玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*野川公園の柳橋②

2017年09月18日 | 捨て猫の独り言

 自転車で玉川上水沿いを東に小金井公園まで行き、関野橋を右折して南下すると中央線の東小金井駅に出る。さらに南下すると連雀通りに突き当たる。このあたりが少女Aが母親と二人で暮らしていた小金井市東町4丁目だ。西武多摩川線が見えてきた。その線路沿いを南下すると少女Aが卒業した東中学がある。線路と学校の間にある、車は通れない細い急な坂道を下ると野川が見えた。車が通る堅固な二枚橋という名の橋が架かり、緩やかに流れる野川の川幅は狭い。

 そこは公園の北口だった。じつは地図の小さな橋に、「柳橋」の表示がなく実在するかどうかを確認するのが目的の一つだった。案内板を見ると数えて五番目に「やなぎ橋」があった。殺された元美術教師が写生をしていた場所だ。作者である髙村薫もこの場所に立ったはずだ。ここから北口の方を振り返ると、西武多摩川線の門型鉄塔(送電線)も、大きく茂った川岸の木々にさえぎられて見えない。生前の被害者が橋のそばを写生場所に選んだ理由はまさにそれだったと書いている。

 ゆるやかにカーブする野川と国分寺崖線の間にはいくつかの小さな池がある。その区域は柵で囲われて「自然観察園」となっている。その出入口は一つで柳橋の近くにある。ボランティアの会が発行する「花だより」などの印刷物が置かれていた。野川公園はかつてのICUのゴルフ場を買収して昭和55年に開園したという。幅30mの東八道路で南北に分断されている。道路を跨ぐ3つの陸橋で行き来できる。公園は初めてだったが、東八道路は世田谷の長男家族を訪ねる時はいつも利用していた。

 柳橋の近くの岸辺では家族連れが敷物を広げ、子供たちは野川に入って水遊びをしていた。ざっと観察園の見学をすませる。そこから下流の一之橋北口から出て少し東八道路沿いに行くとICUの裏門に出る。ひっそりした簡素な門衛所から、中に入ると右手には富士重工の塀が続き、ICUの校舎は左手の林の中にあるようだ。バス停のあるロータリーに出た。そこから大学の正門まで構内を600mの道路が東へ一直線に伸びている。校舎などは見ずにキャンパスを出た。ICUは桜の名所でもあるそうだ。

コメント
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