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「ひらひら蝶は舞う」 榛葉莟子

2016-11-27 10:44:06 | 榛葉莟子

2001年10月1日発行のART&CRAFT FORUM 22号に掲載した記事を改めて下記します。

「ひらひら蝶は舞う」 榛葉莟子


 早い朝、台所に立ってコーヒーを入れながら窓の外の緑の裏庭を見る。緑は木漏れ陽を受け容れ、動いている庭を感じさせる陰影。緑の間に間に朝顔が咲いている。朝顔の数をなんとなく数える。草々に巻き付いて四方八方につるを伸ばし、其処此処にぽっぽっと咲いている漏斗形の青紫色とうすい桃色。昼間でもしぼまず咲いている小ぶりの野朝顔は、道ばたの草むらに咲いていたのを見つけて種を採って撒いた。増えるに任せていたらその一角が朝顔の藪になった。けれども藪は朝顔だけが占領している訳ではない。鉄錆色のルコウソウ、名前に似合わずレース状の縁がおしゃれなヘクソカズラや露草の青やらなにやら、さまざまな草花が絡み合いもつれあって、ちいさな花が見え隠れしながらちょんちょん咲いている。藪のかくし味の様で藪の味を活かしているなあと感じつつ眺める。藪っぽいものが好きだ。それは実際の藪そのものというだけではないし、当然植物とは限らない。藪的と感じるものの先に見えてくる。自在な動き、無理のなさに引き寄せられる。なんだかいいねと感じるそこには、いきな風が吹いている。口笛が聞こえてきた。なにか楽しげな口笛の方に目をやると、道の向こうに大きく膨らんだゴミ袋を持った顔見知りの男の子が見えた。ゴミ置場に袋を置いてくるりと踵を返しピッピピッピピーと即興の口笛を吹いてスキップしながら帰っていく。楽しげな口笛はだんだん遠のいていった。藪的な風が吹く。そういう空気感というのか空間感に反応する身体のその心とはと、自分のなかをのぞき込む。

 或る昼間、窓の外をなにか黒いものがひらり通り過ぎる。あっ、もしかしてと庭に出る。やっぱりそうだ黒あげ羽蝶。ひらひら舞う蝶を眼で追いながら、今年も来てくれたと、ちょつと感動する。毎年春から秋ぐちにかけて庭先にひらひらいくつも黒あげ羽蝶を見かけ、不思議に思い図鑑を開いて見た。揚げ羽蝶はサンショウの葉が食草である事をその時はじめて識った。なる程、裏庭にはサンショウの木がある。それからは毎春、最初の黒揚げ羽蝶に会うのを心待ちにしている。裏のサンショウの木のどこかで、たまご幼虫さなぎ成虫へとひそかにかたちを変え脱皮している。ひそかにというのはこちら側の言い分でにすぎない。庭先を低く高くひらひら舞う蝶にじゃれる猫がいる。蝶の動きをまぶしそうに眼で追う犬がいる。蝶を見上げる自分がいる。その先に青い空が広がっている。ゆっくり薄雲が動いている。立つ地面に陽射しが照り映える。どうということのないそれだけのここに藪的風が吹いている。

 この季節、畑の回りや庭先、道ばたや原っぱは花盛りだ。いつもより花に眼がいく。農家の庭先に群生して咲いている鶏のとさかのようなマゼンタ色のケイトウがあった。毛羽立った肉厚の動物の匂いを感じる造形物をつくずくと眺める。その根元にはマツバボタンが這うように咲いている。「あっ、チミクリソウだ」とこどもの声になる。色水を作るのにマツバボタンの花を摘んではぎゅっと指先でつねると赤い汁がぽとり、花を摘んでは汁を作った。丸坊主になっていくマツバボタンの花を摘みながら姉がいった。ちみくっても、ちみくってもちゃーんと明日になれば花が咲いてるんだからチミクリソウは強いのよ。そんなこどもの頃の夏の日が浮かんだ。つねる事をチミクルというのが、方言だったのかはもう忘れてしまった。ちみくりたいと思った。さっと赤い花をひとつ失敬する。指先でぎゅっとちみくった。赤い汁は指先をまっかに染めた。

 群生する月見草の道を歩きながら、数本手折って持ち帰る。たっぷり水を入れたガラス瓶に差しておいた月見草は、まるで今夜デビューする役者の様に、ぴんと背筋を伸ばし青いつぼみの先の先まで張りつめ夜の幕があがるのを待っている。と言うのも、花が開花していく過程を目の前にした事があり、その花が月見草だった。或る夜、何か動く気配にふとコップに差してある一輪の月見草に眼がいった。ガクの中に巻き込まれ隠れていた花びらが、ガクを押し開いている。動いている。はじめて見る開花の瞬間。見る間にくるっと黄色いひとひらの花びらが弾き出た。それからふっふっと呼吸するように二枚め三枚め、そして四枚の花びらは完全に開花した。観客は私だけだけれど月見草の花のデビューの瞬間に立ち会った訳で、思わずパチパチ拍手した心の内側では、括っていた包みがぱっとほどけたような明るい広がりとの、結び目がもらえたような拍手も混じっていた。月見草の花は次の日のひるには、たたんだ古びた傘のように赤みがかってしおれていた。引っ張るとすっと抜けた。