玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*帰省②

2024年12月09日 | 捨て猫の独り言

 同窓会の翌日、甲突川河畔を散策した。母の住むザビエル公園近くのマンションを出て、千石馬場通りを鹿児島中央駅の方へ歩いてゆくと甲突川にかかる西田橋がある。橋のたもとに甲突川ウオーキングマップという案内板があった。西田橋から下流に向かって高見、南洲、高麗、甲突、親高、武之橋とあり、橋と橋の間の所要時間は2~4分と書きこまれていた。

  

 土手から降りて川底に近い遊歩道を初めて歩いてみた。ぬかるみもありここを歩く人は皆無だ。まず市電が通る高見橋の下をくぐりぬける。そのうち雑草に阻まれて土手に上がる。両岸のウオーキングコースは公園としてみごとに整備されている。まずは左岸を歩き、武之橋をすぎて河口近くの天保山橋まで行き、右岸に渡り再び上流へ向かう。武之橋の近くの左岸に乃木静子、右岸に松方正義の像を発見した。

  

 江戸末期に甲突川に五大石橋をかけたのは肥後の石工・岩永三五郎という。西郷どんが18歳ぐらいのときの話だ。そのうちの一つが西田橋だ。西田橋は鶴丸城から九州街道へ至る島津家参勤交代の道沿いにあり、城下の玄関口として「西田橋番所」があった。1993年の 8・6水害で新上(しんかん)、武之橋の2つの石橋が流失した際に五大石橋はすべて「石橋記念公園」に移築保存されることになる。西田橋は1996年に解体され1999年に新西田橋が完成した。

  

 この日は久しぶりに兄妹4人がそろい、母を囲んで総勢7名で会食となった。私の帰鹿に合わせての集まりなのだが、ありがたいことだ。痩せ細って小さくなった母が、食べ終えるごとに手をたたいて称えたりした。寝たきり状態を回避し、ピンピンコロリを目指して長女は母を叱咤激励している。翌朝私が帰京することを告げると、母はうつむきながら「もう会えないね」と涙声になった。これまでにはなかったことだ。

コメント
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