§6
Diejenige Handlung, welche die Freiheit eines Andern beschränkt oder ihn nicht als freien Willen anerkennt und gelten lässt, ist widerrechtlich.
第六節[法における強制と自由]
第六節[法における強制と自由]
他人の自由を制限したり、あるいは、自由な意志としての他者を認めず受け入れない行為は違法である。
Erläuterung.
Erläuterung.
Im absoluten Sinne ist eigentlich kein Zwang gegen den Menschen möglich, weil Jeder ein freies Wesen ist, weil er seinen Willen gegen die Notwendigkeit behaupten und Alles, was zu seinem Dasein gehört, aufgeben kann.(※1)
説明
説明
絶対的な意味において、人間に対する強制は本来的に不可能である。
なぜなら各人は自由な存在だからである。人間は必然性に対抗して自分の意志を主張し、彼の現存在に属するすべてのものをも投げ捨てることができるものだから。
Der Zwang findet auf folgende Weise statt. An und für sich die Seite des Daseins (※2) des Menschen wird irgend etwas als Bedingung desselben angeknüpft, so dass, wenn er das Erstere erhalten will, er sich auch das Andere gefallen lassen muss. Weil das Dasein des Menschen von äußeren Gegenständen abhängig ist, so kann er an und für sich einer Seite seines Daseins gefasst werden.(※3)
なぜなら各人は自由な存在だからである。人間は必然性に対抗して自分の意志を主張し、彼の現存在に属するすべてのものをも投げ捨てることができるものだから。
Der Zwang findet auf folgende Weise statt. An und für sich die Seite des Daseins (※2) des Menschen wird irgend etwas als Bedingung desselben angeknüpft, so dass, wenn er das Erstere erhalten will, er sich auch das Andere gefallen lassen muss. Weil das Dasein des Menschen von äußeren Gegenständen abhängig ist, so kann er an und für sich einer Seite seines Daseins gefasst werden.(※3)
強制 は次のようにして起きる。人間の現存在の一面には、ある何ものかにはそのものの制約が結び付いているのであり、その結果として、人間が一つのものを得ようとすれば、そのとき彼は他のものをも受け入れざるをえないのである。人間の現存在は外部の事物に依存しているゆえに、だから人間は本来的にその現存在の一面において拘束される。
Der Mensch wird nur gezwungen, wenn er etwas will, mit dem noch ein Anderes verbunden ist und es hängt von seinem Willen ab, ob er das Eine und damit auch das Andere , oder auch keines von beiden will. Insofern er doch gezwungen wird, ist, wozu er bestimmt wird, auch seinem Willen gelegen. Der Zwang ist insofern nur etwas Relatives.
人間は、ただ次のような場合にのみ強制される。もし人が他者と結びついているものを欲するとしても、その 或る物 とともに、なおまた 他のもの をその人が望んでいるか、あるいはまた、そのいずれをも 望んでいないかどうかがその人の意志にかかっている場合である。その人がなおそうして強制されている限りにおいては、彼がそのように規定されているところもまた彼の意志のうちにある。それゆえに強制は相対的なものにすぎない。
Rechtlich ist er, wenn er geübt wird, um das Recht gegen den Einzelnen geltend zu machen. Dieser Zwang hat eine Seite, nach welcher er kein Zwang ist und der Würde des freien Wesens nicht widerspricht, weil der Wille an und für sich und für sich auch der absolute Wille eines Jeden ist. Die Freiheit findet überhaupt da statt, wo das Gesetz, nicht die Willkür eines Einzelnen herrscht.(※4)
個人に対して法を行使するためである場合は 合法 である。この強制には何ら強制ではない一面があり、そうして自由な存在の尊厳とも矛盾しない。なぜなら、本来的に意志はまた各人の絶対的な意志でもあるからである。自由は一般的に、個人の恣意ではなくて法律の支配するところに成り立つ。
Der Mensch wird nur gezwungen, wenn er etwas will, mit dem noch ein Anderes verbunden ist und es hängt von seinem Willen ab, ob er das Eine und damit auch das Andere , oder auch keines von beiden will. Insofern er doch gezwungen wird, ist, wozu er bestimmt wird, auch seinem Willen gelegen. Der Zwang ist insofern nur etwas Relatives.
人間は、ただ次のような場合にのみ強制される。もし人が他者と結びついているものを欲するとしても、その 或る物 とともに、なおまた 他のもの をその人が望んでいるか、あるいはまた、そのいずれをも 望んでいないかどうかがその人の意志にかかっている場合である。その人がなおそうして強制されている限りにおいては、彼がそのように規定されているところもまた彼の意志のうちにある。それゆえに強制は相対的なものにすぎない。
Rechtlich ist er, wenn er geübt wird, um das Recht gegen den Einzelnen geltend zu machen. Dieser Zwang hat eine Seite, nach welcher er kein Zwang ist und der Würde des freien Wesens nicht widerspricht, weil der Wille an und für sich und für sich auch der absolute Wille eines Jeden ist. Die Freiheit findet überhaupt da statt, wo das Gesetz, nicht die Willkür eines Einzelnen herrscht.(※4)
個人に対して法を行使するためである場合は 合法 である。この強制には何ら強制ではない一面があり、そうして自由な存在の尊厳とも矛盾しない。なぜなら、本来的に意志はまた各人の絶対的な意志でもあるからである。自由は一般的に、個人の恣意ではなくて法律の支配するところに成り立つ。
(※1)
人間は、たんに地位や名誉や財産のみならず、自らの生命さえも投げ捨てることができる。
人間は、たんに地位や名誉や財産のみならず、自らの生命さえも投げ捨てることができる。
(※2)
das Dasein
哲学ではふつう「定在」と訳される。語源的には「そこに存在している事物」のことである。自然的な、動物的な存在でもある人間は、他の自然の存在物とおなじく、そもそも有限な存在であり、つねに何らかの制限、制約の中に生きている。
まず人間は男性か女性かに性的に規定されており、その限界を超えることはできない。だから女性であれば出産という生理は生まれつきのものである。
(※3)
また、たとえば男性ならば家庭をもつことは夫としての役割を引き受けることであり、この家庭から父親をきりはなすことはできない。権利の背面には義務があくまでついてまわる。だから、この場合の「義務」はある意味では強制はあるけれども、それはみずからの意志の選択の結果としての強制であり、絶対的なものではなく相対的なものである。
(※4)
自由な存在としての人間に対して認められる唯一の強制は、「法」による強制のみである。「法」の意志は「すべての人」の意志でもあり、法の執行は「犯罪者」自身の意志でもあるから、人間の尊厳にも自由にも反しない。この「法の支配」するところにのみ自由はある。ただし、この場合の「法」は、理性としての、自然法としての「法 Das Recht」であって、たんなる実定法ではない。
哲学ではふつう「定在」と訳される。語源的には「そこに存在している事物」のことである。自然的な、動物的な存在でもある人間は、他の自然の存在物とおなじく、そもそも有限な存在であり、つねに何らかの制限、制約の中に生きている。
まず人間は男性か女性かに性的に規定されており、その限界を超えることはできない。だから女性であれば出産という生理は生まれつきのものである。
(※3)
また、たとえば男性ならば家庭をもつことは夫としての役割を引き受けることであり、この家庭から父親をきりはなすことはできない。権利の背面には義務があくまでついてまわる。だから、この場合の「義務」はある意味では強制はあるけれども、それはみずからの意志の選択の結果としての強制であり、絶対的なものではなく相対的なものである。
(※4)
自由な存在としての人間に対して認められる唯一の強制は、「法」による強制のみである。「法」の意志は「すべての人」の意志でもあり、法の執行は「犯罪者」自身の意志でもあるから、人間の尊厳にも自由にも反しない。この「法の支配」するところにのみ自由はある。ただし、この場合の「法」は、理性としての、自然法としての「法 Das Recht」であって、たんなる実定法ではない。