山岸の正月2
AUCH ICH IN ARKADIEN
四
日のまだ明るい内に、お風呂に入り、心身ともに寛いだ後に、用意されていたのは、広く明るい豊里食堂での食事であった。ヤマギシでは食事の前には必ずメニューの紹介がなされ、そこで材料の由来や、料理をした人の「思い」が紹介される。
第一日目のメニューは豚肉の生姜焼きであった。メニューの紹介に次いで、この研鑽会に裏方として参加した「お母さん」の紹介があった。以前にある女性を紹介されたことがある。この時ふと、、この「お母さん」の中に、彼女が来ているではないかと思った。記憶に残っていた名前をその中に探すと、偶然に二人いたが、左側のカーテンの前で、ほほえみを浮かべて立っている女性が、その人ではないかと思った。
この研鑽会に参加した「お父さん」は、実顕地のメンバーを含めて、六十八名である。それに食事の世話や朝晩の布団の上げ下ろし、部屋の清掃など生活スタッフとして加わった主婦や女性のボランティアは、二十二名であり、総勢九十名ほどでこの研鑽会をつくりあげていった。これだけの多人数が明るい食堂に一堂に会して、ユーモラスな話に笑いとよめきながら、老いも若きも食事を共にするのは愉快なものである。
裏方に徹した「お母さん」のテーマは、「至れり尽くせり」だと言った。ヤマギシでは何か仕事をする時、必ずと言っていいほど、テーマを研鑽して掲げる。岡山から来ていた主婦は、個人的には「何でも、ハイでやります」というテーマに取り組んでいたが、彼女は後で、ある「お父さん」から、「背中を流してくれ」と冷やかされて困ることになる。
広い食堂の、カーテンで仕切られた向こう側では、子供たちや学生たちが大勢賑やかに食事をしていた。私たちの囲んだテーブルには、二人の女性がそれぞれ受け持って、親切に給仕してくれた。この時ばかりは「お父さん」は箸の上げ下ろし以外何もすることはなく、陽気で美しい「お母さん」の給仕で、心身共に腹一杯にしてもらって見送られ、出発研鑽会の会場になっている、学育鶏舎にある鶏鳴館へと向かった。
五
部屋の壁に、テーマとサブテーマが大きく書かれて掲げられてある。ここで全員がこの研鑽会に参加した動機を述べた。それはもちろん人様ざまであったが、なかには「お父さん預かり」とか冗談めかして言う者もいた。しかし、概して参加者は、父親として男としてあらためてこの機会に生き方を考え直そうとしていたようである。ある人は、妻や子ども達がヤマギシに熱心なので、ヤマギシのことを知るために渋々参加した「お父さん」もいた。
それから参加者はA班とB班とに振り分けられて、明日の相撲大会のために早速準備研に取り組んだ。出場力士を選び、その四股名を決めるのに、各人の特徴や出身地などから案を出してゆくのだが、髪の毛が薄く、歳より老けて見られる「お父さん」は、「年寄り若」、酒好きな「お父さん」は、「千鳥足」、本職が獣医で風采の立派な青年は文字通り「獣威」、富士山麓で蕎麦屋を営む「お父さん」は「富士之側」などユーモラスな四股名が考え出され研鑽されていった。この過程でいっそうに和気藹々となり、大人の「仲良し」が深まってゆく。B班部屋は「二十一世紀を創る部屋」と名付けられ、部屋の幟も描かれた。
六
この新春「お父さん研鑽会」は実に良く仕組まれていて、会運営も事前に深く研鑽されていたことを伺わせる。行事は日程表に沿ってきっちりと実行されていった。二日目の朝は五時起床である。大安農場から日の出を見るためである。宿舎の前に集合したときには、まだ外は真っ暗で、空には月が弦を描いて輝いていた。寒いけれど、マフラーを巻きジャンバーの下に十分に厚着をしてきたので、むしろ、これくらいの冷え込みは心地よい。
まだ新しい立派な観光バスが、広場に待っていた我々を迎えに来た。大安農場まで一時半の行程である。私はバスのなかで、昨夜の浅かった眠りを癒した。
大型バスは頂上までは登ることができず、我々は麓から白い息を吐きながら歩いて上った。その頃になってようやく白々と夜が明け始めた。頬を刺す、清々しい朝の大気を吸いながら、大安の梨農園に着いた時、そこでは焚き火の火を起こしながら、北原さんが待っていた。パチパチと燃えさかる火を囲むみんなに、彼は十一年前の正月を感慨深げに思い出すように、この地に入植した当時のことを語った。
付近の村人に不審の眼で見られ反対に遭いながらも、「全人幸福思う者に行き詰まりなし」と言って、雑木林を切り開き、今日に至る大安農場を切り開いていったことなど。
東の空がますます明るみを増して、はるか彼方にうっすらと浮かぶ水平線の向こうに、小さな太陽が揺れるようにしてその顔を現したとき、みんなから歓声がわき上がった。太陽は見る見る内にその全容を見せたが、そこに宇宙の構造を実感すると共に、その神秘に打たれた。日の這い上る早さに時の移ろいを思う。新しい春の日の出を見終わってから、食堂に戻って暖かい昆布茶を飲み、皆で歌を合唱した。