことは間違いないけれども、その反動として国家に対する社会の反抗が噴出するのも大変恐ろしい徴候(ちょうこう)である。

なぜならば、社会を構成する人々のもろもろの欲求が野放しにされると、文字通り万人の万人に対するたたかいが開始され、無政府状態が現出するからである。

 ヒトラーが一九三三年一月三十日に形式的には議会制の枠組みの中で権力を掌握しえたのは、ワイマル・ドイツの末期にもろもろの欲求が解放され、万 人の万人に対するたたかいがはじまろうとしたからではなかったか? スターリン暴政が形成された背景には、第一次大戦で完敗して以来、ロシア国内に進行し たインフレーションと内戦との大混乱があったことも想起されなければなるまい。

≪民主主義の暴走が独裁へ≫

アリストテレスが二千年以上前にはっきり教えているように、もろもろの欲求の噴出としての民主制の暴走 は無政府状態の恐怖を生みだし、僭主制すなわち暴君の独裁を不可避にする。六〇年代の後半からはじまった社会の噴出、すなわちもろもろの欲求の爆発は、た しかに重大な警戒信号だといってよかろう。 

この危険に対処する方法はただ一つしかない。すなわち国家を正しく位置づけることである。社会を圧倒し、蚕食して、ガン細胞のように増殖 し、肥大する国家の全体主義化が不健全であることはいうまでもないけれども、この半面にもろもろの欲求が噴出して、欲求の体系としての社会に国家が呑み込 まれてしまうのも恐ろしい病理現象である。国家はどのような機能を行うべきであって、何をしてはならないかをはっきりさせ、国家として真に果すべき機能だ けを公正に果すことにする以外に問題解決の道は存しない。

国家の肥大化に抵抗する社会の噴出現象そのものが、いわゆる行政指導の強化や立法措置のエスカレーションを通じて、逆に国家の肥大化を助長 しているのは、皮肉というほかあるまい。国家はしばしば必要悪に堕落することはあっても、今日の人類にとって必要不可欠であることは疑いない。戦前の教育 が国家主義に偏した反動として、戦後の教育において国家が無視されたり、敵視されたりしていることはすこぶる遺憾だ。全体主義と無政府主義との両極に暴走 しない国家の正しい位置づけこそ、これからの日本にとってもっとも重要な課題であると私は考える。

(いのき まさみち)

2008.10.11 08:33  MSN産経ニュース再掲

 

【昭和正論座】日中経済協力の幻想と虚構 東京外語大教授・中嶋嶺雄

 昭和56年2月20日掲載

2012.11.10 07:39  MSN産経ニュース再掲

 ◆軽佻浮薄だったフィーバー

 中国が「毛沢東思想」の赤旗を高くかかげ、“造反有理”を鼓吹していた一時期、わが国知識人の多くは、この文化大革命に熱っぽく陶酔したものだっ た。その中国が“自力更生”の旗を下ろして「四つの現代化」をかかげはじめると、今度は、わが国の政・財・官界が、あげて中国熱にとりつかれた。「日中友 好、子々孫々」「一衣帯水」「中国は信義にあつい」といった言葉がどれほど強調されたことか。だが、日中関係の重い歴史的現実を冷静に見きわめれば、こう したフィーバーがいかに軽佻浮薄(けいちょうふはく)なものであるかは歴然としていた。いまや幻想と虚構は音をたてて崩壊しつつある。

 中国が南京石油化学コンビナートなどの大型プロジェクト導入を一方的にキャンセルしてきた当日、私は、ある日中経済関係者と面談する機会をもった が、その当事者は最大の罵倒の言葉をもって中国側の非を怒っていた。これは、まったく予想したとおりの日本人的な反応である。だが、つい先日まで過度の中 国傾斜を見せていたこれらの人びとは、日中関係がそもそも「異母兄弟」としての宿命的位相にあるので、過度の接近は必ず反発を招き、そこに金銭的・経済的 問題がからむと他人以上に難しい関係に陥り、こうして、日中関係は期待と幻滅、友好と敵対との往復循環をくりかえしてきたのだという歴史の教訓を真剣に顧 みたことがあったのだろうか。

 今回の日中経済関係の蹉跌(さてつ)は起こり得べくして起こったものであり、私自身も、これまでにしばしば予告し、警告してきたつもりである。

 そもそも、中国における「四つの現代化」は、いわゆる近代化への道ではあり得ず、それ自体、非毛沢東化のための政治戦略だったのである。したがっ て、当の中国では、こうした政治戦略が党内で合意を見るまでは、その可能性を大いに鼓吹したのであるが、さる一九七八年十二月の中国共産党三中全会におい て、トウ小平らのいわゆる実権派が陳雲らの旧経済派幹部を復権させるとともに、華国鋒らの文革右派を「自己批判」においこみ、こうして「四つの現代化」が 国家目標になったとたんに、目標のより安全な達成のためにも、当初の誇大なプログラムを縮小しはじめたのであった。

 ちょうどそのとき、わが国は七八年二月の日中長期貿易取り決めや同年八月の日中平和友好条約調印に伴う日中ブームのなかで、「四つの現代化」の政 治的意味を考慮せず、われもわれもと一斉に中国へ出ていったのだから、すでにこのときから、今日の結果は予測されていたといわねばならない。

 ◆政治的な意味も考えず

 しかも、今回のプラント導入中止の決定が、全国人民代表大会や国務院の決定ではなく、また党大会や党中央委員会の決定でもなくして、昨年十二月中 下旬の党中央工作会議という“非合法”会議でおこなわれていることにも歴然としているように、中国側は、今日にいたるも、政治闘争の一環として日中関係を 位置づけざるを得ないのである。だから、同じ十二月の初旬におこなわれた日中閣僚会議がいかに空(むな)しいものであったかも明白であろう。もとより、当 面のトウ小平・華国鋒対立に示される政治闘争が背後にあることは明白であり、この点はいま説明を要しないであろう。

 それにしても、宝山製鉄所問題ではすでに昨年三月二十一日付『人民日報』論文で周伝典・冶金工業部技術弁公室副主任が中国政府側としても明白に問 題点を指摘しており、また昨夏の全国人民代表大会での宝山製鉄所建設問題詢問会では、「もし前半で(日本側に)だまされたなら、後半でだまされ方を少なく する方法があるのかどうか」(李瑞環・北京代表、『人民日報』九月七日)といった意見さえ出ていて、中国内部ではすでに大問題になっていたのである。私自 身も昨年六月、宝山製鉄所の現場を視察し、問題がいかに深刻であるかを見てきたし、たまたま華国鋒来日にちなんだフジテレビでの稲山嘉寛氏との対談(五月 二十一日)でもそれらの問題点を申しあげたのだが、日中経済協力の立役者・稲山氏自身も大変楽観的だったのである。

 このように見てくると、今日の問題は中国側を責める以上に日本側に甘さがあったことは否めない。その原因を詳述する紙数はないが、まず第一に、 政・財・官界のおそるべき単純思考と見通しの甘さ、とくに、本来エコノミック・アニマルであるはずの財界首脳の見通しの甘さと中国認識の浅さ、第二には、 これも幻想でしかない中国石油の可能性への幻惑と“中国石油屋さん”の跳梁(ちょうりょう)、第三には「四つの現代化」にアドバイスしたりして中国事情に にわかに通じたかのようなわが国の代表的エコノミストや官庁エコノミスト、および代表的なシンクタンクの中国分析の甘さ、第四には、わが国の新聞の「四つ の現代化」や中国石油、日中経済関係についての記事の甘さ(この点では、とくにクォリティー・ペーパーとしての『日本経済新聞』の責任がきわめて大きいこ とは、ここ二、三年の同紙縮刷版を開けば歴然とする)、第五には、日中経済関係の窓口である日中経済協会の“親北京”的体質の問題などが指摘できよう。

 ◆いさぎよく損失覚悟を

 こうして破綻は起こるべくして起こり、いまや日中関係はいつか来た道をくりかえす危険にさえさらされている。かつて一九一七~一八年に段祺瑞政権 への“善意”の「西原借款」が日中の破局へとつながっていったように、いまや「四化借款」が中国の対日感情を刺激しつつある。今回の民間ベースの問題のみ ならず、すでに政府円借款にも問題が出はじめており、私は、こうなった以上、財界も政府も中国側に補償など求めずに、いさぎよく損失を覚悟すべきだと思 う。トウ小平副主席は「小さな面倒」といい、谷牧副首相も「三千億円、十五億ドルなら巨大な日本経済の中で小さなものですね」といっているではないか。 (なかじま みねお)

中嶋嶺雄氏は現在は、国際教養大学の学長をされておられるようです。

© 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

 

 

 

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「立憲君主国家体制」の欠陥

2012年11月05日 | 国家論

 

本日の池田信夫氏のブログに「放射能という「国体」」と題する記事がありました。         
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51821652.html


そのなかで池田氏は丸山眞男の考えを引用しながら、かって戦前の国民の間に憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」批判が「空気のように目に見えない雰囲気として一つの思想的な強制力をもつ」ようになって、日本の国政の動向を呪縛したことがあった。そして、相変わらず現在もなお「原発ゼロ」「放射能のリスクは特別だ」と主張する人々が官邸前にデモを繰り出すことによって、日本社会の「空気」を支配し、それによって産業の根本であるエネルギー政策を歪めていると批判されておられる。

たしかに、菅直人前首相が何らの法的な根拠もなく、浜岡原発を停止させたように、「空気」にしたがって政策決定を行うことは、良い場合もあれば悪い場合もあるから、一律的には判断できないかもしれない。ただ、統治の客観性を失うという重大な過失があったのは確かだ。

政治が国民の「空気」によって左右されるというのは、根本的には国家のあり方として決して健全であるとは言えない。その原因を池田氏は文化としての日本の「空気」に求められておられるようだけれども、その観点からだけの批判ではまだ不十分だと思った。

それで、私の感想を池田氏の記事にコメントを送らせていただいたが、本日の記事としてもここに記録しておいた。


天皇機関説事件
〔2012/11/05 16:38〕

穂積八束や上杉慎吉らが「天皇主権説」の上に立って美濃部達吉の「天皇機関説」を批判したこと自体は学問的論争として認められるべきです。

「天皇機関説」そのものにも国家を「法人」として捉えるなど「天皇主権説」からの批判を許す弱点もあったと思います。

しかし、いずれにしても根本的な過失は、蓑田胸喜ら狂信的右翼の俗物が、権力を笠に着て、美濃部の著書を禁書にし、また、「不敬罪」などの権力乱用で、言論や学問の自由を抑圧したことにあります。

さらに、これらの事件の背景には、当時の明治の日本社会に「正しい立憲君主制」の法意識とその法制が憲法学界のみならず、一般国民の間にも浸透し、実現していなかったことにあると思います。

池田先生は、丸山眞男の思想に影響されてしばしば「空気」の概念で、日本国の文化的「欠陥」を指摘されます。

しかし、前にも指摘したように、「空気」のような曖昧な概念では、日本国の文化的、法制的欠陥を改善してゆくための理論を構成できないでしょう。

日本の文化的な伝統的な「空気」のせいにするのではなく、「立憲君主主義」としての明治憲法(大日本帝国憲法)の法的国家体制の欠陥と不完全を指摘しなければならないと思います。

「空気」によって国政が左右されるのも、根本において、我が国における「法治国家」として法体系の不備と、政治家や知識人、大衆の「法の支配」の文化と意識の未成熟に求めるべきだと思います。

 

 

 

 
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中西輝政『尖閣危機 「石原都知事が引き金」は思うツボ』

2012年10月23日 | 国家論

 

今後の日本の国家的な課題として切実になってくるのは、いうまでもなく中国問題であるだろう。本質的に自由を抑圧するプロレタリア独裁の共産党一党独裁国家が、かってのソビエト連邦や東欧共産主義諸国と同様に、崩壊の過程にあることは、ほぼ「歴史の必然」といってよいと思うけれども、ただ、旧ソビエト連邦や東欧とは異なって、我が国と中国とは地理的に隣接していること、そして、かっての満州国の建設など歴史的に日本と深い関わりを持ってきたことにその特殊性がある。

そ の特殊性ゆえに中国共産党は国内矛盾を「反日」行動に転化せざるをえない。国民の矛盾を、大衆の不満を日本への侵略と戦争に転化することによって解消しよ うとするだろう。中国は共産党一党独裁国家に由来する国家の内部的矛盾――貧富の格差の拡大による国民大衆の政府に対する不満や国内少数民族に対する人権 抑圧などから生まれてくる避けられない国内の矛盾、不満を対外的に転化せざるを得ない。その対象として日本が設定されている。江沢民の統治以来の共産党支 配の根拠とする反日教育が青少年期から徹底的に行われてきたことなど、その前提条件はそろっている。

一方では、共産党一党体制を崩壊させ うるまでには中国国内の民主的な反体制勢力は育っていない。日中戦争を避けるためにも、中国国内の民主的勢力を全力で応援してゆく必要があるのだが、「天 安門事件」以来、中国国内の民主的勢力は人民解放軍によって押さえ込まれたままである。それどころか、中国に進出している日本企業の経済活動によって、ま た日本国政府のODAなどによって人民解放軍や国家警察の軍事力や装備の格段の強化に手を貸すことになっている。

日中戦争は不可避の情勢になっている。そうした事態に対して、日本国民は果たしてどれだけ深刻に危機意識を持っているだろうか。国民世論の一致した支援がなければ、自衛隊だけで対応はできない。

自 らの自由と独立をどのように確保するべきか、早急に国民世論の合意を図る必要がある。日本国民は自らの置かれている状況を知る上でも、下に引用した中西輝 政氏らの論文などによって、日本と中国との国家関係についての、とくに第一次日中戦争の背景についての歴史的な認識をさらに深めて活用してゆく必要がある と思う。対策は早ければ早いほど良い。

>><<引用はじめ

WEDGE REPORT

尖閣危機「石原都知事が引き金」は思うツボ

反日デモは戦前から

WEDGE11月号特集

2012年10月22日(Mon)  中西輝政 (京都大学教授)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2294?page=1

この20年、日本人の多くが、中国に対する誤った想念に衝き動かされてきた。
今回の尖閣危機を契機に、日本はチャイナ・リスクを強く再認識し、
実効支配強化へ向けた計画と備えを行うとともに、安全保障体制の強化が必要だ。

  日中間の目下の尖閣危機について奇妙なことが起こっている。それはあの激発的な反日暴動が中国全土で荒れ狂った直後から、日本国内で「折角、現状凍結で棚 上げされてきた尖閣問題だったのに、日本政府が9月11日に行った国有化の決定が今回の大きな騒動を引き起こしたのだ」という見方がマスコミでも広く流布 され始めたことだ。中国政府も同様のことを言っているが、これは明らかに事実に反している。

 たとえばここに今年の3月17日付の新聞報 道がある(『産経新聞』同日)。それによると前日の3月16日、尖閣諸島の久場島沖で中国の国家海洋局所属の大型で最新鋭の海洋監視船「海監50」と他1 隻の中国の公船が日本の領海内を航行しているのを海上保安庁の巡視船が発見し警告したところ、「海監50」は「(尖閣諸島の)魚釣島を含むその他の島は中 国の領土だ」と応答し、逆に日本側に退去を要求し、数時間にわたり日本の領海と接続水域を“巡回”した、と報じられている。このようなあからさまな中国の 挑発行為は初めてのことと言ってよい。

 周知の通り、日本政府の公船による海上からの巡視は1972年の沖縄返還(と同年秋の日中国交正 常化)以来、ずっと行われてきたことだ。「今回どちらが先に現状凍結を破ったか」と問われれば、答は明らかであろう。さらに、8月15日には「香港の活動 家」を使った強行上陸も行われていた。昨年の「3・11」以来、中国側の尖閣周辺での行動は急速にキナ臭さを増してきていた。こうした一連の流れの中で、 4月16日の東京都の石原慎太郎都知事による「尖閣購入」の意思表明があったのである。

 そもそも78年の小平の「棚上げ」発言の十余年後(92年)、中国は「領海法」を制定し一方的に「尖閣諸島は中国領土」と規定、「棚上げ」を自ら放棄していたのである。

  それにしても、なぜ今回、「日本による国有化が引き金を引いた」とか「都知事の提案が火を付けた」といった事実に反する評論が日本のメディアなどで語られ 始めているのだろう。誠に奇妙な光景、と言うしかない。中国による対日世論工作があったのかもしれないが、もっと深い要因に目を向ける必要もある。

丹羽前中国大使の?中国観

  「東京都が尖閣諸島を購入すれば日中関係はきわめて重大な危機に陥る」と6月7日付の英紙『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューで発言した丹羽宇一 郎駐中国大使。その中国観を窺わせる発言があった。そして、この「奇妙な光景」も、そうした中国観に由来しているところ大と言えるのである。作家の深田祐 介氏によれば、大使就任の前に丹羽氏に取材した際、同氏は自信に満ちてこう明言したという。「将来は大中華圏の時代が到来します」「日本は中国の属国とし て生きていけばいいのです」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」(『WILL』2012年7月号)。

 日中の紛争は「全て日本側が折れるしかない」、なぜなら、いずれ「中国の属国」になるのだから、という点ではこの2つの発言には論理の整合性はあるわけである。

  しかし、ここまで極端な表現をとらないとしても、こうした丹羽氏の発言と内心同じようなことを思っている人々は、実は日本の政界、経済界、マスコミを中心 に結構多い。あたかもヨーロッパ大陸の国家群がEUを形成したように、中国と日本も簡単に市場統合できる、さらには1つの共同体を形成できると、考えてい るのかもしれない。

 まず、そもそも現在の中国という存在が、「大中華圏」という世界史的な枠組にまでスムーズに自らを発展させられる可能性が果たしてあるのか。甚だ疑問と言える。この「大中華圏」論は一時の風潮に影響された根拠に乏しい趨勢論と言うしかない。

  とはいえ、この20年、たしかに日本人の多くが、この誤った想念に衝き動かされてきたところがある。なるほど、この20年、中国は急激な経済成長を果たし たが、かつて日本にもそんな時代があったし、勿論、欧米先進国の多くはそれ以前にもっとめざましい時代を経験した。どうして中国だけが、今後も「永遠の成 長」を約束されていると言えるのか。

 しかし全く根拠なく喧伝され、それに踊らされてきたのが、この20年の日本の経済界でありメディアの姿だったと言うしかない。そのことが早くも露呈してきたのが現在の中国経済の変調と政治・社会の大いに危うい情勢の到来である。

  そもそも、彼の国の経済が順調に発展しようが、崩れてしまおうが、いずれであっても、中国は、日本が一緒になれるような国ではない。そんなことは今回の暴 動を見るまでもなく、中国史や近代世界の文明史を少し知っていれば、誰でもわかったことではないだろうか。今こそこのような誤った中国観を見直し、あくま で事実に基づいて、堅実な姿勢で、彼の国を見つめ直し対処していくことが求められている。

 今や中国は「反日」以外に体制を支えるイデオ ロギーを失い、国内では政府や官僚の腐敗が極限まで進み、貧富の格差が不可逆的に広がり、明らかに体制崩壊の道を辿っている。経済も海外への依存が高過ぎ るため、今や大変脆弱性を増し、すでに欧州債務危機の影響を色濃く受けている。さらにチベットやウイグルなど周辺民族との紛争や国内の深刻な人権問題を抱 え、いつまで経っても真の民主化を果たせずにいる。この現状を考えれば、中国には分裂はあり得ても、他国との広域圏の形成など全くあり得ない。経済の論理 だけで歴史は決して動かない。日本の経済界や識者は余りにも目先の経済要因に幻惑され過ぎている。

深刻な?チャイナ・リスク

  それどころか、もっと重要な目先の動きがすでに始まっている。それは、こうした体制崩壊の危機をいよいよ外へと転化していくシナリオが現実に動き始めてい ることだ。非力な習近平という指導者を支える強力な軍部の動向を視野の外においていては、尖閣危機の本質も見えてこない。今、日本人はむしろ、こうしたよ り深刻な「チャイナ・リスク」の浮上を強く認識しなければならないのである。

 今後の中国の戦略は次の3つの戦術をミックスさせた形で進められるだろう。1つ目は、日本の経済に対する圧力をさらに強めていくこと。2つ目は、国際社会への活発な宣伝攻勢によって日本を国際的に孤立させること。3つ目は、軍事力も含めた対日心理戦の発動である。

 まず中国国内では、一段と“対日経済制裁”を強めるだろう。すでに日本からの輸入品への関税検査を強化し通関手続きに遅れが出ている。

9月の反日デモにより日系企業が各地で被害に

 さらに、反日デモが日本企業に勤める中国人従業員の賃上げストライキと全国的な規模で合流すると、事態はさらに深刻さを増す。すでに、9月16日に起きた深?(しんせん)での暴動においても、反日デモが日本企業での賃上げストと合流したことが報じられている。
  これはまさに、満州事変が起きる前の「日支協調」が定着していた1920~1930年代に中国へ進出していた日本企業などで起きた現象である。しかも、今 日分かってきたのだが、当時、勃興しつつあった中国の紡績関係の企業がライバルの日本企業に反日デモや従業員のストライキを仕掛けたこともあったという。 有名な25年の5・30事件(上海の日本企業でのストライキに端を発し、反日デモに対して租界警察が発砲して、学生、労働者に死者、負傷者が出た事件)の パターンである。

 こうした「反日の嵐」が10年以上にわたって中国全土でくり返された。このことが、満州事変や日中戦争の大きな背景要因だったのである。

中国でくり返される?「反日の嵐」

  中国の政治文化や国民性として、こうしたパターンがくり返されることは、いわば一種の宿命とさえ言えよう。したがってそれは、今後も多かれ少なかれ続くで あろう。それ故、日本の経済人は、もっと歴史から学ばなければならなかったのだが、「日本の侵略に全ての原因があった」とする戦後の自虐的な歴史観によっ て、かつての反日暴動の実態などの重要な歴史的事実が現在まで昭和史を扱う歴史書では語られてこなかったのである。

 勿論過度に単純化はできないとしても、国と国の構図は歴史の中で繰り返されるものであり、果たしてそれを理解した上での日中友好であり中国進出であったのか、遅まきながら、かつてなく掘り下げた検証が必要だ。

 次に中国は、国連や国際世論、国際法を利用して国際社会への宣伝攻勢をさらに強化していくであろう。

日本が国際世論を味方に付けるには

  これに対し日本が国際世論を味方に付けるには、国連の場だけでなく米国やオーストラリア、ASEAN(東南アジア諸国連合)など価値観と利害を共有できる 国々に対し、政府間だけでなく、相手国世論の形成にもあわせて働きかけていく精力的な国際広報活動が是が非でも必要である。

 このためには、新たに総理官邸が直接統括する「対外広報庁」の設置などが早急に求められる。当面は40億円規模の予算(今年度の対中ODA予算と同額)で運営できるものでもよい。すぐに具体化することだ。

 それはまた、尖閣問題以外にも「従軍慰安婦」などの歴史問題に対する日本の見解についての広報や、日本の市場アクセス、さらには巨大プロジェクト、高速鉄道といったインフラ輸出などの経済外交にも活用できる。

  しかし次の段階として、中国の公船や漁船が何十隻と大挙して尖閣諸島に上陸してくる事態になれば、軍事力の対峙、「一触即発」の状況も考慮される。いよい よこうした状況になれば同盟国である米国の動向がカギを握ることは言うまでもない。そのためにも、日米は今から大きな対中戦略の頻繁なすり合わせや基地問 題の早急な解決に取り組み、米国との関係を緊密にしておかなければならない。

 さらに急がれるのは、まず従来の憲法解釈を改め、集団的自 衛権を行使できるようにし、同盟国として対等な責任を果たす意思を今すぐにでも示すことだ。こうした内容を米国とともに共同声明として表明できれば、日米 同盟の抑止力の画期的な向上を、中国をはじめとする国際社会にアピールできる。

 オバマ大統領も昨年11月にアジア太平洋地域を米国の世 界戦略の最重点地域と位置付けることを宣言したが、これは日本の集団的自衛権行使を前提にした新戦略だ。南シナ海やマラッカ海峡などのシーレーンを守るべ きASEAN諸国は海軍力が弱く、日米が同海域で海軍や海上自衛隊による共同軍事演習を行うことが中国への牽制、抑止になり、中国を現状秩序の維持へと向 かわせることにつながる。

 中国の強硬姿勢がさらに激化し、武力衝突に至る可能性もゼロではない。中国は実際に南シナ海でも武力行使をくり返しながら海洋進出してきた。また、それに向けた布石ともいえる法律(「領海法」や「離島防衛法」など)を制定している。

  法律といえば、ここまで事態が切迫してきた以上、中国が2010年7月に施行した「国防動員法」にも改めて注意を向けておく必要がある。この法律は、中国 が有事の際(あるいは緊急時でも)、中国国内で事業を営む外国企業は資産や業務、技術を中国政府に提供しなければならないと規定している。もし万が一、日 中がこれ以上、緊張を高める事態となれば、中国に進出している日本企業は、製品やサービスを中国政府や中国軍に提供しなければならないと定められているの だ。

今後日本がなすべきこと

さ らに同法では、外国に居住する中国人も、中国政府の指示に従わなければならないとされている。有事などの際、日本に在住する中国人は中国政府の指示に従っ て日本で反日デモや暴動を起こす可能性も全くなしとは言えないだろう。つまり、日本国内での騒擾事件も起きかねないということも頭に入れておく必要があ り、治安機関などにおいてもそうした想定での対応が求められる。
今後日本がなすべきこと

 中国の今後の動きに備えて、日本は次の3つの柱を打ち立てなければならない。

 第1の柱は、国際社会へ日本の平和的な意思を明確に発信することだ。その上で「日本は政府、国民の総意として尖閣諸島の国有化に踏み切った。国有化は絶対に撤回しない。現在の実効支配を徹底して守り抜く」という目標も明確に発信しておく必要がある。

 石原都知事が尖閣購入に合わせて提唱した施設整備もこうした意思を示す良い具体策と言える。自民党総裁選でも、全ての候補者が集団的自衛権の行使とともに、船溜まりや灯台の設置、公務員の常駐などを主張していた。

  しかし、こうした実効支配の強化策は、それを実行するタイミングが肝要である。今の状況で強行すれば、「日本の挑発」と国際社会に受け取られ、さらに「余 計な刺激をするな」と米国世論も日本から離れてしまうことにもなりかねない。まずは、挑発せず、妥協しない姿勢をしっかりと示し、今しばらくの間は我慢比 べする時だ。その間に国際広報によって日本への支持を確保し、実効支配の強化策実行に向けた戦略計画や予算措置を着実に進めておくべきである。

 実効支配の強化策を打つタイミングとしては、少なくとも中国の指導部が正式に交代を果たし、新体制の中長期的戦略目標が見えてくる来年3月以降まで待つべきだろう。

  第2の柱は、どのように話し合いのテーブルに着くか、その戦略を描くことである。これには慎重に備えておく必要がある。下手をすれば「領土交渉」に持ち込 まれてしまいかねない。しかも中国による国際広報が万が一成功し、国際世論が中国を後押しするような状況になればこれを拒むのは難しくなる。他方、安易に 交渉のテーブルに着いてしまえば、中国側に領有権にまで踏み込んだ交渉を要求されてしまう。このギリギリの隘路を突破する日本の戦略戦術を綿密に用意して おくべきであろう。

 日本は、「日本の主張を認めるなら交渉のテーブルに着いてもいい」とするか、多国間交渉などより大きな枠組みの中で 話し合う環境に持ち込むべきだ。たとえば、南シナ海で同じく中国と対立するASEAN諸国と一緒に、東アジア全体をカバーする「海洋安保会議」を提案する 方法があろう。迂闊に日中の2国間交渉をやれば、決裂した場合、即、武力衝突という事態になってしまいかねない。太平洋戦争前に安易に日米交渉を始めたこ とが、結局、開戦につながったという教訓もある。

防衛費の大幅な増額が必要だ

  第3の柱は、すぐにでもできる安全保障体制の強化である。まずは既述のように集団的自衛権の行使へ向けて憲法解釈を変更する。次に、海上保安庁と海上自衛 隊の能力向上や法制整備がある。領海、領域警備をシームレスに行えるよう、法体系を早急に整備しなければならない。そして国際広報体制の整備。また、少し 時間や資金を要するが、国際情報の収集、深度化のためのインテリジェンス機関の整備も必要だ。とりわけサイバー戦能力の向上は、もはや待ったなしだ。

 そして、日本はより中長期を見据えた戦略も描いておかなければならない。

  まずは防衛費の大幅な増額が必要だ。中国、ロシアが急激な勢いで防衛予算を増額している中、この20年の間、日本はこうした周辺諸国の潮流に全く逆行して 防衛費を減らし続けてきた。当面は社会保障を効率化させることによって生み出す予算から3000~4000億円でも防衛装備に充当できれば、周辺地域での 日米同盟の抑止力は大幅に向上する。

 また、対外経済戦略の見直しも必要だろう。この20年、日本企業はこぞって「13億人の市場」と喧 伝され雪崩を打って中国へ向かったが、今回の中国での深刻なリスクの浮上を重大な教訓として、ベトナムやミャンマー、インド、さらにはロシアや東欧など、 中国以外の地域にも日本企業が進出の可能性を広げられるよう、政府主導での「チャイナ・パッシング(中国通過)」という国家戦略の推進が不可欠だ。

  今後も中国や北朝鮮との間で有事は頻発するだろう。ベルリンの壁崩壊後、日本人だけが、「今後、世界は画期的に安定し、新興国も含めて世界各地が経済発展 して、国連を中心とした平和が維持される」というムードに包まれたが、この20年、日本は時代観を決定的に誤っていたのだ。こうした愚行とも言える時代認 識を今こそ、大きく転換する必要がある。

 そのとき忘れてはならないのは、世界に通用する普遍主義の旗を高く掲げることである。無用な争 いを避け、「法の支配」と自由な価値観に守られた国際社会を打ち立てるため、中国の今の体制ややり方はおかしい、と声を上げ、中国人の人権や民主化の必要 を世界に訴え、日本自身も正しい歴史認識を持った自由主義の先進国として世界に認められるよう努力しなければならない。

>><<引用終わり

 

 

 

 

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不完全な立憲君主制

2012年09月29日 | 国家論

 

不完全な立憲君主制


九月二十九日の「朝まで生テレビ」に出演した池田信夫氏が氏のブログで、原子力発電の再稼働をめぐる議論(「原子力ムラの論理と心理」)の文脈のなかで、丸山眞男の論文を引用しながら、日本社会に特有の「無責任構造」について論じている。

丸山眞男は旧大日本帝国軍の否定的側面にのみ囚われて、軍人にいじめられた体験もあったのか、その「意義」にまで踏み込んで評価しうる主体的な思想的観点はついに持ちえなかった。その点で池田信夫氏と異なって、丸山眞男を高くは評価しないのであるが、それはとにかく、池田氏が、様々な論考で日本がまともな「法治国家」ではないことを指摘して国民にそれを多少なりとも自覚させつつあることは評価したい。

ただ、池田氏が、それらの論考のなかで「日本教」とか「空気」といった言葉で、日本の法治国家としての「欠陥」もしくは「不完全」を指摘しているのは認めるとしても、これらの用語概念の曖昧さのために、国家としてのこの「欠陥」はどうすれば是正できるかという肝心の課題についてはまともな提言をなしえていない。この点については今は亡き丸山眞男氏も池田信夫氏も同じである。

憲法改正論議の前提としては、まず、正しい「憲法の概念」が確立されていなければならない。その一例として「自然憲法(自然法憲法)」と「実定憲法」の違いを知り、戦後のGHQの統治下に制定された日本国憲法が「実定憲法」であることをおさえておくなどの必要がある。

そして、改正憲法の核心としては、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則を明確に規定して、あらためて「君主無答責」の立場をはっきりと新憲法上に規定するとともに、国家の最高責任指導者である内閣総理大臣に、国防の最高統帥権をきちんと帰属させなければならない。それとともに内閣総理大臣の国民と国家と元首のそれぞれに対してもつ責任規定を明確にしておく必要がある。

いずれにしても、池田信夫氏がこの論考で「空気の構造」という曖昧な概念で捉えるだけでは国家統治における責任の所在問題の解決の糸口もつかめない。そうではなく、まず「法治国家とは何か」その「法治国家の概念」を明確にするとともに、その概念に照らしても「法治国家」としての現在の日本国の統治の欠陥が、根本的には現行日本国憲法に由来するものであることを理解する必要がある。

さらにいえば歴史上憲法の概念を最も深く掘り下げたヘーゲルの「法の哲学」は、憲法論議に不可欠の前提であるべきだと思う。この前提を欠く憲法論議は論理的不完全性を免れない。

「がんらい国民の自意識の様式であり、国民の教養によって規定されるものであるとともに」(法の哲学§274)「決して「作られる」ものではない、一国民において発展せしめられている限りの理念であり理性的なものについての意識である憲法」(法の哲学§272以下)を、新日本(帝)国憲法としてそれに客観的な形式を与えるまでは、「日本社会の空気の構造」という「無責任統治の構造問題」は解決されないにちがいない。

GHQによって「単に作られた」現行の日本国憲法の欠陥を克服するためには、かって伊藤博文や井上毅らが日本書記や古事記などの神話から、さらに皇室典範などの不文律に至るまであらゆる有識故実の歴史的な研究を通じて、大日本帝国憲法の制定を準備したように、新しい憲法制定作業には、日本国における伝統的「理性」の顕在化と自覚があらためて不可欠な前提になるのはいうまでもない。そうした意識を欠いて制定された現行日本国憲法の致命的な欠陥は放置されたままである。過去の東アジア戦争の敗北などの歴史的な反省と徹底した総括を踏まえて、明治期の大日本帝国憲法の意義と、とくにその「限界」も明らかにして克服してゆく必要もあるだろう。

今にして多くの識者、団体から新憲法草案が提案されているけれども、伝統的にしてかつ近現代にいたって確立した現在の日本国における「理性」と「理念」の発掘という作業と、立憲君主国家としての理念の深化とその定式化という根本的な仕事はまだきわめて不十分であるように思われる。

いずれにしても、困難な挑戦ではあるが、国家の再建のためには不可欠にして緊急を要する全国民的な事業となるべきだろう。



 

憲法義解


自然憲法と実定憲法

 

 

 

 

 

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若い世代と明治国家の回復

2012年09月19日 | 国家論

若い世代と明治国家の回復

中国の次期指導者として習近平氏が予想されている。太子党の一人とも言われ、江沢民、李鵬らのもっとも強硬で憎悪と復讐心に満ちた対日歴史観を受け継いでいることも考えられる。氏がどのような対日観をもっているかが問題である。習近平が、尖閣諸島の日本の国有化を「茶番」と評していることからもわかるように、現在の胡錦濤主席以上に対日強硬策に出てくることは予想される。

いずれにしても、今日の人類の平和が「軍事力の均衡」によってかろうじて維持、確保されている現状においては、民主党政権によって揺らぎはじめた日米安保条約の再構築と日本の自主防衛能力のいっそうの向上によって、領土領海の確保と保全を図るしかない。

左翼の偽善的な防衛能力の放棄や、現在の野田内閣の尖閣列島国有化による現状固定化策は、時間の経過にともなう中国の国力、軍事力の増大にともなう軍事的均衡の崩壊によって、戦争の誘発を招くことになるだけである。とくに、いずれ来るべき中国経済の崩壊による国家体制の危機に際して、中国国内矛盾の対外転化として、尖閣列島の「領土問題」が中国共産党によって利用される可能性はきわめて大きい。

次期政権は自民党が担うことになる可能性は大きいが、いずれにせよ、野田内閣とその後継内閣は、日本の防衛能力の強化充実をはからなければならない。困難な財政状況と、信念のない大衆迎合主義によって、中国との間の軍事的均衡を破るような政策をくれぐれも採らないことである。現実を直視し、戦争を誘発するような状況を自ら招くようなことがあってはならない。

懸念されることは、原子力発電政策にも見られるように、現在の民主党の野田内閣のような、大衆迎合の子供内閣では、いつ何時ふたたび大衆の声に推されて、軍事的均衡の破壊政策にまで踏み出さないとも限らないことである。

それでは何のための議会制民主主義か、何のための選良としての国会議員であるか、彼らの存在理由が問われることになるだろう。民主党の政治家はとくに大衆の衆愚的政策におもねる危険につねに晒されている。今回の中国の反日暴動に見るように、大衆のもつ破壊的で狂信的な悟性的本質を見落としてはならない。中国共産党すら、マッチポンプ式に大衆に「理性的」行動を呼びかけているではないか。

選挙目当ての大衆迎合主義にとらわれず、国会議員としての使命と自覚を持って、専門的な知識と経験に基づいて、国家の永久的な繁栄のために尽くす覚悟をもった政治家は、とくに子供政党である民主党にはほとんど皆無だ。その外交政策、政権運営は傍目にも危うくて見ていられない。彼らは日本国を潰しかねない。

むしろ、民主党内の隠れ共産主義者、隠れ社会主義者たちは、「日本」を意図的に潰して、中国や北朝鮮、韓国に合流させようという意図すら持っている。自覚ある日本国民は、こうした隠れ左翼が実質的に牛耳っている民主党を警戒すべきであろう。とくに、現在民主党の代表選に立候補している旧社会党出身の赤松義隆などは、本質的な社会主義者であり、在日中国朝鮮人の迎合論者であり、反日解体論者である。

最近になって竹島や尖閣列島などの領土問題、さらには、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺事件」などを反日政策に利用する中国朝鮮の共産主義者たちや国内の反日左翼日本人らの実体に触れて、若い世代、青年たちがようやくにしてまともな日本国民としての自覚を回復しつつある。そうした傾向を保守化とか右傾化とか呼んで白眼視する者もいるが、そうではなくて、敗戦後に背負わされ植え付けられた不当なハンディキャップやコンプレックスを克服しはじめたに過ぎない。国際的にも普通の国家国民として新しい世代が自覚し成長し始めているだけである。

その生い立ちからして戦後のGHQ政策の真っ只中に教育され、マッカーサーの反日の日本劣化解体政策を植え込まれた団塊の世代が消えてゆき、その痕跡を矯正する健全な国民的自覚が新しい世代の間に生まれはじめた。日清日露の戦争を戦った明治期の当たり前の日本国家を回復しようという使命に若い世代も気づきはじめ、その困難な道程をようやくにして歩み始めたばかりである。



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【尖閣国有化】中国の反撃加速へ 領海侵犯、経済制裁、日米分断

2012.9.20 00:13 産経新聞  http://goo.gl/L0VzE

 【北京=山本勲、矢板明夫】中国の習近平国家副主席が19日、 パネッタ米国防長官に対し、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題への不介入を要求した。柳条湖事件を記念する18日を過ぎ、日本政府による同諸島国有 化に抗議する反日デモは1つのヤマを越したかに見えるが、習氏の強硬姿勢が示すように、日米分断を軸とした日本の孤立化促進など、共産党政権の反撃が始 まっている。

 中国の各都市に拡大した反日デモに日本側が振り回されている間に、中国は尖閣奪取に向けた動きを着々と強めている。

 13日には中国外務省が尖閣周辺海域を「領海」と主張する海図を国連に提出、16日には、東シナ海での中国の領海基線から200カイリを超えて広がる大陸棚の延伸を求める案を、国連大陸棚限界委員会に提出すると発表した。

 監視船による領海侵犯の規模と頻度を急拡大して「自国の領海」との既成事実を積み上げており、北京の西側外交筋は「国有化を機にかねて準備していた対日作戦を一気に繰り出してきた」と指摘する。

 党大会を控える当局は予定通り、“ガス抜き”に利用した反日デモを19日に収束させた。しかし、日本政府が「これで一息ついた」と受け止めるのは大間違いだ。中国国内は内部事情で沈静化させても、対日攻勢や米国など国際社会への外交・宣伝攻勢は、今後一段と活発化する。

  中国商務省の姜増偉次官は13日、「中国の消費者が理性的な形で自らの立場を表明しても理解すべきだ」と日本製品ボイコットを容認する発言をした。共産党 機関紙、人民日報(海外版)は17日付のコラムで「日本に大きな殺傷力を及ぼすため標的の中心を狙い攻撃すべし。製造業、金融業、戦略物資の輸入などが対 象だ」と経済制裁を支持。一昨年9月、レアアースの対日輸出を一時停止したような措置を想定しているとみられる。

 一方、習氏と歩調を合わせるように、保守派の周永康中央政法委員会書記が19日、ネパールのシュレスタ副首相兼外相との会談で担当分野外の尖閣問題に言及し、「今日の日中関係の困難はすべて日本側が作り出したものだ」と語り、ネパールの懐柔を図った。

 最重要課題は日米同盟の分断だ。人民日報傘下の国際情報紙、環球時報は19日付の社説で「米国を中日両国の中間に寄らせるべきだ」と主張。「釣魚島は中国領」との国際宣伝を一段と強化する構えを示している。

(c) 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital






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小堀桂一郎氏「皇室の御安泰を真剣に考へる秋」について

2011年11月29日 | 国家論

 

 【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 皇室の御安泰を真剣に考へる秋 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/111123/imp11112302580000-n1.htm

小堀桂一郎氏が「皇室の御安泰を真剣に考へる秋」と題して、現在の皇室問題を論じておられる。その核心にある問題点を指摘した結論としてもっとも正しい見解と立場を示していると思う。かっての「有識者会議」なるものは、むしろ「凡識者会議」とも名付けた方がよかったのかどうかわからないが、その座長を務めた吉川 弘之氏などに果たしてこうした問題に発言する資格があるかどうかが問われなければならない。もちろんロボット工学者だから歴史問題について発言する資格はないとまでは言わないが、国家の根幹に関わる問題についての決定に参画する資格が、果たして「有識者」と呼ばれる人たちに本当にあるのかどうかについては、会議を組織する以前に真剣に検討される必要があるだろう。

皇室典範に関する有識者会議
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/

このような問題は「民主主義」の原理である「多数決による決着」などとはまったくなじまないテーマであることだけは確認されておく必要がある。「真理」についての判断は、ただ認識の質のみが、哲学の高低、論証の正否のみが問題にされなければならない。

その核心は、日本の皇室の「系譜の論理」を確認し、それを過去と同様に未来永劫において踏襲してゆくことにある。それは「国家の論理」から導かれるものであって、この問題に関しては、小堀氏が述べられているように、イギリスなどの外国の影響を考える必要は全くない。日本国に固有の論理に従って判断すべきことだからだ。


追記(2011・12・07)

引用した記事が失われる場合があるので参考までに保存して記録。

>>

【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 皇室の御安泰を真剣に考へる秋
2011.11.23 02:57

  平成21年元旦の本欄に於(お)いて、筆者は、「皇位継承に制度的安定を」と題して見解を述べる機会を得た。それは、標題に云ふところの制度的安定を図る研究は或る民間の組織によりほぼ完了したので、後は、その方策の実現を政治の力に俟(ま)つばかりであるとの含みを持たせた意見表明だつた。

 ところが、その夏に政権交代といふ事態が発生し、新たに政権の座に就いた民主党内閣の下では、この問題についての正統性に則つた論議は到底望めないと判断し、以後、皇室典範の再検討に関はる議論には公の場での発言を控へ、沈黙を守ることにしてゐた。

 ≪宮内庁長官の発言には疑問≫

 ところで、宮内庁の羽毛田信吾長官は去る10月27日の定例記者会見で、現行の皇室典範には〈皇位の安定的継承という意味で課題がある〉との旨を述べた由である。〈課題〉といふのは、これから解決しておかなくてはならない問題性、難点といふ意味であらう。

 この日の会見での羽毛田長官の発言は、英国の王位継承法に、継承順位を男子優先から男女の別を問はぬ長子優先へと改める動きがある(10月29日に英連邦首脳会議で法改正に合意が成立したと報じられてゐる)との報道についての感想を求められての答へであつたさうである。

 英王室の王位継承法にどの様な改定が行はれようと、それはその国固有の歴史と当面の事情や輿論(よろん)の動向に従つてのことであらうから、我々はそれを唯(ただ)静観してゐればよろしく、何らの注釈も意見も挿(さしはさ)む必要がない。

 然(しか)し、宮内庁長官が右の外国の事情を何故か念頭に置いた様子で、我が国では幾人かの女性皇族の方々が結婚に近い年齢になつてをられる時、皇位継承の安定と(女性宮様方の今後の)ご活動といふ意味で課題が生じてゐる、と述べてゐる点については批評と注釈が必要であらう。

 先づ、皇位継承の安定といふ事については、現在、今上天皇の次代以下の世代に皇位継承権者がお三方居(お)られる。その意味で、皇位の将来は実は安定してをり、謂(い)はば問題がない。

 ≪負担軽減目的なら皇族増加も≫

 問題はむしろ、現在の継承権者が現実に皇位にお即(つ)きになつた将来に於いて、その陛下のお近くに在つて公務を御支へ申し上げ、必要に応じて代行をも務められる皇族の数があまりにも少く、且(か)つ、当分その増加を期待することができない、といふ点にある。

 その脈絡に関してならば、宮内庁長官の所見に云ふ、女性皇族が御(ご)結婚によつて皇籍を離れ、一民間人となることへの疑問、従つて女性の宮様が結婚されても依然として皇族の身分を保たれ、両陛下の公務の補助・代行を務められる様に法改正するのが課題だとの着想は首肯できる。

 但(ただ)し、かうして創立された女性皇族を中心とする新しい宮家が皇位継承の安定に寄与し得るか否かは、その結婚のお相手となる男性の血統によつて決ることであり、直接には長官のいふ所の安定にはつながらないと考へるべきである。差当つては、どこまでも皇室の御公務の御負担の軽減といふ点に貢献する存在と受けとめておくのが適当である。

 誤解を招かない様に付記しておくが、皇位継承の安定にも寄与し得る形での女性宮家の創立といふことももちろん可能である。それは右に記した如(ごと)く、今後、結婚される女王様方の御配偶が、血統の上で皇統につながつてをり、且つ、それが、なるべく近い過去に於いて、そのつながりが証示できる様な方であれば、その御当人ではなくとも、その次の世代の男子(母方の血筋からしても、皇室の血を引いてをられることが明らかなのであるから)が、皇位継承権を保有されることは、系譜の論理から言つて、道理に適(かな)つたものになる。

 ≪法改正は些小の修正で済む≫

 以上に記したことは、現行皇室典範の比較的軽微な改正を以て実現できる事項である。肇国(ちょうこく)以来厳修されてきた我が国の皇位継承上不易の三大原則(念の為(ため)記しておくならば、〈一 皇祚(こうそ)を踐(ふ)むは皇胤(こういん)に限る〉〈二 皇祚を踐むは男系に限る〉〈三 皇祚は一系にして分裂すべからず〉の三項)については、事新しく再検討を促す必要は全く無い。宮家の増設といふ目的のためには、法規運用技術上の観点から現行法に些小(さしょう)の修訂を施せば済む事である。従つて一片の醜聞に終つた曾(かつ)ての「皇室典範に関する有識者会議」の如き仰々しき委員会めいたものを組織する必要もない。少数の良識ある法曹家及び国史学者に委託すれば然るべき改訂が成就できるであらう。

 3月の東日本太平洋岸大震災に際しての被災民の救恤(きゅうじゅつ)と慰撫激励の上で、国民統合の象徴としての天皇と皇室の御仁慈が如何に貴重であり、又有難いものであるか、国民全体が又改めて認識を深めたところである。皇室の御安泰と御清栄は即(すなわ)ち国民の安寧の最大の拠(よ)りどころである。今又、その事を真剣に考へるべき秋(とき)になつてゐる様である。(こぼり けいいちろう)

c 2011 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

 

 

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昨年を振り返り、今年一年を展望する

2011年01月23日 | 国家論

 

昨年を振り返り、今年一年を展望する


昨年に作成した記事を振り返りながら、この一年を振り返り反省してみたい。

機会あれば「田舎」への移住を果たしたいと考えて古民家を見学したのが、2009年(平成21年)の年末だった。そして、年が明けた今年の1月5日に、新年を迎えて『新春のお慶びを申し上げます。 [2010-01-05]』の記事を書いて昨年は始まった。

その記事の中でも、民主党の政策について批判したが、民主党の諸政策が決して日本再生に直結するものでないこともわかっていた。

農家の戸別所得保障や高校の授業料無償化、子ども手当のように消費の拡大や産業の育成に直結するのことない無効な、小沢一郎氏を始めとする民主党の幹部が政権に就くことだけが目的のような、国民に耳触りの良い媚びるような、国民の性と依存心をさらに増長させるような政策を採りながら、その肝心の財源については、そのために消費税増税の導入を考えているらしい。

菅直人首相は日本財政の安定と健全化を目的として、2020年度までに基礎的財政収支の黒字化を達成すると妄想している。しかし、そのために必要なことは、整合性のないマッチポンプ的なこれらの民主党の場当たり的な政策ではない。根本的に必要なことは、国民個人に対する個人税制のみならず、株式会社や宗教法人などの法人税制をも含めて、より公平で公明な総合的で体系的に整合性のある税制体系を確立することである。その課税根拠を明確に公開して、より公平公正な税制であることを国民に自覚させることである。これらの税制を構想し実行できるのは、省利と私利にとらわれた官僚ではなく、自覚と使命感と能力を持った政治家である。

これまでの自民党や民主党の形成してきたような、大企業や労働組合、医師会のような政治力のある団体、法人にのみ有利な偏った不公平税制を改革して行く必要がある。それにもかかわらず、現在の民主党政権にはそのような税体系を構築する力はなく、連合や自治労を後ろ盾とする民主党政権には、公務員改革をやり遂げる意思も能力もなく、自分たちのバラマキ政策の付けを、国民に対する消費税増税に付け回そうとしている。

これまでの論考でも繰り返し述べているが、旧社会主義者たちの仙谷由人氏らの巣くう現民主党の諸政策では、かっての旧ソ連や東欧社会主義諸国、中国や北朝鮮などの閉鎖的で抑圧的な不自由な社会の失敗と不幸の歴史がわが国においても繰り返されるばかりだ。現在の民主党が政権に就くことによって、すでに情報統制や監視社会の兆しが芽生え始めている。

これまでの論考でも繰り返し主張しているように、わが国は大学・大学院の根本的な改革によって教育改革を実行してゆくとともに、現在の自民党や民主党などの「敗戦後の」既成政党を解体して、新しい自由党と民主党の能力のある二大政党を機軸としながら、現行の日本国憲法をまず廃棄することである。そうして明治時代の大日本帝国憲法を一旦は復活させ、それを日本国民自身の手で改正する形で、現在の自衛隊を解体し、新しい日本国軍の建設を核としながら二十一世紀の国家形成を行う必要がある。肝心なことはこの日本国家の概念を国民が明確に自覚してゆくことである。

それによって、太平洋戦争の敗北によって断絶させられた民族の文化と伝統を継承し、それをふたたび復活させてゆかなければならない。

旧年を回顧しても、個人的に見ても、きわめて不作の一年だったと言うしかない。これは私自身の能力の限界だから、悲しむべきことではあるが仕方がないのかもしれない。ただ、私の思想と哲学の基本的な骨格やその方向性はこれらの論考によっても明らかにされているだろうとは思う。今後の課題は、それらの概念を、観念的な種子として、その基本的な骨格をさらに具体化して詳細に展開して現実的なものにして行くことだと思う。具体的には、憲法論や国家論をさらに体系的に詳細に展開してゆかなければならない。

皆兵制と皆農制によって質実剛健な国民性を培い養いながら、国家と個人の概念を現実にしてゆくことだ。スイスやデンマークやイスラエルなどの国家体制も参考になるかもしれない。核戦争に備えて国土の要塞化と核弾頭を搭載した原子力潜水艦の建設を公然の秘密としてゆくこと(中国とアメリカの敵対を活用せよ)、これを国家の基本政策として行く必要がある。責任ある政治家は、これらの政策を秘密裏にも断行する覚悟を持たなければならない。「自由にして民主的な独立した立憲君主国家体制の建設」、このことを日本国の国家概念として国民は自覚して行くべきだろう。このことは一面においては、太平洋戦争後の異常な日本の国家体制を解体し、明治期の国家体制と国際関係を復活させることでもある。


      2010年の論考


342 東三本木界隈――京都の町並み紀行(1)
                      ・2010-12-13 日記・紀行
                    
341 民主党の「民主主義的」性格―仙谷由人官房長官の体質資料集
                     ・2010-11-15 ニュース・現実評論

340 府庁
                     ・2010-10-19 日記・紀行

339 野の草(1)水引草
                    ・2010-10-26 日記・紀行

338 遅い秋
                    ・2010-09-30 日記・紀行        
       
337 民主党の改革能力
                     ・2010-09-14 ニュース・現実評論

336 久しぶりのブログ更新
                    ・2010-10-13 日記・紀行

335 八月の雲
                    ・2010-08-11 日記・紀行

334 日本族インディアン国酋長の感謝と詫び状―――歴史のカリカチュア
                    ・2010-08-15 歴史

333 琵琶湖の花火
                    ・2010-08-06 日記・紀行

332 国家主権の問題について(2)
                     ・2010-07-27 国家論

331 哲学概念としての「わたし」の確立
                    ・2010-07-20 哲学一般

330 風のそよぎ
                    ・2010-07-18 日記・紀行

329 国家主権の問題について(1)
                    ・2010-07-17 国家論

328 概念と自我
                    ・2010-07-16 哲学一般

327 国家の再建
                    ・2010-07-07 国家論

326 夏が来る
                    ・2010-06-24 日記・紀行

325 生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣
                    2010-06-18 教育・文化                                    
324 ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ
                    ・2010-06-10 哲学一般
  
323 南禅寺・疎水・先斗町
                    ・2010-06-02 日記・紀行

322紫蘭
                    ・2010-06-01 日記・紀行

321 歴史のパースペクティブ ―――20世紀のインディアン
                    ・ 2010-06-03 歴史

320 柿の木の復活                 
                    ・2010-05-05 日記・紀行

319 憲法記念日               
                    ・ 2010-05-03 国家論

318 沖縄における普天間基地問題
                    ・ 2010-04-25 ニュース・現実評論

317 市民社会の分析
                    ・2010-05-02 日記・紀行

316 民主党の倫理感覚
                    ・2010-04-28 ニュース・現実評論

315 西行再訪                
                    ・2010-04-06 日記・紀行

314 京都における吉田松陰の足跡
                    ・2010-04-27 歴史

313 梨花一枝春帶雨
                    ・2010-04-18 日記・紀行

312 自由民主党の崩壊と日本政治の概念
                    ・2010-04-05 ニュース・現実評論

311 国家、国籍、参政権をめぐる問題
                    ・2010-03-19 ニュース・現実評論

310 菜の花畑とレンゲ畑
                    ・2010-03-10 日記・紀行

309 反日と愛国
                    ・2010-03-14 政治・経済

308 ひな祭り
                    ・2010-03-03 日記・紀行

307 廻りくる春の萌し
                    ・2010-03-02 日記・紀行

306 国民とは誰のことか
                    ・2010-02-27 国家論

305 浅田真央選手、バンクーバー冬季五輪で銀
                    ・2010-02-26 ニュース・現実評論

304 存在・概念・真理・国家
                    ・2010-02-24 概念論

303 概念と種子
                    ・2010-02-17 哲学一般

302 津山(二)――――種子と土壌の問題
                    ・2010-02-16 歴史

301 津山(一)                      
                    ・2010-02-12 日記・紀行

300 HIROSIMA MON AMOUR――広島、私の愛しい人
                    ・2010-01-31 芸術・文化

299 新春のお慶びを申し上げます。
                    ・2010-01-05 日記・紀行

 

 

 

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国家主権の問題について

2010年07月27日 | 国家論

 

国家主権の問題について

太平洋戦争の敗北を契機に大日本帝国憲法から日本国憲法に改訂されたが、今日にいたるまで取りざたされ問題にされるのは、いわゆる国家主権の問題である。つまり、大日本帝国憲法においては――以下は明治憲法と呼ぶ――主権は天皇あったとされるのに対して、日本国憲法においては――以下は昭和憲法と呼ぶ――主権は国民にあるとされる点である。それがために憲法学者の故宮沢俊義氏などは、八月革命説などに立つなど、明治憲法から昭和憲法への変遷の課程において、国家主権の変換があったことについて、どのように説明するのかをめぐって諸説がある。しかし、この現行憲法の制定主体の交替の問題と、それが憲法の概念を十分に現実化しているかどうかという批判とは別である。

国民主権の問題と君主主権の問題はすでに決着しているかのように思われているかもしれないが、私は必ずしもそうは言えないと思っている。

この憲法の変遷をめぐっては、ウィキペディアは次のように説明されている。

>>

法理論としては明治憲法の天皇主権から、日本国憲法の国民主権に移行するさいに、明治憲法の73条に従った改正であったと見なした場合(憲法改正説)、君主主権の憲法が国民主権の憲法を生み出すことができるかとの視点から、できる(憲法改正無限界説)・できない(憲法改正限界説・無効説)との論が立つ。主権という究極を憲法法規が自立的に否定することはできない(限界説・無効説)との論は理論的にはばかにできないもので、八月革命説などがこれを回避するために提案された。一方憲法改正無限界説にたてば、明治憲法73条の規定に即した改正であったかどうかが論点となり、ここで押し付け憲法論が争点となる。

この考え方から、日本国憲法のような「押し付け」憲法ではなく、日本国民が自ら憲法を決めるべきという自主憲法論が形成された。

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国家と憲法の関係を考えるとき、国家の存在は必ずしも憲法の存在を前提とはしない。このことは、まだ近代的な意味での憲法を持たなかった江戸時代においても、黒船の来航を契機に、江戸幕府が国家機構としての機能を事実上発揮したことからもわかる。古くは、聖徳太子の時代や天智天皇の時代にも、共同体として「国家」は存在したのであり、その共同体は一定の倫理や規範を持っていたことは言うまでもない。もちろん、それらは近代憲法のように、個人の自由や権利を具体的に規定したものではなかった。そもそも民族や国家の共同体において、個人の自由や権利規定の母胎である倫理や道徳は必然的な本質規定でもあって、それらを有しない共同体はない。

権力の所在にしてもそうである。権威や権力の存在しない共同体もない。我が国のような共同体においても、天皇のような君主や、また天皇が名目的な地位と単に権威に留まってからは、豊臣秀吉や徳川家康など、源頼朝以来の朝廷の実質的な権力執行機関として、征夷大将軍が民族共同体の権力の中枢を担ってきた。が、その存在について何らかの具体的で明確な明文規定があったわけではない。いわば伝統的で慣習的な規範に則って、もちろん、慣習法だから曖昧にというわけではなく、不文法として厳格に世襲されてきた。

しかし、明治維新による開国以来、欧米列強諸国と対抗してゆくためにも、必然的に近代国家としての体裁を整える必要に迫られた。その過程で、当時のヨーロッパ諸国の立憲君主制に範をとりながら、それに日本独自の歴史的な特殊性に対応させた大日本帝国憲法を制定して、ようやく近代国家としての体制を確立していったのである。また、従来の慣習法的な皇室における規範が、あらためて近代国家の形態を確立してゆく過程で、そのことの善し悪しはとにかく、『皇室典範』として明文化されていった。

いずれにせよ、日本やイギリスのような伝統のある民族共同体の成立は必ずしも人為的ではなく、地縁、血縁の関係から自然発生的に形成されていったといえる。だから、その共同体の倫理や規範も長い時間と伝統のなかで歴史的に形成されて来たもので、現行の日本国憲法を例外として、必ずしも、人為的に外圧的に強権的に制定されてきたものではない。明治憲法の制定でさえ、十分な時間と研究の準備を経て制定された。

とくに我が国のように、海に閉ざされた島国としての地理的な特殊性から、長い歴史的時間において他民族による強権的な支配の経験もなかった民族や国家においては、規範や倫理や社会的な、政治的な体制も、民族の内部から、いわば自然発生的に構築されて来たものである。もちろん、遣唐使などを通じて、文化的な先進国のあった大陸から、今日で言う司法や行政のあり方を学び影響は受けながらも、それらを伝統的な国風に変化させ改造しながら形成してきたということができる。

いずれにしても、太平洋戦争の敗北を契機に、明治憲法から昭和憲法に変わって、そこに権力の主体が、天皇から国民に移行したということはよく言われることである。天皇主権から国民主権に憲法の制定主体や権力の実体が移行したというのである。八月革命説が唱えられるゆえんである。確かに、この移行の過程で、GHQが昭和憲法の制定の強権的な主体として存在したことは紛れもない事実である。また、それゆえにこそ、現行日本国憲法無効論も有力な根拠持って主張される。

しかし、いずれにせよ、忘れては成らないのは、憲法制定の目的は国民の自由を最大限に実現することにあるのであって、主権の所在が天皇にあるか国民にあるか人民にあるか、それともGHQにあるかは、かならずしも本質的なことではない。

歴史的にも、国民や人民の自由を最大限に保証されることの予想されたはずの人民主権の国家、人民民主主義共和国、すなわち共産主義国家が、必ずしも、立憲君主制国家や大領制国家より以上に、国民の自由を保障するものにはならなかったことからもわかる。

君主主権、あるいは天皇主権の国家が、国民主権の国家より以上に、実質的に国民の自由を保証することも当然にあり得る。このことは民主的な手続きで選ばれたはずのヒトラーやスターリンが、この上なき独裁者として、国家と国民を支配したという歴史的な事実からも言えることである。

したがって、国民の自由を最大限に保証する国家体制として、また、日本の歴史と伝統の中から成立した自然国家としての特殊性を考えるとき、国家の主権の由来の問題や憲法の概念があらためて問い直される必要があると考えられる。

現行の昭和憲法の規定は、社会情勢、国際情勢の変化に応じきれずに、多くの面で矛盾を深めているように思われる。とくに、日本国民の自由への欲求の増大と、現行の日本国憲法の軍備の放棄の条項との間に矛盾が深刻になっている。

また、現行の昭和憲法の問題点として、この憲法の制定主体としてGHQがその過程に強権的に実質的に介在したことも、また、戦後日本文化の否定的な側面の現象などからも、事実として昭和憲法が民族的な特殊性をじゅうぶんに現実化していないという批判の強力な根拠となっている。現行憲法の「象徴天皇制」は果たして、字義通りの意味で「国民主権」の憲法なのか、あるいは天皇を「元首」とする君主制国家なのか、この点についても曖昧である。もちろん立憲君主制というのは、両者をアウフヘーベンする国家体制なのであるけれども、天皇は「象徴」ではなく、「元首」として位置づけられるべきものである。

さしあたっては、天皇を国家元首とする立憲君主国家体制が、我が国の国家概念の現実的な形態としてもっともふさわしいと考えられるが、その論証については別の機会に譲る。

 

 

 

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