朝日12月7日からの数回の記事「百年・未来への歴史」におけるテーマは「核の呪縛」だった。日本被団協のノーベル平和賞受賞式のタイミングに合わせた。ここではその中から「核抑止」の項を取り上げる。1962年のキューバ危機はよく知られているが、1983年にも核戦争の瀬戸際という事態があったという。ソ連の早期警戒衛星が雲の先端で反射した日光に幻惑されてシグナルを発した。ミサイル監視の任についていたソ連の中佐スタニスラフ・ペトロフは「たった5発で戦争を始めるはずはない」と、とっさに誤警報と判断した。ペトロフは後に「世界を救った男」と呼ばれるようになった。
核抑止に頼る姿は、お互いのこめかみに拳銃を突きつけ合い、引き金に指をかけている状態に似ている。まさに狂った考えだ。被爆国・日本も核の呪縛にとらわれている。50年前首相在任時に「非核三原則」を表明した佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したが、佐藤は有事の際は核持ち込みを認める密約を米国と結んでいたことが後に判明する。原爆を落とした国である米国の核戦力に安全保障を依存する態度は今も不変だ。
1986年の4月にチェルノブイリ原発事故が起きる。その年の10月レーガンとゴルバチョフはアイスランドの首都レイキャビックで会談し、ICBMなどの戦略兵器や中距離ミサイルの消滅で合意する。2人の思いは87年の中距離核戦力全廃条約に結実し、89年の冷戦終結につながり、91年の戦略兵器削減条約の署名にまで至る。今年の広島平和宣言は今はなき2人の核大国リーダーの対話が冷戦の終結に導いたことにふれ「為政者が断固とした決意で対話するならば危機的な状況を打破できることを示しています」と訴えた。
長引くウクライナ戦争ではプーチンが核の威嚇を躊躇しない。法政大・下斗米名誉教授はその要因を、冷戦時代の疑心暗鬼の復活とみる。「冷戦終結をロシア側は東西の共同作業と見ていたが、西側は自らの勝利とみなした」と指摘。東側の軍事同盟が解散する一方、西側はポーランド、バルト三国がNATOに加盟するなど拡大を続けロシア領に近づいた。「ロシア側はそれを信義違反と捉え、対決姿勢を強めてきた」それがウクライナ戦争につながっているという。