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『手法』について/植松奎二《浮く石》 藤井 匡

2017-06-01 10:41:41 | 藤井 匡
◆植松奎二《浮く石》花崗岩、耐候性鋼/460×725×110cm/1995年/撮影:脇坂進

2004年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 34号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/植松奎二《浮く石》 藤井 匡


 植松奎二《浮く石》は、垂直に立てられた石の柱と水平に延ばされた耐候性鋼材の間に、花崗岩の玉石が配置された作品である。石の柱と耐候性鋼材の間、つまり玉石の下に隙間を設けることで、玉石が地面から「浮いた」ような視覚がつくりだされる。作品周囲の重力が、他と異なっているような不思議さを体感させる作品である。
 この不思議さは、玉石と二つの支持体とがわずかな接触面に抑えられることとも関連する。現実には重量物を二点で支持することは困難であり、この作品でも当然、相応の構造は与えられているものの、その構造は隠され、危ういバランスが視覚的につくりだされる。三者の関係は〈その内のたった一つの要素が欠けたら、瓦解してしまう〉(註 1)ものであり、それが重力の存在を前景化するのである。
 玉石の重量は約5.5トン。それが地面から持ち上げられ、微妙なバランスで支えられる状態は、それが地面の上に転がされた状態とは決定的に異質なものとして認識される。一方では、玉石に圧倒的な重力が働き、他方では、巨大な石柱と鋼材の強度がその力を抹消する。本来は一定であるはずの重力――それは玉石の重量感によって増幅されたように映る――は、両義的に受け取られることになる。
 こうした作品は、「手業か思考か」という二分法で考えるならば、思考から導かれるものに分類されるだろう。彫刻としての表面をつくる作業が行われず、石や金属の構造的な加工は各々の専門家に発注されている。また、三つの素材も物自体ではなく、その間にある関係の方が重視されている。さらに、作者の操作が及ばない自然現象が重視されることもあり、つくる行為の比重は必然的に軽く見えるのである。
 しかし、石を浮かせる前と後では、その存在感が違って感じられるように、身体に由来する重力は、抽象的・概念的なものではない。石の重さを頭で認識することと身体で経験することは別物なのである。それは、構想段階では確認できないものであるため、作品は作者にとっても〈できたときの瞬間というのは自分でも驚きがある〉(註 2)ものとして現れる。ここでは、作品の出現に合わせて、想像と現実とが差異化されるのである。
 こうした重力を見いだすためには、意識ではなく身体に問うという態度の変更が、作品に先行して生じなければならない。つまり、自然現象とそれに影響される身体が、意識の外側にあることを発見したこと視点が、植松奎二の作品において重力が重要視される理由だと考えられる。
                   ◆         
 植松奎二は1960年代から、重力に関与する作品を制作している。それらは、写真やビデオ、パフォーマンス、インスタレーションといった、多様なスタイルで発表されてきた。こうした展開は、反復的な制作によって作品の精度を上げるのではなく、ひとつの原理をあらゆる方法で検証することを求めてのものである。
 例えば、1973年に《水平の場》《垂直の場》《直角の場》という三点(各二枚組)の写真作品が制作されている。これらは、京都市美術館の展示室の入口の高さと幅に対して、作者自身の身体と木材とをぴったりと合うように位置させ、通常とは全く異なる方法で、各々の距離を測定しようとした作品である。
 この作品でも、重力が大きく関与している。《水平の場》では、入口の両側に手足を突っ張って、身体が落下しないように支えられる。また、《垂直の場》では、角材が天井に当たるように真下から持ち上げられており、重力と一致する方向の力が示される。そして、《直角の場》では、《水平の場》と《垂直の場》を組み合わせるように、入口のコーナーに座り、手では角材を持ち上げ、伸ばした足と反対側のコーナーとの間には角材が嵌め込まれることになる。
 さらに、この三枚の写真は、同じ場所に角材のみを置いた(身体を抜いた)写真を並置して展示される。この場合、角材が重力に従って床にあるだけで、重力は通常通りに機能しているように見えるに留まる。この作品では、重力に抵抗する身体を介在させることで、その場所に生じる緊張感を対比的に見せることが意図されるのである。
 《水平の場》《垂直の場》《直角の場》と《浮く石》とでは、写真と彫刻、身体と物質、仮設性と恒久性など、一見には大きく隔たっている。しかし、重力とその影響下にあるものとの関係を前景化し、緊張感のある場を構成する形式に共通性が認められる。そして、重力と関係する造形であることから、垂直軸と水平軸を基調とする形式を採ることも共通することになる。
 また、近作として、青森県・銚子大滝の落下する水をビデオで撮影し、その正回転と逆回転との映像を並置して見せるインスタレーション《落下する水/上昇する水》(2002年)が制作されている。この重力によって高い場所から低い場所へと移動する水の姿に、作者は〈重力の形〉を見いだす(註 3)。したがって、この作品も垂直軸(重力による運動)と水平軸(重力による静止)とを基調とする形式を採ることになる。ここでも、《浮く石》と同様、重力に対する認識が問い直されるのである。
 このように見ていくと、植松奎二の作品では、素材や提示のスタイルは広範囲に渡るものの、重力が形成する関係が不変的に扱われるのが分かる。代入される要素は交換可能だとしても、それらを統制する形式への視点は不変なのである。この交換可能なものと不可能なものの区分には、近代的主体とその限界(有限性)の問題を重ね合わせることができる。
                   ◆         
 各々の素材は、交換可能性を有するときには、主体とその延長(使用するもの-使用されるもの)の関係を結ぶはずである。ここでは、素材を選択・加工することは作者の恣意に委ねられており、そこから自由な表現を行う主体を想定することができる。
 しかし、石や金属を素材として扱うようには、重力を扱うことはできない。仮に無重力をつくる装置を製作したところで、地球の重力がなくなるわけではないのだから。重力の有無に選択の余地はないのである。
 重力は主体の外側に位置しており、逆に主体の方が重力の影響下に置かれる。それは、他の素材と等しく、作者をも規定していることを意味する。表現者の自由は意識の中にあるだけで、現実には重力に縛られた不自由な身体が存在するのである。
 こうした、自由が想像物に過ぎないという認識は、「使用されるもの」であるはずの素材を見る視点をも変更してしまう。作者は《浮く石》に関して、ストーンヘンジや石舞台古墳などの古代の巨石遺構が影響を与えていること、何万年もの地球の記憶を残している石の原始的な力に惹かれることを語っている。(註 4)
 こうした人類史上や自然史上に位置づけられる石は、主体を超越するもの(主体の有限性を示すもの)を意味する。科学的や心理的には、どのように解釈することも可能としても、窮極的にはそれらを十全に理解することはできない。《浮く石》の玉石は、作者という主体の意識に帰属するのではなく、重力と同じく主体の外部に存在すると見なされる。それも、意識からではなく、作品が出現した際の驚きから導かれるのである。
 地球上の重力は、こうした作品を経由して示すことによって、何ら変化するわけではない。また、重力の在り方を充分に認識したところで、それから自由になれるわけでもない。それは、どうしようもなく意識の外部に位置しており、逆に外部の方が意識を規定する。こうした考えは、制作者の自由意志を想像物として否定することになる。
 ここでは、意識を規定するメカニズムを把握しようとすることだけが可能であり、その限りにおいて自由がある。(註 5)《浮く石》が見る者に与える解放感は、重力からの解放ではなく、自己の意識(意識に対する意識)からの解放によっている。ただし、そのことも恣意的な選択ではなく、身体を規定している条件がつくりだすのである。
 植松奎二が一貫して重力に一貫して関与してきたことは、人間の意識と身体との問題を問い続けてきたことに等しい。そこには、自由に生きるという想像は否定されているが、現実を生きるための自由は与えられている。


註 1 作者コメント『第12回神戸須磨離宮公園現代彫刻展』図録 1990年10月
 2 「アート・トーク アートは時代を証言する」『AC×2』国際芸術センター青森№5
   2004年3月
  3 前掲2
  4 植松奎二「古代人へのオマージュ」『植松奎二展』図録 西宮市大谷記念美術館
   1997年5月
  5 柄谷行人「スピノザの「無限」」『言葉と悲劇』第三文明社 1989年(初出1987年)