哲学者ヘーゲルは宗教的な狂信についてはおよそ次のように論じている。
宗教的な狂信家は言う。
「正しい人間には法律は存在しない。敬虔であれ。敬虔でありさえすれば、あなたはつねにあなたの欲することを欲しいままに行えるのだ。あなたは、自分の欲する意志と情熱に身をゆだねることができる。それによって不法な被害をこうむる他人には、宗教の慰めと希望に頼るように勧め、それでも、困った場合には、彼らを非宗教的であると非難し、呪ってやればよいのだ。」
そして宗教的な狂信家は
「主なる神を求める自分の無教養な思いこみのなかに、すべてを実際に持っていると思いこみ、自分の主観的な思いこみを、さらに真理の認識へと、そして、客観的な義務と権利の知識へと高める努力を自分に課することをしない。そういう人々によっては、ただ、すべての倫理的な関係を破壊する愚行と非行が生まれるだけである。」
このような宗教的な自惚れ屋は、
「思い込みばかりで客観的な真理の認識をあきらめ、また、その能力もなく、時には権威には卑屈になり、時には横柄になり、法律や国家制度がどのようにあらねばならないのか、どのように作られなければならないのかを示すこともできず、それらをすべて自分の信仰のうちに持っていると思いこんでいる。しかし、それは宗教的な感情の強さのゆえではなく、無能力のせいである。
しかし、宗教が、それが真実の宗教であるなら、国家に対してそのような否定的な挑戦的な態度をとるものではない」 (法哲学§270)
ヘーゲルは宗教の否定的な側面も深く洞察していた。日本人は先の太平洋戦争やオーム真理教事件で、政治的狂信や宗教的狂信の結果を体験している。実際、イラクのテロリストや自爆信者、平岡公威や松本千津夫その他の宗教的狂信者、政治的狂信者の犠牲になるのは誰か。いつも無実の国民である。