めずらしいことに今年の元旦には、玄関にすらりと伸びた水仙の生花が置かれていた。清々しい香りがし、何度も顔を近づけて深呼吸して香りを楽しむ。来年の正月にも水仙の花が手に入るといいなと思う。ラジオでソシンロウバイの便りを聞いた。ロウバイの名は蝋細工のように見える花の姿から来ており、あたり一面に水仙に似た香りを漂わせる。ロウバイを知ったのは近年のことだ。
今年も故郷の香りをのせて鹿児島銀行の一枚カレンダーが届いた。姶良市蒲生(かもう)町の八幡神社境内にある「蒲生の大クス」の写真で構成されている。国の特別天然記念物で環境庁の巨樹・巨木林調査で日本最大の巨木と認定されている。樹齢は約1500年という。幹はこぶだらけで地にどっしりと根を張っは力強さは神秘的だ。(写真は1・3 小平監視所にて)
玉川上水は1653年開削が決定され翌年には通水に成功している。羽村市にある玉川上水の取り入れ口に庄右衛門・清右衛門の兄弟の像が建ち、都内の小学生たちに玉川兄弟の業績が教えられている。しかし玉川上水を開削したのは玉川兄弟ではないという説がある。兄弟が失敗した後、当時川越藩主で老中の職にあった松平伊豆守信綱の家臣、安松金右衛門がこの大工事を完成させたというのだ。
オープンギャラリーの鈴木さんも後者の説に賛同している。その言に触発されて、講談社出版の中村彰彦著「知恵伊豆と呼ばれた男・老中松平信綱の生涯」を読んだ。本の帯には、家康のあとの秀忠、家光、家綱の三代にわたる将軍に仕え「徳川の平和」の礎を作った男とある。開削の計画に反対の閣僚もいたが将軍輔弼役である会津藩主・保科正之の意見もあって決定する。総奉行としてこの難工事に挑むことになったのが信綱である。川越藩士で土木工事のプロである金右衛門は測量を初めからやり直し、ついに通水に成功した。